ポンコツ紀行
吉野諦一
9月 K県の旅
1日目
ときおり、自分の居場所がわからなくなることがある。
昔から行きたい所を決めずに散歩するのが好きだった。小学生の頃に一つ年下の幼馴染二人を引き連れて町外れを歩き回り、それを「ぶらり旅」なんて名付けていた。素直に冒険と呼ばなかったのは、僕が危険を冒すことよりも旅という行為そのものに憧れを抱いていたからだと思う。
その一方で修学旅行などの宿泊行事にはあまり心が躍らなかった。目的地がすべて定まり時間まで細かに決められた旅のしおりを見るたび、僕はその予定に縛られることを不自由だと感じた。
要するに僕は、何も考えずにその辺をぶらつくことが好きなのだ。無軌道に、無作為に、無意味に。
ところでメタな話で恐縮なのだが、筆者は夜行フェリー内のベッドルームでこの文を書いている。想定以上に船が揺れるため、吐き気がこみ上げてきて最悪である。早くもこのエッセイを執筆することに後悔の念を抱きつつある(航海だけに)。
とまあ、筆者はこんな感じの人間だ。無計画に自分の首を絞めるろくでない奴だと思っていただければ、だいたいその通りである。予定に縛られたくないと言いつつもきちんとフェリーの予約をしている抜け目の無さも加えていただけるとなおリアルだ。
話を戻す。ただぶらつくだけだというなら家の近所を適当にうろつけばいい。けれどこうして船に乗り遠出をしているのは、自分の居場所を確認したいからだ。
同じ所に留まっていると、ついその場から離れることに億劫になりがちである。必要に駆られなければ外に出ることはなく、内に籠っていればゆっくりと心が腐っていく。そんな場所が、果たして本当に自分の居るべき場所だろうか?
筆者にとって旅というのはその問答の繰り返しなのだ。外に出て、即座に帰ることができないほど遠くへ向かい、その先で一時の居場所を見出した後、やはり自分の居場所は出発点にあったのだと認識し直す。そういう一種の儀式のようなもの。
だから行き先なんて本当はどこでもいいのである。
どのみち帰ってくる場所は同じなのだから。
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