第三幕:社会人編
二〇二七年四月二三日(金)
早咲きの桜が既に見頃を終えようとしている。
そんな桜をゆっくり見る時間もない程慌ただしく、僕の学校生活は幕を閉じていった。
あの一件の後も何度か
僕等研修生は五月を待つまでもなく、宇宙での実地研修を行う事が決まっており、それも今や明日に迫っていた。
前日である今日は種子島宇宙センターで事前レクチャーを受け、明日にはここからロケットで双葉重工のステーションへと上がる。
本来業務で宇宙に上がる場合は、新島の小型発射場を使用するそうなのだが、今回の様に研修生や先輩技術者等人数の多い場合や、大型の機材や補修部品搬入等といった大量の荷物がある場合には、こっちを使用するのだという。
今年の新人はPCS技術者だけで僕を含め三十二名。しかし双葉の宇宙ステーションはせいぜい三十人が定員の為、新人研修は三回に分けて行われる。
僕ら付属学校卒業組は他の社員より一足先に明日出発し、他の社員は事前講習を済ませてから六月頃に行うそうだ。
――明日の今頃はもう大気圏の外なんだ。
ルームメイト達が横で明日の事を興奮気味に話しているのを余所に、ホテルのベッドに仰向けになって天井のずっと先——明日見るであろう宇宙の景色に想いを馳せた。
高校二年の十一月。あのドームの中で見た景色が、今の僕へとつながっている。
——そしてその景色を見せてくれた人は、僕を好きだと言って……。
そう考えると興奮と罪悪感と自己嫌悪が入り混じった赤黒い感情に自分の内側が支配されていくのを感じる。
それでも殆ど無意識に、その中から興奮という赤い感情だけを掬い取って明日を楽しみに思っている自分に再び自己嫌悪が募り、赤黒い渦は段々と黒く歪な何かへと変貌していった。
◇
「搭乗前にお互い装備を確認をしておいてください! 離陸してから問題が発生しても何も対応出来ませんから、くれぐれも入念に!」
ロケットを目の前にして浮かれ気味の僕達研修生に、先輩技術者の指示が飛ぶ。
先輩と言っても三十前半位に見える。やはり新設の分野とあって教官役の人達も、全体的に若かった。
けれど中には五十過ぎのような人もいた。そういう人は大抵、航空機等他の分野から引き抜かれて来たのだと、若い先輩が教えてくれた。
逆に僕らと一つか二つしか違わないように見える人も教官役には混じっていて、これも先輩の言っていた通り、指導員不足の深刻さを物語っていた。
どうやら彼らは教官のサポートらしく、この研修はその教官の育成も兼ねているらしかった。
目の前のロケットはH―ⅡAという既に引退したロケットを元にしたもので、改良を加えて段数を減らし、効率化を図っていた。
実際教科書で見たH―ⅡAの写真よりも、大分短く見える。
そもそもこの機体は、一般人の宇宙旅行時代到来に向けて、人員輸送に特化して開発したプロトタイプのお下がりなのだそうだ。
その為開発には運用も含めたトータルコストの削減と、安全性が最優先され、結果として国内でも高い実績を持つH―ⅡAが素体に選ばれたという事だった。
実際この機体に限らず、ここ十年足らずでロケットは小型化と、それに伴う燃料の削減を実現し、使い捨て部品の軽減によって打ち上げコストを大幅に削減させていた。
確認を済ませてロケットに乗り込むと中は思った以上に狭く、ごわごわした与圧服で倍近くに膨れ上がった乗員にとっては、まさにすし詰めという表現がぴったりだった。
左右に窓は無く、先頭部の窓も他の乗員のヘルメットで見る事は叶いそうもなかった。
それでもこれから向かう場所が間違いなくあの憧れ続けた場所であるという事実は、胸を高鳴らせるのに十分過ぎるものだった。
他の研修生もあまり変わらないらしく、座席の後ろ側は初めて学校行事で外泊する小学生のようにこれからの出来事への期待と不安、興奮や緊張といた感情を全て混ぜたような——けど良く見るとどれとも少し違うような——独特な空気に満たされていた。
「もうすぐカウントダウンに入ります。皆さん、トイレとか大丈夫ですよね?」
その言葉に笑いが漏れる。後ろが遠足気分なら、前は引率の先生のようだ、と誰かが話してまた笑った。
そして暫くしてカウントダウンが始まり、地鳴りのような震えを背中に感じ始めると、皆一様に緊張に包まれた。
そしてカウントダウンが終わると、より一層の振動が伝わり、自分の乗った機体が地面から離れた事がアナウンスで告げられた。
景色は全く見えなかったけれど、徐々に体へと伝わってくる荷重だけが、自分が目的地へと向かって進んでいる事を教えてくれていた。
◇
猛烈に体に掛かる荷重にどれだけ耐えたのか。
ある時不意に訪れた浮遊感に、解放感と共に恐怖と興奮が襲う。
ヘルメットの隙間からやっと見えたステーションが徐々に大きくなり、小さな衝撃と共にドッキングする。それを確認した先輩飛行士に促され、僕達は狭いロケットから這い出して、ステーションへと通じる通路を進んでいった。
その途中、壁面についた窓から外を覗くと、そこには確かに宇宙の景色が広がっていた。周りは皆感動して、持ってきたスマホ等でしきりに写真を撮っていた。
けれど何故か僕には、予想していたような感動は訪れなかった。
なんだか窓越しに大きく映る地球がやけに明るくて、それがネットで見た写真そのままで、周りの星が見えなくて——何かが違うような気がした。
あの博物館のドームの中で夢想した宇宙は——もっと孤独で、畏怖と混沌に満ちたものだった。
そしてそれはきっと、安全な地上の安全なアトラクションの中から見る景色とは、何もかも違うものなんだ——と何の確証も無く思っていた。
もしかすると僕が求めるものは、外に出て直接宇宙を感じないと分からないものなのかもしれない。
そう思って窓から目を離し、慣れない無重力下での移動に四苦八苦しつつ、ミーティングルームへ入って行った。
中はシートベルトのついた椅子が並び、無重力下に於いても律儀に”座って話す”という習慣を再現しようとする無駄とも取れる努力の成果が並んでいた。
ここにも窓があり外にはまたあの大きな地球が映っていて、僕以外の研修生の目をを楽しませていた。
皆暫く慣れない無重力環境での着席に苦労していたが、先輩の手助けもあって何とか全員着席する。そこで先輩技術者の一人が話し始めた。
「ようこそ双葉衛星管制ステーションへ。
ここは私達技術者の詰所であり、生活空間です。
ここから各自担当するサテライト――人工衛星へ小型艇で移動し、業務を行う事となります。
しかし皆さんは当然宇宙に上がるのは初めてだと思いますので、これから一週間かけて、船外活動や小型艇の操作等実地研修を通して宇宙環境に慣れて貰います。
今回の研修生は全員うちの専門学校の卒業生だと思いますので、疑似無重力体験や閉鎖環境訓練も受けていると思いますが、そこはやはり本物と再現環境では大きな隔たりがあります。
そういった差を埋めるのも大きな目的の一つですから、各自決して旅行気分で浮かれないでください。
では、研修の細かい内容を原田さんからお願いします」
そこまで話すとマイクを隣の人に渡す。
「皆さんこんにちは、原田と申します。では、研修の詳しい内容について説明していきます。
まずは大まかなスケジュールですが……」
研修内容の説明はおよそ、地上で事前に聞いたものと変わらなかった。
ミーティングが終わると、一旦休憩を挟んでステーション内を案内され、実際に作業を行う職員に挨拶したり、各自小型艇に同乗して仕事風景を見学したりして初日は終了となった。
就寝時間になると狭い——というよりただの縦穴のような場所に体を押し込み、ベルトで自分を固定して眠りにつく。
けれどこの分厚くもたった一枚の壁を隔てた先に、憧れ続けた星空があるという事実が、その眠りを妨げる。
窓もないこの場所では星を見る事も出来ないのに、いつもベランダから星を見ていた時より遥かに身近に星を感じていた。
家のベランダとここでの距離なんて、星と星の距離を考えれば、誤差みたいなものだというのに——。
けれどもし今、この壁に穴が開けば僕は即座に死んでしまう。
酸素供給が止まっても、航路がずれて補給が受けられなくなっても――。
でもここはそういった恐ろしさも含めて、憧れた場所なんだと思う。
海にも感じていた、美しいだけでなく放り出されて初めて見える恐怖。それを味わいたくて、僕はここに来たのかもしれない。
そう思うと急に色々な事に納得出来たような気がして、立っているのか横たわっているのか、昼なのか夜なのか曖昧なまま、僕は内に広がる宇宙に落ちて行った。
◇
翌日から早速船外研修が始まった。
今回の研修目的である宇宙空間での作業。その中でもとりわけ船外活動は技術、精神面共に求められるものが多い。
その為研修の半分近くがこれに割かれていた。
冷却用の肌着や専用のおむつを着用した上から、一昨年より実装された日本製の一人で着込める船外服に手足を通す。
学校の実習でやったとはいえ、マジックショーで小さい箱に詰め込まれるアシスタントのような気分は、一度や二度で慣れるものではなかった。
「痒いところとかあったら先に掻いておいた方がいいよ。上着ちゃうと掻けないからね」
実習で着用したのと違うタイプに少し苦戦していると、補助を担当する先輩が笑いながら話し掛けて来た。
「とりあえず大丈夫そうです。最初は三十分ですよし、それ位なら何とか」
「そう? あれ地味に辛いからね」
先輩は笑いながら腕や足などがきちんと入っているか、密閉が完全か等を確認してくれた。
ひとしきり着込んで先輩からチェックを受けると、誘導されるままエアロックへと案内された。
到着すると別の先輩技術者に再度確認を受け、重々しい扉を開けて狭い部屋へと自分の体を押し込む。
外との中間に位置するこの空間で空気を抜けば、あとは船外へ放り出されるだけだ。
周りの音がだんだんと小さくなり、自分の周りが生きる事を許さない”外”の世界へと変わっていく。
準備完了のランプが点灯すると横の最終ロックの解除ボタンを押すと、入って来た時と反対側の同じ様に分厚い扉が音もなく開いていく。
扉はまるで、自分の知覚がそう見せているかのようにゆっくりと動き始め、無音の箱と宇宙がつながる。
そして目の前に、焦がれ続けた星空が広がっていく。
――きっとこの景色を写真に収めても、今の気持ちの1%も伝わらないだろうな。
最初に思ったのは、そんな事だった。
ちょうどステーションで地球の隠れた目の前の景色は、ただ黒い空に白い星が無数に輝くだけの、妙に遠近感の欠けた世界だった。
こんなものを写真で見せたところで、黒い壁に白のペンキを垂らしたものと見分けがつくかも怪しいものだ。
けれど今、目前に広がる世界を網膜で捉えている自分にとって、これは紛れもなく美しいものだった。
「早寧さん、船外服に問題ありませんか?」
茫然と目の前の景色へと飛んでいた意識が、通信の声で急速に引き戻される。
「あ……船外服各種計器、問題無しです」
急いで腕の計器を鏡越しに確認し報告する。
「了解。じゃあアームを回すので命綱を用意して待機していて下さい」
「了解しました」
言われるままにやって来たアームに命綱を固定する。
初日と言う事もあって、研修内容は比較的初歩的なものが多く、順調に研修は進んだ。
「そうしたら最後にセルフレスキュー訓練を行います。命綱がしっかり固定されている事を再度確認してからアームから離れて下さい」
「了解」
そうしてアームから自分を切り離し、命綱だけを頼りに宇宙空間に漂う。
「その状態で背面ユニットを使ってエアロックまで戻ってください。
慣れが必要だと思いますからまずはやってみて、無理そうならこちらから迎えに行きます」
それだけ言うと一旦通信は切れ、僕は宇宙に一人になった。
地球が隠れている現状では、見える光と言ったら自分の船外服のモニターや計器と、ステーションから漏れる点のような明かり。それと星だけだった。
遠近感のない景色の中、目の前にある無数の星の一つに手を伸ばす。
そうして掴んだ筈の星は、けれど手の中に収まってはいなかった。
僕が今掴もうとした星は、きっと何万、何億光年も先にあるとてつもなく大きな星や銀河なのだろう。
そんなとてつもなく巨大なものを文字通り星の数程抱える宇宙の中、まるで溶けて消えていくような想いに捕らわれる。
そして僕は教官が迎えに来るまで研修の事も忘れて、いつまでも星に手を伸ばしていた。
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