二〇二三年一〇月二七日(金)

 この広いリビングに一人でいるのはあまり好きにはなれない。

 一人でいるとまるでこの部屋の空虚な空気に押し潰されそうな息苦しさを感じた。

 築十年の3LDKマンションは二人で住むには少々広すぎるけれど、両親が離婚する前からの家にそのまま暮らし続けている。


 母は小さなデザイン事務所でデザイナーとしていつも忙しそうに働いていた。

 元々服飾デザイナーだった母は、離婚してから暫くは色々な職を転々としたが、僕が中学に上がってすぐの頃、昔の同僚から新しく立ち上げた事務所でデザイナーとして働かないかと誘われたのだそうだ。

 しかしデザイン事務所と言うのはデザイナーも何も無く、終日働き詰めが当たり前の職場で、当時母は僕の事もあり戻るかどうか随分悩んだようだ。しかし結局デザイナーとして再出発する事を選んだ。

 母自身デザイナーとして働くのは楽しいらしく、いつも疲れて帰って来てもその表情には充実感が伺えて、母が働き始めた当初は一人でいる寂しさと羨ましさで随分反抗したのを覚えている。


 台所で調理をしていると鍵を開ける音、そして母の声。

「ただいま~」

 リビングに入って来ていつものようにソファーにどさっと座り込む。

「お帰り。今日は早かったね」

「まあ、こう連日だとね~。流石にたまには早く上がらせて貰わないと体がもたないわよ」

「お風呂、今沸かし直すけど、さっき入ったばかりだからすぐ入れると思うよ」

「ありがと」

 そう言って手をひらひらさせながら母は寝室へと消えていった。


 母が風呂から上がると、手早く皿を並べて夕食にする。

 母自身はどちらかと言えば話好きな部類に入るが、二人でいる時は普段の反動か、それとも僕が無口だからか、あまり多くは喋らない。

 今日も鱈鍋をつつきながらたまに口を開く程度で、大半はニュースを眺めて静かに過ごした。


 夕食後、食器を片付けるとぼんやりテレビを眺めている母のところへ向かった。

「ねぇ母さん、進路の事なんだけど」

「うん?」

 少し緊張している事を自覚しながら、少し間を開けて再び口を開く。

「宇宙開発の技術専門学校に入りたいと思ってる」

「え?」

 予想通りの驚いた反応をする母さんに、横の椅子に置いてあった学校のパンフレットを差し出す。

「なに秋、最近何か言いたそうにしてると思ったのはその事? てっきり美大へ進学したいとかそういう話だとばっかり……」

 確かに高校に入った頃は漠然と美大への憧れと、資金的なネックについて考えていた。

 けど今は違う。一刻も早く行きたい場所があった。

 母はパンフレットをパラパラめくるとみるみる渋い顔になっていく。

「宇宙開発って、これPCS(民間企業衛星)の保守技術者の専門学校じゃない! この前もイスラム系の組織がミサイル打ったってニュースもやってたし、それじゃなくたって事故のニュースがしょっちゅうやってるじゃない⁉」


 確かに今年初め、イスラム過激派組織が突如三発の弾道ミサイルをアメリカの軍事衛星に向かって立て続けに発射し、大きな話題となった。

 またそのミサイルが中国の開発していたものに酷似しており、間接的な宣戦布告なのではと政治的にも大きな話題となっていた。

 アメリカは過激派組織への報復攻撃としてイスラム圏各地に空爆を実施し、世界各国の批判を浴びた。

 結果として過激派の活動は沈静化したものの、それまで右肩上がりで急成長を続けていた各国の民間宇宙開発は米中関係の悪化も併せて大きな打撃を被った。

 それでなくても設計、打ち上げ、管理全てを民間主導で行うようになったのはつい最近の事だ。

 各企業とも地球圏への影響や、国際条約で定められたデブリの発生には最大限配慮しつつも、パイロットや技術者の安全面についてはまだ手が回りきらない部分も多く、毎年10~20件の事故で数名が命を落としていた。


「けど今は過激派だって沈静化してるし、技術だって進歩してる。このままのペースで行けば、僕が就職する三年半後には年間事故件数は五件以下に収まるって予想も出てるんだ。

 毎年衛星も人も増えているのに事故は減ってきてる。これなら就職する頃には都心部で交通事故に巻き込まれる確率とそう変わらないところまで減る見込みだって言われてる」

「それだって低めに見積もっている可能性だってあるのよ⁉ 確率や統計なんてサンプルの取り方次第でどうとでも変わるものなんだから。

 第一、予想はあくまで予想。技術が必ずしも順調に進歩するとは限らないのよ?

 それにもしそんな専門性の高い学校に入った後で何かあったらどうするの? 他の就職先を探すのだって難しくなるのよ?」

「確かにそうかもしれないけど、事故はどこにいたって起こり得るんだ。危険があるのは分かるけど、それだけで諦めるような事はしたくない」

「宇宙に行きたいならもっと他にも方法はあるでしょう? 安全な研究職系の宇宙飛行士科だってあった筈よ」

 ここ数年、いわゆる宇宙飛行士と呼ばれる人は減り、代わりに国・民間問わず研究者を集めたチームで宇宙ステーションに滞在して研究を行うような宇宙飛行士が増えてきていた。

 最近は惑星・衛星への有人探査といったプロジェクトがあまり行われておらず、逆にもう十年以上大きな事故を起こしていない宇宙ステーション内での研究に特化した専門宇宙飛行士の方が人気も需要も高かった。

「それなら別の専門分野の知識だって得られるし大卒の資格も貰えるんじゃないの?」

「確かにそうだけど、その分倍率がすごい高いし、何よりそういった人達はチームに入れても宇宙に上がれるのはほんの一握りだし、上がれるとしてもチームに入ってから年単位の時間がかかる。そんなに待っていられないんだ」

「それでも大卒の資格や研究者としてのノウハウなら他でも活かせるでしょう? そっちの方がいいんじゃないの?」

「僕は宇宙に上がりたいんだ、ノウハウが欲しい訳じゃない。無茶なのは分かってるけど自分のやりたい事を一番早く叶えられる道を選びたいんだ」

 そこまで話して口を閉じる。母もそれに倣うように前のめりだった姿勢を戻して少し落ち着いたようだった。

「正直……美大についての相談なら、小言も出たかもしれないけど承諾したわ。

 望む形では大成出来ないかもしれないけどあなたはセンスがある、だからきっとそっちの道でなら食べていける。

 けど技術職の、それも専門学校出なんて危険な上につぶしが利かないのよ? 別に大学に入れない程成績が悪いわけでもないんだから、美大か何かに入ってダブルスクールでも通信教育でもしてノウハウを習得した方がいいんじゃないの?

 第一、たった二人の家族なのよ? わざわざ危険な職場になんて……」

「ごめん……。でもそんなに待てないんだ。

 美大みたいに学費を掛けずに最短で宇宙に上がる方法は今、これしかないんだ。

 それに望む仕事に就く事が自分自身の幸せにつながるのを身をもって示したのも母さんなんだよ?」

 すると母は机の上のパンフレットをまた手に取り、パラパラと捲り始めた。

 目を通しているというよりは間をつないでいるといった風に。

「確かにデザイナーになった頃は秋に随分寂しい想いをさせたものね」

 母がパンフレットを捲りながら独り言のように呟いた。

「正直大反対だけど、自分を棚に上げてこれ以上は言えないわね。

 秋がどうしても行きたいというのなら、これ以上母さんは止められないわ」

 母は溜息をつくとパンフレットを手に持って立ち上がった。

「一応これは見せて貰うわね。秋の言う通り、十分な技術進歩と身の安全が確保出来そうもなければ、今度は絶対ダメって言うからね」

 厳しい顔でそこまで言うと、いつもの表情に戻り、

「それじゃあ、おやすみ」

 それだけ言うとドアへと向かって行く。

「ありがとう母さん、おやすみ」

 背を向ける母にそれだけ言うと、母は手をひらひらさせながら寝室へと消えていった。

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