二〇二八年一〇月八日(日)—上
無音の宇宙で、緊迫した声が船外服の中だけで響き渡る。
『衛星写真にてカモフラージュされていたミサイル発射台を確認したそうです!
現在標的にされる可能性が高い衛星のリストを送信しましたので、近くにいる作業員は直ちに退避してください!』
その引き絞った弓の様に張りつめた声は、その強張った表情や流れる汗までも伝わってくるようだった。
全体通信が終わると、さっき切ったばかりの枳殻から再び通信が入る。
「先輩!」
「すぐ戻る」
それを手短に切り、アームを操作して急いで船に戻る。
地上管制からのデータが予測着弾時間まで五分を切っている事を告げていた。
「先輩! どうしたら……!」
「落ち着いて。とりあえずさっき言ってた標的衛星の候補リストと、近くの衛星位置出して」
怯える枳殻にそれだけ言うと、急いで発進させる。
標的になる衛星がどれなのかも当然大事な情報だが、そもそも衛星やデブリが密集している所にミサイルが着弾すれば、連鎖的にデブリが大量発生するのは確実だ。そんな場に居合わせたらどのみち助からない。
枳殻が出して来たデータにざっと目を通し、標的の可能性のある衛星を避けつつ比較的衛星やデブリの密度が低い方へ進路を取る。
お互い緊迫して何も言わず、コンソールを睨み付けていた。すると再び地上管制から通信が入った。
『標的が判明しました! 米国の高感度地表撮影用衛星です。
情報を更新しますので、確認してください』
更新された衛星位置を確認すると、そこから少しでも離れるべく進路を変える。しかし衛星の軌道が悪く、あまり相対速度が上がらないため距離が離れない。
すると再び管制から今度は直接通信が入る。
『12号機、聞こえますか?』
「こちら早寧です」
『標的との距離が近いです。急いで退避を!』
「やってます! ただ衛星がこっちを追う様な軌道で相対速度が上がらないんです!」
いっそ衛星とすれ違って逆方向に逃げる事も一瞬考えたが、残り三分足らずの時間ではこのまま逃げた方が距離は稼げるし、マニュアル操縦での逆走は普通の衛星や既存のデブリとの衝突のリスクが増す。
『確認しました。今最適な進路を算出したので送ります。これで少しは相対速度が稼げる筈です』
「了解しました」
届いた進路に合わせ、残りの燃料等気にせず全力で逃げる。枳殻には僕が最初の作業中に着ていた船外服を着用するよう指示する。
それが終わると祈るような思いで更新されて若干延びた着弾予定時間のタイマーを再び睨み付けた。
◇
タイマーの数字にゼロが並ぶ。
同時に繋いだままになっていた管制からも事実を告げる声が聞こえてきた。
『ミサイルの着弾とデブリの発生を確認しました。気を付けて下さい』
それから一分程経った頃、リアルタイムスキャンにデブリが幾つも捕捉された。
全て着弾コースからは外れているが、その速度は思った以上に早く、これでは捉えてから避けるのは不可能なように見えた。
宇宙服の除湿や冷却は問題無く働いている筈なのに、手のひらだけでなくそこかしこが汗ばんでいく……。
不意に船内に緊急のアラームが鳴り響く。
コンソールでは”UNKNOWN”と表示された無数のデブリの一つが赤色に点滅しながらこちらへ直進して来ていた。
それは相対速度で秒速3キロメートル以上、三十秒足らずで着弾するとシステムは告げていた。
それを見て全力で進路を変更するが、正直直撃は避けられても、避ける事は無理そうだった。
――三十秒後。
操縦空しく、船に鈍い衝撃音と激しい揺れが襲った。
今まで感じた事のない本物の死の恐怖が、船外服に守られた体を駆け巡る。
そんな中をただ体を強張らせ、祈るような想いで揺れが収まるのを待った。
揺れが収まり、おそるおそる辺りを見回すと船内の明かりは消え、コンソールにも何も映っておらず、非常灯の明かりだけが周囲の状況をおぼろげに照らしていた。
その明かりを頼りに隣を確認すると、枳殻の姿も確認できる。
「枳殻、大丈夫?」
有線回線をつないで直接話し掛ける。するともぞもぞしながらこちらにヘルメットのガラス面が向く。
「はい……、何とか」
「よかった。コンソールが停止していて状況が分からない。僕は今から外に出て被害箇所を確認してくるから、枳殻は非常用の通信機でステーションか管制と連絡を取って救助を要請して。その後もしコンソールが再起動出来そうなら試してみて」
「了解しました」
――今この瞬間にも新たなデブリと衝突するかもしれない。
そんな想いでエアロックに入る。非常電源ではエアロックまでは動かないので、手動で扉を開けて外へ出る。
正直、これだけデブリが飛んでいる状態で外へ出るのが正しい判断かは怪しかったが、コンソールが何も映さない現状では、自分達の置かれている状況が分からないのは恐ろしかった。
アームが動かないので命綱だけをつけ、船外服の非常用機動ユニットから窒素ガスを噴射しつつ、船側面を這うようにして後部へと移動する。
船体を確認しながら進んでいくと、スラスター横に外壁の一部が抉り取られている箇所を見つけた。どうやらデブリが斜めから衝突したらしい。
詳しい船の構造は分からないが、少なくとも自力で移動が出来る様な状態にはとても見えない。しかし逆に直ちに生命維持に支障をきたす程とも思えなかった。
まだこの後デブリが衝突する可能性もある。全く予断を許さないが、とりあえず現状報告をする為枳殻へ通信を繋ぐ。
「こっちで状況を確認した。スラスター付近が完全に壊れていて自力では動けそうもないけど、とりあえず隔壁に穴が開くような被害じゃなさそうだ。今からそっちに戻るよ」
しかし通信は繋がっている筈なのに、何故か枳殻からの返事はない。
「枳殻?」
するとやっと通信機の向こうから声が聞こえてきた。しかしそれは酷く硬い、感情を押し殺した声で、
「いえ……。地上管制と連絡は取れたので、先輩は救助が来るまでそのまま船外で待機していてください」
「待機って……。そんな訳にいかないだろ。今から戻るよ。管制は何て?」
声の不自然さに違和感を覚えつつも、状況の確認を優先する。今枳殻の言動に気を遣っている余裕はなかった。
「現在この船は先程の急加速で高度7万キロ前後を遠日点とする、楕円軌道を描いているそうです。
その為新たな小型艇での救助は燃料が足りず不可能。地球に再接近する六時間半後を待って救助を行うそうです。
少し待たされますけど、先輩の船外服の酸素量ならもつ筈ですし、この高度まで来ればデブリの心配もありません」
「心配ないって……。救助にそれだけかかるなら何が起こるか分からない。船外服の酸素は少しでも温存しておかないと――」
そこまで口にして、枳殻に感じていた違和感が急に予感に変わった。
とてつもなく嫌な予感に――。
本来ならあの程度の破損でそこまでの被害が出るなんてあり得ない——。
けれど通信機の向こうから聞こえる押し殺した声の端々からは、それを確信に変えるだけの——僅かな震えが感じられた。
「枳殻……。船内の酸素は、あとどれくらい残ってる」
また沈黙……。
それでもそんな事はないと信じたかった。
「――船体下部の破損で酸素窒素タンク、正副併せて四本の内酸素タンク二本と窒素タンク一本が破損……。
船内機能は一部回復し、二酸化炭素除去装置が作動中なので後三十分程呼吸が可能です……」
――船体下部。
つまりさっき確認した以外にもう一つ、デブリが衝突していたと言う事……。
船外服の酸素量は予備も含め最大八時間。しかし枳殻が使っているのは最初の作業中に僕が使っていたものだ。
「三十分って……。そっちの船外服は予備を含めても三時間ももたない筈だ! 救援到着は六時間半後なんだろ⁉」
そんな事、枳殻にだって分かっている。分かっているから僕に待機しろと言っているのだから――。
そこまで言うと船体下部の確認もせず、エアロックへ向けて機動ユニットを噴かす。
「そうですね……。けど、二人は助かりませんよ」
「だったら僕の酸素を渡す。後輩を見殺しになんて、出来る訳ないだろ!」
半ば反射的に出た言葉。しかしそれに対しての枳殻の反応は、全く予想外のものだった。
「そんな事をして、上永さんはどうするんですか?」
「……! そんな事は今どうでもい!」
その言葉に今度こそ反射的に反論する。
「関係ない筈ないですよ。だってあの人が……今の先輩の恋人なんですから」
「それは……。いや、そもそもどうして――」
否定してから枳殻の言葉の不自然さに気付き、声のトーンが急速に落ちる。
上永と枳殻に面識はない筈だ。もしかしたら高校時代に一度や二度顔を合わせていたがもしれないが、だとしても卒業した後の僕達の関係までは知る由もない。
「中庭で先輩に振られた後、美術部だった友達に相談したんです。
そうしたらその子が先輩と上永さんの事知ってて、教えてくれました。
だから知ってますよ。付き合ってる事も、病気の事も——」
確かに以前、病室にいる時に後輩とばったり出くわした事はあった。
「確かにそうだけど……!」
話ながら何とかエアロックの前まで辿り着き、開閉ボタンを押す。
しかし半ば予想通り、システムが回復した扉は何も反応しない。通電してしまっては手動で開ける訳にもいかなかった。
「くそっ!」
分かっていた事とはいえ、思わず扉を殴りつける。
「けど上永の病気は治る! 新しい治療法が見つかったんだ。
だから彼女の事は今はいい! それより、エアロックを開けるんだ!」
「あの人は治療を受けませんよ」
「どうしてそんな事……」
扉を開ける事を優先したいのに、枳殻の言葉にいちいち心を揺さぶられてしまう。
「分かりますよ。あの人は最初から死ぬつもりなんですから」
そう、上永は死ぬつもりだった――。
彼女の父親から話を聞いた後、ようやくその事に気が付いた。
けれど彼女が死を望む理由だけは、どれ程考えても見当もつかなかった。
かぶりを振って上永への疑問を振り払う。今大事なのはその事じゃない。
「確かに上永は治療を断ってる。けどそれが君の命と何の関係がある?
その話も大事だけど、今はそれより枳殻の命だ」
「あの人が治療を拒む理由が、今扉を開けない理由と同じだとしてもですか?」
「どこが同じなんだ! 何を言ってる⁉」
振り払おうとする傍から流れ込んでくる疑問符から、必死に目を逸らす。
――同じ筈がない。
枳殻が扉を開けないのは、僕を助ける為だ。
けれど上永の病気と僕には、直接何の関係もない。
何の関係も……。
「先輩を、手に入れるため」
「僕……を?」
その余りに理解を越えた理由に、とうとう目を背ける事が出来なくなり、扉を叩く手から力が抜ける。
「先輩の中で一生残る傷になって、ずっと覚えていて貰うんです」
いつの間にか、枳殻の声からは震えが消え、それどころか嬉しそうですらあった。
「……そんな事のために?」
「そんな事じゃないですよ? 私達にとっては文字通り、命よりも大切な事です。
だってもし、あの人が治療法も見つからないまま死んだとしたら、その後私がどんなに好きだと言っても、先輩はあの人を想って断るでしょう?
先輩は死んだ後もあの人の恋人であり続ける。先輩はそういう人ですから」
「そんな事分からないじゃないか! もし他に好きな人がいれば、罪悪感を感じながらでも一緒になるかもしれない。上永だってそうだ! 死ぬのは誰だって怖い。だから説得し続ければ……」
そう言いながらも自分自身、彼女が頷く姿など――到底思い描く事は出来なかった。
「無理ですよ。先輩はその罪悪感から目を逸らせる程、器用な人じゃありません。
だってそれが出来るなら、先輩はそんなに傷ついたりしません。
それに——別の誰かと一緒になったって、いいんです。
例え隣にいられなくたって、先輩の前で死んだ人が、一生先輩の一番なんですから。
だからあの人も決して頷きません。例えそれが治る病だと先輩に知られても、最後まで足掻くでしょう。
だってそれだけが唯一、先輩を自分のものに出来る方法がなんですから」
枳殻の声が、上永と重なる。
――それが答えだった。
上永はずっと、こんな気持ちだったんだ。
強がって笑っていた訳でも、心配させない為に明るく振舞っていた訳でもなかった。ただ僕に傷を残す瞬間を待ち望んでいただけで——。
それが今まで、命に刻限を持つ上永が僕の一番であり続ける、唯一の方法だった……。
そしてそれは、枳殻にとっても――。
「だから私も同じです。例え誰に何を言われても、私はそれを拒むでしょう。
両親が泣いて懇願しても、わがままを責められても、私はただ謝るだけです。
それにもし、ここで私が死ねば——あの人は治療を受けるでしょう。何の説得もする必要無く。
逆にここでもし先輩が死ねば、私もあの人も、遅かれ早かれ死を選ぶ」
――そう、同じだ。
枳殻も上永と同じ、命の使い方を決めてしまった人種――。
けど僕が死んだからって……!
「何故死ぬと決めつけられる⁉ 会った事もない彼女の事を!」
「会いましたよ」
彼女は事も無げに答えた。
「
友達に二人の事を聞いて、あの人が先輩の同情を誘って付き合った事がどうしても許せなくて。
例え私があの人の立場なら、同じ事をしたと確信出来てもです。理屈じゃないですから、こういうのって」
枳殻の声はこんな状況だというのに、もうすっかりいつもの彼女のものだった。
「会って驚きました。高校の頃何度か先輩といるところを見た事がありましたけど、その時とは別人みたいでした。綺麗で――。
その理由が痛い程分かって、益々あの人が許せなくなって私……食って掛かったんです。
ずるい……て、卑怯だ……て。先輩は本当はあなたの事なんか好きじゃないんだ――て。
そしたらあの人は……分かってる、て……。
本当は別に好きな人がいる事も、だから自分に振り向いてくれない事も、付き合う時から知っていたけど、それでも傍に居て欲しくて、同情を誘って頷かせたんだ――て。
それでもこのまま自分が死ねば、彼は一生自分を忘れないでいてくれる。
心に深い傷を負って、その痛みと共に必ず私を思い出してくれるから、て――」
「上永が……」
「羨ましくて、悔しかった……。
そんな風に先輩に傷を残せる生き方が――。
それを何の迷いもなく走れるあの人が――。
そうしたらもう、何も言えなくなっちゃって……。
そのまま逃げ帰って、また泣きました。
でも今、私はその道を選べるんです。
だから私には、あの人の気持ちが——分かるんです」
「だからって、ここで君を見殺しにしろて言うのか!?」
知らず、また扉を叩いている自分に気付く。
自分がどれだけ思われているかを知って、その相手を見殺しにしなければならない地獄――。
「見殺しにしろなんて、言ってませんよ」
しかし枳殻は、優しくそれを否定する。
「私の命を……背負ってください」
彼女の声は優しく、けれどその言葉は残酷だった。
「その痛みをずっと背負って、ずっと私の事を覚えていてください。
心の傷に胸を痛める度、私を思い出してください」
枳殻の言葉が棘のついた枝となって、僕に巻き付き胸に刺さる。
この胸の痛みと、抑えきれない涙が——もう彼女を止める術がないのだと、僕自身を諭していた。
「先輩……」
枳殻の枝が僕を絡め捕る。
「私、早寧秋史の全てが好きです。
慣れない笑顔も、描く絵も。誰かを傷付ける度、自分も傷付いてしまう優しさも。
自分を捨てない強い意志も。一人で歩く寂しそうな背中も。空を見上げて夢を見る純粋さも全部。
だから先輩……。私を、あなたの一番にしてください」
その気持ちに応える事が何を意味するのか――。
それは身を裂くような痛みが、これ以上ない程明確に僕に伝えていた。
けれどもう――それを断れるだけの理由が、僕の中には見つけられなかった。
「ああ……。僕も枳殻の事、ほんとはずっと好きだった。
だからもう一度だ。
ごめん。それに……ありがとう」
――彼女のすすり泣く声が、聞こえる。
「やっと……聞けた……」
震えながら呟く声に僕は――。
これから背負う命の、果てしない重さを知った。
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