二〇二八年九月一五日(金)

 翌日、面会時間開始前から病院で待って、開始と同時に病室を訪ねた。

「いらっしゃい」

 上永は少しだけ起こしたベッドに横になりながら、初めて病室を訪れた時と変わらない嬉しそうな声で僕を迎え、いつもの笑顔を見せる。


 上永は病気になってから本当によく笑うようになった。

 それどころか、僕の覚えている限り彼女が笑っていなかった事なんて、数える程しかなかったように思う。

 今まではそれら全てが病気のせいなんだと思っていたけれど、今は違った。

「どうしたの?」

 病室の入口で突っ立って中に入ろうとしない僕を不思議がり、ヘッドを起こしてこちらを見つめる彼女に、僕は問い返した。

「病気、治るんだって?」

 すると上永の顔からすう——と表情が抜け落ちて行くのが見て取れた。

 さっきまでとは別人のように無表情になった彼女は、

「お父さんから——聞いたの?」

 人間味の削げた声で、そう尋ねて来た。

 それに黙って頷く。

「それで私を説得するように頼まれた?」

「頼まれたのは事実だけど、ここに来たのは自分の意志だよ」

「そう」

 そこまでのやり取りで昨日、宗司さんが恐いと言った意味を改めて理解する。

 上永とずっと一緒にいると、たまに見せるこの急激と言うにもあまりに極端な表情や言動の変化。


「今日は——帰って」

 語気こそ荒くはないけれど、反論を許さないその言動には、にべもなかった。

「……分かった。今日は帰るよ。けどまた来るから。

 その時は、上永の本当の気持ちを——聞かせて欲しい」

 僕はそれだけ言うと、病室を後にしようとした。

 しかし踵を返す一瞬、彼女がこちらに手を伸ばしている様に見えた。

 けれどもう一度目の端に捉えた彼女は、窓の方を向いたまま——その背中に拒絶の色をたたえていた。


               ◇


 自分を運動器具に縛り付け、前に進む訳でもないのにペダルを漕ぎ続ける。

 こういう単純な動作を続けていると、考え事がまとまり易い。

 そういう事を知れたのもこの仕事を選んだお蔭だ。


 あれからひと月。あの後も数回病室を訪れたけけれど、全て門前払いを受けてしまい一度もまともに話す事が出来なかった。

 一体上永が今何を考え、そして想っているのか。今はそれを汲み取る糸口すら、見つけられないでいた。


 暫くそうしてエアロバイクの様なものを漕いでいると、入口から枳殻が顔を覗かせた。

「先輩、矢沢先輩から通信ですけど」

「ありがと。貰える?」

 そう言うと彼女は気を利かせて転送してくれたであろう小型端末をこちらに向かって投げた。

 それを受け取りつつ上永の事を一旦頭の隅に押し込めて、端末に話しかける。

「お疲れ様です、何かありました?」

「早寧君お疲れ。なんかJP―W33から計器の一部でトラブルらしいんだ、データが届かないんだと。

 それが急ぎらしいんだけど、俺今出ちゃってて代わりに行って貰えるかな?

 そっちが着く頃にはこっちの作業も終わってると思うから、いつも通り指示出しはするから」

 JP―W33は僕の担当だが、あくまで副担当なので普段は主担当である先輩の誰かと二人で整備に当たる。

 しかし生憎主担当は矢沢さん含め全員別のメンテナンスに出てしまっていた。

 実際主担当とは言っても彼らは複数の担当衛星があり、こういった突発的なトラブル時はいない事も多かった。

「了解しました。誰と行けばいいですか?」

「さっき出てくれた可愛い後輩ちゃんがいるじゃん」

「新人同士ですけど……いいんですか?」

 整備作業は必ず二人以上で行う事が義務付けられていたが、両名共経験が三年未満の場合には更にもう一人、監督者として三年以上の経験者が同乗する事が望ましいとされていた。

 とは言っても人数不足によりイレギュラーも発生する為、映像通信による遠隔サポートと言う形を取るケースも度々発生する。

「早寧君はもう小型艇の操縦はマニュアルでも一人でこなせるし、着いた後の作業はこっちでサポートするから問題ないよ。

 どの道今そっちに残ってるのってみんな新人でしょ?」

 確かに先輩と二人で行う普段の整備でも、訓練の一環として作業自体は僕が行う場合も多いので、先輩が同乗していなくてもそれ程問題はない。

「ですね。田所さんも出ちゃってますし。

 分かりました。そしたらサポートお願いします」

「じゃあお願い。着いて状況確認したら連絡ちょうだい」

「分かりました」

 そう言って通信を切ると、入口の所で立っていた枳殻に通信機を投げ返す。

 回転しながら真っ直ぐに飛んで行く通信機は、スローモーションの様に彼女の腕に吸い込まれていく。

「JP―W33の対応に行くからサポートお願い出来る?」

「私ですか?」

 枳殻は三カ月前に一次研修を終え、現在は小型艇内で整備のサポートを行っていた。

 先月までは補助員付きでの業務だったが、それも今月から取れたらしい。

「向こう着いたら矢沢さんに指示仰ぐし、船内で待機していてくれればいいから」

「了解です。じゃあ先に航路の設定だけしておきますね」

「お願い」

 ベルトを外している僕を見て彼女はそれだけ言うと体を引っ込めた。

 上永の事は気になったが、とりあえず頭を仕事モードにシフトする。

 ベルトを解き終えると準備をしながら過去の報告書で調子が悪い計器があるという記述があったのを思い出していた。恐らくそれが再発したのだろう。

 とりあえず一度再起動をかけて様子を見てから先輩に連絡する事にする。

 頭の中で再起動の手順と起こり得る弊害についてシミュレーションしつつ、準備を整え小型艇へ入る。

 中では既に枳殻が目的地の設定を済ませ待機していた。

 搭乗すると設定に間違いがないかを確認し、確認後は操縦を任せてコンソールへと視線を落とした。


 出発前に進路や相対速度等、計算が済んでいれば出発後はほぼやる事はないのだが、稀に予定外のデブリが飛来する事がある。

 デブリは各国共同のスペースガードと言うシステムによって観測され、大きさや軌道等がカタログに登録されている。

 宇宙に存在する機器は全てこのデータとリンクし、これから通る航路が安全かどうかを判断する。

 しかしそれはあくまで7センチ以上の大型のデブリの話で、それを下回るものは地上からの観測は現状不可能であり、中でも1〜3センチ大のものはカタログにもあまり載っていないにも拘わらず、相対速度によっては小型艇を大破させるのに十分なエネルギーを持つ。

 加えて五年半前の衛星へのミサイル攻撃によりデブリが急増し、スペースガードだけでは安全とは言い難い状況となった。

 その対策として衛星や有人機にはそれぞれ範囲に差はあるが、周囲をリアルタイムスキャンしスペースガードとデータ照合する機構が備えられた。

 この機構によりスペースガードのカタログに7センチ未満のデブリが登録可能となり、同時に飛行士達の生命保護に役立てられている。

 しかし実際はリアルタイムスキャンがデブリを捉えたとしても、相対速度によっては一分もかからず着弾する可能性もある為、最悪の場合分かっていても避けられないという状況に陥る事も有り得た。

 デブリの除去も各国で試験的に実施はされてはいるが、小型のものになると有効な手段がまだ無く、万全とは言えないけれどこれが現状唯一の身を守る術と言えた。

 そんな事もあり、あまり意味はないのだが航行中はついコンソールに視線を送る事がしばしばあった。


 目的の衛星へと近付くと、船外服を着用し準備を整える。

 まだ一人で船外活動の出来ない枳殻は船内から本社へ再起動許可を申請し、許可が下りるとメンテナンス開始の連絡を入れる。

 目的地に到着するとエアロックから外へ出てアームに体を固定する。そしてJP―W33へ向けてアームを操作していく。

 辿り着くとコンソールを開いて再起動を実行したが、計器は回復しなかった。

 その後矢沢さんに連絡を入れてコンソールの画面を見せながらあれやこれやと色々試したが計器は一向に応答しない。

 更に一時間後、作業を終えた矢沢さんと合流し一緒に作業を行ったが、それでも復旧には至らなかった。

「こりゃちょっと手強そうだね」

 直接計器を見て来た矢沢さんは戻って来るなり通信を開くと疲れを滲ませた声を出した。

「そしたら俺はもうちょっとこれのシステム周り見てみるから早寧君は代わりにこの後行く予定だった衛星の再起動処理だけお願いしていい?」

「勿論構いませんけど、こっちはお任せしちゃって大丈夫ですか?」

「うん、こっちはいいよ。まだ早寧君にはちょっと手に余りそうだし。

 向こうの衛星はもう再起動許可取ってあるし、詳しい情報は後で送らせるよ」

「了解しました。じゃあすみませんけどこっちはお願いします」

「早寧君こそ長時間お疲れ」

 それだけ話すと通信を切り、一旦小型艇へと戻った。


 結局矢沢さんを待ったり休憩を挟んだりしつつ五時間近くもかかった作業を切り上げて小型艇へと戻る。こんな長時間の作業は初めてで流石に体中にはどっさりと疲れが溜まっていた。

「先輩、お疲れ様です」

 小型艇内で同じ時間待機していた彼女もそれなりに疲れていると思うが、思った程疲労の色は窺えない。

「向こうから衛星の情報が来てますけど」

「うん、後で確認する。とりあえずこれ脱ぐの手伝って」

 疲れて腕を回すのも億劫な状態なので、彼女に手伝って貰って船外服を脱ぐ。

 脱ぎ終えて一息ついてから届いた資料に目を通す。

 今回のFR—U51は今のより数年新しいモデルで、複雑だがその分自己修復プログラムもしっかりしているようだった。

 今回はソフトウェアの一部改修を行った際にエラーが発生したとの事だが、再起動すればそれは直るらしい。

 ただ自動修復を起動するには再起動後に直接衛星のコンソールを叩く必要がある為、僕達が行く必要がるのだそうだ。


 航路の設定を枳殻に任せ、体の力を抜いて目を閉じる。

「大分お疲れですね」

「流石にこんな長時間の作業は初めてだったしね。

 大した事はしてないけど、やっぱり外は緊張するしかなり疲れたよ」

 枳殻の問に目を閉じたまま答える。

「先輩は今回いつまでいるんですか?」

「日本時間で日曜の夕方戻るよ」

「まだ結構ありますね」

「まあけど今回降りると暫く休みだから、ゆっくり絵を描いて過ごすよ」

「そう言えば先輩の絵、高校時代以来見てないんですよね。

 宇宙の絵、今度見せてくださいね」

「そうだね——枳殻にはまだ見せた事なかったし、今度見せるよ」

「約束ですよ。——はい、航路設定出来ました」

 設定に問題ない事を確認する。

「OK。そしたらそのまま向かって。

 目的地に着くまで少し寝るから着いたら起こしてくれる?」

「了解でーす」

 枳殻の高校時代と変わらない明るい声を聞きながら再び目を瞑る。

 小型艇の中では正直ゆっくり休む事は出来ないけれど、それでも今は少しでもこの疲れを取りたかった。


目的地に近づき再度船外服を着用しようとしたが、先程の作業が長引いた為酸素残量が心許ない事もあり、本来枳殻用であるもう一つの船外服を着用する。

 衛星に到着し、予定通り再起動をかけると修復プログラムが走り始め、十五分程で正常に動作している旨の表示が出た。

 念の為一通り他の部分も分からないなりにチェックし、問題ない事を確認する。

 それが出来たら衛星のコンソールを閉じて船への通信を開く。

「作業完了。今から戻るよ」

「了解しました」

 それだけ伝えるとアームを動かして体を船へと寄せて行く。


——しかしその時、

『ぜ、全作業員へ! イスラム過激派組織『ユムラク』から長距離弾道ミサイルの発射予告が出されています!

 全作業員はただちに作業を中断し、デブリ帯から少しでも離れて下さい!!』

 緊迫した声が船外服の中に響き、アームを操作する手が急速に冷たく汗ばんでいくのが分かった——。

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