09/解封(2)


 イルカの口から、冗談交じりのような軽い口調の嬌声がこぼれる。

「ついに帰ってきたぜ我が愛機――なんてな」

 もと自分のパソコンに、大塚は移動していた。

「本当にありがとう。俺はこれからデータのサルベージに取りかかる。できることなら全部持ち出したいから、RAIDは繋いだままにしておいてもらえるとありがたい」

「わかったさぁ」

 イルカが画面に開いたウィンドゥに飛び込んで姿を消した。

 しばらく待っていようか、と由果は腰を下ろして棟の窓から月光に浮かぶ木々を眺めはじめた。

 手入れする者のいなくなった敷地は草も木も元気に育ち、廃墟の印象をより一層強めている。

 と、

「――っつぁ……」

 耳鳴りを感じて由果は頭を押さえた。

「由果さん?」

 ククルの呼びかけに応えず由果は、きょろきょろと室内を見回す。

「――――澪っ!?」

 弾かれたように由果は立ち上がり、建物を飛び出した。

「由果さんっ?」

「ククル? あ――ごめん。あっちで何か、聞こえた気がしたの」

 と由果は南西方向、滑走路の先に視線を送って――辛そうな表情になる。

「そっか、そうだよね。こんな場所なんだもんね……」

 由果の瞳から涙がこぼれた。

 由果は正面にあった建物を地図で確認する。

「ああ、やっぱりね……」

 導かれるように由果はその、ぼろぼろの建物に向かってふらふらと歩いた。

 電源棟や開発部棟とは比較にならないくらいに大きな、しかし廃れ度合いも相当なその棟は、大塚が出した地図には『工場棟』と書かれていた。


◆◇◆◇◆◇


 入り口に残る弾痕が、惨状を物語っていた。

 近付くにつれ由果は血の気を失ってゆき、口をおさえて吐瀉感を抑制する。

 焼け焦げた入り口で由果はしゃがみこんでしまった。

「由果さん――っ?」

 ククルが心配そうに見上げる。

 由果は気丈な微笑みを見せて、ククルの頭に手を伸ばした。

「そっか、ククルは澪が入院した経緯まで知らないのね?

 ――ここでの事故、検索してみたらいいさ」

「あ――うん」

 ククルは由果のデバイスの中でブラウザを開き、検索をはじめた。

 由果は跪いて手を合わせ、祈りを捧げる。

 青ざめた顔で、それでもさっきよりは整えた呼吸で由果は立ち上がった。

「どうか安らかに……お邪魔します」

「由果さん」

 ククルが声をかけた。

「――ここでの事故、全然ヒットしないんだけどどういうことなんだ?」

 出してきたのは数年前の新聞記事程度だった。

「やっぱりね。真相は闇――いや、法の外さぁ。

 雑誌かネットの『魚拓』ぐらいは根気よく探したら残ってるかも知れないよ」

 由果は不思議そうな表情のククルに言って、苦笑する。

 ゆっくりと、半壊した扉を開けた。

「うっ……」

 こみあげるものに、由果は眉を寄せる。

 真っ暗な中、稼働していない工場のラインがじわりとした威圧感を醸し出している。

 しかし天井には大穴が開き、設備も崩壊していた。床も所々破壊され、戦場にでもなったかのような惨状となっていた。

「由果、さん?」

「大丈夫。

 ――警備室ね?」

 由果は工場の広い空間に向かって問いかける。

 ククルが『魂視』を起動して――驚愕の声をあげた。

 デバイスの画面のほぼ上半分が青白い靄に覆われていた。それも個々が珠状になっているものもあるが、それよりも境目なくぼうっと天井付近から空中にかけて靄懸かった状態になっていた。

 そのおかげか、デバイスを通すと工場の中がうっすらと浮かび上がっている。

「出さなくてもいいよぉ、ククル。

 わかるさぁ」

 由果の瞳が、愁いを帯びていた。

「この間の『神垂れ』と帰ってきてから今、すごく感じてる」

 由果は靄に案内されるように警備室に入る。

 扉で分かたれてはいるが、ここも蹂躙の痕があり、モニタもいくつか割れている。

「ありがとう。みんな救いたいけど――ごめんなさい」

 多数のモニタの内のひとつに明かりが灯った。

「由果さん?」

「大丈夫」

 何度目かの返事をククルにして、由果はモニタに注目する。

 魂視覚化アプリケーションを終了させた。

「ククル――ネットでも出てこなかったものが見れるよ」

 由果は操作パネルを見様見真似で動かし、日付を選んで再生する。

 人目線の映像だった。

 映像は、混乱のシーンから始まっていた。

 炎と黒煙が上がる。爆発は地下で起こっているようで、床がめくれあがって火柱が昇り、現場はさらに阿鼻叫喚の様相を呈する。

 避難しようと作業員達が出口に殺到する。

 我先になってなかなか出られない中――人たちが固まった。

 人々を割って、軍服の男達が入ってくる。

「こんなに早く……?」

 由果が息をのむ。

 映像は別の視点に切り替わった。

 どこかの小部屋にまだ幼い、二人の少女がいた。

「澪と彩だ……」

 由果が手を半開きにした口にやる。

 しかしそれは一瞬で替わり、米兵らしい男に詰め寄る誰かの視点になり、殴り飛ばされたか映像はぐるぐると回る。

 時間が経つにつれ、兵士の数が増えていった。

 兵士たちが消火活動を行っていた一方、地下へ向かって行く一団がいた。

 人々の救出にあまり人員を割いている様子はなく、救出作業というより鎮圧の印象が強かった。

「やっぱり――」

 由果が呟いていた。疑って推理していたものを確認した調子だった。

 映像は終わり、モニタは真っ暗に戻った。

 由果は目を閉じて手を合わせ、小声で祈り言葉を唱える。

「そうだ、休憩室っ!」

 それから思い出したように体を起こし、由果は警備室を飛び出した。

 工場内を走り、奥の一角に設けられた小部屋に辿り着く。

 勢いよくその扉を開けて飛び込むと、

「『魂視』起動――っ!」

 由果がデバイスを操作する。ソフトを立ち上げ、モニタ内の天井はまた青白いもので覆われた。

 しかしこの小部屋の中はしんとして、何者かのいる気配はない。

「澪――澪、いるんでしょう、ここにっ。

 元の体に戻そうね。彩は元気にしてるよ。母さんの病院で『魂込め』するから、出てきて――」

 由果は呼びかける。

 何度かそうやっていると、転がっていた椅子の脚あたりにうっすらと、現れるものがあった。

 駆け寄ってしゃがみ込んだ由果は、それを胸元に抱き寄せる。

 杖を起動して、その先端で触れた。

「ククル――これが誰のか、って確かめられる?」

「あ、うん。解析できるよ」

 ククルが青い靄球に触れた。

 読み出した情報を、ククルが開いたウィンドゥに表示してゆく。

 由果が目を丸くした。

「えっ? これホントね!?

 ――えええっ、じゃあ、まさか、彩って……」

 由果は信じられないといった表情で、しかし杖にその『魂』を収容した。



「――ここであった事故のことって、ククルは知らないんだよね」

 工場棟を出たところで、由果は足下を歩くククルに話していた。

「澪と彩のお父ぉがここで働いてた時に爆発事故があったの。その時たまたま澪も彩もここにいて、事故に巻き込まれた。

 事故は米軍が地下に貯蔵してた弾頭が残っててそれが爆発したってのが有力な説だった。というのも、事故発生からすぐに来たのが消防でも救急でもなく、米軍だったから。

 他の噂じゃ、工場の地下に米軍の何か『忘れ物』があってそれを回収するために爆発させたんだとか、公表できない兵器があったんだとか、まぁ色々あったわけさ。

 ――で、ここは返還したはずの場所なのに介入してきて、あっという間に米軍の管制下におかれた。

 澪と彩は救出されたんだけど意識不明で、澪は今も目を覚ましてない――ってのはククルも知ってるよね。

 爆発事故は死者二十名以上、重軽傷者は澪と彩を含めて五十人近くはいたはずよ。

 当時は私も子供だったしよく解ってなかったけど、報道はすぐにされなくなった。

 今考えると――やっぱり、米軍に関係した事故だったんだよね。だからメディアは口を閉ざしてしまって、ネットの話ももう今さら残ってないのがほとんど。

 そんな内に事故した会社は倒産して誰が保証するかもうやむやになってしまった。

 亡くなった人は全員『焼死』――これも本当の死因を隠すためだとか、当時の週刊誌では書いたところもあったけど、なんせ相手が相手だから検証もできないし証拠も出てこない。

 そんなだから情報は出ないし、内地で話題にされることもすぐになくなった……」

 開発棟に着いた。

「大塚さんは関係ないかもだけど、この話してみたいね。

 覚えてるかなぁ」

 由果は開発棟の扉に手をかけて、足下のククルを見た。

「そこ――記憶に関してがデータ化した魂の問題だよ」

 ククルが言う。

「大塚みたいに全てデータになってるなんてのは、見たことがない。

 患者はだいたいヘッドマウントディスプレイで仮想世界に繋いでるし、

 古い記憶にしても新しく覚える記憶についても、どう『覚える』か、というのは睦美さんでも解決しきれなかった。ディスクドライブとかに保存するか、保存するとしたら何をどこまで? 生身の脳が記憶してる範囲も解析でききれてなかったから、単純に見聞きしたものを記憶すればいいのか、他の感覚は? もろもろの問題はまだ残ってるから、完全電脳化っていうのはまだ実現できてない」

「テキストかムービーで保存すればいいんじゃないの?」

「視聴覚以外の感覚は? 由果さんも例えば、食べたものの記憶ってあるだろ。どんな味だったか、言語表現で残すには無理がある。他にも好きとか嫌いとか、感覚とか感性とか人が『感じた』ものをどう表現してどう遺すか、策も出ていない。

 大塚がその辺覚えてたら画期的だよ。

 五感を完全にデータにするには、脳神経に直接プラグ挿すしかないかもね」

「そっか、難しいね」

 由果は、大塚がセキュリティを解除していた扉を押した。



 大塚は自分のパソコンですでに待っていた。

 正確にはRAIDドライブに自身を戻し、不測の事態に備えていた。

 その大塚が戻ってきた由果たちに告げたのは、偶然とは言い切れないことだった。

「俺の肉体――『与論ちむぐくる院』って所にあるらしいんだ。こっちのサーバーに来てからさっきまで調べ回ってて判ったんだけど」

 由果とククルは驚いた顔を見合わせ、ククルが首を振った。

「オレはあくまで仮想空間内での睦美さんのアシスタントだから、入院患者全員は知らないよ。それに、オレたちと一緒に治療しているならともかく、仮想空間に繋いでもいない人まではさすがに……」

 クエスチョンマークを浮かべる大塚に、由果が説明する。

「!――治療用仮想空間、か。そこと肉体がつながってなかったら、直接ヘッドマウントディスプレイでもかぶせないとどうしようもないんだろうけど」

 モニタの中でイルカが跳ね回る。

「なあ、最初に頼んでた通り、俺を生身の体に――」

 由果は微笑んで頷いた。

「マブイグミしようね。

 私の用事もそこにあるから」

 由果はデバイス越しに自分の手を見つめ、その手を強く握った。


◆◇◆◇◆◇


「――あぁ。この空気。帰ってきたよ、姉さん」

 国内線到着ロビーに入った彩は案内板を見上げて、そう呟いていた。

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