03/霊障(2)

◆◇◆◇◆◇


 翌日。

 由果は昼前から、日本橋にっぽんばし筋にいた。

 大阪日本橋は東京の、東海道など五街道の起点である日本橋にほんばしとは異なり、電気街であり、オタクの街とも云える。家電の大型店舗からよく解らないような電気小物やジャンク品、アニメやゲーム、玩具から同人誌までそういった系統の店が揃っている。

 その日本橋筋から難波千日前せんにちまえ方面へ目を向けると昔ながらの道具屋筋で、金物屋などが軒を連ね、そこを抜けるとなんばグランド花月が見えてくる。

 飲食店も多く、難波から道頓堀を越えて御堂筋・心斎橋にはブランドショップから安いものまで服飾店も選り取りみどりだ。

 反対に南方、今宮えびすの方へ行けば通天閣から新世界もすぐ近く、そこは電気街とはまったく違う雰囲気の街になる。

 雑然と多彩で、清廉ではないが醜乱でもない。

 ミナミとは、昔も今も変わらずそういうエリアだ。


 その電気街側の大通りである日本橋筋から道ひとつ奥に入ったところにあるパーツショップに、由果は入っていた。

 大型電気店に入ってはみたものの、決めきれずにウロウロしていてたまたま見つけた店だった。

 しかし、小さいながらもなかなかの品揃えで、結局ここでも由果は選びあぐねてしまっていた。

「どうしよう、ククル……」

 デバイスを立ち上げて、由果が言う。

 さすが電気街というか、日本橋筋に浮かぶタグの数は段違いで、由果はヘッドフォンを首筋に下ろして歩いていた。

「ん~……俺もスペックの違いなんてよく知らないよ」

 よほどきょろきょろしていたのか、店員らしいエプロンをつけた男が近付いてきた。

「何かお探しで――って、安里あさとさん?」

 店員の喋りは途中で驚きに変わった。

 無視気味だった由果もその様子に改めて店員を見て、気付く。

「あ――えっと、南場さん、でしたっけ」

 先日、由果が初めての『魂込めマブイグミ』を施した男だった。

 南場は嬉しそうに破顔して棚と由果を見比べた。

「3D投影、ですか?」

「ええまあ、ちょっと……」

 由果は曖昧に答える。

「えっと、ペットのソフトをパソコンに入れたんだけど、私のパソコン、3D投影ついてないの。それで後付けでいいのないかな、と思って」

「なるほど。PCの機種は知ってる?

 そうやなあ――」

 南場がそう言って、棚の商品をいくつか選ぼうとした時、外で大きな音が響いた。

 もう一度、破砕音が空気を震わせる。

「なんやっ!?」

 南場が飛び出し、つられるように由果も店を出て、大通りへ向かった。

 日本橋筋では車道の信号が消え、車数台が連なって追突していた。

 ――玉突きになった一台の上に、はいた。

「なっ……なにアレ!?」

 由果が驚きの声を上げる。隣にいた南場が不思議そうな顔で由果を見た。

 携帯デバイスで救急車を呼ぼうとしていた手が止まっている。

「何かおるん?」

「!? 見えない――んですかっ?」

 由果はデバイスのモニタを上げた。

 モニタに映っていた『それ』の姿が消え、下ろすと再び現れた。

「――『霊障れいしょう』だ、まさか……」

 モニタの隅、由果の足下近くで、ククルが後足で立ち上がっていた。

 由果が視線だけ下ろす。

「あれが? そっか、だからみんな見えてないんだ……。

 てことは、落ちたマブイなんだよね」

 由果のモニタの中では、白煙を上げている車の中の一台、ボンネットフードの上に巨大な獣が立っていた。

 輪郭は黒々としたもやで縁取られ一定の形を成していないが、車の上の姿は体長数メートルはありそうだ。目が蒼く爛々と燃えたち、犬科の獣を模したしなやかな体躯で爪を立て、幅広い口から低い唸りを上げている。

 由果の視線を追う南場にはしかし、その姿が見えていないようだった。

 周囲の野次馬も同様にその『獣』は見えていない様子で、事故現場にカメラを向けたり電話をしていたり、囲んでざわついている。

「危険だな」

 ククルが呟く。

「アイツが何を起こすか……特にこんな場所だと何でもできる。止めないと」

 そこに、車のクラクションが合奏をはじめ、野次馬がどよめく。

「止めるって……どうやって?」

「どうにかして。

 魂込めマブイグミするなら、しずめてからでないと困難だよ」

「えええええっっっ!?」

 由果はククルと『獣』を何往復か見比べて大きな声をあげる。

 南場の視線をまったく無視して、首を横に振った。

「むむむ、無理さぁ、あんなの」

 南場が由果の肩をつつく。

「安里さん、その――何かいてるんやったら、それ、僕も見れるようにできひん?」

 由果は南場を見上げ、事故現場に視線を移す。

『獣』が吼えた。

 ヘッドフォンがびりびりと震え、その音量に由果は耳を押さえる。

 浮いていたタグがいくつか、崩れるように消えた。

 看板の一つが火花を弾かせ、その真下にいた野次馬が悲鳴を上げる。

 人の塊がわっ、と動いて奇妙な空間ができる。

「ククル、やってあげて」

 ひとつ頷いて、ククルは由果と南場のデバイスの通信モードを指示した。

 由果と南場がデバイスを操作すると、由果のモニタからククルが消えた。

「うわっ、何やコイツ――って、えっ?」

 南場が戸惑いの声を上げている間にインストールは進んだようで、しばらくして由果の所にククルが戻ると、南場は数歩、後ずさった。

「なっ……」

 と絶句する。

「アレが人の魂……?」

「魂というか、それが周囲に悪影響を起こすようになった『霊障』ってやつだ。

 ああならなかったら、ただ落ちて彷徨さまようだけだ」

 ククルが補足する。

「でもククル、鎮めるなんて、どうやって」

「アレと戦うの!?」

 南場が目を見開いて由果を見た。

「でないと魂込めマブイグミは難しいんだって」

『獣』が由果と南場を見た。

「どうしよう……」

 呟く由果の脳裏に昨夜の光景がフラッシュバックする。

「杖――っ!」

『獣』はじりじりと姿勢を低くする。

 由果は南場に振り返った。

「南場さん、何か武器にできそうなアプリ、知らないっ?」

「なっ!?」

「由果さん、前っ!」

 由果が向き直ったところに『獣』が突進してきていた。

 とっさに腕を交差した由果のモニタいっぱいに『獣』の頭があった。

「っ!」

 モニタにノイズが走る。

 ククルがその喉に噛みつく。

『獣』が仰け反り由果のモニタからノイズが消える。

 横から南場が両手を上げてへっぴり腰気味に飛びかかるが、何かに当たる気配もなく由果の前を通り抜けてしまい、たたらを踏む。

「南場さんっ!」

『獣』が首を振った。

 由果の背後にあったパソコンショップの店頭に並んでいたデモ機が一斉に、目の前の『獣』と同じ咆吼を発した。

 凄まじい音量に隣接したシャッターがばりばりと震え、野次馬が騒ぐ。

 人々が逃げてやや遠巻きになったためにぽっかりと空いた歩道で、由果とその『獣』は対峙する。

 サイレンの音が急激に近付いてきた。

 パトカーと救急車と消防車が数台連なって急行してきた。

 魂の『獣』は背後を振り返ってそれを確認すると、もう一度吼えた。

 すると前後を挟まれた車のアクセルが開いたらしく、その車から強い排気音がした。急激な排気で火花でも飛んだか、その後ろにあった車がボンネットの下から火を吹き上げた。

 くもぐった爆発音が道路を低く揺さぶる。

 白煙が溢れ出し、見物人達も我先に逃げ出した。

「あっ、待ってっ!」

 由果の目の前にいた『獣』は煙に飛び込み、高くジャンプして車道を飛び越えて姿を消した。

 ククルが追おうと前脚を出すが、全く届かない。

 車は、消防車が瞬く間に鎮火をはじめた。

 警察が周囲を整理し、救急車からストレッチャーと共に隊員が飛び出してきて、残っていた野次馬もじょじょに減ってゆく。

「これは――場所変えて作戦会議、したいな」

 ククルが呟き、由果は南場に言う。

「南場さん、時間――まだ大丈夫ですか? ちょっと話できれば」

 南場は時間を確認して頷く。

「落ち着いて話せる方がええよね? こっちへ」



 南場が由果を連れて行ったのは日本橋筋の、道路を渡った反対側にある小さな喫茶店だった。

 中古ゲームショップの脇から階段を昇った二階にある店で、

「名前とは裏腹にあまり混まへんねん」

 と南場が笑いながら案内したとおり、薄明かりの店は閑散としていた。

 店に入るとすぐにレジカウンターがあり、左奥へ進むようになっている。

 奥は数個のテーブルがあるという程度の広さで、窓際の席からは日本橋筋を望める。

 由果と南場が入ったのはまだ昼時だったが、先客は一人だけだった。その男性客はノートパソコンを開いて何かしていて、由果たちを見る様子もなかった。

 ふたり、席について注文する。

 南場が今更ながら驚きが戻ってきたように目を丸くしていた。

「人の魂って、あんなのなんや」

「あれは云わば、落ちた魂が『暴走』したものだよ。

 落ちただけでああなるわけじゃない」

 ククルが南場のデバイスへ移動して説明していた。

「そういやさっき、『武器にできそうなアプリ』とか言ってたけど……?」

 由果は頷く。

「魂を見るだけじゃなくて、触ることができるのがあったら欲しいさ。

 まして、あんなのが出るんなら――」

 ククルが由果のデバイスに戻ってきた。

 南場はしばらく考えるように視線を中に泳がせて、声にならない呟きをしばらく繰り広げていたが、

「作ってみよう」

 と、頷いた。

「作れるんですか!?」

「簡単なものなら、たぶんね。

 それで、僕は触れなかったけど――安里さんは『魂』に触れるんやろ?

 さっきのヤツを殴れるようにするのに、触れる条件みたいなのを知りたいから『魂』のこと、もうちょっと詳しく教えてほしい」

「俺が教えよう」

 ククルは由果と南場のデバイス両方のモニタに交互に姿を表していた。

 南場は意外そうに、どこか残念そうにククルを見るが、

「私よりククルの方が詳しいから、それがいいね。

 でも作れるなんて、ホントすごいね」

 と、由果が驚きから敬意混じりになった眼差しで南場を見上げると、頬を少し赤らめた。

「こ、これでも一応、プログラマ趣味やから」

 照れ隠しのように言う南場に、ククルが訊く。

「どれくらいでできそうだ?」

「一週間くらい……かな」

「できれば――三日以内でやってほしい。俺がその間そっち行くから、つきっきりで」

 アレを野放しにしてられない、と厳しげに言う。

「そうだね。ククル、お願いよ。

 南場さんも――お願いします」

 由果が南場に頭を下げた。

 南場は焦ったように手を振る。

「わ、わかった。やってみるからその――そんな、かしこまらへんでええから」

 由果は上目遣いで、南場に笑いかけた。

 南場はますます上気させた声で、

「じゃ、じゃあっ、僕仕事に戻るから、っ」

 と、伝票を手に席を立った。

 由果も合わせて腰を上げる。



 ――南場作製のアプリケーションは、二日後にβ版ができあがった。

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