09/解封(1)


 飛行機を降りたところで、まず由果たちを迎えたのは熱気だった。

 しかしターミナルに入ると空調が効いていて、滲み出かけた汗が引く。

 荷物を待ちながら、到着の興奮を最初に口にしたのは佳子だった。

「沖縄、初・上・陸っ! てゆーかやっぱり暑いけど、何か『質』が違う感じがするわぁ」

「そうやねー。わ、いきなりやね」

 香奈恵は手荷物受取所に鎮座しているシーサーにカメラを向けていた。

 荷物が流れてくるのを待っている二人から少し離れて、由果はヘッドフォンデバイスを起動して通話モードを開く。

「あ――おばぁ? 由果。今着いたよー」

 満員に近い飛行機だったこともあってか、手荷物待ちの人だけでもかなりの人だかりになっていた。

「今友達の荷物待ってるところ――うん、ん、車借りたらすぐ行くさぁ。うん、じゃあね」

 由果にとって心地いい空気が流れていた。

 通話の終わった由果に、デバイスの画面隅に佇んでいたククルが声をかける。

「こっちのサーバーへの接続を開始したよ」

「うん、ありがとうね――大塚さんは?」

「由果さんが繋がないと」

「ああっ、そうだよね」

 佳子と香奈恵が近寄ってきていた。

「お待たせー」

 大きなトランクを転がしてきた二人に微笑み、由果はデバイスを起動状態のまま首筋に下ろした。

 由果の荷物は機内持ち込みのバッグ一つだった。

「それじゃ、行こうねー」

 由果が先頭になって出口に向かう。

 国内線の出口を出るとまた、灼けた空気がふわりと三人を包む。

 左右に長い道路が分離帯のような島を挟んで何車線かある。バス乗り場とタクシー乗り場をパスして、由果は出入り口からやや距離のある場所で間隔を空けて立っている数人の男性の一人に向かった。

 褐色に日焼けした男たちはそれぞれ『○○レンタカー営業所送迎バス』と書いた札を持っていた。

「レンタカー予約してる者ですけどー」

 由果が声をかけると、男は気さくな笑みで、すぐ横にいた十数人乗りのバンに三人を誘導した。手慣れた所作で佳子と香奈恵のトランクを運び入れる。

「もうちょっとで発車するから、座って待っててくださいねー」

 同様によく焼けた初老の運転手が由果たちに言う。

 しばらく待っているとあと数組の乗客があり、程なくしてバンは発進した。

 窓際の席に陣取った佳子が道と空を見て興奮気味に「じわじわ実感湧いてきたぁ。めっちゃテンション上がってくるわぁ」と笑う。

 バンは十分も走らない内にレンタカーの営業所に到着して、運転手が荷物を下ろすのを手伝って乗客が次々に降りてゆく。

「手続き任せてええ?」

 香奈恵が言う。由果は「もちろんさ」と頷いて、一人カウンターの列に並んだ。

 手続きはスムースに済み、イグニッションユニットを受け取った由果がスタッフと一緒に外に出る。佳子と香奈恵も由果を追って、借りる車が立体駐車場から出てくるのを三人で待つこと十数秒。鮮やかな緑の小型車が出てきた。

 スタッフが路上に出やすい場所まで車を出し、スイッチをオフにする。

 内外装のチェックを済ませ、トランクルームに三人の荷物を積んで、由果が運転席に座った。

 三人で会釈して、由果が車の電源を入れる。

 モーターが起動して車体を微かに震わせた。

 ゆっくりと慎重に、由果は車を発進させる。大きな車道から一本中に入った所にあるレンタカーの営業所のすぐ前は細い道路だった。

「しゅっぱぁ~っつ!」

 助手席の佳子がハイテンションな掛け声で由果を促した。



 那覇空港から出ると三三一号線に出る。そこから五八号線に入って島の西側を北上してゆくと、左手に紺碧の海を望んで走ることになる。

 県庁の脇を通り、那覇から浦添を過ぎ、宜野湾市に入ったあたりからちらちらと海が見える度に揚がる歓声を耳に、由果は運転に集中していた。

「由果ぁ、口もとがニヤけてるでぇ。冷静なフリして実は内心盛り上がってるやろ、隠さんでもええねんで」

 佳子が由果の頬をぷにぷにと突く。

 つられて由果は笑うが、右手の奥に見えた基地跡地をちらりと視界に入れて、瞳を少し曇らせた。

 車は普天間を過ぎ、北谷町の途中で右手――内陸部に入る。沖縄自動車道の下を通ってすぐ、細い道に入ってゆく。

 北中城村屋宜原。

「着いたよー」

 周囲と少し離れたところにある一軒家の前で、由果が車を停めた。



 由果たち三人は今回の沖縄行、由果の実家に泊まることにしていた。

 一週間ほど滞在する予定だったこともあり、宿泊費を浮かせるためでもある。

 住んでいるのは祖母の伊志嶺安喜代ひとりだ。由果が使っていた部屋もそのまま残っており、使っていない部屋もある。

 到着してすぐ、部屋ふたつを三人で掃除して埃を追い出す。

 由果はもと自室の掃除を適当に切り上げて、安喜代のもとにいた。

 安喜代の部屋には、和室に似つかわしくないパソコンの塔がそびえている。部屋としては非常にシンプルな内装で、綺麗に保っている飾り気の少ない神棚が目立つ。

 由果のヘッドフォンデバイスを安喜代のパソコンにつなぎ、さらに由果のデバイスには弁当箱大の箱をつなげている。

 その箱は南場が用意したRAIDストレージドライブで、約一・二ペタバイトの容量を実現していた。その八割以上を使って、そこに大塚が入っていた。

 これまでの経緯を話しつつ、由果は大塚を紹介する。

 安喜代は静かに聞いたのち、安喜代のパソコンに『里帰り』したククルをマウスカーソルで弄りながら、泳ぐ大塚に言う。

「じゃ、デリートキー押そうかね」

「ままま、待ってっ」

「冗談だよ。

 ――それで由果、どうするの?」

「さっそく普天間に行ってみようと思ってる。大塚さんの頼み聞いて、事故のことも気になるし、もしかしたら澪を救う何か手がかりがあるかも知れない。

 それと、御嶽に行って御願いも修めていきたい」

 安喜代はゆっくりと頷いた。

「したらいいさ。

 御嶽にはどこに行く?」

 由果は目を閉じて考えをめぐらせる。

「今帰仁――クボウ御嶽」

「逆方向だよ」

 安喜代の声が厳しくなった。

「先に斎場に行きな。クボウはその次。そこでまた次の『報らし』がある」

「は――はい」

 由果は姿勢を正す。

 それを見て、安喜代は相好を崩した。

「よし、夕飯にしようね。

 由果、いい友達持ったじゃないか。おばぁは少し安心したよ」

 と、立ち上がる。

「あ――うんっ」

 由果も笑顔になって祖母に続いた。


◆◇◆◇◆◇


 四人で夕食を囲んだその日の深夜。

 由果は一人、レンタカーを走らせて南下していた。

 佳子と香奈恵は移動疲れもあってか早々に寝ていて、起こしてしまう心配もなかった。

 木々に挟まれた細い道を入り、フェンスで塞がれた行き止まりで車を停める。

 フル充電した携帯デバイスを頭にかける。デバイスには外部バッテリーに接続したRAIDドライブをケーブルで繋いでいる。

 張られているフェンスは、車が通れるほどではないものの風雨にさらされ劣化していて、由果一人が敷地内に侵入することはできそうだ。

「頼むから――電源落とさないでくれ、なっ。

 こっちに着いて電源入るまで生きた心地がしなかったんだ」

 起動したデバイスに現れた大塚が、心底不安そうな調子で言う。

 由果は周囲を注意深く見回し、フェンスの隙間から侵入した。

「――不法侵入だよね、これ」

「と言っても廃墟だしなあ」

 広大な敷地の端に入ったところで、ククルが地上に降りた。

「廃墟……か」

 哀しそうに由果は呟く。

 背後のフェンスに貼られていた警告プレートを振り返って、文言が削られたまま破棄されていなかったそれの過去の姿を思い浮かべる。

 英語で書かれたもの。

 かつては治外法権だったエリアを示す警告。

 由果は意を決したように顔を上げ、遠くに見える建物を見据えた。


 ――もと、米軍施設。普天間飛行場。


 今や夜間照明も何もなく、月明かりがこの広い場所を映しだしていた。

 フェンスのある周囲の木々から、二キロくらい先まで建物もない。

 ケーブルを繋いだままのドライブは背負ったディパックに放り込み、「よしっ」と一言呟いて、由果は地面を蹴った。

 約二キロの距離を一気に走り抜け、ひとつの建物の壁に両手をつく。

「――大塚さん、どこっ?」

 呼びかけると、大塚が画面上に地図を表示した。

「俺がいたのはこっちの棟」

 地図は真上から見た配置図だった。由果のいる傍のものの他に数棟を、この会社は基地の跡地に建てていたようだ。

 由果のデバイスの中で、開いた地図上に大塚が指したのは現在位置から見て右にある棟だった。

「――警備とか、いないのかな」

「下調べした感じではなさそうだね」

 そう言いつつククルは周囲を警戒する素振りを見せる。

「まずは電源の確保。工場のが生きてたらいいけど、そうじゃなかったら――」

 由果は頷いて、背後のディパックを確かめる。

 中には小型の発電装置が念のため入っていた。

「ここ、だね――」

 由果は傍らの棟を見上げた。



 幸いにして、電源は生きていた。

 起きていた南場と連絡し、南場と大塚のアドバイスを受けつつヒューズを交換し、ブレーカーを戻すと、低い駆動音が響きはじめた。

 出発までの十数日で南場と大塚は仮想空間の中で知り合い、由果の知らないところで、マニアックな話題で盛り上がっていたようだった。

「さすが国内発注の工事だな。破壊されてなければすぐ復活できる」

 大塚が感心したように言う。

「まあ、どこかで漏電してるかどこかに見つかるか判らないし、できるだけ早く済ませよう」

 ククルの言葉に由果は頷いて、消した懐中電灯を手にしたまま電源棟を出て隣に向かう。

『開発部』だったのだろう札の半分が割れて落ちていた。

 入り口は、鍵がかかっている。

「任せて」

 空中を泳いでいた大塚が、扉の脇にあるパネルに向かった。

 数秒で、扉が開錠サインの音を小さく響かせる。

「すごぉい!」

 歓心の声をあげて、それでも扉は静かに開けて由果は棟内に滑り込んだ。

「奥から二番目のドア――そこが俺のもと職場」

 イルカがそこを案内するように、非常灯の灯った廊下の奥に真っ先に向かった。

 由果が追いついたところでドアのセキュリティを解除する。

 中は、二十畳ほどの広さに四脚の机を向かい合って設置した部屋だった。

「左向こうのパソコン――おぉ、これだこれだ」

 イルカがパソコンの前に行く。

「電源入れて、RAIDつないでくれたら――」

 由果が言う通りにする。

 机の上にRAIDドライブを置いて、携帯デバイスから起動したパソコンへケーブルを繋ぎ直す。

 パソコンの画面に次々にタグが浮かび、見慣れないソフトが起動していく。

 ククルがその様子をじっと見ていた。

「――ククル?」

「大丈夫そうだな」

 にっと笑って、ククルは周囲を見回した。

「しかしここは見事に、外部から切り離されたネットワークだな。セキュリティのためとはいえこれじゃ大塚も『ここまで来ないと』って思うワケだ」

「ふぅん、そっかぁ」

 由果が見ている間に大塚のパソコンは呆れるくらいシンプルなデスクトップ画面で落ち着いた。

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