08/接触(2)
大塚がもう一度回って、声を発した。
『ああ――ありがとう』
「それはいいけど、どうやってこの彼を連れて行く?
ていうかアンタ、データサイズいくらなんだ?」
とククル。由果はきょとんとククルを見た。
「確かおおもとの魂――人ひとり分の魂、ほぼ全部だろ? 一部分落ちたとか、そんな比じゃないはずだ。倍どころかヘタすると二桁くらい上かも知れないし、そうなると由果さんの杖でも容量不足だ。着いたら接続して移動するとしてもそんなサイズ、移動だけでどれだけの時間がかかることか――」
「そっかぁ……どうしよう?」
「将に言ってみよう」
困惑する由果に対して、ククルはあくまで冷静だった。
「特大容量の外部ドライブで運ぶしかないだろう? それなら将の手を借りた方が早そうじゃないか」
南場将の返事は早かった。
「ちょうど連絡入れようと思ってたところなんやけど――体は大丈夫なん?」
大塚の頼みを聞いた翌日、由果は日本橋のパソコンショップに足を運んだ。
「うん、大丈夫よー。そういや新しいモード、さっそく出番あったよ」
南場は普通に働いていたが、平日ということもあってか店内に客の姿はほとんどなく、多少仕事の手を休めても影響はなさそうだった。
「先に安里さんの用件聞こか」
「あ、うん――」
どう切り出そうか迷った由果に代わり、由果の肩に乗ったククルが言う。
ククルとも話するため、南場はデバイスを起動させている。
「特大容量の外部ドライブ、置いてないか? できればペタ以上で――」
「ペタ!? 何に使うん、そんなに」
由果はかいつまんで事情を説明する。
南場が驚きを浮かべた。
「開発者!? それ、めっちゃ会ってみたいんやけど」
由果が苦笑をこぼす。
「あはっ、話したら盛り上がるかもね」
南場は相当羨ましそうに由果を見つつ、別の棚から簡単なパッケージの商品を持ってきた。
「これがウチで置いてる最大。三百TBやけど――これで足らんかったら何個かつなげて、ひとつのドライブとして認識させるかな」
由果はその気泡緩衝剤の袋に貼られた値段を二度見する。
「高っ……こんなにするの?」
「バルク品とはいえ、最新やからなぁ」
南場も苦笑いをもらしてその手帳程度の大きさのものを棚に置いた。
「一応、俺も合計して五百ちょっとは持ってるけど……そんなにいるん? ほんまに」
「念のためにね」
とはククル。
「彼が大元の魂――人は七つ魂がある、と云われてるけどその中心になる魂があるんだ。これは魂に刻まれる記憶や、その人個人のこと全部と云ってもいい情報を内包してるから、膨大なデータ量になるはずなんだよ」
南場はしばらく頭を掻いて唸っていたが、しばらくしてから言った。
「俺も行ってええ?」
「えええっ!?」
店の中でつい大きい声を出してしまった由果は慌てて左右を見回す。
「――って言いたいけど、あかんやろなぁ。旅費もしんどいし」
即座に自分で否定した南場に少し怒った表情を見せる。
南場は「ごめんごめん」と笑いながら、声のトーンを落とした。
「何とか用意するよ」
「ほんと?」
職場には内緒で、と指を立ててにやりとするが、あまり様にはなっていなかった。
「それで、南場さんは何かあったの?」
「あぁ、それなんやけど」
と、南場は周囲の様子を窺いながら仕事のふりのように由果に近付く。
「俺があの――『マブイオチ』になった時なんやけど、動画見てたんやな。
それが……」
どこか言いにくそうに口ごもる。
「それが?」
「――その動画に仕掛けがあったみたいなんや」
由果を店の外に誘導しながら南場が言う。店内に「休憩行ってきます」と声をかけて二人で店を出たところで続ける。
「サブリミナル、とでも言うかな。動画の中に時々、なんフレームかだけ割り込ませてる画像があるんや。それも巧妙に反転させてたり色んな手段で潜ませてた」
少し歩き、コインパーキングのそばで足を止めた。
南場が自分のデバイスでその動画を開き、由果(とククル)に見せる。
映像は、投稿動画サイトでよくありそうな類の物だった。
布地の少ない格好の、まだ若そうな女の子が軽妙な曲に合わせて踊っている。時折場面が変わったり衣装が変わったりするその動画を途中で止めた南場は、気恥ずかしそうに脇を見ていた。
「助けてもらった時に見てたのがこんなんやから……言いにくかったんやけど、気になって調べてみたら、まあ」
動画を止め、その中からキャプチャーしたらしい画像を開く。
画面の半分がそれまでの動画とは全く関連のない模様になっていた。
「これだけやと多分、影響は出んやろうけど――他にもこんなんが何個かあったんや。これだけで『マブイオチ』になるかどうかは怪しいけど、アレって意識トぶというか、呆けてまうねんな? まさかこの動画だけで魂落とすとは考えにくいけど、何となく」
「可能性はあるな」
頷いたのはククルだった。
「これと、大塚が言ってた『不具合』――いくつもの要因が重なってるんじゃないか」
「なるほど……」
由果が唇を噛む。
「不具合のことを知ってか――知らなくてもいいよね、見たら魂落とすことがある、って知って、何者かが仕掛けたっていうのは考えられるよね」
「知った上かも。だとしたら……」
由果とククルが顔を見合わせた。
「南場さん、この動画って出回ってるんですかっ?」
学校帰りの学生か、由果と同様夏休みに入ったか、通行人が増えてきていた。
「うーん……似たようなのはあるけど、同じのは見たことないなぁ。俺はコレ手に入れたのも偶然みたいなもんやし」
「偶然? 動画サイトとかで見たんじゃなくて?」
南場はしばらくためらうように通りを見ていたが、
「安里さんと初めて会った日に、梅田駅の近くで放り込まれてん」
「放り込まれた……?」
「アプリで『すれ違い』情報交換できるものがあってな」
と、少し操作してからもう一度由果にその画面を見せる。
南場が見せたモニタでは、先程の画像は閉じられ、別のアプリケーションが立ち上がっていた。
何かの設定画面のようだ。名前や年齢、SNSなどのサイトURL、そういったいくつもの項目を『公開/非公開』に選り分けられるようになっている。
「平たく云えば名刺交換。これを入れて、『通信ON』にしとくんや。その状態で同じ事やってる人とすれ違った時にお互いの情報を交換できる。最初は『anima』連動のアプリやってんけど、バージョンアップで非会員でも情報交換できるソフトにはなってん」
南場の言った『anima』は会員登録制のSNSのひとつだ。
話している間にも、通行人で同じものを使っている者がいたようで『受信しました』というタグが表示される。慣れた操作で南場がそれを開くと、ハンドルネームやSNSのリンクが入ったウィンドゥが開いた。
「こんな感じ。見てみて、話合いそうやったら登録したらええし、合わんと思たら消したらええ。自分の応援してるアーティストの紹介したり、宣伝に使ってる人もいるけど、基本は名刺交換やね」
「なんだか、ちょっと怖いね……」
口を押さえた由果は呟き、横目で南場を見上げた。
「それで、南場さんはこの交換で動画を『もらった』わけね?」
南場は微妙な表情で頷いた。
「高校生くらいの女の子とすれ違った時にもらったみたいやねん。
興味が湧いて開いてみたら――ああなった」
照れ隠しのように横を向いて言う。
「そっかぁ、なるほどね……」
南場はわざとらしく腕時計を見た。
「お、俺――戻らないかんから。
ドライブのことは何とかするから。じゃあっ!」
由果が引き留めるより早く、小走りで南場は去ってしまった。
「あ――」
由果の手が空中でさまよう。
「察してやって、由果さん――」
苦笑混じりの溜息で、ククルが由果の耳元に囁いた。
◆◇◆◇◆◇
気怠げに、熱っぽい体温を測るように額に手をやって、彩はぎゅっと目を閉じた。
数日前のことがまた蘇る。
まだ残響している由果の声を追い出すように耳を塞ぎ、頭を振った。
「由果……姉ぇっ」
姉の幼馴染みと何度目かの再会をした翌日から、彩は熱を出してしまった。
遠縁である伊波清信の営んでいる沖縄料理店を手伝うことも、学校に行くことも大っぴらに休めるのは気楽だが、それよりもこの体調不良は彩にとって不快らしく、バタバタと寝返りを打っては唸る、そんな時間を過ごしていた。
更に云うならこの不調は、彩には覚えがあった。
「なに……さっ。今さら、こんな、こと――」
呪詛のような呟きを投げ続ける。
「来るなら一気に、来なさいよっ。それで姉さんを助ける、方法――がっ」
布団の中で転がる。
枕に顔を押し付けて、くもぐった咳を吐く。
「わかるんなら、あたしなんて――がはっ」
ヘッドフォンデバイスはパソコンの傍に置かれており、彩は寝間着代わりのTシャツ一枚だった。
「姉さん……姉さん、っ」
姉を呼ぶが、応える者はいない。
「ねーね――っ!」
日はすっかり暮れていた。
大きく身震いして、くりっとした目を見開く。
まだ、肩で息をしていた。
いつの間にか申し訳程度にかかっていたタオルケットをはね除け、彩は上体を起こした。
「っはぁ……ちょっと、治まった……?」
Tシャツは汗でしっとりとしていた。
「頭重い……」
気分悪そうに片手を添えて頭を振る。
のろのろと起き出して、薄暗い部屋を出た。
下着がぎりぎり隠れるくらいの長さのTシャツの、裾をぎゅっと握る。
家全体が暗かった。
「あー……店か」
家主はいなかった。
明かりを点ける。
リビングのテーブルの上に、大きめの茶封筒が置いてあった。きっちりと封されていて、表には『与那覇彩 様』とだけある。
眉をひそめて、無造作にそれを開ける。
中身は一学期の成績表と期末試験の答案、ここ数日彩が休んでいる間に配られていたのであろう連絡事項のプリントと、まとめられた夏休みの宿題一覧、そういったものが入っていた。
「あそっか――昨日、終業式だったか」
普段の体調でなく、動けなかったことは嘘ではない。サボり気味ではあったが、今回の休みの連絡は入れていた。
出したものを封筒に戻して、彩は冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出してきて手近なコップに半分ほど注いだ。
それを一気に飲み干して、短めの息を吐く。
もう一度封筒から連絡事項の書かれた紙を抜き出す。
「夏休み、か……あ、そうだ」
リビングのソファで横になって、その紙を眺めながら会話するように独り言を続ける。
「さっき――昨日? 聞こえたんだ……」
外はもう夜で、しかしエアコンの入っていない家はどことなく湿気高く、じっとりとした熱気が肌にまとわりついてくる。
「帰んなきゃ……」
額の汗を袖で拭った拍子にプリントを落としてしまい、拾い上げた時に封筒の隅に書かれていた文字に気付いた。
『始業式には元気な姿を見せてください 百山』
「――誰だっけ」
しばらく首を傾げる。
百山が自分のクラスの委員だと思い当たるまで数秒を要した。
ということは、この百山がこれを届けてくれたのだろうか。
「ふぅん……」
印象に残っていないクラスメイトを思い出そうとするのをやめて、彩は封筒を手に自分の部屋に戻った。
Tシャツを脱ぎ、下着は替えずにキャミソールとデニムのハーフパンツを身に着ける。
封筒は机の上に適当に置き、上にシャツを羽織って、畳まれた状態のヘッドフォンデバイスを取った。
充電状態だけ確認すると、バッテリーのサインは半分くらいを示していた。
「ま、いいか――ともかく店行ってみよう」
まだ不快感が残っているのか、ショートボブの紙を揺らしつつ言う。
財布と鍵をデニムのポケットに押し込んで、彩は居候している家を出た。
家から歩いて行ける場所に、伊波清信の店『ヌチグスイ』はある。
彩が植物で雰囲気を彩った扉をおずおずと開けると、鈍いベルの音ががらがらと店内に来訪を告げた。
「いらっしゃ――お、彩じゃないか」
すぐに気付いて声をかけたのは店主でもある清信だ。
それなりに客が入っている。
「ちょうどよかった、ほら、早くこっち入って手伝ってくれ。焼きそばとチャンプルーな」
「って、病み上がりの可愛い親戚を気遣うとかしないの?」
「んなの、ここまで来れたってんなら大丈夫だろ。そこのシークヮーサー好きなだけ飲んでいいから、な」
それほど強引には聞こえない押しだが、彩はどこか断れないでいた。
それに、清信が絶妙なバランスで絞り、蜂蜜、マンゴー、パインでブレンドしているシークヮーサーミックスジュースはこの店のメニューの中で、彩の一番のお気に入りでもあった。
結局、溜息ひとつ残して彩はカウンターの内側に入った。手早くエプロンをつけて手を洗う。
清信が白い歯を見せて彩の頭を撫でた。
強めに頭上を巡る清信の手にしかめ面気味になりつつも、彩はうっすらと頬を上気させていた。
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