08/接触(1)
最初に見た時は彩も唖然とし、しばし手が止まってしまった。
続いて呆れたように眉を寄せ、呟きを洩らす。
「――こんなのも『強い魂』なの? 姉さん」
しかし巨大少女は周囲に影響を与えていた。
タグを取ってむしゃむしゃ食べる様は滑稽でもある。
目を丸くした彩の視線の先で、その巨体が身を屈めた。
「あ――っ」
ヘッドフォンデバイスを装けてこの『霊障』を見ていた人から滲み出た青い靄のようなものを摘み取り、つるりと飲み込んだ。
「他人の魂も食べるんだ……。よし、っ」
徐々に冷静さを取り戻していた彩は杖を握り直す。
杖を正面に構えて念を込めた。
珠の前面に細長い光の弾丸が現れる。
「いっけぇぇぇっ」
彩の合図に合わせて細長い塊が飛びだし、狙い違わずそれは霊障を打った。
尋常ではない音量で、可愛らしい悲鳴が上がる。
スピーカーから激しく音割れした轟音が彩の鼓膜を襲い、彩は耳を押さえてしゃがみこんでしまう。
「このぉ――っ!」
が、すぐに彩は杖を振って立ち上がった。
腰を落とした巨大フィギュアの仕草に、由果は驚きを隠せないでいた。
それは見物人の中から染み出てきたものを取って自らの口に運ぶ。
「人の魂を取り込んでる……」
由果から見た彩は巨体の向こうにいる。
「ククル――彩ちゃんのケータイに侵入できる?」
目を丸くしたククルが由果を見る。
「話、できないかな」
「――やってみる。由果さんの言葉が届くようにすればいい?」
由果が頷き、ククルが駆け出した。
ククルは由果の画面上では見る見る内に小さくなり、しばらくすると霊障を通り過ぎて彩の傍に辿り着いた。
さらに待つこと数秒。点のようなククルから『やってみて』というテキストタグが飛び出した。
「彩ちゃんっ!」
由果が呼びかける。
彩はその声がどこから届いたのか判らない様子で左右を見回し、デバイスの端で四肢を踏ん張っているシーサーに気付いた。
「な、なにっ?」
声はそのシーサーの頭上に現れたタグから出ているようだった。
「そこにいるのは彩ちゃんでしょう?」
「その声、ゆ――由果姉ぇ?」
まじまじとシーサー――ククルを見た彩の手が止まる。
その間に霊障は通りを見回し、にっこりと笑って地上に向かって手を伸ばした。
霊障の視線の先には、ヘッドフォンデバイスをつけてこの状況を見ている野次馬がいた。その中で抱き合っている一組のカップルに――男の方のデバイスに巨体の指が触れる。
ククルから霊障に彩は意識を戻した。
鈍くくもぐった音がざわつく中で小さく響く。
男のデバイスの片側が破裂し、男が倒れた。
悲鳴が上がる。カップルの周囲にいた人が蜘蛛の子を散らすように男から距離をとって、しかし完全に逃げ出すわけでもなく遠巻きに眺める。
彩のデバイスからは、倒れた男から青白いものがわずかに顔を出したのが見えた。
少女姿の霊障はそれを強引に引っ張り出すと、可愛らしい仕草で口元に運んだ。
すぼめた口に吸い込まれる。
目を閉じた少女はどこか恍惚とした表情をとる。
むくり、と霊障の姿がやや膨らんだ。
「なっ――何をしたんだ?」
シーサーの口から出たのは今度は、合成音声のような男声だった。
彩がまたそちらに目をやる。
「あなた、何?」
杖の先をククルに向けて、彩は冷たい声で言った。
「オレはククル。――そうだ、君は与那覇澪の妹なんだろう?」
「!?――姉さんを知ってるの?」
杖の先が揺らいだ。
ククルはにっと笑って頷く。
「オレは与論ちむぐくる院で、睦美さんの助手をしてた。澪ちゃんは睦実さんの患者だったからね」
「姉さんの……」
彩は腰を下ろして、ククルとの距離を縮めた。
「今は由果さんの手伝いだよ。由果さんが話したいって言うから、ちょっと強引にこっちに来させてもらった」
「由果姉ぇの――っ?」
ククルは彩のデバイス上に開いた回線のウィンドゥを示した。
「彩ちゃんっ、聞こえる?」
彩の表情が一変した。瞳に怒りが流れ込む。
「彩ちゃん、あの霊障見えてるよねっ?
いい? 一緒にアレを鎮めて、もとの人にマブイグミして戻してあげるから協力してっ!」
彩の、杖を握る手に力がこもっていた。
「彩ちゃんっ!」
霊障は別のカップルの男に襲いかかっていた。
さっきの男と同様にデバイスの片側で破砕音がする。染み出たものを少女の姿をした霊障が引きずり出していた。
由果の声がもう一度彩を呼ぶ。
「――誰が、っ」
彩の口からこぼれたのは、掠れ気味の低い声だった。
「なんで由果姉ぇにっ!」
彩の杖が唐突に伸びた。珠が変形した刃がククルを打ち、ククルが転がる。
「協力なんてするワケないさっ!」
開いていたウィンドウに向かって怒鳴りつけ、叩き壊すようにその窓を閉じる。
「あいつの――あの魂はあたしがもらうっ!」
斬り捨てたククルには見向きもせず、彩は少女姿の霊障に向かった。
耳に痛みが残っていた。
ヘッドフォンの上から耳を押さえ、由果はククルを呼ぶ。
「戻ってきて、ククル」
由果の足下に戻ってきたククルは、側頭部がノイズになっていた。
路上に出てきた彩は、カップルの男ばかりを狙っている霊障の正面に立った。
さっきよりは由果と距離が狭まる。
由果のデバイスからは、長刀状になった彩の杖が見えた。
「なに、あれ……」
「なんだか強力になってるようだけど――ぃててて」
ノイズの修復に手間取っている様子で、ククルが頭を振っていた。
彩の持つ長刀の、刃が鈍い光を強くする。
「まずはアレを鎮めないとダメ?――ていうかどうやってあんな攻撃してるの!?」
由果は手にした杖に「モード『射』っ」と命令を送り、変形させる。
「多分だけど――デバイス本体に過剰負荷を押し込んで、バッテリーを破裂させてるんじゃないかな」
言っている間に、彩が燐光のように光る長刀を大上段に構え、振り下ろしていた。
『いっ……たぁぁいっ!』
幼さの滲む声が異様な音量で骨伝導スピーカーをびりびりと震わせる。
間髪入れずに彩は横薙ぎに武器を振り回した。
『ぃやぁぁ……んっ』
少女が膝をついた。
泣き顔になった口元から青白いものがこぼれ落ちる。
点々と転がってゆくそれは倒れていた男に向かい、男に触れたところで体に吸い込まれて消えた。
「戻った……よかった」
由果は安堵の息をついて、彩にもう一度呼びかけた。
「彩ちゃんっ!」
しかし彩はそれを無視して、伸ばした刃で少女に斬りかかる。
『いやぁん、やめてよぉ』
緊張感のない声とともに防ごうとした少女の手を切り裂き、少女はさらに涙目になる。
彩の口が何か動いていた。が、声までは由果に届かない。
ぺたんと座り込んだ少女から、彩は距離を取った。
由果とは近くなる。
「彩ちゃん! 話聞いてっ!」
「由果姉ぇなんて嫌いだッ!」
振り返って怒鳴った彩の瞳には、暗い炎が渦巻いていた。
由果に向いたのも束の間、彩はすぐに少女を見据えると、杖を変形させた。
杖はぐっと短くなり、もとの珠を噛んだ姿になる。
ぐずる少女に向かって彩はその珠を真っ直ぐ腰溜めに構えて、膝を落とす。
珠が黄白色の光を強くする。
彩の前に、珠からじわりと出た光球が現れた。周囲に浮かぶ光線を集めてじわじわと大きくなるそれに由果は表情を曇らせる。
「やめなさい、彩ちゃん――魂はもとの持ち主に返さないと!」
不安を走らせた眼差しで彩に手を伸ばす。
「そんなこと知らない! 由果姉ぇはそこでぼけっと見てたらいいさ!」
由果を睨みつけて言い捨てた彩は、杖を突き出した。
光球が放たれる。
軌跡を残して光は伸び、少女の頭部を貫いた。
『ぁぁぁ……っ』
微かな声を残して霊障が消える。その、座り込んでいた中心に小さな靄のような青い塊があった。
彩がもう一度、由果に一瞥を投げる。
「待ちなさいっ! 澪のこと、話しようっ」
駆け寄った由果が彩の腕を掴んだ。
通りに明かりが戻り始める。
野次馬も少しずつ減り始め、普段のざわめきになりつつあった。
それでも由果と彩の周囲はまだ人々が残っていた。巨大な少女を消し去った彩と、その知り合いらしい由果には注目が消えなかった。
彩が、由果の手を強く振り払う。
「放してっ!」
腕を叩き下ろしてしばらく由果を睨み上げていたが、それ以上は何も言わずに由果に背を向けて駆け出した。
「彩っ!」
ククルが追うが、それよりも早く彩は杖で巧みに青靄の球を拾い上げてその中に納めた。
そこで一旦由果に向かって振り返り、舌を突き出す。
すぐにまた踵を返すと、彩は通りを北に――心斎橋方面に走り去った。
由果は数歩だけ進んで、振り払われた自分の手を見つめる。片手にまだ持っていた杖を収め、由果より駆けていった彩の方が注目度が高かったのか、今度こそ散り始めた人を見回して小さな溜息を吐いた。
ククルが由果の足下に戻ってくる。頭部にまだノイズが残っていた。
後ろにあったファストフード店の照明が戻っているのを見直す。
「――戻ろうね」
そう、呟くようにククルに声をかける。
「佳子と香奈恵に何て言おうかな……」
由果はデバイスのモニタを閉じ、肩に預けながら店に入った。
◆◇◆◇◆◇
大塚から由果に連絡があったのは、前期試験の最終日だった。
『沖縄の、旧グルース宜野湾工場に俺を連れて行ってもらえないか?』
――先日の騒ぎは、佳子も香奈恵もデバイス越しには見ていなかったようだった。
拡張されていない現実から見ると、由果が女子高生らしい少女に詰め寄って少女が逃げた、それだけのようにも見える。
制服姿の少女は時折通りを振り返ったり何かを持っているように低く構えたりと奇妙な行動をとっていたが、拡張現実表示のできるデバイスを通さないと全容は見えなかったため、由果は『地元の幼馴染みと再会したが、何故か嫌われていた』と嘘とは言い切れないごまかしで返答を濁したのだった。
「どうして?」
由果の自宅だった。
この日は試験の終わった後、三人でお茶をして旅行の計画を練り、いつもと変わらないお喋りに興じたが、佳子も香奈恵も先日のことを根掘り葉掘り聞くことはなく、それは由果にはありがたかった。
それぞれ用事があったため、駅で解散となった。由果も夜まで自宅近くのカフェでバイトがあり、家に帰ったのは九時過ぎだった。
『どうやらデータは完全にそろってないんだ。だとしたらあそこにしか残ってないはずなんだけど、潰れた工場だからネットとは切れてるし、そもそも外部からは切り離した所に俺のいた部署はあったから、物理的にそこに行かないと探すことすらできない』
由果の問いにそう答える。
由果のパソコンにやってきた大塚は相変わらずイルカ――本人曰く『祖先』の種らしいが――の姿形で、モニタの奥を泳いでいた。
この日は由果はデバイスをつけずに大塚と話していた。ククルは外部投影され、由果の膝に乗っている。
先日の傷はすっかり修復されていた。
「なるほど――チップの技術を買い取った会社は不完全なものを受け取ってるんだ」
皮肉げにククルが言う。
『チップそのものはあるし、ソースは渡したはずだけどな。まさか一部不完全とは思えないけど、不要と思って消したのかも知れない。無視しても動作はするし』
「ふぅん……よく判らないけど、そこに行ったら完全なデータがあるってことね?」
『あの場所、ロクな処分もされないまま放置されてるんだ。おまけに例の事故のお陰で手出しできなくなってるし、そのまま残ってる可能性は高い』
由果は考えるように小首を傾げ、バイト先で買って帰ってきていたソイラテを一口飲む。
「あの工場って――あそこよね……」
表情を曇らせる。ククルが心配そうに見上げているのに気付いて、由果は苦笑してククルの頭を仕草だけとはいえ、撫でてやる。
「澪のこと考えると行くべき、か」
と呟く。
その言葉の意味にまでは考えが及ばないようで、画面の中の大塚は頭上にクエスチョンマークを浮かべた。
「普天間だよね?」
疑問というより確認の調子で由果が訊くと、大塚はくるりと回って肯定した。
「エイサーの時に友達と沖縄帰るから、その時に行ってみようね」
わずかに憂いの混じった承諾だった。
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