07/ダイバー(2)
イルカは、大塚と名乗った。由果も簡単に自己紹介する。
三人は駅のホームのようだったさっきの場所を離れ、周囲に何もない薄闇の空間にいた。
『俺はグルースの技術部にいた。だから営業部とか工事部とか、そっちにいた人のことは詳しく知らないんだ』
イルカはそう前置きして続ける。
『今の『Ph―D』規格の携帯デバイス、あれに載んでる3Dチップはほとんどがグルース製のはずだ。俺はその、チップを開発した部署にいたんだ』
大塚の声はどこか誇らしげだった。
『正確にはヘッドセットモニタへの3D表示と外部投影で別部署なんだ。俺はその、表示部門のほう。小型化と省電力化の実現で、ヘッドフォンデバイスは『新世代ケータイ』としてブレイクした――のは知ってるよな』
由果もククルも頷く。
『チップは他社にも供給してたし、ウチの株価も一気に上がった。そうそう真似できない技術だったからな、なんせあのチップは――』
「悪いけど、不具合のこと――教えてください」
話の腰を折った由果に不満げな瞳を向けてから、大塚はヒレを動かした。
『ウチ製のチップを載んだデバイスの作動中に昏睡したとか、放心状態になったとかいう報告があって、調べていくとチップじゃないか、って疑いが出てきたんだ』
「放心状態――」
『報告があってすぐ、起こした人の所に駆けつけたことがあって、そうしたらそこの婆さんがユタだった。これは『マブイなんとか』だ、って言って、もう戻したからしばらくしたら戻る、って言われて何日かしたらその通りになった』
「魂落ち、ね」
『そう、それだ。魂、ってこともその時に教えてもらった。
それで――デバイスの何かが原因でそのマブイオチってのを引き起こしてるのかも、というのが何ヶ月もかかって言われはじめた。ただ発生報告は二ヶ月に一回あるかどうかで、言うなれば実例が少なくて確証が取れない。
で、社外秘だった』
「リコールは出てなかったよな、確か」
『――出せなかった』
イルカの尾ビレが震えていた。
『アップデートで何とかしろって言われたけど、アップして何ヶ月かしたらまた事例が出た』
「その……魂落ちはホントに、デバイスが原因なんですか?」
『結局、結論も対策も出ないまま会社は潰れてしまった』
「アィ、そぉね。
それって、不具合隠してたのが原因で? それともあの事故……」
『うーん、事故も一端あるかも知れないけど、他の要因の方が大きいと思う』
ヒレを広げるのは、肩をすくめる代わりか。
大塚は話を続けた。
『ともあれ、潰れた後も調査はしてた。もっとも拾われなかった俺は会社の設備も使えないから、自力のシステムしかないんだけどな。
俺は魂の話からアプローチして、モニタの視覚がマブイオチに影響してると狙いを付けた』
「その――チップの技術を買い取った会社は何もしてないの?」
『してないようだし、このこと自体知らないかもな。設計図だけ利用してるようにも見える。そもそもチップとマブイオチの関連は実証されてない』
「あなたの話は、聞き入れてもらえなかったの?」
『マブイとかユタとか、そんな話前の会社でも信じてももらえなかった。
――俺は、魂が落ちる条件を独自で探るしかなかったんだ。
そんな中である時、俺は、自分がマブイオチになった――そういうことだな、今まで『マブイオチ』って言葉が出てこなかったけど』
「それでネットの中に?」
ククルはすっかり座り込んでいた。
大塚は頷いて、くるりと縦に一回転する。
『ウチ製のヘッドマウントディスプレイで、仮想空間にいた時だった。あの時何があったか思い出せないんだけど、意識が遠のいて――気付いたらこっちにいた。
不思議な感覚だった。フィルターを取り除いた感じ、とでも云うかモニタの向こうに見てたはずのモノが直に視覚でき、キーボードを打って操作してたことがもっとダイレクトに操れたり――驚いたけど、楽しく感じたのも確かだ』
「楽しい――の?」
「肉体の呪縛を離れた、と思ったんだろ」
ククルがにやりと笑う。
『それだ。で、楽しくなってしばらく遊んでたら、帰ることができなくなってしまったんだ』
大塚は自虐的な調子で言う。
『肉体への戻りかた、なんて調べても判るワケもなかったけど、調べ回ったらどうやら――俺の肉体はネットから切り離されて、どこかの病院へ搬送されたらしい』
イルカの周囲に古いニュース記事らしいものが現れる。
『ヘッドマウントディスプレイを外されて『原因不明の昏睡状態』のままどこに連れて行かれたのかも判らない』
「それでさっき、ああ言ったのね」
大塚は頷くポーズを見せる。
『俺の話はこんなところ。チップの不具合は結局の所、完全に結論を出せていない。
それで、あんたらは?』
と促す目が由果を見上げていた。
由果が簡単に自分のことを説明すると、大塚はヒレを大きく上下した。
『なあ、提案なんだけど』
由果とククルの周囲をぐるりと回って言う。
『協力――してくれないか? 利害は一致すると思うんだけど』
「協力?」
『そう。俺はマブイオチとデバイスの関連を調べる、あんたらは俺をもとの肉体に戻す――どうだ? 俺は、本当にチップに不具合があったなら情報を世間に流すし、その修整が成されるよう努めるから、あんたのユタの力で俺を元の体にしてほしい』
「電気的に自由な現状には飽きたのかい?」
揶揄するように言うククルを由果はたしなめる。
『それもあるし、消滅とかさっき何て言ったっけ、『霊障』? なんてのも何だか怖いじゃないか。それに――』
そこで前屈みになって少し下がる。
『いや、いい。ともかく戻れるなら戻りたいんだ』
「それは――『魂込め』は私もしたいし、ねぇ、ククル」
「やぶさかじゃない、よな」
由果は頷いて、大塚の――イルカのヒレに手を伸ばした。
「じゃあ、よろしくお願いします、大塚さん」
『あ――うん。こっちこそ頼むよ。考えてるとじわじわ不安になってきた』
ヒレと手が軽く触れた。
「それにしても大塚さん、イルカだなんて可愛いですね。好きなんですか?」
『まあ好きな――ていうかコレはイルカじゃないよ。イルカ類の祖先にあたる、アゴロフィウス科の生物をモデリングしたんだ。
イルカ類はいくつかその起源を辿ることができて――』
「蘊蓄はいいよ」
ククルが語り始めようとした大塚を制した。
深夜も、かなりの時刻になっていた。
◆◇◆◇◆◇
気合いのこもった一撃が青白い靄の塊を打ち据え、それは動きを止めて沈黙した。
荒めの息をひとつ吐いた彩はその、歪な球体に足を生やしたような風体のものに慎重に近付く。
手にしたものは長刀の形を成していたが、彩の意思に応えるようにするりと形を変え、珠を抱く杖となる。
青白いものは動く素振りも見せず、ただ転がっている。その体に彩は杖の先を突き込んだ。一言、
「回収……っ」
と吐息混じりの言葉を唱える。
すると、最初はゆっくりと、徐々に速度を上げて靄は彩の持つ杖――珠に吸い込まれてゆき、十数秒で跡形もなく消えた。
彩とその『霊障』が戦っていた爪跡も、ほとんどない。
東心斎橋の、細い路地のひとつに彩はいた。
制服が汚れることも厭わず傍にあったビルの外壁にもたれかかる。
「ぁっ……はっ、た、倒せた……っ。倒せたよ姉さん……
これで二匹、っ」
誰に聞こえるともなしに呟く。
「あんなーして、魂落とさせて、バケモノになるくらいの強いのを……」
目の前に出していたモニタを頭上に上げ、ヘッドフォンの部分を耳から肩に落とす。
手にしていた杖が彩の視界から消えた。
「そういや由果姉ぇ、アレのこと何か言ってたな――『れいしょう』だっけ?」
息を整えた彩はぶつぶつと言いながら路地を出て、少し歩いたところにあるコンビニに入った。
熱気と戦闘で浮かんでいた汗と火照った体を冷房が急速に冷やす。
マンゴージュースを買って、イートインスペースの隅に座ってから再びヘッドフォンデバイスを起動した。
「何とかなったけど――力の入れよう、か……」
通話のふりで独り言を続ける。
「あとから姉さんにもらったヤツは強すぎるし、結局前のを使って『れいしょう』ってのと戦って、集めていく――しかないよね」
少し前のことを思い出したか、小さく身震いした。
ジュースをすすりながらデバイスの中で杖を起動して、その状態を確認する。
それも姉が追加した機能だった。
「さっきのヤツで魂は一個――。攻撃用の『力』をちょっと補充しておかないといけないかな……」
時計を見る。
まだ、昼過ぎだった。この日も彩は学校を昼で抜け出していた。
それは『霊障』が発現したからでもあるのだが、授業にいまいち身が入らずに逃げ出したかったからでもある。
高校から大阪に住み始めた彩にはまだ、こっちでは友達と云えるような知り合いがいなかった。教室でも周囲に薄い壁を張って無愛想に過ごし、自ら話しかけることも滅多にない学校は、さして楽しい場所ではなかった。
彩は姉に対する強い想いと、使命感を漂わせた瞳でデバイスから街を眺める。
繁華街からは離れているためにタグは少ないが、店の案内やニュースなど、いくつか浮かび上がるものもある。それらの窓を無造作に閉じて、彩は短く跳ねるクセっ毛の頭に手をやった。
「ん……何だろう、ちょっと重いな」
頭を振って、半分くらい残っていたジュースを一気に空けて椅子を蹴る。
「駅前行ってみるか。朝落とさせたのが化けてるかも」
彩は自分に言い聞かせ、奮い立たせるように呟いて、空コップを片付けてコンビニを飛び出た。
昼下がりの道頓堀橋を渡ったところで、由果たちは手近にあるファストフード店に入った。
この日はいつもの三人で買い物に来ていた。
由果が仮想空間で大塚と会ってから数日が過ぎていた。
その間大きな進展はなく、判ったことといえば神戸に本社のあるデバイスメーカー――倒産したグルース社製チップの技術を買い取った会社――は、デバイスについての不具合公表などしていないということくらいで、知らないんじゃないか、と大塚とククルが予想していた。
「それに、完全にクロじゃなかったら出さないだろうし」
とは大塚の言だ。
大学の日程は前期試験に突入していた。
それが終わると、夏休みになる。
佳子が言いだした沖縄行は香奈恵も乗り気で、トントン拍子で話が進んでいた。
「飛行機のチケット、よく取れたね」
それなりに混んでいた中、二階に席を確保し、着いたところで由果が言う。自慢気に笑う香奈恵が、シーズン中で混み合う八月の最中でのシート確保を二人に告げたのは、この日の朝だった。
「平日やったからねー。それにほら、お盆時期とズレとぉし」
勢いで話が進んだ中、日程のことになって佳子と香奈恵が由果に『オススメ日程』を訊き、由果が候補に挙げた内の一つが旧盆だった。
「お盆時期っていうか、やっぱりエイサーに合わせて帰る人も多いよ」
沖縄でのお盆の行事が、エイサーだ。
戻ってくる祖先の霊を迎え、歌と踊りで地元の道を練り歩く。旧盆後の週末には沖縄市でそれを集めた『全島エイサー祭り』が催され、多くの観光客を集め、また由果の言う通りこの時期に帰省する者も多い。
「そういや由果、別行動したいって言うとぉたね。予定も大丈夫?」
由果は微笑んで頷く。
「一応おばぁに確認しとくけど、大丈夫だはずよ」
「別行動?」
「うん。墓参りとか。
御嶽――も一緒に行けるかビミョーかな」
「うたき?」
「聖地。パワースポットというか、修行で行きたいから」
ユタの修行としては、この御嶽に祈りを修めてゆくことで進めてゆく。
「パワースポットかぁ。行ってみたいけど――修行の邪魔なん?」
「う~ん……それもおばぁに聞いてみるさ。
そうだ、香奈恵――レンタカーあったほうがいいよ」
「そうなん? でも免許ないで」
「私持ってるさ」
「「えええっ、ホンマに!?」」
佳子も香奈恵も目を丸くして、声をハモらせて由果を見る。
由果はあっさりと頷いて、財布から緑帯の免許証を出して見せた。
「高校卒業してから取ったからまだ初心者――あ、一年はたってるから初心者マークいらないはずよね」
こっち来てから全然運転してないけど、と舌を出して笑う。
「せやけど、意外やわ」
まじまじと免許証を見ながら佳子が言う。
「車の方が便利なん?」
「ていうか、ないと不便よ。バス移動になるし」
「そっか、そうなんや」
二人の間を巡って帰ってきた免許証を由果が納めた時だった。
店内の照明が突然落ちた。
「わっ!? な、なに?」
薄暗くなった中で人々の狼狽える声がいくつもする。
由果は鞄からヘッドフォンデバイスを取り出して耳に架けた。起動するとテーブルの上にククルが現れる。
「なにか聞こえた気がしたけど――もしかして?」
「たぶんね」
ククルの返事は短かった。
由果は鞄を残して立ち上がった。
「佳子、香奈恵――私ちょっと様子見てくるから荷物見ててっ」
「由果?」
「ここから動かないでねっ」
それだけ言って、由果は階下へ向かった。
そのまま店を飛び出す。蒸し暑い熱気が由果を襲い、店内との温度差にやや眉をひそめつつも由果は周囲を見回した。
昼だというのに、通りに見える店の電灯が消えていた。
デバイスのモニタには表示されるはずの、広告タグの類もほとんど出てこない。
「霊障なの?」
由果はひとりごちる。
「前にも彩ちゃんとここで会ったけど――」
ククルが橋と反対側になる通りの先を示した。
「由果さん、向こうにっ!」
「なっ――なに、アレ……」
デバイスから見えるその『霊障』に由果はぽかんとした声を漏らす。
道頓堀橋に向かって進んでくるのは、アニメの美少女キャラを巨大化した姿形をしていた。輪郭がうっすらと青白い。
大きな目と低めの頭身、それにピンクの髪が目立つ。可愛らしさを強調した仕草でゆっくりと歩いていた。
ふわっと広がる、丈の短いエプロンドレスからニーソックスの脚が伸びている。
よくできたフィギュアを大きくしたような外観は何か広告のようでもある。が、手を伸ばして建物に触れそこの照明を消したり、表示されるタグを掴み取って食べる様は到底宣伝には見えない。
由果と同様のヘッドフォンデバイスをつけている人からもそれは見えているようで、路上の人々もざわついてそちらを見ている。
由果は毒気に当てられたような顔でそれを眺めていたが、
「由果さん、自分が魂落とすなよっ」
と耳元で呼びかけるククルの声で我に返る。
「そ――そうよね、うん」
杖を起動して巨大フィギュアの正面に向かう。
――と。
『はみゃああん!』
その口から想像される通りの声で悲鳴が溢れた。
飛んできた光条が首筋にもう一発当たり、痛がる仕草で涙目になる。
「由果さん、あっちに――っ!」
空中に浮いたククルがビルの一つを拡大表示する。
テラスになっている二階部分に、見覚えのある制服姿の少女がいた。
黄色い珠を噛んだ杖を手に、霊障のやや斜め後ろになる位置から攻撃を加えていた。
「彩ちゃんっ!」
由果の声が届くほど、現実の距離はそれほどまだ近くなかった。
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