01/由果(2)
佳子がゆるく手を振る。
「修行中や言うけど、そういうのが見えるって何かええよね」
「そんな、いいもんじゃないよ」
佳子や香奈恵の関西弁には多少慣れてきていた。
暮らし始めるまでは恐怖すら抱いていた大阪は、怖い場所ばかりではないと由果にはようやく思えるようになってきていた。
苦笑した由果の頬を佳子がじわっと左右に引っ張る。
「そーいうのは能力があるから言えるんやっ」
ぽん、とその手を離して、佳子はにかっと笑った。
「そや。せやったら、由果の里帰りせぇへん?
行ったことないし、ウチ沖縄行ってみたいわ」
ころころと話題を変える佳子のテンポに、
「あ、それええねぇ」
と香奈恵も同意する。
「水着買わないかんね」
香奈恵の言葉が、佳子のとは若干違う雰囲気を持っているのは、香奈恵が神戸の育ちだからだろうか。
関西弁とひとくくりに云っても、大阪と兵庫と京都では異なる。
それも、由果には住んでみて初めて解ったことだった。
由果は曖昧に笑って言う。
「おばぁに聞いてみようね」
「決めたんやないし、まだええんちゃう?」
軽く佳子が返す。
「な、香奈恵」
香奈恵も笑顔で頷いて、バッグを持って立ち上がった。
「梅田行かへん? 服見たいんよ」
「あ、行く。佳子も行こう?」
由果が誘って、佳子も適当に荷物を詰めはじめた。
結局三人、お喋りを続けながら学食を出た。
外へ出ると途端に暑い。
三人で文句のような、だが冗談めかした笑いを上げつつ大学の最寄り駅である阪急・南千里駅へ行く。
乗り換えなしで阪急千里線の終点、梅田駅に到着し、三人で遊んで――夜に至る。
◆◇◆◇◆◇
佳子は家の手伝いがあるから、と夕食前に帰った。
香奈恵とは乗る電車が違うため改札を入ったところで別れた。
入ってきた電車はしばらくして、発車してしまった。
周囲に人はなく、男の視線はまだ定まらない。
「あの、大丈夫ですかっ?」
もう一度問う。
由果とおおむね、同年代くらいに見える男はぼんやりとした目で由果を見つめ、
「あ……んん」
と意味を成さない音で応える。
呆けたように首を傾げる様に由果は、先程の呟きをより確信したのか「よしっ」と頷いた。
人を呼ぶとか駅員を探すとかより前に自分のデバイスから電話のアイコンを選んで電話をかける。
耳元で鳴るコール音に「お願い、出て……」と祈るように呟く。
十数回の呼び出しののち、
『――はい?』
と、相手が出た。
「ああっ、おばぁ。
こんな時間にごめんなさい」
『いいさぁ。どうした?』
電話の相手は、由果の祖母だった。
由果のモニタには『おばぁ』と『sound only』と表示される。
「あの、いま目の前で『
『
電話の向こうの声は、老いはあるものの張りと力に満ちている。
祖母――
男はぼうっと、駅の天井を見上げていた。
「でも、ついさっきまで普通に歩いてたし、それに――」
『聞こえた?』
安喜代はさすが、通じるものがあったようだ。
由果はこくっと頷いて、音声通話のみになっていることにあらためて気付いて苦笑する。
「うん……そんな気がした」
『それなら『
「でも、どうしたらいいの?」
由果は困惑に満ちた声で、安喜代に頼っていた。
「ちゃんとしたやり方、知らないよ――」
マブイ、とは魂のことだ。
人の体にはおおむね七個の『魂』があり、強い衝撃やショックで落としてしまう、と云われている。
魂を落とすと体調を悪くしたり、腑抜けたようになってしまう。
そのことを『
由果が情けない声をあげていると唐突に、由果と安喜代の通話に割り込んできた声があった。
『この感じ、
睦美、は由果の母の名だ。
大学の研究員から離島にある医療施設に転籍し、とある研究に従事していたのち、他界したのはもう数年前のことになる。
「だ、誰――?」
いきなりのことに、由果はそう呟く。
その声は合成音声のようだった。
やや低めで早口気味の男声で、自然な調子ではあるが、肉声とは違う響きがあった。
『これ、あんたは大人しくしてな』
『って、睦美さんの娘、困ってるんだろ?
俺が行ってやるよ』
電話の向こうで、安喜代と知らない声が喋っていた。
『あのね、あんたは出なくていいの』
『このまま、おばぁのパソコンで
――なぁ、困ってるんだろ? それも『
知らない声はそう、由果に話しかけてきた。
「え、う、うん。この人助けたいんだけど――」
『な。
俺に任せなって』
『それじゃ由果の修行にならないんだよ』
溜息混じりにそう言った安喜代はしかし、
『でも……』
と続けた後、
『いいかも知れないね、それも』
何か思いついたような笑み混じりの口調で、謎の声と由果に言った。
『行っといで。ただし――』
由果のモニタ内で、アイコンがちかちかと点滅した。
『あんたはあくまで『手伝い』だよ、ククル。できるだけ由果にさせること。いいね』
「お……おばぁ?」
由果の戸惑いは少しも納まらないままだったが、安喜代と『ククル』という名らしい者の間で話はまとまったようだった。
『じゃあ由果ちゃん、そっちに行くから』
ククルがそう言うと、由果のモニタに『ダウンロードを開始します』というタグが現れ、時間を示すゲージがじりじりと動き始める。
「え、え、えっ、何?」
『受け取るといいさ。役には立つよ。
ただし頼りすぎないこと。
じゃあね、あたしゃ寝る』
通話が切れた。
「え、ちょっと、おばぁ!?」
一分強でダウンロードが完了した。
と、
「由果ちゃん、よろしくなっ」
さっきまでよりクリアな音で、『ククル』の声がする。
由果のモニタの中に、何かが現れていた。
三から四頭身くらいだろうか、大きめの頭に丸い目鼻と厚い口、はみ出た犬歯、長い巻き毛は鬣のように頭部を囲み、また同様の長巻毛が四つの足の甲と、尾ていから伸びている。
愛嬌のある笑顔を見せたその姿はまるで沖縄でよく見る、魔除けの神獣――
「し……シーサー?」
「格好いいだろ」
モニタの中のシーサーがぐわっ、と笑った。
シーサーは由果の眼前で力無くぐったりしている男を見て――どうやら、このシーサーはモニタの中を自由に動くことができ、またモニタの視野に入っている情報やネットを通じて得られるものを扱えるようだ――数度頷く。
「確かに
こいつは、由果ちゃんの彼氏か何か?」
シーサーは表情豊かに笑った。
「ええっ? ううん、知らない人だよ」
由果にとっては意外だった質問に、由果は即座に首を振る。
「それで助けようって、随分とお人好しだな。
――まぁ、そういうのは嫌いじゃない」
「あ、あなたがククル? それでえっと――」
「詳しいことは後でな。
とりあえず、コイツをインストールする」
シーサー――ククルがそう言うと、由果のモニタに『インストールを開始します』というウィンドゥが一瞬開いた。
十数秒ほどでそのインストールが完了し、モニタの隅に並ぶ常駐ソフトのアイコンが一つ増える。
曲がった涙滴型のアイコンから『魂視を展開します』という表示が出た。
ククルが言う。
「さ、これで
「ど、どうやって?」
ククルは後足で立ち上がった。
「見回してみな」
言われた通りに由果が男から視線を動かす。
百八十度回ったところに、それはあった。
「な……っ、これ、なにっ?」
由果が驚きの声をあげる。
案内のタグやポップアップ情報などではない、青白い煙のようなもやっとした塊が、モニタの中で浮かんでいた。
由果がモニタを除けてみると、その塊は見えなくなる。
モニタ位置を戻すと再び、青白いものが現れた。
一メートル少々、由果から離れているだろうか。それくらいの場所で漂っているように見える。
ホームの上を浮いているような転がっているようなフワフワした動きだった。
「おお、これこれ」
画面の奥にククルは走ってゆき、その青白い塊の隣で足を止めた。
「こいつがおそらく、そこの彼の落とした
由果ちゃんの話だと落としたばっかりのようだから、間違いないだろう。
早速、マブイグミ、始めようか」
ククルは大きな口いっぱいに笑い、由果を促した。
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