02/マブイグミ(1)
モニタの中で立体感のあるシーサーは四つ足で、由果の近くに戻ってきた。
手が届きそうな雰囲気で、由果は画面に入るよう自分の右手を伸ばす。
指先がククルの頭に触れそうなところで、ククルが頭を上げた。
映像のはずのククルの頭が由果の手を押す感触がぴりっと伝わり、由果は目を丸くする。
「気になることは後で教えるから、ほら」
「あ――うん」
ヘッドフォン越しの声に言われるままに由果は、ホームの点字ブロックの上で漂っている青白い塊におそるおそる近寄った。
周りがもやっとぼやけた、ドッジボールくらいの球体を両手で包むようにする。
「そんなに怖がらなくてもいい」
由果の手と球体が重なった。
胸元に手を寄せると、球体も由果の胸に近寄ってくる。
それを持ったまま由果は男の所に戻り、青白い
「これ――あなたの
しかし男はそれを虚ろな瞳で見つめるばかりで、反応を示さない。
「由果ちゃん、言葉は解るだろ?」
ククルに言われて、由果は画面内で男の傍に行っていたその姿を目で追った。
「えっ? 言葉って……『まぶやー、まぶやー』っての?」
「その前後は?」
由果は目を丸くした。
「前後があるの?」
ククルはにっ、と笑った。
「せっかくだから、ちょっと丁寧にやろう。
そいつを彼の上に置いてやって、俺に続けて」
由果はその通りに、腰を下ろして青白いものを男の腹の上に置き、両手を合わせた。
ククルが操作したのか、涙滴型のアイコンが点滅して由果と男の間に細長いものが現れる。
線香だった。画面の中にそれは浮かび、紅い光が灯された。
十二と三本の線香が並ぶ。
「まずは『
いいか?――『マブヤーグミ スグトゥ マーンカイウティトーティン』」
ククルが言い、由果がそれをなぞる。
由果が丁寧に言葉を紡ぐと、男の上の靄珠がぴくりと動いた。
「――『マブヤー マブヤー ウーティクーヨー』」
ククルは親切にも、由果のモニタに文字表示した上で言っていた。
由果が言うと、男の上のものは円を描き始めた。
「もう一回」
由果が続ける。
男の上の靄が円周を徐々に小さくしてゆく。
「もう一度だ、由果ちゃん」
由果が三度目の言葉を唱えると、青白いものはすうっ、と男の中に入っていった。
「うん、上手くいった。
魂見つけた上でやってるから、これくらいでいいだろう」
ククルが言う通り、しばらくすると男は咳き込むような呻き声を上げ、目を数度しばたいた後、焦点のあった視線で由果を見た。
「あ……あれ?」
「大丈夫ですか?」
何度目かの問いかけに、男は不思議そうな顔で頷いて体を起こした。
「一体……何が?」
由果はほっと息を吐く。
ククルが視界の邪魔にならない、画面の端へ行った。ちょうど、ホームにちょこんと座るような格好になる。
由果の手を借りて立ち上がった男はベンチまで移動して、由果と並んで座る。
隣から覗き込んで、由果が尋ねる。
「あの、意識ハッキリしてます? 自分のお名前、わかります?」
男は頷いて、
「ああ。僕は――
あの、僕がそこに倒れてたのは、何があったんです?」
大阪弁だった。
名乗って、自分の荷物とデバイスを確かめる。
「あなたが助けてくれた、ってことですか?」
ええまあ、と曖昧に頷いた由果はモニタをアームに戻してから、デバイスを肩に預けた。
ククルの姿が由果の視界から消える。
「今までにもこういうこと、あるんですか?」
「いや――あいにく頑丈な方らしくて、こんなことは」
南場は左右に首を曲げて骨を鳴らす。
「そうですか。
なんにせよ、治ってよかったです」
由果は緩い笑顔を見せた。
「あ……ありがとうございます」
首を傾げながらも南場は由果に礼を言って、
「僕、どうなってたんか教えてもらえます?」
と、いまだ合点のいっていない表情を由果に見せた。
電車が入ってきた。
各駅停車
それを見て、
「とりあえず、電車乗りましょうね」
由果が荷物を抱え直して、立ち上がった。
弱冷車の肌触りのいいシートに腰掛けて、由果はとりあえず名乗ってから、
「えっと……
簡潔に言った。
「まぶい……おち?」
「えっと、沖縄では魂のことを『マブイ』って言うんです。それが人の体から抜け落ちるから、マブイオチ」
由果は空中に指で字を書いて説明する。
「沖縄?
それは、『ここ大阪やんけ』っていうツッコミ待ち?」
「まさかっ。
ええっと、何て言うか――そう、概念の違いで、根本は同じだはずなんです」
電車がゆっくりと発進した。
南場は納得した印象の薄い顔色で、それでも相槌をうつ。
「魂を落とすと人は呆けたようになったり、体おかしくしたりしてしまうんです。
あの、南場さん、さっきホームで何か――すごくびっくりしたりとか、しませんでした?」
「? いや……動画見てただけやから」
電車は深夜になっても明るい梅田の街を抜け、橋を渡る。
軌道を踏みしめる響きが鈍くシートに伝わっていた。
「動画? どんなのですか?」
「――そんな、驚いたりするような物やないですよ」
どこか気まずそうに南場は、デバイスを畳んでディパックにしまう。
「それで安里――さんは、その落ちた魂ってのを戻してるんですか」
「実を言うと、南場さんが初めてです」
由果は小さく舌を出した。
「変な人だとか思ってません?」
「ちょっとは。
でもさっき、意識トんだのは確かやし……」
由果の指摘に、南場は苦笑した。
「助けてくれたのもそうやし、まあ――信じます」
電車が
「安里さんは、沖縄の出身?」
由果は微笑んで頷く。
いくらか乗客が入り、人が増えた。
「南場さんはどこまでですか?」
「正雀。安里さんは?」
「次の次です。
二人とも乗り換えのないことを確かめて、軽く座り直す。
南場は興味の強い目で由果を見ていた。
「安里さんは、大学生?」
「はい。二回生です」
「あ、そうなんや」
終電は順調に淡路の次、
淡路から上新庄は二キロほどの距離だが、相川までは近い。
由果は南場の様子に「もう、大丈夫そうですね」と荷物を持ち直した。
流れる景色を追う由果に、南場がやや早口で言った。
「あ、あのさ――もっと話したいんやけど……」
由果は少しきょとんとして、それから笑顔を見せて首に巻いたままだったデバイスを取り、モニタを下ろした。
「じゃあ、アカウント出しましょうね」
南場も慌てて荷物からデバイスを出して起動する。
簡単な操作でお互いのSNSアカウント情報を交換したところで、電車が相川駅に到着した。
「それじゃ、お気を付けて帰ってくださいね」
開いた出口に向かう由果に、南場も腰を浮かせる。
「送ろうか――」
「駅から近いので、いいですよ。
おやすみなさい」
扉が閉まる直前に由果は飛び出し、振り返って笑顔で南場に手を振った。
電車が滑らかに発車する。
相川の次の駅が正雀で、二キロ少々の距離なのだが、
由果は改札を出てからデバイスを装着し直した。
「いい結果だったんじゃないか?
あの男の下心はともかく」
モニタの隅に相変わらずいたククルが笑っていた。
「やっぱり?」
由果も苦笑して、駅の東口から出て放射状に伸びる道の一本に入る。
「ちょっと、そんな気がした。
でも胡散臭く思われたくないし、難しいね」
日付の変わった街は暗く、昼の陽光が灼いた空気が残熱となって漂っていた。
相川駅周辺は学生向けのマンションなども多く、由果はその内の一つに住んでいる。
駅から歩いて十分弱。途中にはコンビニもあり、利便は悪くない。
由果は年期を感じさせる建物に入る。
築三十年を越えたこのマンションの一室が、由果の住まいだ。
「ただいまあ……」
エレベーターで四階まで昇り、真っ暗な部屋にそう言って入って明かりを点ける。
玄関からは細く短い廊下が伸び、左右に洗面所とキッチンがある。
その奥にひと部屋。部屋とキッチンはカウンターでつながっている。
部屋は適度に広く、机とベッドと本棚、それにキッチン傍にテーブルがある。
机の上にはノートパソコン。
低めの本棚にはテキストや漫画や文庫本が適当に並べられ、本棚の上には焼き物のシーサーが鎮座していた。
ベッドの近くにある戸の向こうはクローゼットになっている。
由果はベッドの上に買い物袋とバッグを放った。
「ここが由果ちゃんの部屋か」
ククルが画面内を見回していた。
「えっと、ククル?
パソコンにつなごうか?」
「いいよ。移動させてもらう。
その方が話しやすいだろ」
由果が頷いて、ノートパソコンを起動して細いケーブルでパソコンとデバイスを繋ぐと、デバイスのモニタからククルの姿が消えた。
数秒後、パソコンの画面に現れる。
そこまで見てから由果はキッチンへ行き、作り置きの麦茶とコップを取ってきた。
「詳しいことは後で、って言ったさぁね。
ククル、教えてよ」
上着を脱いでキャミソールとスカートという格好になった由果がパソコンの前に座る。
「まず、キミとお母さんの関係は?」
ククルは画面の真ん中でまっすぐ座り、由果を見上げた。
「俺は、
パソコンのスピーカーを震わせて、ククルが言った。
◆◇◆◇◆◇
「睦美さんが
ククルはまず、そう切り出した。
「精神医療の施設だよね。『与論ちむぐくる院』だっけ」
「そう。大学で脳波研究をしていた睦実さんは志願して転籍した。
睦美さんは医院の中に擬似空間を作って、その中で病に冒された人の精神を癒すために、画期的なものを取り入れたんだ」
それが、とククルは由果のパソコンに画像を数枚、表示させた。
写真のようだった。
最初はベッドの上で大型のヘルメットのようなヘッドマウントディスプレイをかぶって横たわっている人。続いて白衣の女性とその奥にパソコンが写っているもので、その画面には何か青白い球体が表示されている。
次の写真では画面内で青白い球体だったものは人だったり動物だったりと、具体的な形状を成していた。
他には病院をバックに、花束を抱えた青年と握手している白衣の女性など。
中心に写っている女性はすべて同一人物だった。
由果が呟く。
「お母さんだ……」
バストアップで写っていた白衣の女性の胸元に『安里』と書かれたパスが下がっていた。
ククルが続ける。
「魂のデータ化――視覚化、だ。
患者達の精神を擬似空間内で具現化して、あたかもそこに『生きている』ように表示したんだ。
アバターより遙かに膨大で個人的な情報を有した『魂』が電脳空間内で独自の治療を受け、病んでいたり心閉ざしていたのが現実に復帰した例も少なくない」
「それがさっきの――?」
「視覚化プログラムな。睦美さんは『
「それで、ククルは?」
「オレはその擬似空間内で、治療スタッフのアシスタントをするために作られたコミュニケーションペットアプリだ。スタッフ一人に一体ずつ作られた。
俺が記念すべき第一号。
でも、睦美さんが――あんなことになったあと、俺は新たなアシストの役目をもらうことなく、安喜代ばぁに引き取られたんだ」
「だから、おばぁとの電話に割り込んできたの?」
「ヒマすぎて死にそうだったんだよ」
由果はくすっと笑った。
「安喜代ばぁが話してる雰囲気が睦美さんに似てて、ピンときたんだ。
睦美さんには娘がいた、って」
「そんな話もお母さんとしてたんだ」
「時々ね。
で、これは退屈の檻から脱出するチャンスだと思ったね」
ククルはにやりとしてから、パソコンを見回した。
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