02/マブイグミ(2)
「ところでさ、由果ちゃん。
コイツを3D投影にしたりするつもりはない? そうしたら俺も画面の外に出られるんだけど」
「ええ~っ、高いさぁ」
「そうかな? ほら――」
ククルは言うと、ブラウザを勝手に開いて由果に示した。
「実売、かなり下がってきてると思うよ。
――ていうか、ショートカットも多いし、ブラウザのブックマークは雑多だし、ちょっとは整理した方がいいんじゃない?」
由果が頬をやや赤くした。
「み、見ないでよ!
勝手にイジったらアンインストールするからねっ!」
ククルは笑って首を振った。
「わかった。誓ってしないよ」
由果はコップの麦茶を飲み干して言う。
「当たり前よぉ。プライバシーの侵害さぁ。
あ、それと『ちゃん』付けも禁止っ」
「どうして。可愛いじゃないか」
「なんか、くすぐったい」
それでも由果は引き出しから預金通帳を取り出して、残高とのにらめっこを始めた。
「う~ん……今度、
「優しいね。そういうところは実に睦美さんに似てる」
「そ、そうかな。なんだか嬉しい。
そういや、さっきの写真の青白いの、球だったのが色んな形になってたみたいだけど、あれも治療?」
「そう。患者さんのなりたい形にしてたんだ。
魂については睦美さんもまだまだ研究中で、不確かなことが多いんだけど――少なくとも、あの中ではうまくいってた」
「というと――外では何かあるの?」
「落ちた魂は放っといて自然に戻ることもあるけど、たまに――周囲に悪影響を及ぼすことがあるんだ。
睦美さんはそれを『
「霊障……?」
「落ちたまま戻らなかったり、肉体が死んでしまったものが起こす現象の総称。
昔からある『霊現象』も大雑把にはこの類じゃないか、と睦美さんは位置づけてた。
特にこれだけネットワークが広がった世の中では、より大変な事態になることを危惧してたんだ」
「霊とネット、ってなんだか関係なさそうだけど」
「むしろ肉体の中にいるより、電気的に自由なんだ。
今のところそんな大事になったことはない――事件なんかも、聞いたことないだろ?――けど、何がきっかけで霊障を起こすか、はっきり解明できてないままなんだ。
何かが起こる可能性はゼロじゃない。
そういう事では由果ちゃ――由果さんが、マブイグミをやったのはとてもいいことだよ」
お人好しだとは思うけど、と付け加えてククルは大欠伸を一つした。
「で、もうこんな時間だけど――明日、大丈夫?」
「ええっ?」
言われて由果は時計を見て、口に手をやった。
深夜二時を過ぎていた。
「うわぁ……びっくりしたよ。
もう寝ようね」
と、手早く麦茶を片付けはじめる。
「それがいい。
また、判らないことがあったら聞いて。知ってる範囲で教えるよ」
「うん、ありがとう――そうだ、ククル?」
何? と画面内のククルが立ち上がっていた由果を見上げる。
「私の所に来たのって、マブイグミ教えてくれるためだけ?」
「そう言われるとツラいなぁ」
ククルは苦笑のような口角を見せた。
「マブイグミの手助け、ってのは本当だけど、
そうだな――退屈で退屈でたまらなかった安喜代ばぁの所より、楽しくなりそうな予感、かな」
由果はククルのげんなりとした表情に笑顔を向けた。
「いいんじゃない? じゃ、これからよろしくね、ククル」
◆◇◆◇◆◇
こうして、ククルが由果のもとに来てから数日後。
由果は、ミナミ――心斎橋に出かけていた。
所属しているゼミでの研究活動の一つだったのだが、それも夕方前に終わって、皆で軽く食事をしたあとお開きとなり、由果は一人で歩いていた。
残念なことに、佳子や香奈恵とは違うゼミだった。
難波駅でゼミの仲間と別れ、すぐ近くにある大型家電量販店に向かう。
店の手前で、バッグから取り出したデバイスを耳にかけて起動すると、ククルが画面隅で丸くなっていた。
起動音に気付いたように頭を上げる。
「おはよう、由果さん」
すっかり慣れていた。
「もう夜だよ」
「昼間ずっと立ち上げててくれたらいいのに」
「そんな、バッテリー保たないさぁ」
由果が呆れた顔を見せる。
「着信来てるよ」
と、ククルが画面下のSNSアイコンを示した。
由果がアイコンを確認すると、確かに一通受信している。
先日の男――南場からだった。
「あとでいいかな」
呟いて、由果は店の入り口にある大型ビジョンを見上げた。
ビジョンの画面から飛び出してくるセール商品の案内と、デバイスの画面に表示されるタグ広告が少々、煩わしい。
「さすが都会は凄いな」
次々に現れる広告を見回して、ククルが関心したような声を出す。
「人も多いし、何かイベント、ってわけじゃないよな」
「うん、これが普通。
ちょっと……まだ慣れないさ」
由果は自嘲するように笑って、フロア案内のタグを選び出して開いた。
「えっと、パソコンパーツでいいのかなぁ……」
その時だった。
由果の後ろで、重いめの音がした。
驚いて振り返ると――ひとりの女性が、膝をついていた。持っていたらしいバッグが落ちていて、さっきのはその音のようだ。
由果はとっさに駆け寄って荷物を拾い、声をかける。
「大丈夫ですかっ?」
ところがその女性は虚ろ気味の瞳で由果を見上げ、小首を傾げた。
その様子に、由果の眉が寄る。
「
「そのようだね。この前のほど酷くはないようだけど」
ククルが短く応じる。
「でもこの前のといい、そんなに起こることじゃないと思ってたんだけど、何かあるのかな」
「だからよね。
何か原因みたいなのがあるんなら、探ってみるべきかな……」
由果は女性をすぐ近くの柱に引いて、もたれさせた。
落ち着いた色のジャケットと膝丈のタイトスカートといった格好のその女性は由果よりやや、年上のようだった。バッグからこぼれ落ちた化粧品を集め、バッグに戻して彼女の脇に置く。
ちらっと様子を見る人もいるが、皆足早に移動していて、気に留める人はそうそう、いそうにない。
由果ひとり、しゃがんで彼女の具合をうかがっていた。
「都会は冷たいね」
ククルが軽口を叩く。
彼女はやはりヘッドフォンと透明モニタが一体となった『Ph―D』規格のデバイスを耳に付けていた。
由果は起動中だったそのモニタを収納してヘッドフォンをずらし、
「マブイグミしようね。
でもほんと、気になるよ……。
私の力が役に立つなら、調べてみるのもいいかも知れないよね」
とククルに言う。
「ホントに由果さんは人がいいね。
――やり方はもう、解ってる?」
「ええっと――ちょっと不安。
言葉、だよね」
「その前に
「あそっか。えっと……」
「これ」
ククルが由果のモニタ右下のアイコンを示して、由果は頷きながら起動する。
『魂視を展開します』
とタグが数秒浮かんだ。
由果が腰を上げる。
どこか微妙に色の変わったようにも思える周囲を見回す。
浮かんでくる広告タグを消しながら、ぐるりと一周ゆっくり観て回るが、先日のような青白い靄の珠は見当たらない。
「え、えっ?」
由果は周りと彼女を見比べて戸惑いの声をこぼす。
「どこかに転がっていってしまってるのかも。
探しに行く?」
「だからよ……」
由果は彼女に心配そうな目を向ける。
彼女の目の前に再び腰を下ろして、声をかける。
「あの、私の言うこと、わかります?」
「……う、ん?
なん、だか――ボーッとする……どう、したん、ですか?
あれ? 私、駅行かなきゃ――」
切れ切れにだが言葉を返した彼女に多少胸をなで下ろして、由果は立ち上がった。
「ちょっと離れますけど、動かないでくださいねっ」
と、踵を返す。
「ククル、探せる?」
「できるだけやってみるけど……」
きょろきょろと、由果とククルは夜の街を見て回る。
人にぶつかったりしつつ、家電量販店から駅へ向かう。
「人多いなぁ……見つからないよぉ」
「うーん……見つけられなかったらないで、マブイグミできなくはないけど」
「そうなの?」
由果のモニタの中では、ククルは人の多い交差点の端に座っている。由果が動くとそれに合わせて走り、ついてくる。
交差点の反対側は難波駅。駅は地下鉄やその他数路線と交わっており、地上から上は百貨店につながっている。
「でも、見つけた方がいいのは間違いないよ」
交差点の客引きをかわして百貨店側に向かう。
一階部分は銀行になっているが、シャッターが下りている。
『本日の営業は終了しております。ATMは20時までご利用可能です』
と、銀行のロゴが入ったタグが浮かぶ。
それを消した視界の隅に、由果はそれを見つけた。
「ククル、あれ――」
「おっ、ビンゴ!」
物理的な位置では数メートル先の、百貨店の先から駅へ接続する入り口にそれはあった。
売店から地下のショッピングモールへ行くエスカレーターに向かって、その青白いものはゆらゆらと転がってゆく。
「わっ、待って!」
「任せてっ」
ククルが走る。
落ちた『魂』らしいその蒼珠にククルが前脚を伸ばして飛びつこうとして――ひゅっ、と『魂』が飛び上がった。
勢い余ったククルが数度前転で転がり、エスカレーターの手前で止まる。
魂が跳ねたのは、自らの力ではなかった。
ぽん、と杖のようなもので弾き上げられた先に――少女がいた。
「だ――誰?」
ちょうど、由果とククルの間に位置した少女は魂を持って、由果を見た。
冷めた瞳だった。
由果と同じようにモニタの付いたヘッドフォンを耳に
制服なのだろうセーラー服姿で、片手に長い杖、もう片方には拾い上げた魂があるのが、由果のモニタに映っていた。
少女の背丈と同じくらいの杖は一方の先端に黄色い珠を
小柄で日に焼けた健康的な肌とくっきりした目鼻立ちで、ならそうという雰囲気のない短めのクセっ毛が跳ねている。
小さなリュックが腰の後ろにうかがえる。
由果がモニタを上げると、ククルと同時に少女の持つ杖と魂も消えた。
「それを――どうするつもり?」
一歩、近付く。
モニタを目の前に戻す。
少女の杖が由果に向いていた。
「なんで――見えてるんだ?」
モニタ内で由果の傍に戻ってきたククルが呟く。
「ねえ!」
強めに由果が呼びかける。
睨むように由果を見ていた少女の眉間に皺ができた。
「――
訝しげに言う声に、怒気が帯びた。
「どうしてこんな所にいるのさっ!」
由果は戸惑う一方で目を丸くするが、
「私の名を知ってるの?
ていうか、それ返してっ!」
と、少女の手にあるぼやけた球体を指差す。
「
びゅっ、と空気を切りそうな勢いで杖を振る。
その声が、由果の記憶に触れた。
少女が手にした魂を杖の先端にあてがうと、青白いものが珠に吸い込まれるように消えていった。
ククルが少女の掌に飛びかかろうとするが、少女はそれをいなして由果に背を向けた。
リュックが揺れる。
「もしかして――
しかし由果の問いに答えず、少女は地下鉄の駅に向かって走り去った。
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