マブイグミの巫女

あきらつかさ

プロローグ/彩


 沖縄・宜野湾ぎのわんにある嘉数かかず高台公園からは、高い建物の少ない住宅地を挟んで広大な土地を望める。

 地球儀を模した展望台からは数キロ離れたその地を観ることができるが、かつての頃と違いそれを目的にここを訪れる人はほとんどいない。

 フェンスの向こうの土地には、昔は滑走路があった。

 すったもんだの挙げ句にその施設が移転されてからしばらく国の管理地だったそこに民間企業の工場が建ち、ひとときの隆盛を見せたこともあったが、今や見る影なく廃れている。

 人の働いている様子はなく、再開発も撤去もされないまま、ただ朽ちてゆくのみ、緩慢な死を待つ老体のように、潮風と陽光にその姿を晒している。

 高台公園はというとその工場跡よりももっと旧い、一世紀弱の時を経た戦争の痕を今も残し、風化しつつはあるが破壊されたトーチカや慰霊碑が設けられている。

 各地に残る爪跡の中でも、最も激戦地だったと云われる『第七○高地』である。

 今はそういった残された記憶の他、遊具も建てられ、蒼穹そうきゅうの下亜熱帯の風を感じられる空間となっている。

 この日、展望台近くのベンチに座り、見るともなくといった表情で雲の流れを眺めている少女がいた。

 やや鼻筋の通った、まだ十代半ばの幼さの残る顔立ちだった。睨みつけているようなキリッとした吊り目がちの瞳に何かを決心した光が宿り、真一文字に結んだ唇からもその意思は滲み出ている。

 やはり成長途上らしい細めの身体は膝上のシャツワンピに緩く包まれ、日によく灼けた肌を覗かせている。

 無造作に伸びた黒髪が肩の上で跳ね、その首に少女は不釣り合いかとも思える大きめのヘッドフォン状のものを巻いていた。

 ステー部分に厚みのあるクリアプレートが付いている、ボディの真中がくり抜かれたようなメッシュになったそのヘッドフォンが、小刻みに震えていた。

 少女は面倒そうに眉をひそめてヘッドフォンを一瞥し、片方だけ耳に押し当てた。

「――はい」

 不機嫌そうに言う。

 ヘッドフォンは、携帯電話になっていた。

 スピーカーの向こうから微妙に怒気をはらんだ声が少女を呼んでいる。

「ん、わかってる、戻るから……」

 少女はいかにもぶっきらぼうな口調で答え、通話を終えたらしくヘッドフォンから手を離した。

 ヘッドフォンがまた、少女の肩に落ちる。

 少女は長い溜息を吐き、膝を立ててその間に頭をうずめた。



 言いだしたのは確かに、彼女からだった。

「内地に行きたい」

 と。

 高校受験の願書受付が締切ギリギリの頃、そんなことを言った。

 受験準備も何もせず、どうするんだと詰問されてぼそりと口にした。

 彼女が腫れ物のように――それは彼女が得た『力』のせいもあるのかも知れないが――厄介者のように扱われ、どこか疎まれていることは彼女自身、薄々気付いていた。

 他者と比較されて「ウチのは――」と電話でこぼされているのを聞いたことも、一度ではない。

 だからか、彼女がそう言ったときに保護者が見せた、驚きの後わずかにほっとした表情の変化を見逃すことはなかった。

 保護者といっても、親ではない。

 親等の近い親戚だ。

 大阪なら遠縁の誰々がいるから、とかそんなことを言って早々に連絡をとって、半ば強引に了承を取り付けたのは彼女がそれを言ってから、わずか数日の間だった。

 その大阪で、彼女が受験できそうな学校へすぐさま願書が送られ、試験のために一度大阪へ行き、結果合格した。

 多くない着替えやパソコンなどの荷物はトランク一つにまとめられ、すぐにでも出発できる状態になるのに合格通知を受け取ってからわずか数日。

 片道だけの飛行機のチケットが用意され、言い出しただけで彼女自身はほとんど何も手伝わず、あれよあれよとしている間にすべて整っていった。

 内地はまだ、あの受験のときのような寒さなのだろうか。

 桜は咲き始めているのだろうか。

 こちらの日差しはもう空気を灼き、肌に重くまとわりつく強さになりつつある。

 十数年慣れ親しんだ熱の匂いだ。それともしばし、別れとなる。

「――でも、帰ってくる」

 膝の間から地面に向かって呟く。

 ポケットに手を突っ込むと、くしゃっとした紙片に当たった。

 大阪で、世話になる相手の連絡先だ。

 この時代に、手書きのメモだ。

 無くす前にケータイに保存しておけ、と言われてまだしていない。

 なくしてしまって、大阪で当てもなく彷徨さまようことになっても別にいいと思ってしまうくらいの厭世観えんせいかんに囚われていた。

 でも、そういうわけにはいかない。

 野垂れ死ぬために内地へ行くのではない。

 もう一つ溜息をこぼして、彼女はそこではじめて下着が丸見えになっていたことに気付いて、はっと顔を上げた。

 幸い誰もいなかったことに安堵の色を見せて、膝を落とす。

 夏場のじりじりと肌を灼く熱気は嫌ではなかった。

 むしろ、最近はその中に何かの息吹を感じることもあり、楽しくもあった。

 大阪の空気は、どんなのだろうか――そんなことを空に問いながら、彼女はヘッドフォンを、今度はしっかりと耳にあて、ステーにあった透明の板を引き下ろして、目の前に固定させる。

 携帯デバイスが起動し、彼女の目の前の現実空間にクリアプレート――モニタの画像が重なった。

 ヘッドフォンの一点がチカチカと光り、彼女の手元――ちょうど腰の少し上くらいにキーボードが投影される。

 彼女が手慣れた様子でヘッドフォンの右ボディの上にある小さな突起を触ると、浮かんでいたポインタが動いた。

 空中にあるメニューから『アドレスブック』のアイコンを選んで立ち上げてから、ポケットの中で紙屑のようになったメモを取り出す。

 手際よくメモに書かれた情報をデバイスに写し終えるとモニタを頭上に戻し、ヘッドフォンを再び肩に預けて彼女は蒼い空を仰いだ。

 すうっ、と灼けた風を吸い込み、立ち上がる。

 これさえあれば、困ることはない――そんな感じでヘッドフォンを軽く撫でる。

 街並みと工場跡を見据えて、彼女はそっとこぼした。

「それじゃあ姉さんねーねー、行ってくるね。

 ――きっとあたしが、助け出すから」

 勝ち気な目尻は周囲に怒りを向けているようにも見えるが、言葉には姉への深い想いが詰まっていた。

 呼びかけた小さな声を残して、彼女は地上へ向かう階段を駆け下りていった。




 ――二〇二×年。

 とある小さな「」として処理された、少女達にとっては大きな「事件」だったこの物語は、大阪から幕を開ける――――

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