05/電脳龍(1)
「
喜色満面に彩は、姉にそう報告していた。
「そう」
澪は柔らかく微笑み、妹の話を聞く。
「弾にして撃ち出すのは、彩の能力ね。すごいわ」
誉められて素直に笑う様はまだあどけない少女のそれだ。
「人の体から直接奪い取ることはさすがにできないけど、ほんの少し削れる、それだけのつもりで作ったんだけどね」
澪は彩から杖を預かり、キーボードを出して操作を続けながら言う。
「削ったら少し、呆けるさ。
そうしてから――」
彩の杖が鈍く光る。
「この前言ってたやつ、これを使ってみたらいいさ」
光の残る杖を彩に渡し、澪は一歩、彩から離れた。
「姉さん?」
「彩だけが頼りなの」
「ん――うん」
澪は両手で彩の肩を抱いた。
「お願いね」
澪は彩をぎゅっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
電脳空間の中での、コミュニケーションのためのシンボルのはずなのに、柔らかく抱きしめられ、ヘッドフォンから
彩は澪の腕の中で何度も頷き、
「あたし、頑張るから……っ。
自分に言い聞かせるように、唱え続けた。
戎橋で由果と対決してから、二日が過ぎていた。
姉への見舞いを終えて、自室に意識を戻した彩は、デバイスのモニタに浮かんでいた杖を掴んだ。
くるくると数回回し、床に立てる。現実に
その珠が、まだ微妙に光っていた。
「今のものより……強力なもの」
姉が言っていた言葉を反芻する。
「この間由果姉ぇに撃ったのでちょっと減ってる……よね。それ補充して、人の多いところでこれ発動して……」
モニタの隅の時計を見る。
夜も遅くになりつつあった。
「これから……よしっ」
パソコンを閉じて、彩は立ち上がった。
「まだ、駅の方とか行けば人多いよね」
すぐに出ようとして、制服のままだったことに気付く。
一旦デバイスを頭から外して、上を無造作に脱いで畳んだ布団に放り、ジャンパースカートも脱ぎ捨てる。
結局いつもと変わらないタンクトップとショートパンツにジャケットを羽織って、デバイスを手に玄関まで小走りに駆けたところで――ドアが開いた。
「お、お姫様はこれからお出かけか?」
伊波清信が、彩の姿を見てからかうようににやりと笑った。
遠縁、という希薄なつながりにも拘わらず彩の居候を承諾した
彩とは三十センチ近い身長差がある。
「女子高生がこんな時間から、なんてのはあまり感心しないなぁ。
俺が言っても説得力ないかも知れんけどな」
彩の頭に手を置いて言う。
「い、いいじゃないの――放っといてよ」
「俺個人としては別にいいんだけどな」
清信の手はそれほど力を入れている雰囲気はなかったが、彩がそれを振り払って飛び出すのを抑えるには充分で、彩は抗えずにいた。
「これでも一応保護者役さ。
下手してお前に何かあったら大変するからな」
「ちょっとくらい――いいじゃん」
「お前はミナミの夜の危なさを解ってないさぁ」
清信の口調はあくまで怒っているものではなく、諭す風もない。
「やしが、俺はこれから店さ。
どうせ俺が行ったら出かけちまうんだろ?」
否定できず、彩は仏頂面で頷く。
清信は声を上げて笑い、彩の頭をぐりぐりと撫でた。
「素直だな。
よし、行くか」
彩は半ば諦めの浮かんだ瞳で清信を見上げる。
「手伝いさせる気でしょ?」
彩にとって、この数ヶ月で清信の店を手伝うことは慣れっこになっていた。
それに、店のこと以外うるさく言わない清信は彩にとって、ありがたい家主でもあった。
「よく解ってるじゃないか」
「いいけどさ……」
彩は小さな溜息をこぼして清信を見上げる。まだ頭に乗っていた清信の手を緩く払い、
「妙な衣装はかせるの、やめてほしいさ」
「それぐらいサービスしてくれよ。この前の着物とか、人気さぁ」
「そーいうのが嫌なのっ」
清信がからかい彩が不機嫌気味に返す、そんなやりとりをしながら結局、二人そろってマンションを出た。
◆◇◆◇◆◇
由果が彩との争いに負けた、その三日後。
由果は佳子に誘われて、新今宮近くのお好み焼き屋にいた。
佳子の実家である。
食事を条件に昼時の手伝い、という一人暮らしの由果にとって助かる申し出で、佳子と知り合ってからたまにこうして手伝いをしている。
『ゑびす』というその店はそれほど大きくはなく年季の入った店構えで、昔ながらの佇まいが味わい深い雰囲気を醸し出している。
カウンターと、数卓のテーブルという構成だ。広い鉄板が入っていて、基本的には客が自分で焼くようになっている。
頼めば佳子が焼くこともあり、教えてもらっていつしか由果も焼けるようになっていた。
『ゑびす』のお好み焼きは昔ながらの豚玉、イカ玉、モダン焼きなどの定番はもちろん、人気に合わせて様々なトッピングメニューを組み合わせることができ、注文は多岐に渡ることが多い。
ソースは甘口、中辛、辛口と『どろ』の四種類、シンプルなマヨネーズと削り節、青海苔が常備されている。
豚玉の肉は薄切りのバラ。
好みで山芋や葱を追加できる。
さながら戦場のような昼が過ぎ、夕方の仕込みに向けて一旦『支度中』にした店の中で、由果はようやく一息つくことができた。
テーブルの皿とコップをカウンター奥にいる佳子に渡し、由果はそのままカウンター席に腰を下ろす。
「お疲れ、由果。おおきにな」
佳子が爽やかな笑顔でカウンターから店内に入ってきた。手には具材の入った椀がふたつと、ウーロン茶の長いグラスの乗った盆がある。
「今日も助かったよ」
カウンターにはあと、佳子の両親がいる。
「ウチが焼いたるから、お昼しよっ」
佳子がテーブル席に由果を誘う。
「ん……にふぇーどー」
席を移ってウーロン茶を受け取り、半分くらい一気に空ける。「ありがとぉ」と言い直して由果も笑った。
「いつもながら、すごいね」
佳子は「今日はちょっと多かったね」と手際よく椀を掻き混ぜながら言う。
豚肉をまず焼き始め、その上によく混ざった具を流す。
「由果は今日あと、何か予定してる?」
「ん~……考えてなかったけど、ちょっとウロウロしてみようかなぁ」
「いい天気やし、それもええね」
形を整え、程良く片面の焼けたものを大きなテコひとつでひっくり返す。
「天王寺公園の方、行ってみる? 通天閣も近いし」
「あ、いいかも」
「決まりっ」
焼けてきた表面にテコで軽く切れ込みを入れながら、佳子はカウンターに向かって声をかけた。
「ぉ父ちゃん、夜手伝わんでええ?」
会話の聞こえていた佳子の父は苦笑で応える。
「飲みすぎんなや。それと、あっち行くんやったら新世界の『あんじょう』のタツにツケ払え、言うといて」
「いつ行ってもおらんやん、あのおっちゃん」
「たまにおる。見つけて足
「どこのビリケンさんやねん」
「水虫が
「いらんわ! それにゴハン作ってるとこにばっちい話せんで、もぉ……」
やりとりしながらも、佳子の手は休みなく動く。
「由果は細マヨ派やね? ソースどうする?」
「あ、どろで」
「わかってきたねぇ」
佳子はにかっと歯を見せて、焼き上がった一枚に辛さが評判の『どろ』ソースを塗って鰹節をまぶす。
マヨネーズのボトルを、口を下にして一度強く振り、蓋を開けて小気味よく左右に振って数十条の細いマヨネーズの筋を描いた。
「ほい、豚餅明太スペシャルお待ち遠っ」
遅い昼食を終えた由果と佳子は、天王寺公園に向かってぶらりと散歩に赴いた。
公園の手前に、建物の間から飛び出したレールが巻き付いているような施設が静かに建っている。
フェスティバルゲートだ。
一九九七年の開業からわずか十年で営業終了した小さな遊園地で、東隣の温泉施設のみが営業を続けている。
再建も撤廃も叶わず、ゴーストタウンのような様相を呈している。
「ちっちゃい時に行ったらしいんやけど、あんまり覚えてへんわ」
由果に紹介しながらどこか寂しそうに佳子が言い、それを横目に阪神高速の高架に向かって歩く。
天王寺公園は新今宮から行くと新世界ゲートが近く、フェスティバルゲートより数倍はある敷地の中には市立美術館や動物園もある。
公園の南側は水上ステージや花の見所、小径が伸びていて、夏場の日差しの中親子連れなども多かった。
売店で飲み物を買った二人はのんびりと天王寺駅方面へ向かって、他愛ないお喋りを続けながら歩く。
「そういや由果、最近メールしてるのよく見るけど、カレシとかできたん?」
佳子が話題を変えた。由果は目を丸くして即座に否定する。
「ううん、そんなんじゃないよ。最近ちょっと――お世話になっただけさ」
「ふぅ~ん」
楽しそうに探るような目で由果を覗き込み、佳子が笑う。
「そっから恋に発展するかも知れへんし、よさそうやったら紹介してな」
二人は小径を一周してから公園を出て、道路を渡って通天閣方面へ行く。
その、二代目になる展望塔の界隈にさしかかったところだった。
「な……なにこれ」
佳子が言葉を絞り出す。
通天閣周辺は観光客も、古い店も多い。
その路上に、人々が座り込んでいた。近隣の人が呑んでいるのではない。
老若男女、あちこちに呆けたようにへたり込んでいる人がいた。
「行ってみよっ!」
二人で通天閣に向かって走る。
展望台の入り口になっている一階部分でもやはり、気力を削がれたような表情の人々が至るところにいた。
ヘッドフォンデバイスを装けているものも、そうでないものもいる。
「まさか……」
由果が呟いて周囲を見回し、通天閣の中程に人影を発見した。
急いでデバイスを耳に架け、ガラスの向こうに見えたその影を拡大表示する。
セーラー服に跳ねたクセっ毛、日焼けした肌、起動させたヘッドフォンデバイスごしに、地上を見下ろしている。
「由果さんっ」
ククルが起きる。
佳子が由果を見て、同じようにヘッドフォンデバイスから展望台を見上げる。
「誰、あの子――」
由果のデバイス越しには、彩の手に例の杖があるのが見えた。
その手が動いた。
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