04/電脳巫女(2)


「――由果が?」

 病院内に設けられた電脳空間はその名を、琉球信仰における理想郷の名を借りて『ニライカナイ』という。

 精神的な病で入院している患者のための仮想空間だ。患者の家族や患者が許可した者に限り、見舞いの者も入ることができる。

 その空間の奥の更に深部に、彩の姉――与那覇よなはみおはいる。

 昨夜訪れた際に、大阪で由果と会ったことを話すと、仮想空間の中の澪はそう聞き返した。

「そうなんだ。元気そうだった?」

「ん……たぶん。マブイ追ってた」

 澪が目を丸くした。

「なに、あの子も『神垂れカンダーリィ』かかったんだ」

 彩が頷くと、澪は考え事をするように目を閉じた。

「そう。面白いじゃない」

 呟くと、彩に言った。

「彩――明日、いや、明後日ね。

 今渡してるのよりもっと強力なのを作ってあげるわ」

「え? ん――うん」

「まだまだ――もっと、私にはあれが必要なの。彩、お願いよ、出られない私に代わって、集めて」

「うん、わかってる」

 澪は、彩に精一杯近寄っていた。

「とりあえずひとつ、を付けてあげるわ。

 ――杖を出して」

 言われるまま彩が出した杖に、澪は何事か施す。

「これでいいわ。

 魂に対しては効果があるから、試してみるといいよ。

 彩ならきっと、上手くできる」

 そう言って杖を返し、彩の頭に手を伸ばす。

「うん……姉さんねーねー、あたしが必ず、ここから助け出すから」

 この夜も、面会時間ギリギリまで彩は仮想空間に身を投じていた。



「何してるん?」

 話しかけてきた男の声で、彩は記憶の海から浮上した。

「その制服、どこの? 可愛いやん」

 彩の無視にも構いなくにこやかに喋りかけてくる。

 彩は杖をいじりながら、その先端を見つめていた。

「待ち合わせ? ヒマやったらちょっと、茶ぁでも付きぅてや」

 男は彩の隣に座った。

 怪訝けげんそうに眉を寄せる彩に、なおも話題を振ってくる。

「よぉ焼けてるけど、なんかスポーツでもやってるん?」

「――別に」

 彩は腰を浮かせた。

「構わんで」

「つれないなあ。ちょっとぐらい、ええやん、な?」

 歩き出した彩の少し後ろから、男が追ってくる。

「やめてください」

 モニタの中で、彩は杖の先を男に向けた。

 もちろんそれは男には見えず、効果もない。

 男はしつこく彩を誘う。

 彩がいい加減、疎ましげな瞳で男を見る――と、彩の手にある杖が形を変えた。

 咬んでいた珠を先端に移し、まっすぐとした形状を取る。

 彩は目を見開いて、見たことのない形になった杖と男を見比べた。

 これが昨晩姉が言っていた『新機能』なのだろうか。

 ものは試し、と彩は片手で杖を振り回した。

 男の体をすり抜けて半周したところで止まる。

 彩の手には僅かな手応えが残っていた。

 振り返った彩に男は、

「ん? やっとその気に――」

 と笑いかけたところで、膝を落とした。

「あ……あれ?」

 しゃがみこみ、数度首を振る。

 杖を振った態勢そのままで彩が見ていると、しばらくして男は立ち上がって、

「ちょっとなんか、調子おかしいな……なんや? 一体……」

 首を傾げてブツブツと呟き、それでも彩には歯を見せた。

なんか気分変やから、今日はええわ。今度またうたらお茶してや」

 ふらつきながら男が去ったあと、地面に青白い欠片が落ちていた。

 モニタの中だけで確認できる。

「なに、これ……?

 マブイのかけら……?」

 彩は恐る恐る近付いて、拾い上げた。

 モニタを通じた手の中に納まったそれは、回収したことのある『落ちた魂』より遙かに小さいが、『魂』にとてもよく似ている。

 杖はいつの間にか元の形状に戻っていた。

 その珠に、拾った欠片をあてがう。

 すっ、とそれは珠に吸い込まれた。

「やっぱり……」

 彩は驚きを隠せない表情で、欠片の消えた手と杖を見る。

「でも、これじゃ全然足りない……よね、姉さんねーねー

 もといた公園へ戻るのも面倒そうに、彩は服屋の並ぶ通りをそのまま歩いてゆき、御堂筋を横断してから南下する。

 すれ違う人に無造作に杖を向け、振り回している内に少しずつ要領を得てきたようで、摘み出した『魂の欠片』を地面に落とすことなく杖の珠に納められるようになるまでそれほど時間はかからなかった。


◆◇◆◇◆◇


 男の見舞いのあと夕食に誘った南場を「ちょっと疲れたから」と断った由果はしかし、家には帰らずにもう一度日本橋筋に戻っていた。

 そこから、難波方面へ向かって歩く。

「何かあった?」

 立ち上げていたデバイスの中から、ククルが言う。

まさるの誘いに乗ってやってもよかったんじゃない?」

 将、とは南場のことだ。

「そうだね。

 でも、ちょっと気になって」

 由果は周囲に軽く注意を払っていた。

「この間マブイグミできなかった女の人もだし、さっきの話で出てた、僻地に飛ばされたっていう店長ももしかして『霊障』起こしたら、って心配になってる」

「なるほどね。でも――心配性で生真面目なのはいいけど、気を張りすぎるのもよくないよ」

「うん……わかってるけどね」

 由果は自嘲するように苦笑しながら、

「あんなーして暴れても、いいことないから。しちゃった人も周りも、不幸さぁ。

 そんな思いをする人を――増やしたくないよね」

 ククルにだけ聞こえるくらいの声で呟く。そんなのは私だけで充分、とククルにも届かない、口の中だけで続けて、由果は柔らかく微笑んだ。

「由果さん……」

 ククルも、丸い目をいっそう大きくして笑った。

 由果とククルは、先日の女性が魂を落とした場所まで来た。

「さすがにないかな。

 やっぱりあの時、彩ちゃんがやったのならいいけど……」

 そう呟く。

 由果はそこから、阪神高速の高架をくぐって北の方へ歩を進める。

 道頓堀川を渡るえびす橋にさしかかったところで、その橋の向こうにセーラー服の少女を確認した。

「彩ちゃん?」

 少女も由果に気付いたようでお互い近寄り――橋のちょうど中程の円形に広くなっているあたりで接触距離になる。

 デバイスを起動した状態で歩いていた少女の手には杖があるのが、モニタの中からはうかがえた。

「由果……姉ぇっ」

 きっ、と唇を噛んで由果を見上げる。

 由果のほうが十センチほど身長があった。

 杖の先端を由果に向けて睨み、少し間合いをあける。

 通行人は二人を避けて通ってゆき、ぽっかりと小さな空間ができる。

「彩ちゃん――聞いたよ、澪、入院してるんだって?」

「な……っ。

 あんな所にやったと思ってるのっ!」

 彩は怒りを露わにし、両手で杖を構えた。

「あんな所って? そんな変な所じゃないさ。

 ねえ、彩ちゃん、私で何か、手伝えることないかな」

「ないっ!――ていうか何もしないでッ!」

「澪、お見舞いできない?」

「しないでッ!」

 怒声を発する彩に、通行人が何事かと見ては通り過ぎてゆく。

 彩が、杖を上段から振り下ろした。

「由果さんっ!」

 ククルが騒ぐ。

 彩の杖から、青白いものが細かく飛び出した。

 数発のそれは由果に当たり、由果のモニタにノイズを生む。

 彩自身がその効果に驚いた様子で自分の杖を見直し、腰を落として両手で構え直した。

「彩ちゃん……」

 由果も、自分の杖を起動させる。

 彩が目を見開いて、少しひるむ。

「何をそんな怒ってるのさ。私、なにかした?

 それか私でできることなら、するよ?」

姉さんねーねーを……」

 彩は何か言いかけて、「いや、いい」と首を振る。

「ともかく、何もしないでっ!」

 もう一度言って彩が杖を突き出すと、先程と同じ青白い弾が由果に向かって放たれる。

 今度は『シールド』でそれを防いで、由果は彩にぐっと寄った。

「なんで私にこんなーするの?」

「んな――自分の胸にきいたらいいさ!」

 杖を振り回す。

 ふたりのモニタの中で、互いの杖が交錯する。

「あたしの邪魔しないでっ!」

 静電気のような鈍い衝撃が、二人の手に痺れを残して走り去る。

 ククルが彩に駆け込むのを、由果はモニタ越しに見た。

 その視線を追った彩の視界にも、自分の腰に飛びかかってきたシーサーを模したものが入る。

 杖の尻でそのククルを受け止め、弾き返した。

「ククルっ!」

 由果が首を巡らせる。

 ククルは数回転してから跳ね起きて体勢を立て直し、すぐに由果の足下に戻ってきた。

 その隙に彩はもう一度、至近距離で杖の先を由果に向けて弾の発射態勢をとる。

「こんなのまで使って、由果姉ぇは何をしたいのさっ」

 撃たずに、睨み上げた姿勢で彩が強い口調で言う。

 由果は踏み込んで手を伸ばし、彩の杖を掴もうとする。

「ユタの役目でしょっ」

 彩が体を捻ってかわし、由果の手は現実でも電脳上でも空を切る。

「まだ修行中だけど、神人カミンチュとしての――

 ていうか、彩ちゃんも『神垂れカンダーリィ』にかかったんじゃないの?」

「だからっ!

 これは、あたしの役目よっ。手出ししないでっ!」

 バックステップで距離をとる。

 彩の杖の先端にある珠が、ぽつぽつと光りはじめた。

「まして――由果姉ぇになんて、っ!」

 光の粒は珠から浮かび上がり、彩の目の前で数秒留まる。

 端にあったひとつが、由果に向かって弧を描いた。

 由果は『シールド』でそれを弾く。

 二発目、三発目と続けて違う方向から光条が飛んできたのを『盾』で受け止めたところに、残りがまとまった光弾となってまっすぐ由果を襲った。

 受ける『盾』の展開は間に合ったものの、衝撃に圧される。

 由果の体が跳ねた。背から落ちて短い息を吐く。

「もう、邪魔しないでっ!」

 彩が怒鳴って、振り返った。

 いつの間にか、ちょっとした人だかりになっていた。

 周囲から見ればヘッドフォンデバイスを装着した娘が対峙しているだけで、杖も弾もククルも見えないはずで、「ケンカ?」「何かの撮影?」などと口々に言い合い、誰も答えを持たない問いが飛び交っていた。

 彩は来た方向へ戻って行った。

 背と腰を打って、数秒起きあがれなかった由果が上体を起こした時にはもう彩の姿はなかった。

 由果は遠巻きの円に囲んだ野次馬の中でひとり、哀しげな表情を浮かべていた。

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