10/覚醒(2)


 巨人の口から出たのは、大人しそうで儚げな――澪の声だった。

「由果――まだそんなところにいたの。彩はここにいるのに」

 と、片手に持っていた少女を由果に見せる。

「彩を放してっ!」

 由果は持っていた杖を変形させ、弾丸を発射する。

 それは鬼の手首に当たり、巨躯は彩を取り落とした。

「ククルお願いっ!」

 ククルが走り、落下する彩を受け止めた。

 由果は杖を戻して巨人と対峙する。

「澪――聞いてっ!

 澪の魂は今、のよっ! 彩の落ちた魂を私持ってる!

 澪――あなたの中にいるのは誰っ!?」

 巨鬼が動きを止め、由果を見下ろす。

「そんなの、知らない――

 もういい、由果は為す術もなく見てたらいいさ」

 鬼の手が仮想空間を強引に破り開いた。

 鬼が吼える。空間がびりびりと裂けてゆき、彩を支えたククルと由果は吹っ飛ばされた。



 残骸のようになった仮想空間で、由果は倒れたままの彩に呼びかける。

「彩ちゃん、彩ちゃんっ! 起きてっ」

「――ゆ、か……ねぇ?」

 彩が目を見開いて由果を見る。

「澪を止めなきゃいけないから説明しないよ、彩ちゃんもユタなら自分で知りなさい――いい?」

 由果は杖のモードを『マブイグミ』に変形させた。

 由果を睨みつけて抵抗しようとするのをククルが上に乗って押さえている。

「私はあの基地で、を見つけた。

 じゃあ、彩の中にいるのは誰? 彩を使って、他人の魂を集めてたのは誰?

 彩がどこからこの世界に入ってるのかは知らないけど、魂は戻してあげられる。

 だから、大人しくしてなさいっ!」

 強く言う由果に、彩はびくっと体を震わせた。瞳に涙を浮かべる。

「知らない――知らないさぁ。由果姉ぇなんて……」

「あなたも神人でしょッ!」

 由果は杖を立てた。線香が彩を囲んでいる。

「マブヤーグミ スグトゥ マーンカイウティトーティン

 マブヤー マブヤー ウーティークーヨー ――っ!」

 由果の杖から現れた青白い珠を手に、由果は『魂込め』の言葉を三回唱える。

「やめてよぉ。あたしは姉さんと一緒にいるのぉ」

 駄々をこねるように首を振る彩の胸元に、由果はその珠を押し込んだ。

「彩もユタなら、気付いてるはずでしょ。受け入れなさいっ!」

 彩の体から、由果が入れたのとは違う青白いものがぬるっ、と出た。

 それを杖で拾いあげ、由果は彩から離れる。

「澪は私が救うっ!」

 澪だったものは、仮想空間の残骸から姿を消していた。

「ククルっ?」

 ククルが後脚で立って、空間内を見回していた。

「まだ近い――こっちだっ」

 ぽん、とウィンドゥを開く。由果は小さく頷いて、彩から回収した魂を一旦、杖に収容した。

 ウィンドゥに乗った由果とククルは『下』に向かって移動する――


◆◇◆◇◆◇


 彩は涙でくしゃくしゃになった顔で目を覚ました。

 自分を強く抱き締めて呟く。

「あたし、ずっと『魂落ち』だったなんて……」

 清信に懇願して出してもらった飛行機代で駆け込んだ那覇の、繁華街の中にあるネットカフェに彩はいた。

「由果姉ぇ……姉さんがあんなーなること知ってたの? あたしに入ってた魂が姉さんなら、あの姉さんは――」

 唇を噛む。

 偏頭痛のような痛みを覚え、その熱に意識を任せる。

「そう。そうね――あたしは」

 涙を拭い、彩はヘッドフォンデバイスを装着しなおした。


◆◇◆◇◆◇


 真っ暗な空間の中で、まさに鬼のような姿となっていた巨体は片手で何か細長いものを掴んでいた。

「澪――っ! いや、澪じゃないよね。澪の魂は私が今、持ってるさぁ」

 現れた由果を睥睨した鬼が、見た目には全く似つかわしくない澄んだ女声で言う。

「由果。特等席で見物したいの?」

「?――何をするつもり? 何を持ってるの?」

 由果はククルとともに、足場のない空間に浮かんでいた。

「これ? これはただのケーブルよ。電気か電話か、そんなの。ここからでも世界につながるよね。やりたいことがあるから、ちょっと黙っててくれる?」

「何をするの?」

「そうね。基地同士で撃ち合いでもしようかな。失ったものが戻らないなら、みんなを同じ目に遭わせてあげる」

「やめなさいっ! それに、澪を返してっ!」

「何言ってるのよ、由果。私が与那覇澪じゃないの。邪魔するなら潰すよ。そこのククルもね」

 由果は目を伏せたのも一瞬、杖を構え直した。

「私は澪の魂を持ってる、って言ってるでしょっ。

 そんなことさせない。

 澪――もとの澪に戻って!」

 由果の杖から弾が放たれる。

 巨躯の反撃を咄嗟に戻した杖の『盾』で防ぎ、伸ばした『棍』で頭部を殴る。

 効いている様子は薄い。

 鬼の手が横殴りに由果を襲う。ククルがそれを受けて吹っ飛び、体半分がノイズになる。

「ククルっ!」

 その時、ケーブルを持っていた鬼の手が固まった。

 透明の何かが鬼の手にまとわりついていた。

 イルカの姿を確認して、由果は声をあげる。

「大塚さんっ!?」

「肉体より先にこっちが気になったからな」

 イルカのヒレが細かく動き、水流のような波が鬼の動きを阻害していた。

「なにこれ――ッ! 邪魔しないでよッ!」

 鬼がイルカを殴り、その尾を掴んだ。

「みんな何もしないクセにッ! 彩と私の思いなんて誰も――ッ!」

 イルカを振り回し、ヒレを食いちぎる。大塚の悲鳴が響き渡った。

 透明の波は消えたようだった。

 さらに背びれも引きちぎってぐったりとなったイルカを、澪は無造作に放り投げた。

「モード『縛』っ!」

 由果の杖から広がった網がイルカを捕らえた。

 大塚に駆け寄る。

「大丈夫ですかっ?」

 杖を戻しながら呼びかける。

「何だか……色々失った気がする。何が無くなったか判らないけど、俺、消えてしまうんじゃないのか――?」

 大塚は、体の至る所がノイズになっていた。

「データだけで存在するのは怖い。生身に戻りたかった……肉体がないって、こんなに寂しいとは思ってなかった……」

「RAIDに戻れる? 私が必ず戻すから――ここはいいから、っ」

 頷いて、イルカの姿が消えた。

「ククル!」

 由果の足下にククルが戻る。

「大丈夫?」

「なんとか。でも――どうする?」

 由果は杖を見直して、澪の声を発する巨体を見据える。

「やってみようね……」

 由果は杖を遠距離攻撃のモードに切り替え、しっかりと構える。

 澪は由果を見て嘲笑する。

「無駄なことはやめたら? いいじゃない、由果もこっち側にいてよ。友達やっしぇ」

「あなたは澪じゃない!」

 連射する。以前は数発で強制終了したものが、安定していた。

「言ったさ、澪の魂は私が持ってる! 事故の時澪も彩も魂落として、澪の落ちた魂が彩の中に入った――なら、澪に入ったあなたは何? あの事故で同じように魂落とした人?

 基地に恨み持ってるんだもんね、そうかも知れないよね。

 あなたも、肉体が残ってたら『魂込め』してもとの体に戻すから!」

 鬼の手が挙がる。

「うるさいなあ――由果。

 私はしたいようにやりたいの、そんなー言うなら放っといて!」

 固めた拳が由果を襲う。

 口を閉じたククルが由果の前に出るが、防ぎきれずに弾け飛ぶ。

「由果さ――」

 拳を、黄白色の光条が撃ち抜いた。

 見上げた由果の隣に、それを発した少女が位置を合わせる。

 クセの強いボブカットの少女が唇を結んでいた。

「彩ちゃん!」

「由果――姉ぇ。あたし、聞こえた……」

 ふたりとも巨体から目を逸らさず話す。

「由果姉ぇが魂、持ってるんだよね。その――あたし、どうして」

「いいさぁ」

 杖を戻して、由果は彩の頭を撫でる。

「なのにあたし、人の魂奪って、由果姉ぇにも攻撃して。

 姉さんの役に立てる、って喜んでたのに――こんなー……あたし」

「自分のじゃない魂の影響受けてたんだよ。もういいさ。

 ――彩、いける?」

 彩はこくっ、と頷いた。

「彩、彩、彩――ッ! 姉さんを裏切るのッ!?」

 打ち抜かれた拳を振り上げた鬼が怒りの形相になる。

「霊障とは彩も戦ってたよね。抑え込んで澪の魂を『魂込め』する――いいね?」

 もう一度彩は頷く。

 拳を左右に飛んで避け、合流する。

「私の攻撃じゃ効果弱そうだから――」

「大丈夫。あたしと由果姉ぇでやれば、きっと」

 由果は微笑んで頷き、鬼の拳を『盾』で受け流す。

「由果も彩もッ!」

 彩の杖が変形し、刃を作った。

 今度は二人で上下に分かれた。

 彩の長刀の輝きが増す。

「姉さんを返して――っ!」

 彩が振り下ろした杖は鬼の片腕を肘から斬り落とした。由果の杖が盾を形取り、彩に伸ばした手を弾く。その腕を返す刃で斬って、彩は距離を取って杖を変形させて構える。

「彩ッ! いいかげんにしなさいっ! 私より由果がいいの?」

「あんたは姉さんじゃないッ!」

 由果の杖が鬼の脚を絡め取った。

 彩が精一杯の射撃を放った。

 黄白色の光が鬼の胸を貫いた。

「ああぁぁぁっっっ……彩ぁぁぁ、っ」

 鬼が動きを止めた。

「由果――っ、あぁぁぁぁ……」

 鬼を形取っていたものにヒビが入った。

 ヒビはざあっ、と細かく広がって鬼の全身を覆い、ぽろぽろと剥がれはじめた。

 剥離したものは塵状に消える。


◆◇◆◇◆◇


 あとには、浴衣姿の娘が目を閉じて横たわっていた。

「彩ちゃん」

 由果が杖から靄珠を取り出した。

「由果姉ぇ、あの――ごめんなさい」

「いいって、ね」

 と、靄珠を彩の手に乗せる。

「これが澪の魂。さっそく『魂込め』したいんだけど、手伝ってくれる?」

「ん――うん」

「明日か明後日か、病院一緒に行こう」

 彩は困ったように魂を見つめる。

「あたし、やり方わからない……」

 由果は微笑んで彩の頭を撫でた。

「ククル――大丈夫?」

『消えちゃいないから』

 テキストタグだけがククルの返事だった。

 由果は自分の杖を立てる。

「モード『マブイグミ』起動」

 澪の周囲に線香が現れる。

「彩ちゃん。

 私に続いて言葉を唱えて、その魂を澪に」

 彩は素直に頷いて、澪を挟んで由果の正面に回る。

「いいね。

 マブヤーグミ スグトゥ マーンカイウティトーティン」

 由果は少し前に、自分がククルにやってもらったのと同様、彩に向けたテキストタグを送る。

 彩の声が由果に届いた。

「マブヤー マブヤー ウーティクーヨー」

 彩がたどたどしいながら、由果に続く。

「マブヤー マブヤー ウーティクーヨー」

 由果が合図して彩の手から、澪の魂が動く。

「マブヤー マブヤー ウーティクーヨー」

 由果はほとんど声に出さずに彩が唱えるのを待つ。

 澪の魂は澪の上でくるりと回って、じわっと入ってゆく。

 と同時に澪から青白いものが染み出した。

 それを由果は取り上げ、形を戻した自分の杖に入れる。

 澪の眉が震えた。

 うっすらと瞼をあげる。

 自分の左右に立つ二人の若いユタ見習いをそれぞれ見て、澪が口を開いた。

「――彩。それに……由果?」



「姉さん――っ!」

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