10/覚醒(1)
南城市にある斎場御嶽は琉球信仰における最高の聖地を意味し、琉球開闢七御嶽のひとつである。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている中のひとつだ。
旧基地に侵入した翌日、由果たち三人は車を駆って、本島の東側を南部に向かっていた。三二九号線から三三一号線に入り、中城湾を望んで知念半島を海沿いに走り、小高くなった坂を登っていった先にその史跡はある。
入場料を払って中に入るとまず、『御門口』という入り口がある。
段差の低い石段があり、登り勾配の入り口に六個の香炉が隅にある。
感嘆の声をあげる佳子と、カメラを構える香奈恵にことわって、由果はその登り口に向かって静かに祈りを捧げた。
「佳子たちはしなくてもいいよー」
と柔らかく言ったものの、佳子と香奈恵も手を合わせた。
『大倉理』から『寄満』へ行く間に佳子が水溜まりのような池に気付いた。
「これ――『砲弾池』って」
それは沖縄戦のとき、艦砲射撃によって窪んだ所に溜まった水でできた池だった。
涸れてしまっても不思議のないくらい小さな池だが、妙な存在感を木々の中に示していた。
「艦砲射撃って、そんなのが残ってるんやね……あ、ヤモリがおるよ」
香奈恵が腰を落としてカメラを向ける。
「そんなのでできたトコロでも、生きとぉもんがおるんやねぇ」
『寄満』から道を引き返し、『大倉理』の手前で左の道に入る。
「この幹がなん十本にもなってる木すごいね」
「ガジュマルね。キジムナーって精霊が住んでる、っていわれてるよ」
そんな事を喋りながら進んでいった先に、開けた空間と巨岩がある。
巨岩が造る三角形の奥にある『三庫理』とチョウノハナの拝所、そして久高島遙拝所のある場所だ。
岩の前は『貴婦人様御休み所』という。その右手には、二本の鍾乳石から滴り落ちる水を受けるべく設けられた二個の壺がある。
ここに溜まるのは神聖な霊水である。触れることは禁じられている。
静謐な空気がこの空間を包んでいた。
木々の道を抜けてここに入ったところで一瞬、三人とも言葉を失う。
ここまでの灼けた暑気が嘘のように、どこかひやりとした雰囲気が漂っている。
「由果、写真……撮ってもええのかな」
おずおず、といった調子で香奈恵が言う。
それほど、先程までと違う何かを感じられた。
由果は微笑みを見せる。
「騒がないでね。それと、できたら先に三庫理見に行ってきたらいいさー。そのあとで私ちょっと、時間使わせてもらいたいから」
香奈恵は佳子を誘って先に岩をくぐり、三倉理に向かった。その後三人で写真を撮ったりもしながら、由果は広場の中心に立って手を合わせる。
二人が岩の向こうへ行っている間に由果は、岩に向かって前後に並んでいる壺に近寄って膝をつき、祈りを捧げた。
この手前の壺を『アマダユルアシカヌビー』奥のものを『シキヨダユルアマガヌビー』という。祈っていると、触れていないそのふたつの壺から何かの力が降り注いでくるような感覚を由果は覚えていた。
その後、佳子たちに替わって三角岩の向こうへ行く。
「すごいね。なんだか霊感とかなくても力をもらった気がするわ。ホンマにパワースポットやと思うわ」
とは佳子の言だ。
岩の間の細い途の先には、三庫理とチョウノハナの拝所がある。また、木々の間から久高島を望むことができる。
只の島ではない。
久高島は琉球開闢の祖・アマミキヨが降りた地、最初に造った島であり、神の島と呼ばれている。理想郷ニライカナイに通じる聖地である。
その久高島を正面にして、由果は自然と手を合わせていた。
由果は修行中とはいえユタだ。
御嶽はそもそもは琉球王朝が定めた聖域で、チョウノハナも祝女に関係しているもの、神女最高位である聞得大君の就任儀式を行ったのがこの斎場御嶽、と祝女に関係した場所ではある。
が、ユタにせよ祝女にせよ広義には同じ神人であり、ユタの成巫儀礼は御嶽への祈りを修めることで進行する。
神々と交信することにおいてどちらも、巫である。
――由果は岩と木の間から見える島と、そのさらに向こうの水平線と空の交わる彼方に想いを馳せる祈り言葉を唱えていた。
言葉は安喜代から教わり、覚え込んでいた。
由果は跪いて、一心に祈る。
風がふわりと由果の髪を持ち上げる。
数十秒もそれは続いただろうか。由果はゆっくりと目を開け、海に向かって深々と頭を下げた。背後のチョウノハナに向かっても手を合わせ、三角岩を通る直前でもう一度振り返って頭を下げた。
広場に出たところで目を丸くする。
「佳子も香奈恵も、下の建物で待ってくれてよかったのに」
「せっかくやから。それにここ、何か気持ちええし」
と、佳子が由果の肩を叩いて笑いかけた。
「お疲れさま。よくわからへんけど、うまいこといった感じやん」
◆◇◆◇◆◇
翌日は別行動にした。
由果は一人で本島中部を越えて今帰仁村へ行き、今帰仁城にある聖地、クボウ御嶽へ同様の祈りを修めたのち、すぐ南にある本部町の港から伊江島へ渡った。
伊江島に『与論ちむぐくる院』の仮想空間サーバーがあることは知られてはいないが、大塚やククルと、病院へ行く計画を立てていた時に判明した。
伊江島は周囲二二キロ強、人口五千人程度の島だ。
本部半島の北西九キロの位置にある。
この島にもイエジマレンジという米軍基地が西部に存在している。
島の中部やや南方に医療法人『ちむぐくる院』がある。
病院のサーバー管理棟に入るまで、所属は今も病院にあるククルが案内役を務め、管理棟の人払いをして由果が入れたのはもう夕方になりつつある時間だった。
安喜代にも佳子たちにも今夜は帰れないかも、と話してはいた。
サーバー管理棟にいる人間は、由果ひとりになっている。
管理室の電源を拝借して、RAIDドライブを管理室のパソコンに接続する。ヘッドフォンデバイスを装けた由果自身もククルの手助けで仮想空間に進入した。
そのククルが誘導して、由果は医療用仮想空間へ入った。
「ようこそ由果さん。ここが睦美さんの創った『ニライカナイ』だよ」
「お母さんの……」
緑の草原が広がっていた。澄み渡った蒼穹との対比が美しい空間だった。
由果(を模したシンボル)は杖を手に、藤棚のような屋根の下にいた。足下にククルがいる。大塚は、自分の身体を探して病院サーバー内のハッキングに勤しんでいるはずだ。
仮想空間を見回して、由果はククルに訊いた。
「澪はどこにいるの?」
「こっちから行こう」
ククルが先導する。
患者らしい他のシンボルたちがいるところとは違う方向へ行くククルを追って、由果は走る。
ククルは患者たちから離れたところで、「このへんでいいかな」と足を止める。
「こんな所に?」
「どこでもいいんだ。要は、患者たちに見られる心配のないところで行きたかっただけ」
と、ククルは空間をノックして、そこを開けた。
「睦美さんは――澪を隔離してるんだ。霊障になる危険性が高い、とあらゆる方向から考えてそう思ってた。
澪にももちろん、その話をした上での隔離だよ。澪は頭のいい子で、優しい子で、霊障になって周囲に迷惑をかけるくらいなら答えが出るまで大人しくしている、って言ってた」
由果の前に『管理者権限コードを入力してください』というウィンドゥが現れる。
ククルがそれを蹴飛ばして、ふたり先に進む。
次の扉を開けるとまた『管理者コードを……』というメッセージが出るのをククルが噛み砕いた。
そうやって深部へ潜っていった先に――その小部屋はあった。
扉のない立方体を前にしてククルが言う。
「ここだよ。――いい?」
「もちろんさぁ」
ククルは長い鍵を出して由果に渡す。
由果は頷いてそれを受け取り、壁に差し込んだ。
◆◇◆◇◆◇
シンプルな空間だった。
勢いよく飛び込んだ由果と、それを追ったククルは室内にいた娘に声をかけられた。
「ククル? 久しぶりね。それと――そっちは? 安里先生じゃないよね?」
「み――澪? それに……」
浴衣姿の娘の隣に、もう一人少女がいた。
「彩ちゃん? どうしてここに?」
「その声――由果姉ぇ?」
「由果? あぁ、なるほど面影あるね。元気だった? 彩と同じでユタになるんだってね」
浴衣の娘が嬉しそうな声をあげ、由果は記憶と目の前の姿を繋ぎ合わせた。
「澪……なんだね。よかったぁ」
しかしククルは四肢に力を入れて立っている。
「何しに来たのさっ!」
彩が怒鳴る。
「由果姉ぇは何もしないで、って言ってたでしょっ! 姉さんをこんな所に閉じこめた由果姉ぇの――」
その彩の頭に手を置いて、澪が微笑む。
「もういいよ、彩。足りない気味だけどやりましょう」
「――澪?」
澪は無造作に由果に近寄った。
「――澪、納得の上でここにいるんだよね? 霊障になる危険性があるから、って。
私ね、澪も彩ちゃんも『魂込め』するつもりでいるよ」
「あたし? 何それ? あたし魂落としてないっ」
「由果――そうね。最初は安里先生に話聞いて、ここを作ってもらった。現実に誰とももう関わりたくなくなった時だったし、あの事故が……」
澪が口をつぐんだ。
「み、澪?」
戸惑う由果に、澪は唇を歪めて見せた。
「話す必要なんてないよね。あなたは私をここに閉じこめた女の娘、いつの間にかいなくなって、そこのククルも来なくなるし、誰も来なくなったんだもの。
見捨てられたんだな、って思ったよ。だから自分で打破する方法を作り出した」
澪は両手を挙げた。
「あなたも喰ってあげるから、抵抗しないでね」
青白い塊が澪の頭上に現れていた。それはじりじり大きくなってゆく。
「みんな大嫌い」
「由果さんっ!」
口を結んだククルが由果を突き飛ばした。
部屋の上半分を埋めてなお大きくなり続ける青白い靄が澪に降る。
小部屋にヒビが入った。
「澪っ!」
「嫌いよ――」
澪を隔離していた小部屋が砕けた。
鋭い破砕音がヘッドフォンを通して由果の鼓膜を震わせる。
「姉さんっ!」
由果の視界に、手を伸ばしてしかしどこかへ落ちてゆく彩の姿が入った。
由果の足下も何もなく、何かを形取ろうと蠢いている巨大な靄はそこに留まったまま、由果も『下』へ吸い込まれていった。
降り立ったのは最初に入った医療仮想空間の草原だった。
足下を確認して、周囲を見ると患者達の様子に変化はない。
ククルもいる。
「ど――どうなったの?」
「澪が、あの特殊空間を破壊したんだ。魂の膨大なエネルギーを一気に解放して――あんな量、どうやって溜め込んだんだよ」
ククルがそこまで言ったところで、由果と目が合う。
「「彩!」」
低いうなり声が仮想空間じゅうに響き渡った。
仮想空間の地面を破って、巨大な青黒いものが現れていた。
それは次第に巨人の形をとりはじめる。澪を巨大化したものではなく、鬼のような憎々しげな表情と姿形だった。
巨人は手近なところにいた患者らしいものを無造作に掴むと、噛みちぎった。
「澪っ!」
由果が呼びかける。
そこにいた患者をあらかた『喰』ったところで、巨人は由果を見下ろした。
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