06/現(1)


 それほど大きくないテレビの音声が、部屋を占めていた。

 話題は普段のニュースから地域の話題に移り、一昨日の騒動になる。

 ――通天閣での騒ぎはすぐにメディアに捉えられ、謎の多い珍事として報道を小さく賑わせていた。

 大筋の、現実的な解釈では何かの拍子で動き出したフェスティバルゲートのジェットコースターが、勢い余ってレールを飛び出した、というものではあるが――

『それにしては、コースターから通天閣って結構距離ありますよねぇ』

 とコメンテーターが首を傾げる通りでもある。

 ククルは由果に言っていた。

霊障れいしょうがあそこまで――現実の『モノ』にあそこまで干渉できるとは思ってなかったよ。相当強い魂か、何十人分もの魂があれだけの力を生み出したんだと思うけど……」

 ――あの後、再起動した杖から呼び出した佳子の魂を『魂込めマブイグミ』した由果は、警察や救急車を避けるように佳子を連れてその場を離れた。

 しかし、新今宮駅で佳子と別れたのち由果は倒れてしまい――ククルが南場なんばを呼び出して何とか自宅へ帰ったものの、高熱が続いていた。

 南場が「ついでやから」と由果の自室のパソコンに3D投影機器を取り付け、設定したおかげでククルはパソコンの画面を飛び出し、投影範囲の許す限り部屋の中を動き回れるようになった。

 心配そうな南場を帰し、ククルはベッドで時折呻き声を上げる由果のそばに控え、一昼夜になる。

「ん……ククル――っ?」

 由果が目を覚ました。

「ちょっと収まってきたか? メール、来てるけど見られる?」

「う――うん」

 枕元においていた『Ph―D』デバイスを取り、モニタを起こす。

 起動したままだった。どうやらククルはパソコンとデバイスの間を行き来していたようだ。

 メールは佳子と香奈恵から数件、それに南場からも届いていた。

 どれも一昨日からの由果を心配するもので、佳子からのメールも責める言葉は欠片もなかった。むしろ『なんかヘンなコトに巻き込まれたね』と軽い調子で、由果の頬をやや綻ばせるものだった。

 つけっぱなしだったテレビは真面目な話題から流行情報に変わっていた。

 昼過ぎから夕方前まで放送している報道バラエティ番組だ。

 頭を振りながら上体を起こした由果はデバイスのキーボードを投影した。

 沖縄の聖獣シーサーを模した姿のククルがその横にぴたっと座る。

 画面の外にいる相棒に、由果は目を丸くした。

「ククル――どうしたの?」

「将がやってくれた」

 短く言って、ククルはにっと笑った。

「大学――休んじゃったな」

 由果はそう呟いてメールの返信を手短に書く。その文面を覗き込んだククルが由果を見上げた。

「さすがに、解ってたんだ」

「そりゃね。自分のことだもん、気付くさ」

 由果の体調不良は、風邪などの類ではなかった。


 ――『神垂れカンダーリィ


 巫女にかかる病である。

「久しぶりにキツいの来たなぁ、って感じさ」

「ここのところ『マブイ』絡みで大変してるからかもな。ましてこの間の奴みたいなのが出たり、事態はちっとも収拾ついてない」

「あれ……どう思う?」

 ククルは真剣な表情で、記録していたらしい映像を投影する。

 すっかり朽ちたジェットコースターを蒼い靄が覆った『龍』が映った。

 靄は頭部を形成して、まさに一頭の龍の様相を成していた。

「由果さんたちがあそこに行くまでにも倒れてた人たちがいたよな。あの人たちから落ちた『魂』が何かを求めてアレに集まっていったんじゃないか、ってオレは思ってる」

 由果はゆっくりと頷く。

「だから――『魂』に干渉できるあの杖で殴った時、連結を解けたんじゃないかな。老朽化してた『生身』は負荷に絶えきれなくて、腐食した結合部分の細いところで折れた――そういうことだったと分析してる」

「なるほど……ね」

 こめかみを押さえて、由果はデバイスを外した。

 立体投影されたククルは消えない。

「大丈夫?」

 ククルの声は少し遠く、パソコンのスピーカーから由果に届く。

「うん。だいぶ――いいさぁ」

 ベッドから出てテレビの電源を切る。

 数日前に佳子といた時と服装は替わっていなかった。

「少し――聞こえた」

 ククルが驚いた表情を見せる。

「……まだよく判らない。けど、カミグトゥのこと言われた気がする」

 下着姿になりながら、由果は呟くように言う。

 ククルは由果に背を向けた。

「そういや――由果さんはまだ、自分の『守護霊チヂガミ』に出会えていないんだよな」


 ユタの修行は、『神垂れ』に罹りカミグトゥを行うことで自らの『守護霊』を知覚することである。千差万別のその『守護霊』の声を聴くことで『神垂れ』から次第に解放され、声をはっきりと認識できて晴れてユタとなる。

 由果はまだ、その過程上にいる。


 由果は頷いて、脱いだ服を抱えた。

「そう、まださぁ。

 昔から霊感強くて、何か見えたり魂落としたり――――」

 そこで由果ははっ、と何か気付いたように口に手を当てた。

 服が固まって落ち、「ん?」と振り返ったククルの目の前に積み上がる。

「そうだ――私も『霊障』見たことあるかも」

 驚いて見上げたククルが慌てたように目を逸らす。

 その様子に微笑んで、由果は腰を落とした。

「よく覚えてないけど、おばぁが助けて――『こっち側』に魂を引っ張り戻してくれて、帰ってきて怒られたんだ。

 なんで怒られたのか解らなくてモヤモヤして、それから何か急に怖くなったのは覚えてる。あれ、もしかして『霊障』だったのかも」

「それ、いつの事?」

「十年くらい前――うん、私小学生の半ばだった」

 由果はぺたっと座り込み、ククルを手招きした。

 服を避けて近寄ってきたククルに触れようとしてすり抜けた手を見て、由果は苦笑する。

「リアルすぎる投影もなんだか切ないね。

 ――そう、あの頃大変だったんだよ。ククルはまだ生まれてないはずだけど」

 思い出を探るように天井を見上げ、由果は少し眉をひそめる。

「基地移転があって、そこに工場ができて、それからあの事故――」

「十年くらい前っていうと、睦美さんが『魂』の研究に本格的に手を付け始めた頃だはずだけど」

 由果は寂しそうに頷いた。

「そう。今はちょっと、お母さんが私のことも含めた研究のため、って思えるようになったからいいけど、あの時は――解らなかったからなぁ。あの事故で澪とも離れちゃうし、私は本格的に『神垂れ』にかかって、おばぁにまた助けられて――」

 小さな溜息をこぼす。

 形のよい胸が揺れた。

「そうだ、澪――というか、彩ちゃん」

 ベッドに置いたデバイスを取りに戻り、モニタを開いた。

「あの子、『霊障』のこと知らないみたいだったのに、あんなーして……大変するよ、ねえ」

 ククルが保存していた、通天閣で出会った彩の映像を呼び出す。

 展望台で手を動かした彩に従うように、塔の外に画面が開く。

 数年前、通天閣の外側に設置された大型投影ディスプレイ『ARエッグ』だ。

「魂――集めてるよね、あの子。

 何のために?」

 映像はディスプレイでなく周囲の人々を映し、それから地上に現れた彩を捉えていた。

 彩は不敵に笑っていた。

 その顔が驚きに変わってゆく。視線が上に向き、恐怖を浮かべていた。

「会わなきゃね」

 デバイスを下ろして、由果は立ち上がった。

「こんなーしてたら彩も危険さぁ」

「由果――さん?」

「お風呂してくるっ」

 勢いづけるように言って、落ちたままだった衣類を抱え直して、由果はバスルームへ向かった。


◆◇◆◇◆◇


 沖縄・ちゅら海水族館から十キロほど離れた所に、伊江いえ島はある。

 そこに、それほど大きくはない病院施設の敷地がある。診療所と、そこから少し離れたところには小振りの倉庫程度の大きさの建物があるがそちらはあまり注意されていない。

 その建物の入り口に小さく『ちむぐくる院 管理棟』と書かれた看板が掲げられている。医師の住居でもなく、入院棟でもない。

 診療所と隣り合っているのが医師の家だろう。

 医療施設『与論ちむぐくる院』は長期療養に加え、精神を患った人や、心を閉ざした人などの治療に力を入れている病院だ。

 伊江島に建てられ精神医療施設を経営していた『ちむぐくる院』が、与論島で破綻し廃院となっていた施設を買い取り、広かったそちらに経営陣が移り、名前にも『与論』の名を冠するようになったが、登記上の本部は今でも伊江島のこの場所になっている。

 この『ちむぐくる院』が精神治療の一環として院内に構築したのが擬似空間『ニライカナイ』だ。

 それなりに容量のあるサーバーに設けられた空間で、当初は患者それぞれが操作して分身アバターを設定し、動かしていたものが、ある時期に一変した。

 患者の『魂』を直接、空間内で視覚できる存在として現したのだ。

 大学から転籍し、独自で研究を続けていた安里あさと睦美むつみの成果である。

『魂』をデータ化し、患者の意志をよりダイレクトに反映した擬似空間内の患者はまさに『分身』だった。

 伊江島のこの敷地内に作られたサーバーが、その仮想空間とその中での精神治療を担っていた。

 資金を得た経営陣は与論島に残っていた施設設備を買い、ベッド数も規模も拡大し、またサーバー容量も拡大して精神治療にいっそうの力を注いでいた。

 空間内での患者は専属のスタッフとアシスタントの存在、また他の患者や自身が許可した外部との繋がりをより深く感じられるようになり、治療に至る成果も徐々にあがっていった。

 それに併せて、安里睦美の評価も上がり、各所から誘いの手も伸びた。

 しかし彼女は同院に在籍することを選び、そこで『魂』の研究を続けた。

 彼女の研究メモにはこう、残っている。

『霊障、と取りあえず名付ける。

 これが解決しないことには私の研究は終わらないし、ここから移籍することもありえない。

 発生条件も多岐に渡っていそうだ。

 そのもとである魂が「落ちる」ことについても、ショックによる自然発生以外にも原因がありそう。

 たとえば感覚に直接影響している、例のデバイス――』


 ――この後、彼女は命を落とす。

 海上で、水死体で発見されたが疑わしい点が弱く、事故死として片付けられた。



 与那覇よなはあやは院に設けられた登録者向けのサービス『バーチャルお見舞い』を連日利用している。

 彩の姉――与那覇みおがここに入院しているからなのだが、病院内、つまり現実での澪は昏々と眠り続けており、面会しても外部からの刺激には反応を示さない日々を数年も続けている。

 外傷はなく、華奢な体躯をただベッドに横たえ、覚醒の素振りも見せない。

 頭部に大袈裟にも見えるヘッドマウントディスプレイをかぶっていて、何本ものケーブルが伸びていて、その一本がベッドのそばに設けられたモニタに繋がっている。

 擬似空間内の彼女を映しているのだが、モニタの中の澪も生身のそれと同様、穏やかな表情を浮かべているだけだった。

 澪は『ニライカナイ』の中でも他者と接触せず、小さな部屋に閉じこもっていた。

 この澪を大学病院からここに転院させたのは、安里睦美だった。

 自身の研究成果が出てきた頃に昏睡を続ける澪を、過去その大学に属していた睦美が引き取った格好だ。

 娘の幼馴染みでもあった澪を、擬似空間に誘ったのだった。

 しかし、治療は停滞したまま、睦美はこの世を去ってしまった。


 モニタの中の澪は、小部屋のような空間にただじっと佇んでいる。

 そこに変化は見られない。

 ――現実から見れば。


姉さんねーねー、今日もひとつ――獲ってきたよ」

 擬似空間『ニライカナイ』の奥深く、数メートル四方くらいに見える小さな空間に、彩が――正確には彩の姿を模したグラフィックシンボルがいた。

 そこにいる澪――の分身に向かって持っていた『杖』を差し出す。

 澪は柔らかく微笑み、手元に出現させたキーボードに片手を踊らせる。

 その様は、『外』にはまったく反映されていない。


 澪は、いわば擬似空間の中で隔離されている。

 真っ当な手段では入れないその澪のいる場所に、大っぴらには言えない方法で彩は入っていた。

「頑張ってるのね、彩――嬉しい」

 えへ、と彩は頬をゆるめるが、すぐに瞳に不安げな色を漂わせる。

「でもまだ、あの『バケモノ』が怖い――姉さん、あれ、知ってた?」

 彩にとって、『霊障』と遭遇したのは先日の通天閣が初めてだ。すぐにデバイスに残っていた映像を見せて、澪に報告した時にも彩はあまり表情を変えず頷くだけだった。

「私は見たことないから」

「そっか、そうだよね。こんな所に閉じこめられてて」

 澪は考えるような仕草をする。

「でも――『マブイ』が変わったものなら、彩は対処できるはずよ」

「えっ?」

「この間、弾にして撃ち出す、とか言ってたさ。そういうので倒せないかな。

 それに――そんなーして暴れるなんて、よっぽど元気な『魂』だよね」

 彩はその言葉にはっ、と目を大きくする。

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