市役所の女
僕は大学入学が決まったばかり。
今年の四月から、念願の一人暮らしだ。
住民票が必要になったので、市役所に来ている。
今まで大概の用事は、親が代わりにしてくれていたので、市役所に来るのなんて、小学校の社会科見学以来だと思う。
市役所のロビーに入る。人がたくさんいる。
人混みが苦手な僕は、オドオドしてしまい、どうしたらいいのかわからず、途方に暮れていた。
「何かお困りですか?」
そんな僕に声をかけてくれた人がいた。
「?」
僕はその人を見た。胸に「案内係」というプレートを着けている。
若くて綺麗な女性だ。えーと、誰かに似てる。
そうか、タレントの神戸蘭子だ。
でも口調は違う。凄く滑舌が良い。
「住民票をもらうにはどちらにいけば良いのでしょうか?」
僕は恥ずかしかったけど、思い切って尋ねた。
「住民票でしたら、二階になります」
その女性はニッコリと微笑んで、
「ご案内致します」
と先に立って歩き出した。僕は慌てて彼女について行った。
エスカレーターに乗り、二階に行く。
「こちらになります」
彼女は笑顔で言った。しかし、そこは「市民税課」というプレートが下げられている。
「あの、違うようですけど」
僕はプレートを指差して言った。
「え? 市民税課ではないのですか?」
女性は驚いた顔で尋ね返して来た。
「僕は住民票が欲しいんですけど」
「ああ、住民票ですね。ではこちらです」
女性はエレベーターに向かって歩き出した。
今度こそ大丈夫だろうと思いたいが、何か不安だ。
「どうぞ」
扉が開き、僕はエレベーターに乗った。
えっ? 彼女、何故か最上階の三十階のボタンを押したぞ。
どこへ連れて行く気だ?
「はい、到着しました」
僕はハッとしてエレベーターから出た。
何だ、ここ? レストラン街じゃないか。
「あの、僕はですね……」
「こちらになります」
女性はマイペースで、さっさと歩き出す。
「こちらです」
僕が案内されたのは、「住民票」という居酒屋だった。
何で市役所の最上階のレストラン街に居酒屋があるんだ?
「あの、僕は、住民票がほしいんですよ」
「だから住民票です」
女性はニコニコして言う。
「いや、居酒屋じゃなくて、住民票という書類がほしいんですよ」
「中にありますよ」
「は?」
女性の言葉に耳を疑った。
まさかと思いながら、店の中に入った。
「こちらのお客様に住民票を一つお願いします」
案内の女性が店の従業員に告げた。
「はい、住民票一丁!」
従業員が大声で復唱する。何だ、ここは?
「へい、お待ち! 住民票になります」
本当に僕の住民票が出て来た。
僕は名前も何も告げていないのに。
どうしてわかったんだ?
こんなところで住民票が取れるのも不思議だが、何故僕の事がわかったのかはもっと不思議だった。
こんなところに住んでいて大丈夫なのだろうか?
心配になった。
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