プラットホームの女

 僕は今年の春に大学に入学し、ようやく都会の喧噪けんそうにも慣れて来た。


 田舎育ちなので、夜遅くまで外が明るかったり、いつまでも人の話し声や車の走る音が聞こえる環境にストレスを感じていた。


 五月に入り、身体が順応して来たせいか、あまり音が気にならなくなった。


 一時は田舎に帰ろうかと思うほど体調が崩れたのだが、何とか踏み止まれて良かった。


 そして今日も大学に行くため、最寄りの駅へと歩く。


 あ。


 またいる。また前を歩いている。


 腰まで伸びた黒髪、キュッと締まった足首、絞ったのではないかというくらいくびれたウエスト、挑発的に左右に動くヒップ。


 たくさんのサラリーマンの間で、一際目を惹く女性の後ろ姿。


 僕は何度も彼女の顔を見ようと試みたが、何しろ人混みが不慣れなため、いつの間にか見失ってしまう。


 今日こそあの人の顔が見たい。速度を上げ、彼女を追う。


 ああ。でも、人の流れに阻まれる。彼女はスルスルと人混みをすり抜け、階段を昇る。


 また追いつけない。また今日も顔を見られなかった。


 僕はまるで恋人に逃げられたかのように落胆し、自分の乗る電車が来るホームへと歩き出す。


 やがて電車が来た。人の流れがまた始まり、僕はそれに押し流されるように歩く。


 無気力。今の僕を象徴する言葉だ。


 あの人の顔を見られない事がどうしてこんなにも悲しいのか、自分自身よくわからなかった。


「あ」


 ボンヤリしていて、僕は電車に乗り損ねてしまった。


 目の前でドアが閉じる。無情に走り出す電車。


 何をしているのだろう、僕は? 最近、本当におかしい。


 あの女性の後ろ姿を見てから、ずっとこんな感じだ。


「ふう」


 溜息を吐く。そして次の電車を待つため、新たにできた行列の最後尾につく。


「えっ?」


 その時、線路の向こうのホームに、あの女性の後ろ姿を見つけた。


 ああ、そのホームで電車を待っていたのか。


 いつもは僕が先に電車に乗ってしまうから、見られなかったんだな。


 こっちを向け。


 気がつくと、懸命に念じていた。


 しかし、彼女は一向に振り返らない。


 何を見ているのか知らないが、ずっと背を向けたままだ。


 ダメか。諦めかけたその時だった。


 まるでスローモーションのように彼女が振り返った。


 美人だ。想像していた以上に綺麗な人だ。


 ガッカリするのでは、などと一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。


 あれ? 僕に微笑んでいる。確実に僕を見ている。


 僕も微笑み返す。彼女は手招きをした。


 僕は躊躇う事なく歩き出す。


 彼女は僕を見てくれている。


 僕にだけ、微笑んでくれている。


 僕にだけ……。

 

 


 彼女がこの世の者ではないと知ったのは、僕が彼女の仲間になってからだった。

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