第一話で頭がおかしいオヤジが語る内容に
「俺らが考え過ぎると困るやつらがな、空気の中に変なものを混ぜて垂れ流してんだ」
「その空気吸っちまうとな、もう何も考えられなくなんだ。生まれた理由、生きてる理由、一切合切な、全部忘れて生きるだけになっちゃうんだ」
というものがあります。
人間生きているとうまく行かないことがある。どうしたって出てくる。
それを悪魔のせいにしたり前世のせいにしたりするのが宗教で、『空気の中に変なものを』入れられたせいにするのが頭がおかしいオヤジなわけです。
でも、このなにか「誰かのせいでどうにかなっちまった」という感覚は、幼い頃から誰にでもあるものではないかなと思うのです。明確な犯人が居ないのに、誰かのせいでうまく行かない人生。好きな人にフラれたとか、夢が叶わねえとか……。
もう本当に全部『空気の中に変なものを』入れられたせいなんじゃあないかって思うときがあります。
でもそれを撒いてるやつらっていったい誰なんでしょう。
もしもそれを撒いているのが世界や社会や学校や通念なのだとしたら、『わたしたち』に好きな人と付き合うことや夢を叶えようとすることを諦めさせようとしてくるのだとしたら、それを引き裂くのはいつだって呼鈴で告白で爆音で花火で誰かを助けたいって言う一人の切なる思いなんだってことがわかりました。
私は読み終えて、このような感想を抱きました。
これは本物です。
この作品に出会えてよかった。読めてよかった。
心からそう思える作品でした。
実は公開当時に読んではいたのですが、そのあまりに独特な『世界の歩き方』に感想を寝かせていました。
このままではいかん、この世界を『ああ、変な空気を吸ったなあ』で終わらせてはいかんと、令和最初の年末に考え直したわけです。
改めてリラックスした状態で読み返すと、これがまたとても素直に胸にしみて、笑顔で内臓をぐりぐりしてくる系。
第一部は傷を様々な角度でみて、治癒しようと試みるかと思いきや時間を変えて貼りかけたかさぶたをいじくりまわす。
そんな「癒しの時間になると思った? んなわけないよ」と言い続ける作者の目の奥の涙を見るのが楽しかった。
そして第二部は、第一部でいじくった傷に、何としてもかさぶたを貼ろうとするお話。貼ったそばからはがされてしまうけど、何度でも貼ろうと試みる、本能の愛おしさ。
青春時代にきちんと「悲しむ」事を知った人はもちろん、知る機会を逃してしまった人も、この物語を読んで悲しめばいい。
そんなお話。
少年時代にやり残したことを果たしに行く。
狂気をはらんだ“僕”の冒険譚は、他人事のようで、自分のことを投影しているかのようだ。
ミステリアスな物語の中に90年代エンタメへのオマージュをそこかしこにちりばめるユーモアセンス。それに共感できると、より、この狂気な物語の中に引き込まれる。
言ってみれば、これは80年代後半から90年代に青春を過ごした人たちに送る「あの頃の僕の冒険小説」なのだろう。
同世代で小説好きな人は必読。また、タグが気になった人も読んで損はない(むしろ読まないのはもったいない)。
「空気の中に変なものを」、「花火は何故打ち上がったか」の2部構成。
第2部は続きというよりも第1部のスピンオフの形になっている。
ダークでアダルトな雰囲気を持つ、現代社会の冒険譚である第1部とはテイストの違った青春小説になっていて、確かに同じ作者が書いた文章でありながら、こちらは中学生のまっすぐな青春をリアルタイムで切り取ったような印象がある。そして、これもまた冒険譚であり、ジュブナイルのようでもある。
第1部だけでも十分面白いが、第2部を読むことで、よりこの小説を立体的に楽しめるようになる。
過激な描写(性描写含む)はありますが、最後には、ともに救いがある(読者の期待とは違う救いかもしれないけれど)物語なので、読み始めたらぜひ最後まで読み進めてほしいです。
それぞれの主人公が何を手に入れたかを知ることで、この物語は文字通り完結するから。
実はこの作品、冒頭の頭のおかしいオヤジの存在が受け入れられず、一話だけ読んで長い間つづきを読むことをためらっていた。
著者とともに同人誌に参加する機会に恵まれたのだが、そのとき拝読した参加作があまりにも『きもちわるい小説』(ほめ言葉)だったため、氏の代表作とも言える本作もきっと同じテイストに違いないと確信し、意を決して一気に読むことにした。
結果、つきなみみな言い回しで申し訳ないのだが「どうしてもっと早く読まなかったのだろう」と後悔することになる。
文芸的に良い作品はえてして、心の奥の暗い部分というか、知らぬ間に降り積もっている澱というか……人間の中の見て見ぬ振りをしたくなる部分に、光を当てて描いている。そういう部分を描けば描くほど、必然的にきもちわるくなってしまう。つまり、良い作品ほど『きもちわるい小説』という事になる。
この作品は、本当に『きもちわるい小説』だ。本当に『最高』だ。
個人的な好みに基づいて言うならば、やはり頭のおかしいオヤジは受け入れがたく最後まで存在の必然性が判らなかったし、タイトルの『空気の中に変なものを』をもっと効果的に回収すれば完成度が高まるだろうと思うし、もっと読み手を煙に巻くほどねじれた構成にしても良かったんじゃないかと思う。
だけど、そんな事は些事だ。どうでもいい……。
全体を俯瞰して見てみると、作品の世界観を醸すことに成功しているし、それはとてもきもちわるくて最高だ。
後半の追加パートの是非については、俺の中では保留中……まだ消化できていない。
だけど、前半部分とは全く違う空気で描かれる青春劇はとても素敵だったし、サラリときもちわるい描写を挟み込んでコントラストを高めるあたり流石だと唸るしかないし、前半部分にも巧くリンクしてると思う。
ただ、後半パートの読後感の爽やかさが、前半部分のきもちわるさを中和しているのはずるいと思った(笑)
レビューと言うよりも、読書感想文みたいなことしか書けていないのだけれど、長くなってしまったしこの辺で終わっておこうかと思う。
最後くらい、レビューっぽいことを言っておくべきだろうか……。
実は『きもちわるい小説』を読むことは、最高にきもちいいことだ。
だからぜひ、この作品は読んだ方がいい。
少しだけ人生が豊かになるよ……知らんけど(免罪符)
恋は、遠い日の花火ではない――言わずと知れたサントリー・オールドの名コピーである。昔、これに憧れ、いつか情熱大陸に出るんだと豪語していた広告屋の同僚がいた。尻で踏むハヅキルーペのCMが成功(?)を納める今、なまぬるい感慨を抱かずにはいられない。
さて、本作。二部構成になっており、一部は消えた初恋の少女を追い求める復讐劇であり、二部は対照的にひと夏の青春劇となっている。が、〝花火〟を軸に回すと模様が浮かび上がる独楽のような、たくらみが仕掛けてある。
正直なところ感想は難しい(実際、初読の時は逃げた)。恋はやっぱり遠い日の花火で、上から下か見るかで色も形も美しさも違う。多分。心持ちにより変わってしまうのだ。平成の終わりを宣告され、否応なく昭和の終わりを知っている世代が当時を想うのと同じく。けれど振り返らずにはいられない、読み進まざるをえない、そして今もってなおくすぶる。そんな、時代を読まされた物語でした。
好きという気持ちは、ただ一方向に進んでいく感情ではない。
対岸に渡る時、遠回りして橋を渡っていってもいいし、最短ルートで川の中を進んでいってもいい。しかし、どちらにしても確実に対岸に到着するとは限らない。
橋は通行止めになっているかもしれない。川の流れが早くて流れされてしまうかもしれない。
安全性も確実性も、好きという気持ちの先には存在しない。
この話には好きという感情に振り回される男が二人、滑稽に見えるが、その実世界の変革よりも強い力で好きを伝える。
二人はやり遂げる。
それで何が起こるのか?
結局たいした事は、何も起こらない。それが生きるという事なのかもしれない。
しかし、確かに二人はやり遂げたのだ。
それだけは、正しい。
この作品は、自意識と性と生の感覚が不安定だった思春期のあの頃を、非常にリアルな質感を持って想起させる2章立ての物語です。
表題でもある『空気の中に変なものを』は、思春期時代の瑕疵を背負ったまま大人になった主人公が、かつて救えなかった初恋の人を助けようとするお話。
ここでは「かつての初恋の人を助ける」という『目的』が強く描かれており、過去や現実のあるべき姿が奇妙にねじれていく感覚が大変に印象的でした。
一方の『花火は何故打ち上がったか』は、思春期真っ只中の少年が、初恋の人との約束を果たすために、周囲を巻き込んで花火を打ち上げようとするお話。
こちらは1章とは対照的に、目的に向かっていく『過程』が丁寧に描かれており、まさに花火のような刹那的なきらめきに胸を打たれる思いがしました。
2章の爽やかな読後感も素晴らしいのですが、1章の不条理な「ねじれ感」こそが、この作品独特の世界観を形作るものだと思います。
この文章でなければ表現できない空気感が、絶妙に心地悪くて心地いい。
多くの人が「マシンガンを持ったテロリストが教室に侵入してきた」みたいなことを経験しないまま大人になっちゃったと思いますが。
スーパーヒーローになれなかった僕たち私たちが、あの頃思い描いたようなIFを濃密に追体験できる作品でした。
うまくまとまらない感想になってしまいましたが、ものすごく面白かったです!
銃声、空気の中に変なものを垂れ流している煙突。
あのとき何もできなかったぼくは、タカハシを救いに行くと決めた。
けっこう過激な暴力描写や性描写があるので18歳未満は読んだらダメ。
27歳オーバーのみなさんに勧めたい小説です。
生まれた年代の違うふたりの少年が結果的にタカハシさんを救うことになるんですが、それ以前にこの物語構成センスよ。
昭和の怖いかみなりおやじ。銃を隠し持っているという噂のおじさん。
焼却炉の二匹のペンギン。ぺんぎん可愛いよね。
狂ったビートの青春小説です。あんまり誰も救われなかった気もする。唯一担任ちゃんだけではないでしょうか? なんらかの救いを得ることができたのは。でもそれが平成の終わりを象徴している気もして、何とも言えない読後感を醸し出しています。
私は割と能天気人間なので、あの焼却炉を破壊して平成が終わるといいな。とか思ってしまう。今も誰かが空気の中に変なものを燃やして混ぜているんでしょうか?それとも命知らずの誰かがあの場所に向かっていくんでしょうか。
この物語の舞台となっているのは、たぶん千葉県の常磐線沿線の地域でしょうか。
そして、物語の舞台設定となっている時代は80年代から90年代にかけての10年間だとされていますが、小説の中に描写されいる頭のおかしいオヤジみたいな人は、今でも時どき噂話で耳にしますし、私が幼少だった頃(90年代末期)は実際、そんな良からぬ噂のある人が近所にいた事も思い出しました。
これは私の勝手な思い込みですが、この話から漂う怖さと、物語の舞台となっている土地の得体の知れない不気味さ(自分も住んでいた時期があるのでよく分かる)や、昭和の頃で時間が止まってしまったかのような雰囲気も相まって、この場所を舞台とした事が、恐怖感を感じさせ、この作品をより魅力あるものにしたのだと思います。