15話 私にはないもの

 目が覚めた時、アシュタムはいなかった。

 私は学校に行くふりをして彼を探す。もしかして、羅紗らしゃの家? それなら学校に行って羅紗に聞き出せばよかったと後悔する。

 でも後悔してる暇はない。なんとか居場所を突き止めないと……と朝から探し回っているけど、なんの手がかりもない。

 慈烏公園のベンチで少し休憩をしながら思い当りそうな場所を思い浮かべていると、遠くから見覚えのある人影が走ってくるのが見えた。羅紗だ。


「はや……早く来てくれ」


 なにがあったか聞き出そうとするより早く、羅紗は息を切らしながら私の手をつかむと、どこかへ引っ張っていこうとする。


「何があったの? 話して!」


「お前のところの犬が……母様が……とにかく来てくれ! 信じられないだろうけどボクも母様を助けたいんだ! お前にしか頼めない……」


 泣き出しそうな顔の羅紗を見て、私は決意を固めた。本当のことじゃなくても、本当のことでも多分、そこにアシュタムはいる。

 羅紗に手を引かれてしばらく走った先にあったのは、大きな門のある大きな和風の庭園がある家だった。

 私たちは厳めしい門を潜り、裏口のようなところから家の中に忍び込むように入り込む。

 扉を両手で押すと、扉が床に当たって金属の擦れる重い音を響かせた。

 そのまま少し進んだ先にある階段を下りて、土壁に囲われた真っ直ぐな通路を息を殺しながら進んでいく。

 よくわからないけど嫌な感じがする。背筋が寒いのは、地下へ向かっているからだけではなさそう。いつも感じていた悪霊が出てくる前みたいな魂の底から冷えていくような寒気が手足を先端から冷やしていく。

 逸れないようにと繋いでいる羅紗の手は汗でびっしょりと濡れていて、その顔は緊張のためか寒気のためか青ざめている。

 ずっと歩いている気がして、さすがにいつになったらたどり着くのかを聞こうとしたとき、急に羅紗が立ち止ったので、彼の背中にぶつかりそうになる。

 ここはどこだろう……と息を呑んでいる羅紗の視線の先を私も見ようと、彼の背中越しに覗き込む。

 そこには縁取りに繊細な龍が空を泳ぐ様子が彫ってある立派な木の分厚い扉があった。



―――ドォォォォン


 

 地面が揺れるほどの振動。

 目が潰れてしまいそうなくらい眩い閃光。

 目の前が真っ白な煙と真っ黒な靄で覆われる。

 乾いた音を立てながら破れる扉とそこから飛び出す黒い影……。


「紬っ」


 聞きなれた声に意識を奪われる。

 目を開いた時に私の眼に入ったのは、私に向かって飛び出してきたアシュタムと、彼を貫く鋭くて長い棒状のもの。


 私が立っているすぐ横の壁に張り付けにされたような形になったアシュタムからボタボタと音が聞こえそうなほど血が滴り落ちる。

 グルルと唸り声をあげてもがいたアシュタムは、すぐに自分の体を貫いていた棒から抜け出すと、もやの中にいるなにかに噛み付き、思い切り振りまわして遠心力に任せるままに大きそうななにかを放り投げた。

 そして、なにか硬くて重い鉄のようなものが壁に当たって落ちる音がしたかと思うと、何が起こっているのかわからなずに固まっている私と羅紗の前にアシュタムがよろよろと歩いて立ちふさがる。


「羅紗! どうして……」


 アシュタムに気を取られていると、部屋の中からすごく綺麗な和装の女の人が走ってやってきた。彼女は、私の隣で立ち尽くしていた羅紗の首に長くて白い腕を絡ませ、そのまま抱きしめた。

 青みがかった艶のある真っすぐな髪を後ろで結わえたその女の人は、羅紗の顔と体を見て怪我ひとつないのをみるとホッとした顔をして、再び羅紗のことを抱きしめる。


「母様……ボク……」


「来てはいけないといったではないですか……」


 若く見えたので羅紗のお母さんだと呼ばれていて驚く。そして、真っ先に子供の怪我の心配をするお母さんもいるんだ……と胸がズキンと痛んだ。


金襴きんらん……親子の感動の再開はそこまでにしておけ。来るぞ」


 アシュタムがそういうと、女陰陽師みたいな恰好をした金襴と呼ばれたその女性は凛々しい表情になって立ち上がって私の方を見た。


「貴方の大切な想い人をお借りしてしまった上に、結局巻き込んでしまってごめんなさいね」


 弓を構えながら金襴さんはそういうと、まっすぐに前を見た。

 苦しそうな顔を浮かべているアシュタムを見たけれど、とりあえず身体の傷は言えているみたいだった。彼は低い体勢を維持しながらグルルルと唸り声をあげて部屋の中を威嚇する。

 ガタゴトと不穏な音と共に靄も晴れてきた。

 目の前に薄っすらと見えてきたのは、なにがあったのかわからないくらいめちゃくちゃに荒れた部屋、壁にたくさんついた謎の爪痕だった。

 とにかく大変なものがここにいるということだけは伝わってきて思わず生唾を呑みこむ。隣の羅紗も同じ気持ちなのか、彼の喉を鳴らす音が聞こえた。


「儂の情けで生きられている稚児ちごどもが、余計なもんを連れてきおって」


 低く嗄れた老人の声が忌々しげにそう告げる。

 声がしたのは、部屋の奥にある崩れた壁の前にある大きな瓦礫の方だった。

 瓦礫が重い音を響かせて床に落ちると、瓦礫が乗っている家具だと思っていたものは体が真っ青な鱗に覆われた大柄な生き物だということに気がつく。

 その生き物は人のような形をしていて、頭からは日本鹿のように枝分かれしたするどい角が生えていた。鋭く尖った角の先端には血がべったりと付いている。

 さっき、アシュタムを貫いたのはこれだと察した私は、なんとなく青鬼という文字が頭にちらついて身体を強張らせる。


「人の心を喰い鬼にしてきた龍を打倒うちたおすのが我が一族の本来の役目です! 一族の長一信いっしん様……いえ、父上。そこまでもうろく碌してしまったのですか」


 凛とした金襴さんは構えていた弓を立て続けに瓦礫から出てきた一信に放つが、放たれた矢は硬い鱗に覆われた逞しい老人の体を貫く前に手で取られてしまった。

 もしかして、二人はこんな怖いものとずっと戦っていたのか……と膝が震える。これまで遭ったどんな悪霊よりも怖い。


「出来そこないの祖先の言いつけを守ろうとしか出来ぬ哀れな子らにはきつい折檻が必要なようだのう……」


 手でつかんだ矢をまとめて片手で折りながらそう言った一信はゆっくりとこちらに近づいてくる。

 なんとか、一信と繋がってる人が見つけられたらアシュタムが元の姿に戻れる……そうしたらきっとなんとかなる。

 震える足を手で軽く叩いて、ついでに自分のほっぺも叩いて気合を入れると、私は目を必死で開いて目の前で動き回る三人の方へと目を向ける。

 ブンと遠くからでも音がわかるくらいの音をさせて腕を振り回す一信と、それをよけながらなんとか弓をあてようとする金襴さん、そして同じく腕や角での攻撃をよけながらなんとか噛み付こうと機会をうかがってめまぐるしくアシュタム……。

 ダメだわからない。いつもは見える糸のようなものが見えない代わりに、部屋中に青白いもやもやがいっぱい見える。


「……使い魔の魔術を使うのに条件はあるのか」


「……」


 私がなにかしよとしてるのを察したのか、羅紗が話しかけてきたけど、彼の真意がくみ取れなくて、黙って見つめ返してすぐに三人の方へ視線を戻した。

 羅紗は青ざめているままだけど、なんとなく……悪いことを考えていそうにはない気がする。


「早く話せ。……出来そこないとは言え、あんたよりはボクの方が魔術に詳しい」


 服の袖を引っ張ってきて必死な声でそう急かすの羅紗の顔をもう一度見つめる。

 全然私には魔術の知識もないし、誰かの心理を探るとかは出来ないけど……ここで一人でがんばるよりは誰かに助けてもらったほうがいい。だからたぶん、大丈夫。

 ダメだとしても、失敗しても多分アシュタムは、私が考えてした決意なら頭ごなしに否定しないし、私を急に見捨てたりしない。そう思ったら失敗も少しだけ怖くなくなった。

 とにかく、なんとかしないと、全員死んでしまう。だから大したことは出来ないかもしれないけど、決断をしないといけない。


「憑代になってる人と悪霊の両方を見なきゃダメなんだけど……つながりが見えなくて。なんとかできる?」


「それなら……ボクにもなんとか出来そうだ」


 羅紗は、私の返事に対して少し安心したような声でそういうと深呼吸をして、戦っている三人の方を見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る