4話 夜の学校

 部屋をノックする音で目が覚める。

 眠そうな声で返事をした私に、お母さんは溜息をつきながらドアを開けて部屋を覗き込む。

 それと同時に赤いハーネスを咥えたアシュタムが部屋へ入ってきて私のベッドの上に乗った。


「また制服で寝てるの? 何回言ったらわかるの。だらしないんだから」


「ごめんなさい……」


 いつものように私はベッドの上に正座をすると、お母さんのほうを見た。

 寝たままでいるともっと怒られるのは知ってる。反省をしていないといつも怒られるのでせめて真面目であろうと自主的にし始めた正座で話を聞くことは、幸いにもまだお母さんの機嫌を損ねたことはない。


「寝てたから夕飯はいらないでしょ? 早く犬の散歩に行ってきなさい。あなたが飼いたいって言ったから買ってあげたんでしょ? 自分でしたいって言ったことくらいちゃんと守りなさい」


「はい。ごめんなさい」


「まったく本当にダメな子なんだから。言葉でだけ謝っても態度でわかるのよ反省してるならもう二度とやらないで」


 お母さんが顔を引っ込めてドアを閉めるとホッとして力が抜ける。

 こうやって怒っている人がいなるとホッとするところが私のダメなところなんだろうなと思うけど、体の反応はどうしようもないと少し諦めてる。

 両親あのひとたちといるときは、いつ怒られて、いつ迷惑をかけたり不快にさせてしまうのかわからなくて疲れるし怖い。

 だから私は育ててもらっているにも関わらず、両親あのひとたちのことが苦手だった。とんでもない親不孝でダメな人間だなと自分でも思う。

 

 お母さんの足音が完全に遠のいてから正座を崩し、制服から着替える。

 アシュタムはもう私の着替えるタイミングを心得てるのか私に背を向けて座っている。

 さっと動きやすい服装に着替えてアシュタムに声をかけると、彼はそっと私の腕に頭をこすり付けてくる。まるで本当の飼い犬みたい。

 彼の頭を軽くなでてから、ハーネスを付けてあげて玄関へと向かった。お母さんからの反応はなかったけれど一応「いってきます」と言って私はもうすっかり冷え込んだ冬の夜の住宅街へとアシュタムと一緒に足を運ぶ。


「お前と、お前の母親はいつもああなのか?」


「なんのこと?」


「いや、いい。今はとにかく例の繭に集中しよう」


 これ、他人から見たら吠えてる犬に話しかけてる人になるのか、独り言を言ってる人になるのかちょっと気になる……と今更思う。どっちにしてもいいことはなさそうだなーと思ったところで、だからアシュタムは家族やほかの人がいるときに話しかけてこないのか……と気が付いた。

 話す言葉は偉そうだし、説明もあんまりしてくれないけど、実は結構気を使ってくれてる?と思うと少しだけこの意味不明な出会いも最悪とまでは言えないかもしれないなんて思う。


 夜といってもまだ早い時間なので、人もまばらに歩いていることもあるからか、私たちは無言で、本当に飼い主と犬のような感じで学校の前までたどり着いた。

 

 校門の前まで来ると、アシュタムが勢いよく吠えながら校庭に走っていく。走りながら彼は私に目配せをしていることに気がついた。

 これはついてこいってことだろうな…と気が付いて私は犬に走って逃げられたかわいそうな飼い主を装って、少し大げさな独り言を言いながら学校の校庭に入っていく。

 「かわいそうなふりをすることばっかり得意なんだから」と、お母さんに言われていたこの忌々しい特技も、役に立つ時もあるんだなと思いながら、私は校門を乗り越えて学校の敷地へと入った。

 校門を乗り越えるとき、セキュリティシステムが反応しないかドキドキしたけど不思議と何もなくてホッとする。

 これもアシュタムが何かしたのかな?

 そのままなるべく人目につかないように駆け足で下駄箱のところまで行くと、どこからともなく走ってきたアシュタムが私の隣に立った。


「紬……お前の演技力には目を見張るものがある」


 大きく溜め息を吐いたアシュタムが言葉を続ける。


「すごいことだぞ。今までお前のような下手糞な演技をする者はみたことがない……。言葉を話し始めたばかりの稚児ですらもっと上手く嘘をつく。誤魔化すのが苦手なら早く言え。見ていてヒヤヒヤした」


「……え? これでもかわいそうなふりをするのはうまいってよく言われて……」


「一体誰がそんな事を言ったんだ? その者の目は節穴だ」


 アシュタムが心底呆れたような声でそういったことに動揺を隠せない。

 お母さんの目は節穴なんて言う人初めてだ。そもそも人の親を悪く言う人もいないし、私も「かわいそうなふりをするのがうまいと言われる」なんて人に言う機会はないからあたりまえなんだけど。

 きっと、アシュタムは私とあまり一緒にいないから私がどんなにダメでうそつきなのか知らないだけだろう。

 なんとなく自分の中でそういうことにして、少し震える手でアシュタムのハーネスを引きながら、夜の学校を自分の教室へ向かって歩く。

 なにか嫌な匂いでも嗅ぎつけたのか、鼻をクンクンと動かしアシュタムが立ち止ったのはちょうど私のクラスの目の前だった。


「つむ……」


 アシュタムがなにかを言い終わる前に私の視界に黒みを帯びた紫の糸がうつり、あっという間にアシュタムの体も私の体もその糸に巻き取られる。

 とっさに体を捩ろうとするが、手足に巻き付いた糸はビクともしない。

 目の前のアシュタムも、手足をばたつかせたり、体を捻って糸に噛み付いているが、胴に巻き付いた糸は噛んでもひっかいてもどうにもならないみたいだった。

 どうしようと辺りをキョロキョロしていると、視界の隅で何かが動いた気がして視線を動かす。

 何か動いたのは気のせいかもしれないなんて思ってたけど、やっぱり気のせいなんかじゃなくて、集まってきた真っ黒な靄のようなものは徐々に形を作り出し、あっという間にヒト型の何かへと姿を変えた。


「ひひひひヒ……がいたからどんなやばいやつかと思ったラうまそうで弱い獲物じゃないカ」


 蚊の頭と羽を人間に付けたようなどう見ても化け物のソレは、愉快そうに笑って針のようになっている鼻とでっぷりとしたお腹を揺らしながらそういった。


「下等な悪霊か。全く。こんなやつにすら勝てなくなるほどに脆弱だというのかこの仮初かりそめの肉体は……」


 忌々しそうに目の前で自由を奪われているアシュタムはそう吐き捨てると私の目を見てこう言った。


「紬、オレと契約をしろ」

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