8話 母娘の亀裂

「まったくこんな遅くまで何してたの? なにかあったらお母さんのせいにされるのよ? 本当に時間にルーズでダメな子なんだから」


「……ゴミ捨て場に私の荷物があったから」


 いつもより遅い帰宅。

 玄関を開けてかけられるのは心配の言葉ではなくてお説教。いつもなら謝らせて終わるけど、今日はなんだかそれではダメな気がして反論してみようとする。でもお母さんは私が謝らないとわかると、さっきまで背を向けてしていた作業をやめてキッと睨み付けてきた。

 私の足元でアシュタムが低く唸るのをみて、お母さんはギョッとした顔を浮かべながらも、珍しく玄関にまで来て私の顔を睨み付ける。


「は? 片づけない紬が悪いんでしょ? それにその犬! あなたが飼いたいってわがままを言うから買ったのよ? しつけくらいちゃんとしてよ」


『オレはそんな設定はしていない。お前に内緒でサプライズプレゼントされたのがオレだ』


 なんでそんなちょっと凝った設定にしたの……と少し気がそれそうになる。たぶん応援のつもりのアシュタムの心の声を聞いて、もう少し頑張る気持ちがわいてきた。

 なんとか気力を振り絞ってお母さんの目を見ながら声を出す。


「犬も……母さんが私のために飼ったって……」


「言ってもないことつくらないでようそつき! そんなにお母さんが悪いことにしたいならそうすればいいわ。勝手にしなさい。今すぐ家を出てって。あなたを育てるのにかかったお金も返して。出ていけないなら家のものを使うならお金を払いなさい」


「お金、バイトの同意書に印鑑ハンコ押してくれるならそれでもいいけど……」


「バイトの許可? するわけないでしょ! なんでもお母さんに頼らないで自分で何とかしなさいよ」


 畳み掛けられる言葉。話の内容はどんどん逸れていく。

 お母さんこのひとは、私の言葉なんて聞いてないし、言い負かされるのが怖くて、懸命に話をそらしてるだけなのかもしれない。

 これ以上話しても意味がないみたい。たぶんごめんなさいを言うまでずっとお母さんこの人は私のことを話をズラしたり逸らしたりして責め続けるんだろうな……。

 私はなんのためにここにいるんだろう。


「……ごめんなさい」


「また言葉だけで謝ればいいと思ってるんでしょ。お母さんは優しいからそれで許してあげるけど社会に出たらそれじゃダメなんだからね」


 どこかほっとしたような顔でお母さんはそういうと、足早に台所へ戻っていった。

 アシュタムは私の部屋に一緒に来るとイライラを発散させるように、骨の形のおもちゃに噛み付いた。


「オレが唸ればお前のせいになり、出ていけと言われて出ていく提案をすればそれを否定する。これだから角なしの人間はよくない。道理が全く通じない」


「たぶん角とか関係なく、私のお母さんが少し変なだけだよ……」


 頭が疲れている。泣いたから水分不足なのか、お母さんに言い返すなんて慣れないことをしたからなのかわからない。

 頭のどこかが痺れるようなふわふわする感覚と体のダルさで私は部屋につくなりベッドに倒れこんだ。

 アシュタムはそんな私の様子に気が付くと、おもちゃを放り投げて私の方に駆け寄って来てくれた。


「がんばってみたけど、やっぱりつらいね。お母さんがよろこぶようないい子になりたかったな……」


 仰向けになった私はアシュタムに手を伸ばす。彼は私のお腹の上に乗って腹ばいになった。

 心地よい重さと温かくてふわふわとした感触に少しだけ気がまぎれるけど、やっぱり涙は耐えられなくて、私は服を涙に押し付けるように腕で目を隠す。


「そんなものは存在しないってわかっちゃったけど……」


「すまない」


 クゥンと悲しげに鼻を鳴らすアシュタム。

 違う。別にアシュタムのせいじゃない。いつかわかることだったから。

 でもそれを言おうと思ってもなかなか言えなくて私は声を押し殺して泣く。

 泣いてる声が外に漏れたら、またお母さんが怒鳴り込んでくるのはわかってるから……。


「変わりたい……。それが無理なら死んでしまいたい。それでも、アシュタムが元の世界に帰ることには協力するよ、約束したことだし。ダメな私でも、私にしか出来ないことなら……」


 せっかくなんとかいいことを言おうとしてもネガティブなことしか言えなくて自分が嫌になってくる。

 こういうとき教えてもらった心の声みたいなのを使えばいいんだろうけど、なにが流れてしまうかわからないからそれも出来ない。本当にポンコツだなぁとまた自嘲気味になる。


「何度も言ってるだろ。お前はダメなんかじゃないと」


 何度も言ってくれる私を褒める言葉を素直に受け取れなくて、その度にアシュタムがつらそうな声を出す気がして私も胸が痛む。

 お母さんの言葉も、お父さんの言葉も気にしなくて済むようになれればいいのに、ずっと言われてきた否定の言葉は私の心に大きな大きな穴を作ってたみたいで、アシュタムの言葉はその穴を通り抜けて零れてどこかに落ちて消えてしまうみたいだ。


「ありがとう……。でも、アシュタムはこの世界の角なしのみんなを知らないからそう言ってくれるだけだよ」


「もういい。何も話さなくていいし、何も考えるな。特別にオレが枕になってやろう。とにかく、今はゆっくり眠るんだ。お前は何も悪くない」


 アシュタムは私の額にそっと口付をする。今のアシュタムが犬で良かったとなんとなく思う。そうじゃなければこういうなんとなくのやりとりも、あんな美青年の姿でされたら恋愛経験のない私は勘違いをして舞い上がってしまいそうだから。


 アシュタムからは犬特有の匂いではなく、どことなく甘い香辛料とお香の混ざったような匂いがして、ふわふわの毛皮の手触りも相まってすごくよく眠れそうな気がした。

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