6話 夢と現実

 目が覚めると、私の隣には真っ黒な犬がいる。夢じゃなかった……と胸をなでおろす。

 ちゃんと家で寝てるけど、もしかして運んでくれたのかな?

 お礼の意味を込めてスゥスゥと寝息を立てているアシュタムの頭を撫でると彼は閉じていた瞼を重そうに持ち上げてうっすら目を開けた。


犬のこの体で運ぶには、少し重かったな」


「ごめんなさい」


「気にするな。元の姿であればお前くらい羽根のように軽いというのに……」


 アシュタムはまだ眠そうに欠伸あくびをすると組んだ前足の上に顎を乗せてそういった。

 確かに、元の姿だと背も大きかったし、私がいくら重くても簡単に担げそう…と昨日の姿を思い出し、彫りの深い整った顔や、長い睫、切れ長の目から除く真っ赤な瞳を思い出して溜息をつく。


「お前の近くに妖しき者あくりょうが敵意を向けているのがわかっても、お前の許可と妖しき者の憑代よりしろがお前にわからなければ元の姿には戻れない。全くもって面倒な制約だ」


 忌々しいことを思い出すような不満げな声で吐き捨てるようにそう言うとアシュタムは目の前にあるロープの玩具に噛み付いた。

 いきなり変身できた理由を聞くタイミングを考えようとしていたけど、聞かなくて済んじゃった。

 昨日はたまたま私が川上さんとあの繭が繋がっているとわかったから、運よくアシュタムがヒトの姿になれたんだ。

 もし、私がそれを知らなかったらと思うとぞっとする。


「そっちの手首を見てみろ。それが契約の証だ。オレが死ぬか封印を解けばそれも消える。まあ、今は不死の身だ。オレが死ぬことはないが」


 アシュタムに言われて見てみると、確かに私の右手首の内側に小さく紅色のたてがみ部分が炎のようになったライオンの頭の絵のようなものが記されていた。


「……夢で見たけど、あの金の輪っかがなくなれば元に戻れるの?」


「その通りだ。お前は角なしの民であるにも関わらず聡明で助かる。オレの角に嵌められたあの忌々しい金の輪が全て壊れるまでオレは元の姿にも、元の世界にも帰れない」


 彼がたまにいう「角なしの民」への偏見みたいなものが引っ掛かる。

 そういえば昨日も軽蔑すべきとか言ってたような……。

 アシュタムの世界では角のある人とない人が争ってたりするんだろうか。

 そういうなんか重そうな話は朝からやめておこう。なんか怖いし。

 私はそれよりも、気になっていたことを聞いてみることにした。


「元の世界、異世界転生って今流行り? のやつ?」


「この世界の神話でも多いらしいな、人や神が別世界で活躍するという伝説や戯曲の類は……。近いものと捉えていいぞ」


「むむ……やけに詳しい。やっぱりアシュタムは私の脳が生み出したイマジナリ―ペットなのでは。異世界の相手と言葉が通じるのもこの世界のことにやたら詳しいのもおかしいよ……。やっぱり病院に……」


「落ち着け」


 すらすらとこの世界のことを答える異世界の住人なんて、アニメとかゲームにでもあまりいないでしょ…と思っていたら考えてることが全部口から漏れてたみたいで、少し冷めた目をしたアシュタムの前脚が私の頭に乗せられる。


「この世界の仕組みらしくてな。世界にとっての異端者が受肉じゅにくを果たす場合、この世界の常識とやらが頭の中に知識として一通り詰め込まれるらしい。……オレの世界よりも圧倒的に異世界のものを召喚する機構が整えられている割に世界には魔法も魔術も浸透していない。本当に奇妙な世界だ」


 便利な機能があると知ってちょっと安心だった。誰がなんのためにしたのかはわからないけど、もしかしたら私の知らないところで異世界転生とか、異世界の存在を7体召喚して宝物を奪い合う戦いなんてものは実際に起きてるのかもしれない。

 …いまいち信じられないけど、私の身に実際なにか起きてるのは本当だ。脳の病気も疑ってないわけではないけど、話し相手がいて、話していて安心できるという相手が出来たなら、病気だとしても悪くないのかもしれない。

 

―――ピピピピピ


 話し込んでいる間に目覚ましのアラームが鳴った。

 お母さんが来る前に着替えておかないと…。


 私がのそのそとベットから抜け出すと、アシュタムも一緒に床に降りる。彼は一足先にリビングに朝食を食べに行くらしい。


『契約を交わしたことで、慣れればこうして口に出さなくても会話ができるようになった。覚えておくといい』


「ひゃ」


 急に耳元でささやかれたみたいな声が聞こえて思わず驚いて小さく叫ぶ。これもよく漫画とかで見て便利だなとおもったけど、実際にされると本当にびっくりするなってことだけわかった。

 覚えておくって言っても……どう使うの? これも伝わってる? え? どうしよう。


『安心しろ。聞こえてなんていないぞ本当だとも』


 楽しそうな声でアシュタムの声が聞こえる。

 ダメだこれ絶対聞こえてる! 私の頭の中が全部だだもれって恥ずかしすぎる……。どうしよう?


 着替えるのも忘れて慌てる私に『オレのことを意識しすぎなければいい』とそっと囁かれる。無理……。

 練習すれば……できるようになるかな。


―――ピピピピピ


 再びアラームが鳴り響く。

 私は慌てて制服に袖を通すと、今日はまだ家を出る前の両親に珍しく「いってきます」と声をかけて出かけた。

 いつも通り声は帰ってこない。久しぶりに少しさみしい気分になりながら私は家のドアを閉めた。


「おはよー明崎さん!」


 下駄箱で出会った川上さんが話しかけてくる。よかった、昨日の影響はないみたい。

 相変わらずキラキラしたネイルで、いつもと変わらない明るい雰囲気の川上さんを見て安心する。よくわからない蚊の化け物に憑りつかれていても大丈夫だったのはなんでだろう。

 今まで気が付かなかっただけで私もそういうものに憑りつかれてたりするのかな……。

 私が考え事をしている間に川上さんは友達とのおしゃべりに花を咲かせていた。あたりを見回しても昨日みたいな嫌な感覚はしない。

 ほっと胸を撫でおろし、私も昨日のことはとりあえず忘れて、目の前の生活に集中する。

 昨日の騒ぎはなかったことになったわけではなく、原因不明の煤や、抉れた廊下に朝先生たちが大騒ぎしていたけど、私は知らない振りをして通り過ぎた。

 今度から気を付けなきゃ。


 帰ったら、またアシュタムに色々聞けたらいいな。楽しみだな。家に帰るのが楽しみなんて初めてかもしれない。

 授業も無事終わり、私は小走りになりながら明るい気持ちで家に向かった。

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