9話 対等な相手

 封印の輪もあと四つ。あと少しでアシュタムはこの世界からいなくなる。


 休日の午後、お父さんもお母さんも家にいるので、なんだか家にいても気が休まらない。

 家にいることが限界になった私は、アシュタムのトリミングに行くという理由で外へと出かけることにした。

 機嫌がよかったのか、お父さんはトリミング代をスムーズに渡してくれたし、お母さんも少し嫌みは言ってきたけど、めちゃくちゃなことは言われずに済んだ。

 無事に外出に成功した私はというと、アシュタムがトリミングをされている間の時間を潰すために、ぼうっとしながら近所の大型スーパーでふらふらしているのだった。

 本屋で参考書でも選ぼうとしたところで、大きな黒みがかった繭が目に入る。

 繭からはうっすらと細い糸のようなものが出ていて、それが本屋さんの店員さんに繋がっているのが見えた。

 川上さんが例外的だっただけで、繭と繋がっている人は、この本屋の店員さんもほかの人もどこか具合が悪そうにしている。


 アシュタムに悪霊がいるって教えないと……。そう思って気が重くなる。

 彼が元の世界に戻ったら、私はまた一人に戻ってしまう。

 連れて行ってほしいと言いたいけど、多分私は、この世界だけで完結すべき存在で、王様って立場のアシュタムに、彼の世界に連れて行ってほしいなんていっても断られるし迷惑だってわかってるから言えない。

 怖いから詳しく聞いてないけど、彼の世界では角がないとダメみたいだし。


 それでも、私のわがままや気まぐれで、私を信じて契約をしてくれて、対等だと言ってくれたアシュタムを裏切ったり、嘘をつくのは嫌だった。

 気は重いけど、やらなきゃいけない。教えないといけない。いつまでも、彼をお母さんからの番犬とか、慰めてくれる便利な相手として頼ってたらいけないんだ。

 私はそんなことを考えながら、ペットサロンの前でアシュタムのトリミングが終わるのをぼぉっとしながら待つ。


「お待たせいたしました。わんちゃんすごくおりこうで助かりました」


 栗毛色のロングが素敵なお姉さんが連れてきてくれたアシュタムは、毛がいつもよりつやつやとして、胸元と尻尾の飾り毛が整えられ、なんとなくいつもよりも優雅な雰囲気が漂っていた。


「この世界もなかなか悪くないものだな。宮殿と比べると些か物足りないのは確かだが……」


 上機嫌なアシュタムは、そんな軽口を言いながらもうれしそうに歩く。やっぱり王様だったから、お風呂とかもたくさんの使用人に手伝ってもらってたのかな。

 よく映画とかで出る大きい扇を仰ぐ人とか……。

 気持ちが沈んでるときほど、思考が明後日の方へ行きがちだ。

 私は、気を取り直してなるべく明るくアシュタムに繭を見つけたことを報告した。

 実際、うれしいことのはずなんだ。私によくしてくれる人にとってのよいことを、私は


「ところで、紬。何を無理してる」


 ビクッと体が跳ねる。怒られる……と体が、表情がこわばる。

 アシュタムはゆっくりと振り返って足を止めた私のことを見つめた。


「責めたいわけではない。怖がらせたのなら謝る」


 こわばった私の顔を見たからかアシュタムは溜息をついて頭を下げた。つやつやの真っ黒な被毛が少し揺れる。

 アシュタムは私の方へ二、三歩近寄ると、俯いてる私の顔を見上げるように顔を上げた。

 目があって私の呼吸が乱れる。幻滅されてしまう。怒られてしまう。そんな思いで頭がぐるぐるする。


「オレはお前の母親とは違う。大丈夫だ。お前を怒ったりなじったりする者はここにはいない」


 しゃがみこんでしまった私の肩に顎を乗せながら、アシュタムは小さな子に言い聞かせるみたいにゆっくり、優しい声で語りかけてくる。


「わたしをおこるひとは……ここにいない」


 アシュタムの言うことを、声に出したら少し落ち着いてきた。そうか、私はお母さんがいなくても、お母さんの陰に怯えてパニックになるんだ。

 安心した私はアシュタムを抱きしめる。いつも助けられてばかり…。早くあの輪っかを壊して早く私のおりなんて終わらせてあげなきゃ。

 落ち着きを取り戻した私を見てアシュタムはほっとしたのか、尾を左右にゆっくりと振った。


「無理はしてないよアシュタム。ただ、私によくしてくれる人にとってのよいことを、私は。なのに、うまくそれが出来なくて……」


「知っているか紬。それを無理をしてるというのだ」


 笑って歩き出そうとした私の胸に前足を乗せて立ち上がったアシュタムは、さらにグッと私に顔を近づけながらそういった。

 アシュタムの深紅の瞳には、困ったような顔で今にも泣きだしそうな自分が写ってる。


「……お前の感情はお前のもので、こうしなければいけないと、無理矢理それを変えるということは無理をするということだ」


 わからない……といいたいのがわかったのか、アシュタムは静かに私の胸から前足を下ろすと、座りなおしながら私の顔をゆっくり見て言葉を続ける。


「感情を呑みこみ、それに反する判断をしなければならないときも、もちろんある。

だが、感情をと歪めようとするのは、自分を粗末に扱う行為だ。覚えておけ」


「私、そもそもダメな子だし、こうやってがんばらなきゃちゃんと出来ないからがんばろうって思って……」


 どうしても言い訳が出てしまう。自分を粗末にしていると言われて胸がズキンと痛む。

 私は、粗末にされたいわけでも自分を粗末にしたいわけじゃないけど、私はダメな子だから厳しくしないと、ちゃんとしないと普通になれないって…。

 どうしていいかわからなくて、また泣きそうになってしまう。許されたいから演技をしてるのかもしれない。演技なんてしたくないのに…と涙をこらえる。


「オレは紬を対等な相手として認めた。だからオレはお前を尊重するし、お前が自分を粗末にするならそれを止める。勝手にへりくだるな。紬はオレの主人なのだ。堂々としていろ」


「王様相手にそれは無理だよ……」


 素直な感想が漏れる。生まれてからずっと誇りを持てて、しかもすごい力も持っている私とアシュタムではあまりにもすべてが違いすぎる。

 そんな私をまっすぐに見たアシュタムの眼には怒りも軽蔑の色もないような気がして、思わず息を呑む。


「その王のオレが、オレとお前は対等であり、そのように振る舞えと言っているのだ。紬にはそれをするだけの知性も器もある。オレの目に狂いはない。お前は、お前であることを誇っていい。オレが許す」


 もう話は終わりだと言わんばかりに立ち上がって回れ右をしたアシュタムにハーネスの紐を引かれ、私は歩き出した。

 犬の姿なのに、元の姿に戻った時のような神々しさで優雅に流れるように歩くアシュタムに「対等だ」と言ってもらえたことがうれしくて少しだけ自信を持っていいのかななんて思える。


 少しだけ足取りも心も軽くなった気がした。

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