黒犬の魔王と女子高生

小紫-こむらさきー

1話 黒い大型犬

「全てをいてつてつかせ闇の底へと眠らせる月の神の名のもとに……数多あまた殺戮さつりくの神を縛りし天の鎖よ、今こそ暴虐の王を正す輪となり法となれ!」


 叫んでいるのは短く切りそろえられた金色の髪を風に靡かせ、銀の鎧に身を包む青年だった。

 彼が手を上に掲げると、頭上に眩い光の裂け目が出来る。

 その裂け目からは黄金の鎖が幾重にもなって伸びていき、彼の目の前にいる大柄な男性に向かっていく。

 褐色の肌をした黒く長い髪の男性の頭から生えている黒くて美しい二本の角に、金髪の青年が放った黄金の鎖が絡みついた。

 そして、絡みついた鎖はいつのまにか光の粒子に包まれて黄金の輪になっていく。


「君の角に施したのは八つの封印輪ふういんりん。これが一つでもある限り、君は僕の定めた条件でしか本来の姿に戻れない。もちろん、自害なんて許さない。あらゆる傷も病も癒す月の女神による加護がその輪には備わっているからね」


つのなし……貴様なにを企んで……」

 

 苦しみに顔を歪めて膝をついた黒髪の男性は、燃える宝石みたいな真っ赤な瞳で、金髪の青年の青空を閉じ込めたような色の瞳を睨み付けた。

 さながら光の勇者と、闇の魔王の対決といったファンタジーさ全開の光景を私は見ていることしか出来ない。


「せいぜいがんばってその忌々いまいましい聖なる輪っかを壊して、僕を殺しに戻ってこい。僕は親愛なる魔王様が僕の首を跳ね飛ばしすための凱旋がいせんを首でも洗って待っているよ」


 金髪の青年は膝をついている黒髪の男性に近づいていくと、自分を忌々しげに見つめているその男性の顎をクイッと持ち上げながら微笑んだ。

 黒髪の男性が怒りを露わにして立ち上がろうとしたところで、金髪の青年の背後に光っていた金色に裂けた空間が一気に大きくなり、風が吹き始めた。

 風はどうやら金色に裂けた空間に向かって吹いているようで、黒髪の男性の長い髪が裂け目にむかって靡いている。


「我を異界へ飛ばすか……。なるほど我を殺せぬ子ネズミの苦肉の策だな……」


「術式は解析できるようにしておいてやる。では魔王様、異界へのよい旅を……」


 裂け目へと吸い込まれていく黒髪の男性を、金髪の青年が手を小さく振りながら見送ったところで、私の視界も真っ暗になった。


※※※


 夢を見た。かなりファンタジーな夢。

 金髪碧眼へきがんの銀色の鎧に身を包んだ人の良さそうな青年が、褐色黒髪の燃える炎を閉じ込めたような色の眼をしたエキゾチックな男性になにか封印をほどこした夢だった。

 魔王と呼ばれた黒髪褐色の男性のこめかみの上くらいから生えている真っ黒で牛のような立派な角が、どこからともなく現れた金色の輪で装飾される姿があまりにも幻想的で美しかったのを思い出してほうっとため息が出そうになる。

 あと、その魔王様が金色の裂け目に入った瞬間すらっとした垂れ耳の真っ黒な犬になるのもすごく良かった。細いラブラドールみたいな。

 そんな光景、どこかのアニメかゲームでそんなの見たっけ?

 私の貧弱な脳からはそんな美しい光景を作り出すことはできない。きっとこの前見たなにかの作品の影響だと思う。

 布団に包まれながら小型の携帯用タブレット端末に手を伸ばす。

 時間はまだ朝の五時。まだひと眠りできる。ぎりぎりまで寝るために近くの高校を受験したのだ。恩恵には最大限あやかろう。

 

「おい。つのなしの女。オレを無視するな」


 低く響くよく通る声が聞こえた。私は至福の二度寝タイムを味わおうとしていたのに……。

 いったい何事だと布団の中から頭だけ出してまわりを見てみる。遮光カーテンのお蔭で暗い部屋の中では何もわからない。

 目を凝らしてやっと部屋の真ん中にいる何かいることに気が付いた。


「大型犬?」


 え? なんで?

 突然の出来事に驚く。いやそれよりも、それよりもではないけど、犬が部屋にいるのも問題だけど、声の主も探さなきゃ。

 地味でブスで馬鹿の私でも一応女子高生というやつだ。さっきはねぼけていたけど、こんな早朝に女子高生の部屋で男性の声が聞こえるなんて十分に異常事態だ。

 

「寝ている間に見たはずだ。よくオレを見ろ」


「……」


 ベッドの上に立ち上がり、きょろきょろしている私の部屋着の裾を大型犬は口でくわえる。

 どう考えても、声は犬の方から聞こえてくる。

 犬の方を見てしまい慌てて目をそらし、犬のほうから声がすることに気が付かないようにした。


「無視をするな。今お前は明確にオレを見ただろう」


 追い討ちが聞こえてきたので諦めてベッドに腰を下ろし、私は目の前にいる犬の顔を見た。

 気のせいなのか、夢の続きなのか……それともいよいよ本当に私の頭がおかしくなってしまったのか。


「さっきお前が見ていたのは、オレの記憶の一部だ」


「はぁ……」


 夢の続きの夢が犬にお説教される夢かぁ。新年早々ついてないみたい……。


「あの……私……二度寝をしたいんですけど……」


「それよりも大切なことがある。角なしの女、オレと契約を結べ。それだけでいい」


 ダメだ。さっきは誰か忍び込んでたらどうしようって怖くて目が覚めたけど……もう限界。

 私は真剣な声で話している黒い犬の声を無視してベッドに倒れこんだ。

 ……ああ、至福の二度寝タイム。布団の端を引っ張られている気がしたので体の下に布団を巻き込んで私は微睡まどろみに身を任せた。

 次の目覚ましが鳴るころにはきっとこの変な夢は終わっているはず。おやすみなさいよくわからない黒い犬……。


―――ピピピピ


 目覚ましの音で目を覚ますと、そこには褐色のエキゾチックな異国情緒にあふれる服装をした男性が……ということはもちろんなかった。

 代わりに、寝る直前に見た真っ黒な大型犬を抱きしめていた。

 なんだ……せめて褐色のお兄さんがいてくれればよかったのに……いや、やっぱりそれも嫌だけど。

 謎の黒い犬は、私の顔を見て目が覚めたことを確認するとむくっと起き上がって私のほうを睨み付けた。

 この犬がいるということは、犬の存在自体は夢ではないらしい。

 なんだろう。両親あのひとたちが預かったとか? ペットショップで買うのなら子犬だろうし……。寝起きで回らない頭を必死で回す私を犬が見ている。それもすごく呆れた様な表情で。


「まだ布団にいるの? つむぎはいつもそうやってギリギリまで寝ててだらしないんだから」


 しばらく犬と見つめ合っていると、ドアの外からお母さんの声が聞こえてきた。


「遅刻しないでちゃんと学校に行ってよね。何のとりえもないんだから無遅刻無欠席くらいは守ってよ」


 お母さんは出勤するらしい。いつものようにドアの向こうで叱咤の言葉だけ投げかけて、私の顔を見ることもなく足音は遠のいていく。

 犬についてなにも言わないけど本当にこの犬はなんだろう。どういうこと?

 首を傾げて犬を見てみるけどなにもわからない。


「さっきからなんだ角なしの女」


「ええ……やっぱり喋るの……夢じゃなかったかー」


 いよいよ私の頭はおかしくなってしまったらしい。友達らしい友達がいない寂しさから私が作り出したイマジナリ―ペットとか?

 着替えるのも忘れて犬のことを見る。犬も赤い瞳で私のことを不服そうに睨み返してくるだけだった。

 幻にしてはリアリティがありすぎるし、ロボットの類にしても呼吸や瞬き、鼻先の毛穴や湿り気まで再現するものなんてあったとしても、我が家では到底手が出るものではなさそうだ。

 やっぱり、これは話す犬?


―――ピピピ


 犬と睨み合っている間に携帯端末のアラームが鳴り響く。家を出る時間の五分前を知らせるものだ。

 私が慌てて部屋着を脱ごうとボタンに手をかけると、犬は慌てて首をそむける。

 何事かと思って思わず手を止めた私を見て、犬はほっとした様子でこちらへ視線を戻した。


「服を脱ぐなら言え! いくら犬になり下がったとはいえオレは稚児で、しかも角なしのあられもない姿を見るほど落ちぶれてはいない」


 よくわからないけど怒られた。

 グルルとうなり声をあげて部屋を出て行く犬を見送る。本当になんだろうあの犬は……。

 結局何もわからないけど、今はとりあえず学校に行くことが先決だ。

 急いで着替えて、髪の毛を少し整えた私は走って家を飛び出した。

 肩甲骨あたりまで伸ばしっぱなしの黒い癖っ毛はあまり好きでないけれどオシャレに興味があるわけでもないし、私なんかがオシャレをしたところで結局お母さんにまた呆れられるにきまってるもんね……。とマンションの出口のガラスに映る自分を見ていつものように暗い気分になった。


「変わりたい……。それが無理なら死んでしまいたい」


 いるなんて本気で思ってない。でも、心の中の神様に日課のようにこう祈っている。

 こうして口の中で小さく呟くことでなんとか一日を乗り越えられる。

 今日も願いなんて叶わないと心の何処かで思いながら、重い心と体を引きずって学校へと向かった。

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