第3話
おっと、相手のペースに釣られて、肝心なことを忘れてはいけない。
「アトランティスの件と君が僕の弟に近づいたのはどんな関係がある?」
「長期滞在の仕事になりそうなので、全権大使様の近くにいたほうが何かと都合がよく、不審に思われたくなく、高校に入学しました。弟さんはたまたま同じクラスにいただけで、意図して近づいたわけではありません」
「本当だな?」
と僕は言ったが、あの弟なら彼女に声をかけないほうが不思議なくらいだ。
「嘘だと思うなら、これを見てください」
道路脇のブロック塀にスクリーンが現れた。制服姿の彼女が道を歩いているシーンだ。横から撮影している。スクリーンの右端から弟が現れ、
「へえ、こっちから帰るんだ?」と声をかけた。
彼女は不思議そうな顔をした。
「転校したばかりで、僕のこと知らないかもしれないけど、一応というか、完全にクラスメート」
「そうですか。それはどうも」
彼女はよそよそしく頭を下げた。
「キズキさんってすごい名前だね」
「?」
「だって鬼に好きだよ。名前は妖しい狐。本名なの?」
鬼好妖狐?
何て名前だ。そんな名前の持ち主が身近にいたら、僕ならどう接していいのかわからない。
「本名です」彼女は暗そうな表情を浮かべた。
「ごめん。もしかして名前のことでいじめられて、うちに転校してきたとか?」
彼女は首を横に振った。
「中学までそういうのあったけど、高校に入ってからは少しからかわれるだけ。転校は親の仕事の関係」
「何してるの?」
「ウィンナーとかチーズとか売ってる店」
彼女は、以前もよろず相談所や、ギリシャローマ料理店を開いていた。また妖しい商売のような気がする。
「ウィンナーとはソーセージの一種でウィーン風ソーセージのことだけどわかってるのかな」
と、僕はキズキに向かって付け焼き刃の知識を吹聴した。
「へえ、それ初耳」
彼女がそう言うと、スクリーンは消えた。
人類に関する知識を一通り仕入れてきたはずの彼女だったが、そこまで細かい点まではリサーチしていないようだ。
「ちょっとその店に行ってみたい。この近くなのか」
「200メートルくらい先」
以前、彼女から古代ローマ料理を振る舞われた。現代の食材で古代のレシピを調理したわけではなく、古代に実際に作られた料理を構成する成分をそのままデータとしてコピーして再現したものだ。つまり古代の食材で古代の料理人が作った、そっくりそのままを提供してきた。
彼女はそのまま路地を歩き出した。並んで歩くのも気恥ずかしいので、僕は少し離れてついていった。
住宅街の一角にその店はあった。独立した店舗ではなく、八階建てマンションの一階に不自然に店を構えている。つまり、一店だけの商業施設で、両隣は普通の住居用だ。
店名はアウフヴィーダーゼン。
間取りは狭いが、落ち着いた色合いで本格的な味が連想される。看板に「ドイツ人は夕食を簡単に済ませる」と記されている。
「もっといい物件なかったの?」僕がそう聞くと、
「ここに住んでる夫婦が離れた場所でラーメン屋をやってて、私の両親にふさわしい年齢だったから、高校生の娘がいることにしたの。
ラーメン屋始める前、旦那さんはドイツで五年ソーセージ修行して、奥さんはフランスで六年チーズ職人やってたことにしてある」
つまり、もともと店舗の入っていないマンションの一階に住んでいた飲食関係の住人の記憶を書き換え、自分の両親に仕立て上げ、大家や不動産管理会社の記憶や記録まで変更したということだ。
「ということは、本当にソーセージやチーズを作っていることになるな」
となると、無料で奢ってもらうのも気が引ける。
彼女は僕の気持ちを読みとったように、
「大丈夫だよ。仕入れ原価は無料だから」
「?」
「架空の取引先をこしらえ、そこから宅急便で送るようにしてあるから」
「それじゃ両親が納得してないだろう。仕入れ代金はどうしてる」
「従業員を雇って、そいつに経理任せている」
「おかしな話だな」
店の奥では、父親と思われる男性が、機械で腸詰め作業を行っているのが、ガラス越しに見える。商品はショーケースに並んでいるので、ぱっと見は肉屋のようだ。その一方、店の端に地下に通じる階段があり、「こちらでお食事ができます」という案内がされている。
彼女は何も言わずに、そちらへ下りていった。僕も後に続く。
階段を降りた先は、予想より遙かに広いホールで、マンション全体の地下を一店舗で占めているようだ。
照明が明るいわりに、客は二組だけで、暗い雰囲気だ。
僕等は、二十席はありそうなテーブル席のひとつについた。
メニューを手にとると、横文字の、それもおそらくドイツ語なので、何を注文したらいいかわからない。
給仕係は外国人の青年だった。
彼女が流暢なドイツ語(?)で注文すると、彼はたどたどしい日本語で、注文内容を繰り返した。
「誰?」僕が聞くと、
「ドイツ人留学生ヨゼフ君」
「よくみつかったな」
料理はすぐに運ばれてきた。
おしゃれな陶器皿の上には、いかにも職人が作ったような大型ソーセージが二本とショートケーキほどもありそうな角切りチーズ。それに付け合わせのザワークラフト(キャベツの漬け物)が見栄え良く並べられている。
たしかにおいしそうだが、これで料理といえるのか。
「これ、作りおいてあるソーセージとチーズをそのまま皿に載せただけだよね」
「だから、ドイツの夕食は簡単に済ませるって書いてたでしょ」
ドイツ人に限らず、イギリスなどゲルマン系の食事は簡素なものが多い。しかも、毎日、同じ料理を食べるらしい。
南欧など食材な豊富なところでは、手の込んだ料理が多いが、土地の痩せた地域に住んでいた彼らは、調理に手間暇かけるのは愚かなことで、腹がふくれればいいという考えのようだ。
「どうみても手抜き料理だ」
などと、文句を言いながら、ソーセージに手をつけると、予想以上の出来だ。本場のマイスターの作ったものをそのままデータコピーしたのだろう。
チーズもいける。
「漬け物とソーセージはここで作ってるけど、チーズは、仕入れた物をカットして出しているの」
彼女が説明した。
彼女は食べようとしない。それなのに、皿の上の料理が減っていくのはどういうわけだろう。料理をテレポートして、直接体内に送り込んでいるのかもしれない。そもそも彼女は食事をとる必要があるのかどうかもわからない。
「食べてるのか?」
「食べてないけど、食べてる感覚は味わってる」
「どういうこと?」
「これを食べたときの味覚信号をシュミレートして、発生させてる。雰囲気が出るように、味わった分だけ料理を減らしてるの」
なんとも紛らわしい。食べてないけど、味わえるのか。
「本当になんでもできるんだな」
「うらやましい?」
「ああ。でも、凡人には無理な芸当だ。せめてここの無料食事券一年分手に入れるくらいの能力が欲しい」
さりげなく要求したが、彼女からすればほんのささやかなことにすぎない。
「いいよ。ヨゼフに言っておくから」
こうして、僕は一流の職人が作るソーセージとチーズを好きなだけ食べられる立場になった。
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