第10話


 照明が落とされ、映画が始まった。

 どこかの港町にある灯台の明かりが、「東風」という架空の映画会社のロゴを照らす。

 

 時代と場所が表示されたが知らない場所で、知らない皇帝の名前の八年ということだけわかった。

 机に向かって勉強する弟がいる。主人公だ。頭は当時の髪型に結い、本物の書生のようだ。

 彼以外にも大勢が同じように勉強しているが、学生にしては年齢が高い。


 中国語なのでよくわからないが、どうやら科挙の試験のようだ。これに合格すれば役人になれるが、かなり難関で、何年も受験を挑み続ける書生という立場の者がいたことくらいは知っている。


 シーンが変わり、川の両側に屋根瓦の建物がびっしりと並んでいる。江南地方特有の風景だ。

 夜。その川にかかる橋の上を主人公がよろよろと歩いている。明らかに酒に酔っている。(これが演技でないとすると、アルコールを摂取したことになる。キズキヨーコは未成年に飲酒を勧めた、あるいは強要した可能性がある。これは犯罪だ。)


 主人公は、通行人に喧嘩をふっかけ、あっさりと負けた。随分荒れているので、科挙に落第したようだ。

 そのまま道の上で眠ってしまい、朝になると立ち上がり、郊外の道を歩く。

試験場から郷里に帰るのだろう。


 牡丹亭という四阿あずまやでキズキヨーコがくつろいでいる。令嬢だけあって身なりが良く、特に化粧が濃い。

 馬車とその横に立つ御者の男が映る。男が何か言うと、彼女は面倒くさそうに立ち上がった。どこかへ向かう途中に休んでいて、もう時間なので、御者が催促したのだろう。


 彼女と御者が言い合いになった。彼女はもう少し休みたいようだ。

 そこへ主人公が通りかかった。

 彼女は、チャンスとばかりに彼を四阿に引き入れ、しばらく談笑した。

 彼女は馬車で帰り、主人公はそのまま四阿で夜を明かした。


 郷里に帰った。なかなか立派な邸宅と思ったら、自宅ではなく、どうやら地元の名士のところに居候しているようだ。両親はすでに亡くなり、身よりのない身で、不憫に思った父親の親友のところに世話になっている。勉強だけに専念できるような身分ではなく、雑事をこなし、空いた時間に勉強している。


 翌年。また科挙のシーズンだ。

 豪邸が映る。彼女の自宅。

 いかにも身分の高そうな青年が登場。彼女のフィアンセのようだが、彼女からはあまり好かれていない。本人はお高くとりすましているが、裏ではチンピラを使い、あこぎな金貸しをしている。

 主人公が緊張した面もちで、彼女の自宅を訪ねる。

 女中が出て応対するが、門前払いをくらいそうになる。そこへ彼女が現れ、また四阿に仲むつまじくすごすが、令嬢が突如、泣き出した。


「弟さんは、昨年のお礼を言いに、令嬢の家を訪ねたのです。令嬢から結婚すると聞かされて、身分違いの恋をあきらめました」

 と、横からアンドリューが解説してくれた。

 失恋のショックもあってか、その年も科挙に及第(合格)せず、主人公は悲痛な面もちで郷里へ帰る。


 婚姻の儀が執り行われようとしている最中、令嬢の姿がない。

 主人公のもとを、令嬢が訪ねる。結婚が嫌で逃げてきたのだ。

 主人公は居候の身。彼女をかくまうわけにはいかず、駆け落ちした。

 しかし、結婚相手が雇った荒くれ者達が二人を追う。

 旅先で追いつかれ、何故か武術の達人の主人公は、剣で応戦するも、令嬢を奪われてしまう。

 失意のどん底にいる主人公が寝ている枕元に、髭が長く、長い杖を持った謎の老人が出現する。老人は主人公を連れだし、武術の奥義を伝授する。さらに名剣を授け、主人公は令嬢の自宅へ向かう。 


 時間的にみていよいよクライマックスだろう。

 婚儀の最中に単身主人公が乗り込み、彼女を連れ出そうとするが、当然、修羅場になる。荒くれ者どもに取り囲まれた主人公は、老人から授かった剣で戦い、婚約者が命乞いをする。


 主人公が婚約者に向けて剣をかざすと、令嬢が婚約者の命を助けるように、主人公に懇願する。主人公が剣を収めた瞬間、婚約者は隠していた剣で主人公を狙う。しかし、それに気づいた令嬢が主人公の前に移動し、令嬢の背中に剣が突き刺さる。

 すぐに主人公は婚約者を切り捨て、令嬢は一言、二言残し、息絶える。悲しみにくれる主人公。

 それでも科挙はあきらめず、数年後、見事及第。思い出の四阿を訪れ、エンドロール。


 言葉はわからないが、アンドリューの解説もあり、およそのストーリーは把握できた。看板のポスターからてっきり勇ましい武侠モノと思ったが、恋愛が中心で、結果的には悲劇だった。


 弟はこの主人公になりきっていたのだ。悲運の恋とはいえ、ドラマそのものに心酔できたのだから、悪い経験ではないだろう。


 僕はそう軽く考えていたが、実際ははるかに深刻だった。

「弟さんはこの主人公の人生を体験しました。映画風に二時間程度にまとめましたが、弟さんの体験したのは、主人公の三十数年の人生すべてです」

「三十年越えてるって? 一晩でどうやったら、そんな長い夢が見れるんだよ」

「キズキヨーコは弟さんを時間軸の異なる別の宇宙に連れだし、そこで舞台をこしらえ、弟さんに主人公の半生を体験させました。通常の夢とは異なり、現実と同じ感覚が発生していました」

「いままでの人生の倍の時間を別人で過ごしたのか。夢を見たなんてものじゃなくて、今の彼からすれば、こちらの生活のほうが夢みたいなものだな」

 それであのように夢うつつの状態だったのだ。


「唐代や宋代の伝奇ものには、別人の人生をすごし、それが長い夢だったという作品が多くあります。キズキヨーコはおそらくそれらを参照にしたものだと思われます」

 杜子春は女に生まれ変わった夢を見た。南柯の夢という作品では、主人公が成功した人生を送るが、目が覚めたら夢だった。物語としては面白いが、実際に体験した本人からすればたまったものじゃないだろう。


「彼女も大変だよな。そのために三十年以上もつき合うとは」

「いいえ。弟さんの相手をしていたのは、彼女本人ではありません。見かけが同じですが、ただのコピー人間です。涙を流しましたが、本当は感情がありません」

 

 弟の恋愛対象がシンプルなキャラクターとは。

 それを聞くと僕は頭にきて、

「いくらなんでもやりすぎだろう」と、声を荒げた。

「悪いことばかりではありません。弟さんは中国語にくわえ、四書五経をマスターしています。当時、実際に話されていた言葉ではなく、現在の普通話(プートンファ)なので、ビジネスに観光に大いに役立ちます」

「三十何年も勉強すれば、何だって身につくさ。ああ、大変だ。これからどうなる?」

「当然、弟さんはクラスメートのキズキヨーコに激しい恋愛感情を抱くでしょう」


 彼女が弟と知り合ったのは偶然だと言ったが、今となれば、それが嘘だとわかる。万一、僕が合併を断った場合に備えて、同じクラスに転校し、帰り道もわざと一緒にしたのだ。

 これは僕に対する挑戦だ。弟をたらし込んで、僕の意思を揺さぶるつもりなのだろう。直接的な恫喝や暴力が使用できないので、回りくどいやり方で決意を翻させようとしているのだ。


「そうだ。君の能力で記憶を消せないかな」

「やってやれないことはないですが、仮に書生の一生を忘れ去っても、彼女に対する気持ちは残るでしょう」

「前世で会ったような気がするってやつか」

「当面は様子見です。彼女が無茶なやり方をすれば、他の運営達が黙っておらず、合併はご破算になります」

「マルチバースの運営がひとつにまとまれば止められるってことね」

「そうです」


「地球の運営程度じゃ、彼女に太刀打できないってわけか」

「はっきり言いたくありませんが、おっしゃるとおりです」

「天もたいしたことないな」

 世界情勢を操る知能集団も、マルチバースのエリート運営の前では赤子同然。

「これは例外中の例外です」


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