第11話
気がつくと映写室の中は僕等だけになっていた。
「もう映画はあきたから、おしゃれなカフェにできない?」
「了解しました」
おしゃれかどうか知らないが、昭和風の喫茶店が出現した。
ご丁寧に客までいる。
カウンターの向こうには、あごひげを生やした顔の短い男性がいる。初老で銀縁眼鏡をかけたマスターだ。カップを丁寧に吹いている。カウンター越しに、
「おにいさん、見かけない顔だね」と、バリトン調のよく通る声で話しかけてくる。
そちらこそ架空の喫茶店のくせにと思ったが
「はい。初めてです」と真面目に応対した。
「うちの豆は、そんじゅそこらのものとは違うよ」
「そうですか」
「信じてないようだね」
そういえば、アンドリューの姿がない。僕は狭い店内を見回した。トイレにでもいってるのかと思い、カウンター席を立つと、
「私ですよ」
とマスターがアンドリューの声で言った。
「人が悪いな。なかなかいい雰囲気だけど、密談にはふさわしくない。人払いしてほしいな」
どうせ聞かれても何の問題もないシンプルなキャラクターだとわかっていたが、やはり気になる。
テーブル席から、ヒッピー風のカップルと年輩の会社員が消えた。
映画館を喫茶店にした理由は他でもない。
ここで二人を待ち伏せするのだ。
しかし、まだ正午をすぎたばかりだ。
「時間を先に進めることってできない?」
僕の質問にマスターはアンドリューの声で答えた。
「戻るのは無理ですが、早く進むことはできます。ただし、弟さんのように時間軸の異なる宇宙に一旦、移動する必要があります。弟さんの場合は、マルチバースの標準時間進捗に対し、一万分の一のスピードで時間が流れていました」
「地球はどうなの?」
「この宇宙に限らず、ほとんどが標準を採用しています」
「標準で思い出した。申し訳ないけど、この最新式の携帯凄いけど、人前で使うのはちょっと。できればアトランティス式にくわえて、これまで使っていたこっちの標準タイプが欲しいんだけど。コースは月額マイナス10万で、機種は最新式の中から選びたい」
と無茶苦茶な要求をすると、
「おやすいご用です」
すると店内は、僕がこれまで利用していたのとは別キャリアの携帯ショップに変わった。
係りのお姉さんに、「ひょっとしてアンドリュー?」と聞くと、「何のことでしょう」と不審な目で見られた。
「携帯無くしたんですけど」
それから料金プランの説明を受けた。マイナス10万などという夢のようなコースは当然あるはずもなく、通常プランを選んだ。
選んだ機種はAI機能が強化された最新式ということだが、一度アトランティスのものに触れた後では、見劣りしてしまう。
契約を済ませると、元の喫茶店に戻った。文句を言いたかったが、客が大勢いて、マスターは忙しそうだ。空いているテーブル席に着く。客は見せかけだけのシンプルなキャラだとわかっているが、外見は本物なので、何も注文しないのは体裁が悪い。
仕方なくホットコーヒーを一杯注文した。
その後も客がひっきりなしに来る。外から入ってくる客は、本物の人間の可能性が高い。
新品のスマホをいじっていると、
「相席、お願いできますか」という声がする。
見上げると男子高校生が三人。弟と同じ制服だ。
「どうぞ」と愛想よくいった。
しばらくすると、
「あ、転校生だ」
僕の隣の子が叫んだ。キズキと顔見知りらしい。
外を見ると、彼女と弟の二人が歩いている。
でれでれしてるかと思ったら、思ったより普通だ。むしろ、普段より凛々しく見える。
現代日本の高校生だが、今朝目覚めるまでは書生と令嬢という身分違い。
尾行するつもりもないが、用がすんだので、僕はきちんと会計を済まし、店を出た。
「またお越しください」
とマスターが顔もあげずにいった。
誰が行くもんか。というより、今日の夜には無くなっていることだろう。
マスターひとりで切り盛りしていて、満員だったため、レジの前でかなり待たされ、店を出たときには二人の姿はなかった。
弟の直後に家に帰るのもあれなので、キズキの店に向かった。
だが、驚いたことに、そこにあるはずの店がない。他の部屋と同じように、通常の一般住居に戻っている。
これはどういうことだ。
携帯で急いでアンドリューを呼び出した。
「はい。純喫茶純情です」
「悪いけど、すぐ来てくれる?」
「出前などはしてませんが」
「そういうのじゃなくて、緊急事態」
そう言うと、アンドリューの声に戻った。事情を理解してもらえたようだ。しかし、
「最初に自分が誰か名乗るのが普通ですよね。せめて場所くらい、教えてください」
と無駄な会話を続ける。
「キズキの店が跡形も無い」
「本当だ」
声のしたほうを見ると、アンドリューが普通の携帯で話している。
「これってどういうこと?」僕が心配そうな声で尋ねると、
「失踪した模様です」と平然と言う。
彼女は、弟の気を惹いた直後に、突然、姿をくらます作戦に出たのだ。
「念のため、家の人に聞いてみようか?」
と僕が言うと、アンドリューの服装が宅配便の業者のユニフォームに変わった。
「すいません。カメレオン宅急便です」
と名乗ったが、留守のようだ。
よく見るとユニフォームの動物はアルマジロだ。
「ご両親はラーメン屋さんに戻ったようですね」
「娘の記憶も消えてるな。家庭だけじゃなく、学校にも最初からいないことになっているはずだ」
僕は、弟の記憶も消えていればいいと思ったが、目的から考えると、それはありえないことくらい承知している。
「弟はまだ彼女がいなくなったことに気づいていないはずだ」僕はアンドリューのほうを見ると、「彼の記憶を消してくれないか」と頼んだ。
「無駄です」
「どうして」
「記憶を消しても、彼女はまた同じことをするでしょう」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「弟さんに事情をうち明け、理解してもらったらどうでしょう」
国連の担当から、家族には仕事のことは極力話すなと日頃から注意されている。
だが、担当などマルチバースの運営からみれば、リンゴの絞りかすほどの価値もない。僕はアンドリューの意見に従うことにした。
「どこで説明する?」
「まず現実を受け入れてもらうため、ここにお呼びするのがいいと思います」
僕は適当な理由を考え、携帯で呼び出そうとした。
ところが携帯がつながらない。
「もしかして、キズキヨーコは弟さんの前で姿を消したのかもしれません」
アンドリューが言った。
「その可能性は高い。すると今かなり落ち込んでるはずだ。どこにいる?」
「海浜公園のほうに向かって歩いています」
「海に飛び込みでもしたら大変だ。すぐに向かおう」
アンドリューは空飛ぶ絨毯を呼び出した。2メートル×1メートルほどのふかぶかしたアラベスク模様の絨毯が僕等の前の地面に降りてきた。
「これに乗って行けというのか?」
「えり好みしている暇はありません。すぐにお乗りください」
僕は靴を脱ぎ、絨毯の上で正座した。アンドリューは僕の後ろで立ったままだ。
絨毯がゆっくりと地面に水平に上がっていく。
「怖いな」
怖い理由は、重みのかかっている箇所がへこんでいるからだ。
「落ちないでください」
「つかまるものがない」
「絨毯の毛につかまってください」
毛が長いので、指でつかむことができる。
絨毯は蛇行しながら、空中を進む。開放感が半端なく、気持ちよかった。
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