第12話


 海浜公園に着いた。今は工業地帯となっているが、かつてこの辺りに海水浴場があった。海水浴場を無くした代わりの市民憩いの場として、巨大な公園が造られた。


 弟は市民グラウンドのネットの隙間に両手の指をさしこみ、誰もいない球場をひたすら見つめている。

 明らかに異常な様子だが、それを空中から観察している空飛ぶ絨毯の乗客のほうがよっぽど異様だ。


 絨毯は自動運転だ。

「どこで止まるよう設定してある?」僕は聞いた。

「インターネットで調べたマップでピンが立っている場所です」

 でかい公園はどこにピンが立っているのだろうか。


 答えは、売店やジムなどが入っている鉄筋二階建ての上だった。

 絨毯は、屋上から1メートルほどの高さの地点で静止すると、突然、消滅した。僕等は1メートルの高さから転落した。アンドリューは立った姿勢なので問題ないが、半ば腹這いになっていた僕は、コンクリートに膝を打ちつけて、痛さに転げ回った。


「痛っ。何てところに降りるんだ」

「文句なら絨毯に言ってください」

「それより、痛みを消してくれ」

 すぐに痛みは消えた。


「君やキズキなら、どんな病気でも治せるな」

 僕は感心して、彼の能力を称えた。

「肉体の若返りも可能です」

 以前、キズキは二時間置きに、体が二時間前の状態に戻るという魔法を僕にかけた。その間、食事もトイレも必要なかった。


 屋上から建物の中に入る方法はなかった。飛び降りるのは危険なので、アンドリューは臨時に地面まで続く階段を出現させてくれた。

 弟に気づかれないように降り、後ろから近づくと、

「何やってんだよ」と僕は声をかけた。


 振り向いた彼の目には涙が浮かんでいた。

「そっちこそ何でいるんだよ」

 アンドリューの存在に気づくと、「誰?」

「名前はアンドリュー。外国人に見えるけど、本当は宇宙人だ」

 説明が面倒なので僕は嘘を吐いた。

「こんにちは」もう夕暮れだった。「というよりこんばんはですね」

 アンドリューは挨拶した。


「宇宙人でも外人でもどちらでもいいけど、僕に何の用?」

「キズキヨーコについて説明させてください」

「もしかして彼女も宇宙人?」

「そうです。私の知り合いです」

 アンドリューも説明が面倒に思ったようで、嘘を吐いた。

「アニキの国連の仕事って宇宙人関係だったの?」

「まあ、そんなところかな」

 どうみてもただの人間にしか見えない人物を宇宙人といって紹介されて信じる者など皆無に等しいが、おそらく弟はキズキヨーコの痕跡が跡形も無くなっていることを体験していて、少しは信用しているようだ。


 僕はアンドリューに目配せした。奇跡を起こして彼の信頼を得ようという合図だ。ところが何を勘違いしたのか、アンドリューは、

「アンドロメガ銀河の端にある、地球と似た環境の星から来ました。その目的は私たちの星が深刻な環境破壊に見舞われていて、地球に集団で移住するためです。もちろん全員人間の姿をしているので、ばれることはありません」

 と、どうでもいい作り話を始めた。


「本当の姿を見せてあげたら」と僕が助言すると、

 アンドリューの周りに煙が立ちこめた。

「ゴホ、ゴホ。煙い」

 僕も弟もむせて、目も閉じてしまった。

 煙が収まると、そこに人間よりやや大きいボウリングのピンが現れ、ちょうど顔のところだけ穴が空いていて、そこからアンドリューが笑顔を見せている。

どうみても、人が着ぐるみを着たようにしか見えない。もう少し、説得力のある姿にして欲しかったが、一瞬のうちに姿を変えたことはやはり驚異だ。


 弟は半信半疑といった表情を浮かべている。

 彼の信頼を得るため、僕は「魔法の絨毯」と言った。

 さきほどの建物の上のほうからひらひらと絨毯が近づいてくる。

 これに弟は驚いた。

 地面に着くと、「さあ、乗ってください」とアンドリューが言ったので、僕等は土足で立ったまま絨毯の上に立った。

 絨毯は空中に浮かぶと、水平方向に進み始めた。どこへ行くのかと思いきや、さきほどの建物の屋上がゴールだった。僕等が絨毯から降りると、役目を終えたそれは、いずこともなく飛び去っていった。


 何故かせつないその光景を見ながら、

「驚いたか」と、僕は弟に尋ねた。

「別に。宇宙人ならこのくらいできて当然だと思う」と彼は答えた。宇宙人という設定は信じたようだ。「それより、ヨーコがどこに行ったか知らない? 早く会わせてよ」

「まあ、落ち着いてください。これから事情を説明します」


 もう日が暮れてきた。風も強く、長話をするような環境ではない。

「ここじゃ話にくい。カフェに行こう」僕は提案した。

「魔法の絨毯でですか」

「もうあれはいい。一瞬でテレポート」

 すると僕等は純喫茶純情にいた。


 気を利かしてくれたのか他の客はいない。

「あれ、ここ。今日出来た謎の喫茶店だよね」

 弟は店内を見回した。

「一日で建てたのは事実ですが、謎ではなく、何の変哲もないただの純喫茶です」

 マスターが答えた。弟は彼がさきほどの宇宙人だと知らないので、きょとんとしている。


「アンドリューだよ。変身したのさ」僕が教えても、弟は信じないので、マスターはアンドリューの声色で、「これから詳しい事情を説明します」といって、自分がアンドロメガ銀河の一惑星から来たという設定で、アトランティス大陸の復活をめぐる事情や、キズキヨーコと自分の立場をわかりやすく説明した。


 弟は聞き終えると、目を輝かせて、

「要するに、兄さんがアトランティスの復活を認めれば、彼女は帰ってくるんだ」

「そういうわけにはいかない」僕は言った。

「いいじゃないか。いまあるものが無くなるんじゃなくて、余計に増えるんだから、何も問題がないじゃないか」

「科学レベルとか経済の仕組みがこちらとは随分違うはずだ。世界は大混乱する。それに失われた大陸の復活なんてルール違反だ」

 僕がそう正論を言うと、弟は激昂し、

「何のルールだよ。もういい。ヨーコが戻るまで、家には帰らないからな」

 と言い放ち、勢いよくドアを開け、店から出ていった。


「まずかったな。説明失敗だ」

 僕は後悔した。

「またお探ししましょうか」

「しばらくはそっとしておこう」

 どこに逃げようと、アンドリューの能力なら見つけることはできる。だが、弟は意固地になって学校にも行かないだろうし、何度も家出を繰り返すだろう。

 アンドリューだって、本来の仕事を休んできている。いつまでも地球にいるわけにはいかないはずだ。


「難しい問題だな」と僕は言って、頭を抱えた。

 地球代表の個人的事情で、マルチバース全体のルールを崩すわけにはいかない。僕もそのくらいはわかっている。


 外は完全に暗くなった。

「当面はここでコーヒー屋さんを経営しています」

 とアンドリューが言うので、僕は喫茶店を出て、家に戻った。

 夕食の時間がすぎても弟が戻らず、携帯にも出ないので、両親が心配していた。GPSサービスで確認すると、海浜公園にいる。


「あんなところで何してるんだ」と父親。

「野球にでもさそわれたんじゃない」と僕が言うと、母は心配が止まらず、「警察に相談したほうがよくない?」

「俺が見に行く」と僕は言って廊下に出たが、玄関に行く振りをして、自分の部屋に上がり、アトランティス式携帯を操作した。


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「はい、喫茶純次です」

 マスターのぶっきらぼうな声がした。店名も変わっている。

「僕だ。弟が今どうしてるか、こっちの携帯に映してくれないか?」

「出前はいたしておりません」

 そう言って店主は電話を切ったが、棒の先端の上のスクリーンには、例の建物の軒下の地面に腰を下ろし、うつむいたまま落ち込んでいる弟の姿を映しだした。もう閉まっているが、街路灯の代わりなのか、看板を照らす明かりがあり、彼は常夜灯に群れる虫のように、その近くにいるのだ。


 僕はもう一度、純喫茶に電話した。

「はい。純三です」

「僕だけど」

「またあんたか」店主は不機嫌そうだ。

「弟を家に戻してくれないか?」

「そういうことは警察に相談するんだな」


 マスターがそう言い残し電話を切った瞬間、下の階で悲鳴が聞こえた。

階段を降りると、突然現れた弟に両親が混乱している。

「また、あれか。金になったときみたいに」

 父は以前の地球大混乱を思い出した。

「そうね。あれに較べれば」と母親は納得してる。

 たしかに、地球が金になったことに較べれば、アトランティスの復活くらいたいしたことないだろう。「さあ、食べて」


 弟はほとんど箸をつけずに、部屋に上がった。

 翌日、予想通り弟は学校に行かなかった。別に何でもないと言い張ったが、医者に行った方がいいと両親は心配した。

 十時頃、僕が弟の部屋に入ると、パソコンでアトランティスについて調べていた。

 彼は興奮した口調で、

「これ凄いよ。オーストラリアより大きな土地がただで手に入るんだ。人類にとって得することだらけじゃない?」

 といって合併を勧めてくる。


「向こうのほうが文明が進んでるんだ。こっちのほうが支配されかねない」

「でも兄さん、そのときは、宇宙人の仲間がいるから、彼に助けてもらえばいい」

 マルチバースのこれまでの方針に逆らうことになる、という本当の理由は言えず、話し合いは平行線に終わった。


 このことで兄弟仲が引き裂かれた。地球代表というのは結構しんどい稼業だ。

だが、この程度のことで屈する僕ではない。キズキの要求を飲むつもりはさらさらない。

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