第9話


 アンドリューと話しながら帰宅していると、途中、前を塞ぐ人物と遭遇した。相手はアンドリューだった。


「さきほど私に電話されたみたいですけど」

「どういうこと? 今、君と話してるけど」

 僕が戸惑っていると、彼は、「それは私ではなく、人口知能が私の映像を作り、私の代わりに応対しているのです」


「何だそりゃ」

 僕はけちをつける意味でそう言ったのだが、彼は文字通り、「それは何か?」という疑問文に解釈し、

「アトランティスの留守番サービスです」と答えた。さらに、「スクリーン観賞なら、ご自宅より、もっといい場所がありますが」と提案してきた。


「どこにそんな場所がある?」

 と僕が聞き終わるより早く、目の前にあったパチンコホールが突如、「キネマ東風」という映画館に変わった。

「そうだったな。建物を出現させることくらい朝飯前だからな」といって僕は納得した。「しかもかなりリアル」


 最近はやりのシネマコンプレックスではなく、どこの映画館を参照にしたかしらないが、昭和風のこぢんまりとした造りで、任侠映画の看板が大きく掲げてある。

 最近人気の出てきた劇団出身の中堅俳優が主役だが、彼がそんな映画に出たとは聞いたことがない。ということは架空の映画ということのようだ。

「そこまで凝らなくていいのに」と僕は独り言を漏らした。


 上映は二本立てで、もう一本は古い中国を舞台にした武侠モノだ。なんと主役はうちの弟、ヒロインはキズキヨーコだった。

「弟の見た夢は映画に出演したことだったのか」

 僕がそう言うと、アンドリューは、

「キズキヨーコは、弟さんを宋代の書生、自分を富豪の令嬢に設定し、恋愛要素の強い武侠モノの体験をさせました」 

 俳優ではなく、映画の登場人物そのものになりきっていたとは。


 窓口で係員の女性に、「大人二人」といって注文した。

「3240円です」

 僕はアンドリューを見た。

「私はお金を持っていません」

「僕が奢るのか」

 そこでさきほど入手した万札を係りに渡した。

 モギリの老人に入場券を渡し、映写室に入る。

 

 一本目の任侠映画が上映中だ。中はほぼ満席で、客層が悪い。

 昭和四十年代の映画館と同じで、女連れのヤクザが大勢いる。彼らは、偉そうに足を広げながら、登場人物を自分に重ねて、「よっ、アニキ。日本一!」などと叫んでいる。

 彼らの子分と思われる輩が、後ろの壁の前で、何人か立ち尽くしている。

 子分どもは外国人のアンドリューをきっと睨んだ。

「なんでい。メリケンの来るところじゃねえぞ」

 というつぶやきが聞こえた。


 運の悪いことに並んで空いている席はなく、僕等は別々の場所に座ることになった。

 前の席の大男の頭が邪魔だ。そいつのところにアロハシャツのチンピラがそっと近寄ると、

「お取り込み中のところ、失礼します。若頭、組長がお呼びです」

 と小声で知らせた。

「なんだ。今いいところなのに」

 大男は不満を言いながらも、席から立った。おかげで視界をさえぎるモノが無くなり、スクリーンが良く見える。


 彼の言うとおり、映画のほうは佳境に入っていて、主人公は敵対する組に討ち入りを果たし、雑魚どもを片づけ、いよいよ相手の親分と真っ向勝負だ。

「ま、待ってくれ。杉下。俺はおまえを騙したわけじゃない」

 親分の命乞いに、長ドスを手にした主人公は、じりじりと間を詰める。

「いまさらその手は喰うか。覚悟しやがれ」

「そうだ。こうしよう。竹下のシマはそっくりおまえにくれてやる」

「シマって、おいらみたいなでくのぼうにあんな広いシマくれるのかい?」

 主人公は案外優柔不断のようだ。相手の提案に心を揺り動かされた。

「もちろんさ。俺は前からおまえのことを高く買っていたんだ」

「そこまでおいらのことを……」


 この展開に、これまで主人公に心酔してきた観客は不満のようだ。

「どうした、アニキ。アニキらしくねえじゃねえか」

 悪役の親分は、相手の油断に不適な笑みを浮かべ、懐に手をしのばせた。

拳銃を取り出すと、「もちろん、全部嘘さ」といって、不適な笑みを浮かべた。

 主人公は拳銃を見て怯み、二、三歩後ろに下がった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「ハハハ。怖じ気づいたようだな」

「ば、馬鹿言うな。怖くなんかあるもんか」

 そういう主人公の声は震えている。

 案外だらしない主人公に、パンチパーマのサングラスの男が観客席から立ちあがり、スクリーンのほうに向かってつかつか歩く。

「アニキが腰が引けてるから、代わりに俺が松本のタマとるぜ」と大声を出した。

 それに対し、観客の多くが拍手した。


 彼がスクリーンに到着する直前、突然、

「続きは東風テレビ・オンデマンドで」という告知が表示され、それからエンドロールが流れた。

 当然、観客は大騒ぎだ。

「どういうことだ。これは?」

「支配人呼べ、支配人」

 客層が客層なので、映写室は暴動状態だ。みんな同じ犠牲者同士なのに、観客同士が喧嘩を始めた。

 僕も見知らぬ相手から何発か殴られ、命からがら映写室を出た。


 暴動が収まった頃、二本目の上映が始まる。恐る恐る映写室に入ると、一本目と違い、席は空いていてガラガラだ。

 アンドリューは金髪なのですぐに見つかった。前のほうの席で、両隣が空いている。

 僕は彼の左に座ると、文句を言った。

「ひどい目にあったよ。なんだ、あのヤクザ映画。あの凶暴な観客はエキストラか?」

「あの方々は昭和四十五年に地方の映画館にいました」

「ということはタイムスリップ。そんなことできるのか?」

 タイムマシンはキズキヨーコさえまだ作っていない。


「いえ、本人ではなく、昭和のデータから再現した、つかの間の存在のコピー人間です」

「そういうことね。でも、偽物のくせにパンチ強いんだ」

 AIの指示通りに動くだけのシンプルなキャラクターとはいえ、細胞レベルまで再現するとは驚いた。おかげでまだ顔がひりひりする。

「本職の方々ですから。あ、始まるようですよ」

「二本目は大丈夫だろうな」

 東風オンデマンドへの誘導は勘弁願いたい。

「余計な編集はしておりません」


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