第8話


 キズキヨーコの反撃は翌日から始まった。

 どうしてそれがわかったかというと、翌朝、弟の様子が変だったからだ。

テーブルに着いても、朝食に手をつけず、ぼうっとしている。


「何か悪い夢でもみたの?」

 母親が心配すると、彼は「違う。すごくいい夢」と答えた。

「どんな夢?」

「話せない。話せるわけないさ。どうせ信じてくれないから」と謎めいた回答をした。


 結局、朝食抜きで彼は登校した。僕は気になって、彼の後をつけた。

酔っぱらいのようにふらふらしながら、歩いたわけではないが、ときどき立ち止まり、周りの景色を見て、ため息をついている。


 それでも普段の二割増しの30分ほどで弟は高校に到着した。さすがにこれ以上の追跡は無理だ。だが、アンドリューならなんとかしてくれるだろう。そう思って、僕は携帯を取り出し、0123456789にかけたが、すぐに番号違いだと気づき、12345678910にかけ直した。


「ただいま、電話に出ることができません。留守番サービスに接続します。ピーという音の後に……」

 電話じゃないと抜かしながら、携帯会社の伝言サービスのメッセージをそのまま流すとは知恵がない。そこで、

「今の携帯古いので、アトランティスの最新携帯に機種変更して。料金プランは本体価格マイナス15万円で、かけ放題無料コース」

 というメッセージを残しておいた。


 25秒後、突然、ジャケットが透明のジャンパーに変わった。透明という言い方は正確ではない。表は透明で、裏生地は純白。中に液体が入っているようで、見たこともない小さな生き物がたくさん泳いでいる。何故、液体が入っているとわかったかというと、その生き物の口から小さな泡が出ているからだ。


 謎の生き物は、エビのようでもあり、サンショウウオ的な面もあり、トンボのような翼も生えていて、複数の生物を掛け合わせたようだ。おそらく、遺伝子操作の結果、誕生したのだろう。

 服を着ているというより、ソフトな水槽を身に纏っているような感じだ。

 恐るべし、アトランティスの科学力。


 財布を取りだしてみると、新品の一万円札が十五枚増えていた。

 恐るべし、アンドリューの能力。


 実はこの服、携帯電話でもある。これのどこが携帯かというと、ジャンパーのチャックに相当する部位に細いアンテナのような金属棒があり、それは臍の辺りから前に倒れるような仕様になっている。その先端から蒸気のような物質が立ち上り、そこにスクリーンが現れ、タブレットPCのように使えると、キズキヨーコから聞いている。


 こんな格好で通行人が気づかないわけがない。

「何、あれ?」

「変人」

 今は登校時で、ここは校門付近だ。大勢の生徒が僕のほうを奇妙な目で見ている。

 どこかに隠れなければいけない。

 目についたコンビニに駆け込み、トイレを借りた。


 服のデザインをどうにかするよう、アンドリューに訴えるしかない。とりあえず連絡したいのだが、今まで使っていた携帯が無くなったので、アトランティス仕様の最新型を使うしかない。

 棒の先端はつまみやすいように少し大きくなっていて、それをつかみ、前に引っ張る。角度は自在に調整できるようだ。三十度ほど前に倒した。何も起こらない。


 棒の先端部を押したり、回したりしてみた。すると、スイッチが起動したようで、先端部が発行ダイオードのように黄色く光り、そのすぐ上の空間にもやもやした黄色っぽい蒸気のようなものが立ちこめた。

 その蒸気の中に一辺が30センチほどの正方形スクリーンが出現し、初期画面らしきものが表示された。

 地球のOSのようにサムネイルのようなものが並んでいて、ご丁寧に日本語で「通話」や「メモ」などという文字が記されている。アンドリューが日本語仕様にしてくれたようだ。


 通話を押すと、下半分にアルファベットとアラビア数字の一覧が出現した。

 12345678910

 と入力し、最後に決定を押すと、すぐに画面全体が映像に変わり、その中央にアンドリューの顔が現れた。テレビ電話のようだ。

「ユーザビリティがいいね」と僕が褒めると、彼は、

「本物はもっと便利だけど、初心者でも使えるように、あえてそちら風の非効率なタイプにしました」といって謙遜した。


「そんなことより、この服なんとかして。こんなんじゃ恥ずかしくて歩けない」

「恥ずかしくて、歩行に支障をきたすのですか」

「そうじゃなくて、恥ずかしいから人前に立ちたくない」

「どうすればよろしいですか」

「服の生地を布にできないかな。表面だけでいいから」

「どんな素材がよろしいですか」

「コットンでもナイロンでもなんでもいい。とにかく水槽みたいなのは勘弁して欲しい」

「それなら」

 彼がそう言うと、黒地のナイロンに変わった。

「これでどうです」

「ありがとう。これなら大丈夫だ」


「それではさようなら」

「ちょっと待った。電話をしたのは他の用件があったからだ」

「何のことでしょう?」

 時々日本語がおかしいが仕方がない。

「弟が学校に入った。彼の様子を探りたいんだが、いい方法ないかな」

「弟さんが入学されたのですか。おめでとうございます」

「そうじゃなくて、登校したということ」

「それなら中に入って、様子を探ればいいと思います」

「ああ、説明が面倒だな。部外者が高校に入るのはまずいんだ」

「家族でもダメですか」

「用がなければ家族でもダメだ」

「様子を探るという用があるはずです」

「その用は秘密にしておきたい」

「それなら用を秘密にしたまま、高校に入ればいいのでは?」

 彼が僕をからかっているわけでないのはわかる。それでもこちらの事情をなかなか飲み込めず、少し腹が立った。


「もういい。君の能力で僕が姿を消すことはできないか?」

「服を黒のナイロンにしたばかりなのに、もうそれを無効にするのですか?」

「いちいち面倒だな。最初から順に話そう。弟の様子が変なので、僕は心配だ。僕は学校関係者に知られず、弟を観察したい。そのために一時的に姿を透明にしたい」

「どのように変なのですか?」

「キズキヨーコがおかしな夢を見せたようだ」


「本日未明、あなたの弟は彼女と一緒に過ごしました。あなたの弟はそれを夢だと勘違いしているようです」

「なんだと。どんな夢だ」

「映像で再現しましょうか」

「そうしてくれ」

「今からですか」

「ここじゃまずい。一旦、家に戻る」

「わかりました」

 そう言ったがアンドリューはそのままそこに映ったままだ。


 そこでこちらから電話を切ろうとしたが、スクリーンの消し方を先に聞いておくことにした。というのも、どうやって起動したかいまいち不明だったからだ。

「スクリ-ンを消すにはどうすればいい?」

「起動したときと同じです」

「どう起動したか覚えてないから、やり方をレクチャーしてくれ」

「通常は、親指、ひとさし指、中指の三本を使います。先端部のつまみを親、人差しの二本で二回タッチし、次に親、中で三回。三回目は人、中で四回、最後に親だけで五回タッチします」

「なんだそりゃ? そんな複雑なやり方で、よく起動できたな」

「他にもやり方がありますが、どれも複雑です。指紋認証で本人と確認できれば、指でタッチするだけでいいですが、登録されてない人物が使用するときは、わざと複雑にしているのです」

「オフしないで、棒を戻せばいいのでは?」

「それでは棒が戻りません」

 たしかに蒸気が噴出したまま戻すのは、人体に害がありそうだ。

「仕方ない。このまま帰るよ」


 トイレに入った理由を店員に疑われるのも嫌なので、水を流しておいた。

 トイレから出ると、店内の客にじろじろ見られたが、その客は無言だった。おかしな格好だが、先端テクノロジーを利用していることが歴然なので、笑うに笑えないのだろう。

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