第2話
二人に気づかれないように、車で横を通り過ぎた。自宅に戻ると、玄関の前で待ち伏せした。
道路の先の方に二人の姿が見えた。彼らは途中で立ち止まると、二言三言会話をし、それから、彼女だけ横の路地に曲がっていった。
僕は、弟に気付かれないように、二階の自室に戻った。
冷静になって考えよう。
キズキ・ヨーコは、宇宙(地球)全権大使である僕を通さず、その弟に同級生の振りをして近づいた。宇宙の全データを自在に修正できる彼女にとっては、人の記憶を操ることなどわけない。
本当は存在しない生徒の履歴をこしらえ、生徒や教員の記憶を書き換えたのだろう。おそらく学園ドラマにありがちな謎の転校生ではなく、最初からあの高校の生徒で、両親の身元もはっきりしている。
あの様子だと、もう恋人なのかもしれない。
何のためにそんなことをするのだ?
もちろん僕との関連でそうしているのだろうが、現在のところ、狙いは不明だ。
弟に何と言えばいいのだろう?
話の切り出し方がわからない。
彼女は危険な存在で、狙いがあっておまえに近づいた。用心しろ。
彼に話す前に、まず彼女をとっつかまえて自白させよう。
翌日の午後、眼鏡と帽子で変装して、昨日と同じ道で待機した。
二人が近づくと、スマホをいじっている振りをした。彼らは僕に気づかず、通り過ぎた。それから、ある程度の距離をとって、尾行する。
彼女が路地に曲がると、急いでそちらに向かった。
二メートルほど距離をあけ、そっと近づいていたのに、彼女のほうから声をかけてきた。それも一切後ろを振り向かずにだ。
「久しぶりですね」
「何のマネだ?」
「どういう意味?」
彼女は首だけ僕のほうに振り向けた。しかも180度。さすがに本人もおかしいと気づき、次は体を同じ角度だけ動かした。
「弟に近づくな」
僕は忠告したが、ほとんど効果がないことくらいの自覚はある。
「言っておきますけど、彼のほうから声をかけてきたんですけど」
目が覚めるような美人ではないが、彼女の見た目はかわいい。たまたまクラスメートでしかも帰り道が同じなら、女好きの弟が声をかけるのは当たり前の成り行きだ。
「どこまで関係は進んでいる?」
「何も。帰りが一緒だけだよ」
「狙いは何だ? なぜまたこの宇宙にやってきた?」
「この宇宙に来た点については明確にお答えできます。一言で言うと、アトランティス大陸の復活です」
彼女は事務的にそう答えた。敬語やため口など、彼女の口調はすぐに変わる。
「アトランティス?」
と僕は質問したが、アトランティス大陸くらいはさすがに知っている。
アトランティス大陸とは、大西洋にかつてあったというオ-ストラリア大陸より大きな島のことで、一夜にして海に沈んだとされる。形跡がないことから今日では当然伝説扱いだ。
それで、
「アトランティスなんてただの伝説だろう?」
僕はそう聞いたが、
「あれは事実です。地球がまだ平面だった頃、科学の進んでいたアトランティスの住民は地球が球体であると考えるようになりました。しかし、当時の全陸地を球面で表現するだけの計算力がまだありませんでした。そこで運営が相談した結果……」
「ちょっと待った。運営って何だ?」
僕は、事務的で淡々とした彼女の説明を遮った。
「まだお話してませんでしたか?」
「ああ、聞いていない」
「運営とは、文字通り運命を営む管理者のことです。たとえば、この星では、数十名の高度な知的生命が人類だけでなく、他の生物についても、方向性を打ち出し、その通りにマネジメントしていきます。運営はあなたがたのような肉体を持ちません。肉体の計算処理がない分、データ処理能力が高いです」
イベントには運営と呼ばれる裏方がつきものだ。宇宙も本質的には一種のイベントなのだろう。
「要するに、古代でいう天という概念に相当する存在か」
「その通りです」
「具体的には何をするんだ?」
「私は運営の経験がないので、細かくは知りませんが、計画通りにその星の状況を持っていくため、気候、文化、経済、政治家などの重要人物を操ったりします。よくある都市開発シュミレーションゲームのようなものです」
僕も国盗りゲームならやったことがある。同盟を結んだのに、すぐに攻撃されて頭に来て、途中で投げ出した。
「わかりやすい例として、産業革命があります。ヨーロッパを中心とした大航海時代以降の発展で、人類の総計算力は大きく向上しました。18世紀後半。当時の運営は思い切った方針を打ち出します。生産力を飛躍的に伸ばし、生活水準を上げ、この宇宙、すなわち地球に知的生物、即ち人間として生きることの魅力を上げ、参加者を増やし、それでさらに文明のレベルを上げ、それがさらなる参加者の増加を促すのです。この方針は成功し、今や70億を超える人口を擁しています」
「他の宇宙より、こっちの宇宙のほうが楽しいですよ? 観光客の誘致合戦みたいだな」
あるいは、どのゲームを買うか迷っている客にアプローチをかけるようなものともいえる。
「まさに、その通りです。参加者が多いほど、その宇宙は発展します。現在進行中のIT革命は、途上国の急激な人口増加による、人類の総データ処理能力の向上によるものです」
CPUが十個のサーバーと千個のサーバーでは全く性能が違う。
「何故、産業革命が起きたのがイギリスだったの?」
と僕は質問した。別に深い意味はなかったのだが、
「運営は、人類全体のコミュニケーションを促進するため、世界共通言語を求めていました。その点、英語が最適です。文字は表音で、アルファベット26字だけですし、文法もフランス語やドイツ語に較べて容易です。ちなみに第二候補はマラッカ付近で話されているマレー語でした。世界一簡単な言葉でしたが、時制などの表現に曖昧なところがあり、当時の世界情勢から考えても、スマトラ島に産業革命は難しいので、イギリスに決まりました」
「ふうん。運営もなかなかやるな。計画通りにいかない場合は?」
「そういった場合、天災を引き起こすことがあります。たとえば紀元前の中国、漢楚の戦いでのこと。運営は秦滅亡後を漢の天下にする予定でした。ところが戦況の調整がうまくいかず、漢の高祖となるはずの劉邦が楚兵に追われ、絶体絶命の大ピンチにおかれてしまいました。このままでは漢の時代が訪れなくなります。運営は、仕方なく突風を吹かせて、劉邦を助け出しました」
「へえ」
僕は関心なさげに言ったが、垓下の戦いで西楚覇王を名乗った項羽が、四面楚歌の状況に置かれ、敗北して逃げた時、「天が自分を滅ぼそうとするのに、川を渡る意味があるのか」と言って逃げるのをやめたと聞いている。項羽の言葉は正しかったのだ。
「日本でも似たような事例はあります。運営は、戦国時代の後、徳川幕府を予定していました。ところが、天正13年、徳川の台頭を恐れた豊臣方は、大軍勢で攻め滅ぼそうとして、徳川は絶体絶命の状況でした。そこで運営は、中部地方に震度7の天正大地震を起こして、豊臣の前線基地を壊滅しました。不思議なほど徳川の被害は少なく、予定通り徳川幕府の時代が訪れました」
地震による豊臣方の被害は甚大で、徳川成敗を延期せざるを得なかった。平和交渉の結果、徳川は生き延びることができた。家康の強運は状況を観察していた天が意図的に助けたのだ。
「たしかにあの時点で、都合よく大地震が起きるなんて、偶然にしては出来すぎるな。となると、北京オリンピックの時の四川大地震もそうか?」
2008年、世界中で北京オリンピック開催に対する批判が吹き荒れていたが、開催直前、四川省で大地震が起き、10万人が亡くなったことで、批判は一気にトーンダウンした。
「お察しがよろしいですね。あのオリンピックは成功する必要があったのです」
「もしかして東日本大震災もそうか?」
2011年3月11日。死者二万人弱、原発事故の他、与党になったばかりの民主党政権に打撃を与えた。
「もちろん。当時、環境問題や資源不足などから、原子力発電がもてはやされていました。ところが、運営のほうでは、太陽光発電などの再生エネルギーを今後の主力に予定していて、事故を起こすことで潮流を変えたのです。
そのタイミングも絶妙です。あの年の2月14日に、中国のGDPが日本を越えたことが発表されました。その情報を得た運営が、翌月、今後に予定されている世界情勢から、今が好機と判断し、地震を起こしたのです」
地震の件は興味深かったが、今はそんな話をしている場合ではない。
「アトランティスが復活するのも、運営が決めたのか?」
「いいえ。今、アトランティスは別の宇宙に存在しています。一夜にして大陸が沈んだというのは言い伝えで、実際は二つの宇宙に別れたのです」
「アトランティス大陸だけ、この宇宙から出ていったのか?」
「こちらから見ればそうですけど、彼らからすると、こちらが出ていったことになります。向こうでは、アトランティス以外の陸地が海に沈んだとされています」
ひとつの宇宙が分裂して、二つになった。
物理的にはありえそうもないが、物体が単なるデータとすれば、必要箇所だけコピーすればいいのだから、起こりえなくない。合併にしても、物理法則の異なる全く別の宇宙ではなく、もともとひとつの宇宙(というより惑星)だったのだから、計算上はさほど困難ではないのだろう。
「それが今更一つになるということか?」
「双方の住人からすれば、失われた大陸が復活することになります」
「ひとつにする目的は?」
「こちらがわの発展が著しいことが理由です。釣り合いがとれたので、合併したほうがいろいろと都合がよいのです。アトランティスは当時としては文明が進んでいましたが、その後の進歩は鈍く、今では同程度の科学力です」
企業の合併と同じで、二つの会社で事業を行うより、ひとつにしたほうが何かと効率がよいのだろう。特に向こうは、大陸がひとつしかなく、そのほとんどが海ではもったいない。
「すごく発展したイメージがあったのに、こっちと同程度とは意外だな」
「土地の広さが原因と思われます。向こうはオーストラリア程度の面積。こちらはその十倍はあります」
たしかに地球にオーストラリアしかなければ、交易も限られ、大航海時代も訪れることもない。どちらかというと向こうにメリットがある合併のようだ。
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