第13話


 そんな僕の決意を悟ったのか、ついに彼女は強硬手段に出た。

 冬の寒さが和らいだ頃、それは起こった。

 午後三時頃、やたらと外が騒がしい。暴動が起きたわけではなく、街の人たちが噂話をしている。


「そんなの嘘でしょう」

「嘘じゃないわ。私も見たの」

「あっち」

 などという会話が僕のいる部屋にまで何度も聞こえたので、外に出て、適当に人をつかまえて話を聞くと、「マンションがおかしい」ということがわかった。


「消防署の裏手の10階建て」

 というので、その人と一緒に向かってみると、以前ソーセージ屋が入っていたマンション(10階建てというのは間違い。正しくは八階)が、キネマ東風で観た映画に出ていた令嬢の豪邸に変わっている。


 建物だけではなく、広大な庭まで再現されている。ということはマンションだけでなく、その辺りの土地のかなりが変貌しているということだ。

 庭には蓮の花が咲く池があり、大勢の野次馬が取り囲んでいる。そこには小舟が浮かび、簪をさした令嬢キズキヨーコが、池の水を掌ですくうという謎の動作を繰り返している。


「何してるの?」

 という野次馬の問いかけに、言葉がわからない振りをしている。

 建物の扉が開くと書生姿の我が弟が現れた。野次馬をかき分け、池の縁に立つ。

 僕は彼の肩に手をかけ「ダメだ。行くな」と言った。


 弟は僕の顔を見たが、言葉が通じないような表情を浮かべている。

 キズキの舟は弟のいるところまで来た。

 野次馬達は怖くなったのか、後退していく。

 僕は弟の体をつかんだが、後ろに突き飛ばされた。

 弟が舟に乗ると、池は川になり、舟は果てしなく続く川を下っていく。


「オーイ」

 舟はどんどん小さくなっていく。舟の姿が見えなくなると、豪邸は元のマンションに戻り、野次馬は狐か狸にばかされたような表情を浮かび、自分の持ち場へと帰っていった。


 僕が普通の携帯でアンドリューを呼び出すと、喫茶店のマスターが現れた。今見た出来事を話すと、

「映画と同じで、若い二人の駆け落ちですね」と人ごとのように言う。


「どうみても誘拐だろう」

「早速マルチバースの運営に相談してみます」

 とマスターはアンドリューの声でいった。

 マスターは姿を消し、十分後、気落ちした姿で現れた。


「申し訳ございません。私の力不足です。大方の運営は、二人が合意して行った行動なら、こちらから文句をいう筋合いはないという見解です」

「そんな。弟はまだ高校生だぞ」

「生物学的には立派な大人です」

「こっちの法律では未成年だ」

「近代以前ではもっと若い年齢で結婚した事例がたくさんあります。運営は、地球の歴史を俯瞰して問題ないと判断するはずです」


 ぼくは彼と話しても埒が明かないと考え、虚空に向かって叫んだ。

「キズキヨーコ。弟を返せ」

 すると、上空にキズキの顔が浮かんだ。


「私は、あなたの弟さんを奪ったわけではありません。私たちは充分話し合って、アトランティスに移住し、現地の役所に婚姻届けを提出することに決めました。そちらの法律上何の問題もないと思いますが」

 彼女は僕に話しかけたが、上空なので、僕以外の人にも聞こえたはずだ。


 彼女がそう言っても、法律上問題だらけだ。

「まだ未成年だから法律違反だ」

「いえ、彼はすでに三十歳を越えています。本人がそう話しています」

「おまえが催眠術にかけたんだろう」

「彼が望んだからそうしたまでです」

 僕はマスターの顔を見た。彼は首を横に振った。

 キズキもマスターも元運営だ。どうも運営とやらは、杓子定規にしか判断しないようだ。


 僕の怒りは頂点に達し、

「それなら僕がアトランティスに乗り込んで、その結婚必ずぶち壊すからな」

 と大声で叫んだ。

「アトランティスに行きたいですか?」

「ああ」

「船便にしますか、飛行機にしますか?」

「急いでるから飛行機だ」

「正式に契約しますか」

「そうする」


「ダメデス!」

 とマスターがアンドリューの声で叫んだときは遅かった。「誘導尋問です」

「え?」

「アトラティスに飛行機で行くには、同じ星に存在する必要があります。それはアトランティスの復活を代表自らが認めたことになります」

 とマスターが解説した。


「なんだ、そりゃ。ひっかけ問題か」僕はあきれた。

 彼の言葉を裏付けるように空中には大きく、

「地球代表がアトランティス大陸の復活を正式に承認しました」

 という横書きのゴシック文字が浮かんでいる。それも一箇所だけでなく、はるかかなたまで数百メートル置きに同じ言葉が続く。おそらく世界中、その国の言葉で伝えているのだろう。


「ひょっとしてやらかした」後悔しても遅かった。


 翌日、ポセイドニア航空という聞き慣れない会社から僕のもとに一通の封筒が届いた。中には、アトランティス旅行のパンフレットとチケットが入っていた。


 夢の大陸アトランティスへようこそ。


 アトランティスは、大西洋に浮かぶおよそ1000万平方キロメートルにも及ぶ、緑豊かな大陸です。

 などと復活前なのに大まじめに書かれているのであきれた。

 観光名所や宿泊施設の案内も読んだ。どのホテルも当日予約で大丈夫ですとある。

 正直、僕は行く気になれなかったが、その翌日、二人の結婚式の案内が届いた。会場や日時など具体的に記されていたが、どうせお遊びだろうと思い、結婚のことは両親には黙っていることにする。だが、いくら遊びでも、わざわざ呼ばれたのなら、正々堂々とぶち壊してやる。


 弟の失踪を両親に知られたくないので、アンドリューに頼んで、弟の身替わりのサイボーグ的存在、いわゆるシンプルなキャラを用意してもらった。その際、優秀なのにしてくれと僕が注文したせいで、周囲の人間が不思議がることになった。


 なにしろ成績優秀のうえ、品行方正。家に帰ると勉強熱心なだけでなく、積極的に家事手伝いをするものだから、それも当然だ。

「最近、どうしたの?」という質問に、

「もともと僕はこういう人間です。これまでは、わざと出来が悪い振りをしていただけです」

 と言うものだから、弟が復帰したとき、困ることになりそうだ。


 僕のほうは、そんな些事には構っていられない。アトランティスの復活が現実に起きるとなると、それなりの用意や覚悟がいる。

 僕とアンドリュー、それからソラスは国連本部に滞在し、関係各所と会議を重ねた。

 アトランティスと聞くと、誰もが訝しむが、少し説明するとすぐに受け入れてくれた。科学的に説明づけるのは難しくても、皆ついこの間摩訶不思議な黄金世界を経験しているのだ。

 といっても黄金世界は一時的なものだが、アトランティスの存在は永続的に続く。

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