第15話
ターミナルビルに相当する建物がないので、どうしていいかわからず、他の客達に続いた。驚いたことに、広場から出ると、各自異なる方向に歩いていく。キャベツ農家の男性と同じで、どうせキズキの描いた架空の存在なので、頼りにしないほうがいい。
道路は石畳だ。通行人の服装も中世ヨーロッパ人のようだ。建物や景観は旧世界が想像したものに近いが、布をピンでとめただけの古代ギリシャのキトンはもう流行っていないのだろう。
黄色人種を見たことがないのか、彼らは僕を珍しそうに見ている。
途方にくれていると、首のすぐ下にある携帯電話棒の先端が鳴った。通話だけなら、そこに触れると、応答できる。
「はい」
「喫茶純粋です」
「アンドリューか。今着いたところだよ」
「わかってます」
「そうだろうな。これからどうすればいい」
「ご同行しましょうか?」
慣れない土地なので、出来れば同伴者がいたほうが心強い。
「頼む」
イエローの車体に似合わない不気味なシャレコウベを描いたオープンカーが現れた。米国製ガソリン車だ。
アロハシャツにサングラスのアンドリューは、
「HEY、いまどき石畳の道路とはいかしてるね」
と明るい調子で声をかけてきた。別人のように陽気なキャラクターになっている。
「なんでこんなオールドカーなんか出すんだよ。それより式場はどこだ?」
「ブラザーのいるところかい? すぐ近くのホテルだ。案内するぜ。さあ、乗った、乗った」
彼は面倒くさそうに助手席のドアを開け、僕が乗り終わらないうちに、アクセルをふかし、猛ダッシュした。乱暴な運転を続け、スピードを弱めないで角を曲がるものだから、助手席の僕は気が気でなかった。
「危ない! こんな運転で逮捕されないのか」
と僕が聞くと、
「
彼は前を見たまま答えた。
「アトランティスって犯罪がないのか?」
皆裕福な上、住民のレベルがそれだけ高いのかもしれない。
「粗暴犯は少ないけど、知能犯なら結構ある。警察官の代わりに人工知能による犯罪管理システムが稼働している」
「道路もカメラで監視されてるはずだ。捕まるよ」
「こちらのルールではスピード違反という概念はない。こっちの乗り物は制限速度を超えることができない構造になっていて、速度オーバーは機械の故障と判断される」
「そうなんだ」
スピードが出ない構造といいながら、こちらの車の車輪はF1カーのようにボディの下ではなく、横に付いている。それも車輪がやたらでかく、その分、車高が高い。
他にも、公共交通機関が発達しているのか、車自体が高価なのか、車の数が少ない。そのことをアンドリューに聞くと、
「上を見てみな」
僕は顔を上げた。
数メートル真上の上空には、自動車が空を飛んでいる。
陸走するときは横向きだった車輪の軸が九十度回転し、ドローンのプロペラのようになっている。車輪が大きい理由はこれだったのだ。
「旧世界と使ってる素材からして違う。バッテリーのパワーと持ちがすごくて、車体が軽いからあの程度のプロペラで飛べるんだ」
とアンドリューが解説した。
旧世界にも人が乗れるドローンがあるが、こちらのものはよりコンパクトで、陸を走ることもできる。科学の差といえばたしかにそうだが、入手できる鉱物の違いが大きいようだ。
「これ自動車と呼ぶのは変だな。飛行機でもないし」
「ヴィークルとでも呼んだらどう?」
英語でヴィークルとは、陸上の乗り物の他に宇宙船も意味する。イメージ的にはまさに未来の乗り物なので、ヴィークルという響きが似合う。
十分ほどで目指すホテルに着いた。十階建てくらいの高さだが、正面から見ただけでは何階あるのかわからない。パルテノン神殿の柱の間を紫色のガラスで埋めたような外見で、古代的でもあり未来的でもある。
「駐車場はどこ?」
「そんなものはない。ヴィークルは、社会で共有していて、乗り終わったら、次の利用者のもとに届けられる」
「配車システムが普通なんだ。当然、自動運転?」
「ほとんど自動だが、免許があれば、手動タイプも運転できる」
「手動にする意味ってある?」
「一種のスポーツさ。衝突を避ける仕組みがあるから、あまり大きな事故は起きない」
ホテルの前にアメ車を横付けした。一台だけ停まっているので、なんだか体裁が悪い。
表の階段を上がる。石段のように見えるが、素材は不明だ。さきほど説明したように、柱と柱の間は上まで続く長いガラス的素材で、そのうちの一箇所だけ一番下の部分が欠けていて、そこが入り口のようだ。
僕は緊張しながら入り口を潜った。
中はロビーに相当する場所なのだろう。すごく広く、上は吹き抜けだ。シャンデリアなどの照明器具は見あたらず、壁や床などが直接淡い光を放っている。
随所に長椅子があり、大勢の人が座って歓談している。
屋台のような店も二、三あり、人々は飲み物やつまみなどを手にしている。
「受付はどこ?」アンドリューに聞いた。
「空港と同じでそんなものは必要ない。君がどこの誰で何の用で来たのか、システムが把握している」
「へえ」と、僕は感心したが、よく考えると、旧世界の顔認証システムと大きな違いはない。
「何か食べるかい?」といって、アンドリューは屋台の集まっているほうを見た。
「君の能力をもってすれば、いつでも出せるから、ここで今買う必要はない」
「本当は怖いんだろう?」
彼の言うとおりだった。
異国での始めての買い物。しかもこれまで交流がなく、経済システムがどうなっているかもよくわからない。何事もなく買える自信がない。
「支払いはどうなるんだ?」
「もうこちらの金融システムに君の口座を作っておいたから心配ない。顔パスで買える」
「わざわざ登録したの?」
「正式な手続きはしていない。こちらのデータベースに個人データ一件追加しただけさ」
「で、いくら残高があるわけ?」
どうせ旅の間の必要経費程度だろうと期待しなかったが、
「日本円にすれば、ざっと百億はある」
「百億? なんでも買えるな」
「たしかに買えるが、こちらで購入したものを旧世界に持ち帰るのは現在のところ難しい」
「そ、それなら僕の日本の口座を増やしてくれ」
世界を黄金に換え、好きな食べ物を出してくれたキズキでさえ、僕の個人資産を直接増加するようなことはしなかった。
「それやると、他の運営の連中から、君を買収したように思われるからやらない」
それでキズキも控えていたのだ。
珍しい事物に心を奪われていたが、僕はここへ来た目的を思い出した。
「たしか三階だったな」
ロビーの先はマンションのような造りで、各階の前に廊下があり、両側の階段で上に上がる。
僕等は右側の階段から三階の廊下に上った。
三階は十数個のドアが並んでいるが、文字が読めないので、どの部屋に入ればいいのかわからない。
そのうちのひとつの取っ手にアンドリューが手をかけた。
「さすが」と僕が褒めると、「ここじゃないようだ」と彼は答え、次の部屋に向かう。
「どうして違うってわかったんだ?」
「関係者かどうかは、システムのほうで判断して、ドアの開閉を司ってくれる」
「すげえな」と僕は言ったが、今の人類でもそのくらいはできそうだ。
六番目、廊下のほぼ中央のドアが開いた。
「ここだ」
そう言ってアンドリューがずかずかと中に入っていく。
結婚式をぶちこわしに来たのに、僕は緊張から足がすくんだ。
アンドリューがドアを閉めようとするのを、僕が左手で止め、力強く開けた。
そこは旧世界の結婚式場とよく似た、清潔で明るいホールだった。
すでに式の最中で、新郎新婦が一番奥に立ち、宋代の格好をした、花嫁の家人、親類、招待客などが、地霊に並べられた椅子に腰掛けている。その間をアトランティス人のスタッフが忙しそうに動き回っている。
若い女性スタッフが僕等のことに気づき、近づいてきた。
アンドリューが向こうの言葉で応対し、僕等は最後尾の席に着いた。
「さあ、どうしよう」
小声で僕は独り言を言った。
式をぶちこわすといっても、何らの作戦も立てていなかった。アンドリュー頼みだ。
「この場に来ると、多少気が引けるけど、向こうが悪いんだ。派手にぶち壊してくれ」
そう言うと、「イエスサー」と米国人気取りのアンドリューは答えた。
彼は真ん中の通路に出ると、アーミールックの米兵の姿に変身し、肩の上にバズーカー砲を構えた。いくらなんでもそれはまずい。せめて爆竹くらいにしておかないと。
「もう少し、控えめなやつ」
と僕が言い終わらないうちに、彼は砲弾を撃った。
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