第5話


 家に帰ると、最近、専業主婦になったばかりの母親は夕食の準備中だった。

現在、僕の収入は会社に勤めていた頃の倍以上だ。実家暮らしのため、毎月十万円を家に入れている。それで、家計に余裕が生まれたことが、彼女がパートをやめた理由だ。


 弟がどこにいるか聞くと、

「部屋」

 と母はそっけなく答えた。僕は階段を上がっていった。


 弟の部屋は、廊下を挟んで僕の部屋の真向かいにある。向かいと言わず、真向かいと表現したのは、間取りが同じで、互いのドアの位置まで合わせてあるからだ。


「ちょっといいかな」

 そう中に向かって声をかけた後に、わざとらしくノックした。

「いいよ」

 弟はそう言いながら、自分で開けてくれた。


 弟の部屋はモノで一杯だ。僕の部屋は、僕が就職してから物置になっていたが、実家に戻ると、高給取りの居候のために、他の部屋にモノが分散した。弟の部屋も例外ではない。

 そのお詫びに先月、僕が買ってあげたスマートスピーカーから、ビートの激しい音楽が流れている。


「五月蠅いな。心の落ち着くクラシック音楽に変更」

 僕がそう命令しても、スピーカーは無視をした。

「そんな言い方じゃダメ」

「融通の利かないAIだな」 

 キズキヨーコならどう表現しても、正しく実行してくれる。その替わりに僕の心は読みとられているが。


 弟はベッドの上に腰を下ろすと、読みかけのコミックを棚にしまった。

 いきなり本題に入るのもあれだから、話の糸口をさぐった結果、

「来年、三年だろう? 勉強してるのか」

 というありふれた質問をした。


「何、いきなり。そんなこと言いにきたの?」

 用事があると思わせて、わざわざそんなこと言いにくるのはおかしいが、

「重要だろう」

「もう一流大学に入れば、人生安泰なんて時代じゃない」

 彼に限らずこの世代は、世の中の見方が冷めている。

「そんなことおまえにいわれなくてもわかってるよ」


 高校生と経済や年金の話をしてる場合ではない。

「俺が高校のときに、やっていた超超高速暗記法を教えるから、試してみてくれ。やり方は簡単だ」

 受験生なら是が非でも知りたいはずの情報にも、弟は関心を持たず、

「ところで、何、その袋?」

 といって、僕が右手に提げている店名の入った土産袋を指さした。


 そうだった。話題をキズキヨーコに向けるには、これ以上はない直接的なきっかけになるはずであろう、彼女の店でもらったお土産を、自分の手に持っていたことをすっかり忘れていた。


「あ、これね。さっき寄ったアウフヴィーダーなんとかっていうウィンナー屋で買ったものだけど、あそこの看板娘と値引き交渉した結果、半額になった」

「看板娘って……家の手伝いしてるの?」

 彼は驚いたような表情を浮かべた。

「配膳から、皿洗いまでせっせとこなしてたぞ」

「そんなこと一言も言ってなかったけど」

「なんだ。知り合いなのか?」

「知り合いってほどじゃないけど、たまたま帰り道が同じで、向こうから声をかけてきたんだ」

「最近出来た店だから、転校生か?」

「そう。うちのクラス。噂になりたくないから、あまり一緒に帰りたくないけど、最近いつも帰りが同じ」


 幼なじみという設定かと思っていたら、まさか転校生とは、随分手抜きしたようだ。

「その子、勉強はできるのか?」

「来たばかりだから知らないよ。何でそんなこと聞くの?」

「別に」と、僕はとぼけた。

「それ、夕食で食べない?」

「晩酌のつまみにするつもりだったけど……どうしようかな……」

 僕がしぶると、

「半額で買ったんだから、半分は家のものだよね」

 という無茶苦茶な理屈に僕は屈した。

「わかったよ。母さんに渡してくる」といって、僕は部屋を出た。


 弟はキズキヨーコにあまり興味がなさそうだった。本心を隠してるつもりなのかもしれないが、転校生という設定も場当たり的なので、偶然知り合ったという彼女の言葉も嘘ではないかもしれない。


 ただ気になるのは、弟によると、彼女のほうから近づいてきたことらしい。ということは、道路沿いの民家の壁に移した映像は、彼女の創作というわけだ。まんまと一杯食わされたのか。

 この点についてはどちらかが嘘を吐いていることになる。

 

 まあ、そんな些細なことはともかく、アトランティスとの合併話の判断は僕に委ねられたのだから、慎重に検討しなければいけない。

 彼女の様子からすると、是非にとも進めたいようだが、もし断ったらどうなるのだろう。操作しているキズキというキャラクターが僕より年下なので、横柄な態度をとってくることはないが、彼女の能力は、過去に存在した全ての権力者や魔術師をしのぐ。エジプトのファラオも秦の始皇帝も、彼女に較べればミジンコ以下の存在だ。


 彼女は、すでに運営を無視して、事を進めている。

 あの能力を持って強引に脅すなどすれば、一気に僕の承諾を得ることも可能だろう。そうしないのは、それなりの筋を通さないと、まずい理由があるのだろう。


 その晩の夕食は、余計なおかずが増えたせいで、テーブルが狭くなり、いつもより賑やかだった。

 余分なおかずとはいえ、プロの職人の手によるものなので、自然と箸が進み、手間暇かけて作ったクリームシチューが残ってしまった。

 そのせいで母親の機嫌が悪い。


「クリームシチューにもチーズが入ってるのに、こんな大きなチーズなんて買ってこなくていいでしょ」とこぼすと、

「スーパーで買ってきて、煮ただけのものより、おいしいから」

 弟は遠慮なく言う。

 息子より給料の安い父親も、庶民には少し気がひける高級品をためらいもなく購入する現代の貴族に対し、

「言い身分だな。働いてもいないのに」と嫌みを言う。


 働いていないとは失礼だ。人類と地球の将来を一身に背負った心労を軽減させるのに、ほんのささやかな贅沢をしてどこが悪い。

「自分で稼いだ金で買って、家族にも分け与えてる。しかも毎月、家に十万入れてるから、そんなこと言われる筋合いはない」

 僕はそう反論した。

「そんなに稼いでるなら、結婚したらどうだ?」

「いつまで日本にいられるかわからないし、この仕事もいつまで続くかわからないし、将来の計画が立てられないから無理」

「国連にもリストラとかあるのか」

 父親は本気で心配したようだ。


 すでにこうして日本でぶらぶらしていること自体が、仕事がない証拠だ。万が一のために待機しているが、何十年もこの状態が続くとは思っていない。

 だが、その万が一が実際に起きた。但し、今は国連も政府も事実関係を把握していない。


 部屋に戻ると、キズキヨーコと接触したことを国連の担当者に報告したほうがよいかどうか迷った。迷っている間に、その担当者からメールがきた。


「ソラス様があなたに再び合うことを。希望しています、場所は日本国内で。あなたの現在住んでいる場所の近くです、ソラス様のほうから。あなたを尋ねます、あなたが場所と日時を決めてください、」


 句点と読点が逆で、たどたどしい日本語だが、言いたいことはわかる。これまでソラスと会うときは場所がニューヨークでこちらから訪ねたのだが、今回は向こうから僕のところに来るという。 

 何か切羽詰まった事情があるのかもしれない。


 場所を決めなければいけない。これが結構やっかいだ。宇宙人と密会をするので、店を貸し切りにしたいと言われれば、大抵の飲食店は冗談に思うだろう。その点からすると、ニューヨークの和式居酒屋の主人は、心が広いといえる。


 あれこれ迷っていると、名案が浮かんだ。

 そうだ。キズキヨーコのソーセージ屋にすればいい。あそこの地下は密会にぴったりだ。どうせ客も少ないし、仕入れ原価無料だから、法外な金額を請求されることもない。何より、彼女なら宇宙人が来ても全く驚かないだろう。

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