第20話
ゼウスの敗北が決まると、僕は意気消沈してテレビを消した。
自分もどこかでプトレマイック・ガールに魅せられていたのではないかという疑念が浮かぶ。
「食べようか」ソラスが言った。「冷めちまうぜ。というより最初から冷えてるけど」
彼のジョークに笑う気が起きないが、「ああ、もう考えても仕方がない」といって、僕はテーブルの上の料理をつまみだした。
厨房のスタッフも自分の仕事に戻り、「今日のご予約は……」などと話している声が聞こえた。
「アンドリューが戻ったら何て声をかけようか」僕はソラスに聞いた。
「気を遣うことはないさ。彼もそんなに気にしてないから」
「なんでわかるんだよ?」
「お互い男同士だから」
「男同士っていったって、二人とも仮の姿だろ?」
僕はある疑問が浮かんだ。
「そういえばソラス、やたらと詳しかったな」
「何が」
「表向きの勝負の裏で何が行われているかなんて、なんでソラスが知っているんだ」
「アンドリューに聞いたからだよ」
「いや、やっぱりおかしい。この場にソラスがいる必要がないし」
「何が言いたいんだ?」
「君は本物のソラスじゃない」
「どういうこと?」
「アンドリューが操作する一時的存在。最初からソラスはこの件にからんでいない。アンドリューが、僕に接近するため、ソラスそっくりの存在を作って操作してた」
「じゃあ、俺はロボットみたいなものということか?」
「そうだ」
本人の口から、自分はソラスではありませんとうち明けられるのか、それともソラスのつもりでいるのだろうか。
「やはりそうか。俺も何か変だと思っていた」という言葉から後者のようだ。「騙されてたのか。あいつに」
ソラスは興奮している。少なくとも僕の目には、操り人形が演じている感情には見えない。彼はいままで自分を本物のソラスだと思っていたのだ。ということは、アンドリューは意識や感覚のある、ほとんど生命に近い存在を作り出すことができることになる。
「おい、どこにいるんだ。アンドリューは」
偽ソラスの怒りは収まらない。
「まあ、落ち着いて」
そこへ、当のアンドリューが戻ってきた。
最初に会ったときと同じ高級スーツを着ているが、顔にはいくつかかすり傷がある。
僕は敗者にどう声をかけてよいかわからず、
「お疲れさま」とだけいって、ねぎらった。
「キズキの作戦勝ちです」と彼は返答した。意外にすっきりした表情で、「こちらの完敗でした」
「私の」と言わず、「こちらの」と表現したのは、一人で戦ったという自覚がなく、チームプレーと認識しているからだろう。そう思うことで、敗北に打ちのめされないように心をガードしているのかもしれない。
僕は彼のことを気遣ったが、憤慨したソラスは、
「どういうことか説明しろ?」といって、アンドリューに迫った。
「何のこと?」
たしかに、前置きもなく、いきなりどういうことか説明しろでは話は通じない。
「とぼけるんじゃねえ。俺が何で怒っているかとっくにお見通しのはずだ。俺はおまえが操るロボットだからな」
偽ソラスは拳でテーブルを叩いた。
「そのことですか。たしかにあなたはソラスさんではありません」
「やっぱり、俺はただの幻だったんだ」
偽ソラスはテーブルに顔を伏せて嘆いた。
「いえ、幻というわけではありません」
「アンドリューは生命も作り出せるということ?」
と勘違いした僕は聞いた。アンドリューはソラスのほうを向いたまま、
「あなたはれっきとした生命です。ただし、私が創造したものではなく、最初から生命です。生命を作り出せるのは創造主だけです。あなたは、肉体を持たず、特にすることもなさそうだったので、仮のソラスさんとして活動してもらったんです」
「ようするにその辺の幽霊を、偽ソラスに仕立てたというわけ」と僕は解釈した。
「簡単にいうと、そういうことです」とアンドリューは認めた。
「なんだ、そんなことか。それを聞いて安心したぜ」
ソラスはすぐに機嫌を直し、手で目の前のチーズを口に運ぼうとするが、うまくいかない。
僕はまだ合点がいかない。アトランティス行きの龍型飛行機には大勢の乗客が乗っていた。彼らは幽霊だったのだろうか。この問題はアンドリューではなく、キズキに聞かなければいけない。
アンドリューもテーブルに着き、ソーセージを手づかみで食べ始めた。
「元の幽霊に戻られますか?」と偽ソラスに聞く。
「どんな幽霊だったの?」と僕は聞いた。
「おっと、それは知りたくない」とソラスが制止した。「俺はこのソラスというキャラが気にいった。できれば、これからもソラスでいたいんだけど」
「本物のソラスと会ったらどうするんだ?」
といって、僕は余計な心配をした。
「ソラスというキャラクター自体、キズキヨーコが作った仮の存在で、本当はこことは別の宇宙の生命体で見た目もまるで異なります。双方が出会うことはありえません」
アンドリューが言った。
「そうだった」僕は反省した。
「それなら、俺はこれからずっとソラスだ。いや、いままでもソラスだった。俺こそが本物のソラスだ。文句ある?」
「別に」と僕は答えた。
「ところで、あんたはこれからどうするんだ?」
ソラスはどうにかしてチーズを口まで運ぶことに成功した。チーズを味わいながら、そう聞くと、
「運営に戻ります」とアンドリューは事務的に答えた。
「戻るって? そいつはねえぜ。あんたが帰ったらこの星はどうなるんだ。アトランティスの連中にやられ放題だぜ」
アトランティス問題はソラスにとってもはや人ごとではない。帰る星のない元地球の幽霊だった彼はアンドリューを非難した。
「その点については、キズキヨーコと相談してください」
とアンドリューは突き放すようにいった。
「そうだった。ここはあいつの店だもんな。おーい、店員さん。とりあえず、ビール」
ソラスは手づかみでソーセージを食べるのをあきらめ、マイ箸を使い出した。「それからここの看板娘呼んで」
キズキはいつもの姿で厨房のほうからやってきた。僕は立ち上がり、
「おい、弟を返せ」と詰め寄った。
「もう家に帰ってるけど」
「本当か?」
「用済みだからね」ソラスがさりげなく言った。
「用済みだから、もう関係ないのか。でも、彼の心には君への思いが残り続けるんだぞ」僕は声を荒げた。
「全て私に関する記憶や感情はデリートしてありますから心配なく」
「嘘吐くな。記憶は消せても感情は残るって、アンドリューが言ってたぞ」
「あれは、あなたを計画にくわえるためについた嘘、方便です」
とアンドリュー本人がうち明けた。
「嘘って簡単に言うな。こっちはすごく心配したんだ」と僕はアンドリューに怒ったが、かなり安心したことは確かである。「それから、龍の飛行機に乗っていた客は幽霊だったのか?」とキズキに聞いた。
「一部の乗客を除き、ただの映像です」
シンプルなキャラだけではなかった。
「隣の席のキャベツ農家は?」
「東京で技術系サラリーマンとして生きた人の幽霊でしたが、今は幽霊ではありません」
「すると、ソラスと同じで、今は長野で本物の農家をしているのか?」
「本人が気にいられたので、そのままにしておきました」この点もソラスと同じだ。
「あ、ビールが来た」とソラス。「まあ、難しい話は後回し。完敗を祝して乾杯といこう」
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