第17話


 アトランティス大陸は全体的に緯度が高い割に温暖で、首都アクロポリスの周りは南欧のような気候だ。水路に囲まれているので、夏の盛りでもすごしやすい。

 それがまだ春なのに、その日は気温が異常に高く、人々に何かが起こることを予感させた。


 2時15分。

 快晴だったアクロポリス上空を、突然黒雲が空を覆い、稲妻が鳴り響いた。

 人々が空を見上げていると、雲の中央から、巨人が降りてくる。


 神の中の神、絶対神ゼウスは威風堂々と地上に降り立った。

 神でありながら、外見は人の姿だ。

 芸術家の造りだした彫像の如く筋肉隆々。長い髪と豊かな髭が顔の周りを覆う。その上半身は裸ではなく、戦闘用の光輝と呼ばれる輝く鎧を着ている。山羊皮の胸当て、アイギスの肩当てと、激しい戦いに向け完全武装している。


 このシーンを目撃したのは現場にいたアトランティス人だけではない。事前に情報をつかんでいた、米四大ネットワークの一社は、アトランティス側の許可(もちろん多額の放映権料を支払って)を得て、中継機材とスタッフを現地に派遣していた。


 旧世界各国のテレビ局の多くが、中継元の米テレビ局に放映権料を支払い、世界中でゼウスの活躍が放映される。ちなみに中継元の米テレビ局はアトランティスに支払った分をはるかに超える額を稼いだという噂だ。


 僕とソラスも、キズキの店の大型テレビで様子を拝見した。

 もちろん、アンドリューはここにない。

 彼は全能力をキズキとの戦いに費やさないといけないので、僕等の相手をしている暇(というかデータ処理の余裕)がない。喫茶店も閉店した。一方、キズキは店を残したままだ。僕とソラスは少しでも、彼女のデータ処理負荷を上げようと、無理な注文を出し、テーブルの上はソーセージとチーズで一杯だ。


 全人類の見つめる中、ゼウスは武器を持った右腕を上げた。 

 その手にあるのはケラウノスという紡錘形の雷霆らいていで、それは宇宙全体を破壊できるだけの威力の雷を放つという。

 ゼウスは、多神教の神でありながら、唯一神の如く、宇宙に君臨する。おごり高ぶるアトランティスを過去同様、再び海に沈めに来たのだ。


 だが、あの頃と今では軍事技術が違う。アトランティスの将校は、この日の来るのを待ちかまえていた。


「オリンポスの神なんて、もう時代遅れなんだよ」

 どういう経緯で撮影されたのかわからないが、彼がそう発言するシーンが放映された。そして、彼は全軍に出撃命令を出した。


 無数の戦闘用ヴィークルが蜂の群のごとく、ゼウスの周囲に散らばった。

それぞれゼウスめがけて、レーザー光線を放つ。

 さすがのゼウスも強烈なレーザーの束は苦手なようで、ときおり顔に苦痛の表情を浮かべながら、手ではたき落としたり、握りつぶしたりしている。

 害虫苦情業者とスズメバチの戦いのようだ。いつ果てるともしれない戦いだ。 伝家の宝刀ケラウノスを使おうとしないのは、この程度の相手にはふさわしくないと思っているからだろう。


 事前に情報を得ていた報道関係者が気を利かせたのか、ゼウス神の下に、「ゼウス」とテロップ表示されている。

 そのことをソラスに言うと、

「あれは、テレビ局が編集したテロップじゃなくて、アンドリューが各局のカメラ向けに送った文字だ」

 それで日本向けの放送には、カタカナなのだ。


「何のため?」

「どっちが味方かわかりやすいようにだ。人類に応援してもらわないと、勝てないからな。ゼウスって書いておかないと、見ているほうはわかんないだろ」

 男性ニュースキャスターには馴染みがないが、米国では知られた顔のようだ。彼の実況を各国言語に通訳してアナウンスされる。

 キャスターの隣の専門家(何の専門かは不明)も、

「ゼウス神が再び我々の為に地上に舞い降りてくださいました。これで世界は救われます」と解説している。


 僕とソラスも、ゼウスを応援した。

「アンドリュー、もう少しだ」

 キズキの店の従業員も、事情を知らないのか、ホールに出てきて一緒になってゼウスを応援している。(店の従業員としてはキズキ・アトランティス連合を応援すべきだが、彼らも旧世界の人間なのでゼウスを応援する必要もある)

 だが、これはほんの前哨戦にすぎないことはわかっている。ゼウスが今戦っているのはアトランティス軍であって、本命のキズキの登場はその後だ。


 三十分ほどで、アトランティスの戦闘機はほぼ壊滅した。地面には残骸が積もっている。

「やりまりした。勝ったんです。我々の神が勝ったんです」

 とキャスターが叫ぶ。

 専門家は「もうすぐアトランティスは海の中に沈むでしょう」と断言した。


 彼らだけでなく、旧世界の人類は、誰もが喝采し、歓喜した。

 反対にアトランティス側の士気はどん底まで落ちた。何故、わかるかと言うと、各地の状況が中継されているからだ。


 旧世界が安堵していたそのとき、上空の黒雲に異変が起きた。

 まばゆい光が雲の間からさし、そこから巨大な人型の物体がゆっくりとゼウスのいる地上に向かって降臨してゆく。

 肌も髪も、青などに彩色されることの多いガウンも陶器そのものの純白。両手の平を前に向けた格好で、微塵だにしない。


 聖母マリアだ。


 というよりカトリックの教会においてあるマリア像だ。わざわざ足元に「聖母マリア」と表記されている。

 どこにもスピーカーの類がないのに、賛美歌が流れ、雰囲気を盛り上げている。これは空気を直接振動させているのだろう。


「その手できたか。親しみの持てるキャラで戦うとは、あいつも考えたな」

 僕は、キズキの見事な作戦に舌を巻いた。


 ほとんどの視聴者、特にキリスト教徒は、聖母マリアが異教の神ゼウスを称える展開がこれから始まると思っているだろう。

 ところが、ゼウスの前に立ったマリアは、日本語で

「邪教にして偽の神ゼウスよ、その正体はサタンの化身、いまここで神の前に跪き、懺悔しなさい」

 と言った。キズキも各国向け複数言語で対応しているようだ。

 

 これから本格的な戦いが始まる。そう言えるのは、格闘ゲームのように画面の両端にゲージが現れたからだ。同程度の長さだが、よく見ると、ゼウスのほうが少し長く、50対47程度の比率だ。

 これは体力ゲージではなく、双方のデータ処理能力をゲージとして表現したものだ。現在のところ、ゼウス側のほうがやや高いということだ。


 ということは、すでに勝負はついているということのようだ。ゼウスは、本命の敵を前に、いきなり勝負に出た。

 これまで温存してきたケラウノスを使う。菱形の片方の先端をマリアに向けると、先のほうが赤く輝いていく。


 武器の向きからどこに稲妻が飛ぶのかおおよそわかるはずなのに、マリアは逃げようとしない。その理由はすぐにわかった。攻撃範囲が広すぎて、逃げようがないからだ。

 すさまじい雷鳴とともに、強烈な稲妻の束がゼウスの前方に広がり、それも長時間続く。


 一分を超えた頃、ようやく稲妻が収まった。

 全身に雷撃を受けたマリアは、黒く焦げ、体中にひび割れが入っている。

 普通、ゲームならマリアのゲージが下がるのだが、おかしなことに逆に増えて、反対にゼウスのゲージが下がって、49対48程度とマリアが優位だ。

 これは、人類のうちかなりの数がマリア側に応援を切り替えたということだ。具体的に言うと、二十億を越える世界中のキリスト教徒や、仮に無神論者でもキリスト教文明圏で育った者は、心の底でマリアに勝って欲しいと願っているのだ。


 理性ではゼウスを応援すべきとわかっていても、子供の頃から植え付けられた信仰心により、無意識のうちにマリアを応援してしまうのだ。

 総計算量で劣るキズキの作戦だ。だから負荷のかかるこの店もそのままにしていたのだ。


 ケラウノスの雷撃は止まったが、マリア像自体がショートしたように、あちこちに火花が飛び散っている。そして全人類の見つめるなか、聖母は爆発、砕け散った。

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