第6話
始まりの場所で……
運命を変えてしまった原因が僕にあることは、もう明らかだった。少なくとも、タイムリープなんて起こらなければ、恵ちゃんは20年後の世界で幸せに生きていたはずだ。その隣に僕がいないのだとしても、あるいは僕が死んでいたのだとしても、彼女が幸せでいることの方が僕にとっては大切なことだった。
恵ちゃんが亡くなった原因について、表だって語られることはなかった。少なくとも僕の前では……。ただ、彼女が自ら命を絶ったことは、これまでの経緯を踏まえれば想像に難しくなかったし、間接的にそう言った情報は嫌でも耳に入ってくる。
なぜここまで運命に大きく変更が加えられてしまったのか、知らせを聞いた直後には良く理解できないでいた。付き合っていた当時、当たり前だが僕の年齢は未成年である。高校時代、大人びた性格でもなく、むしろ年齢の割には、精神年齢は低かったに違いない。
だから、この世界ではあの当の僕よりも、幾分かは彼女のことを気遣ってあげられていたのではないか、あるいは、より彼女のことを理解してあげられたのではないかとさえ思えた。しかし、それが大きな思い違いであったことが後に判明することになる。
告別式のあと「乙坂君に持っていてほしい」と彼女の母親から手渡されたのは一冊のスケッチブックだった。一般的な手帳よりもやや大きなB5サイズのスケッチブックで、オレンジと黒でデザインされたその表紙には見覚えがあった。それは『クラウドランド』つまり、“空の国”と恵ちゃんが名づけ、交換日記としての役割を担うはずのものであった。彼女がインスタントカメラで撮影した空と雲の写真、そして絵日記が組み合わさったもので、とても独特なレイアウトだったのをよく覚えている。
この時代にはまだデジタルカメラは普及しておらず、撮影したネガフィルムは写真屋で現像し、印画紙にプリントしてもらうのが一般的だった。彼女は、プリントされた写真の上から直接マーカーで文字を書いたり、小さな絵を添えたりしてアレンジを加えていくのだ。デジタルカメラで言えば、画像編集的な作業に相当するが、パーソナルコンピューターですら一般的ではない当時は、全てアナログ作業が当たり前だった。だからこそ、写真一枚一枚に彼女自身の想いが宿っていく。そんなとても素敵なスケッチブックになるはずだった。
おそらく高校二年の夏あたりから、このスケッチブックを使って、月に一回ほどのペースで、交換日記のようなやり取りが始まったはずなのだ。右ページには空と雲の写真が貼り付けられ、左ページ上半分が恵ちゃんの日記、下半分が僕の日記と言うスタイルだった。
しかし、運命に変更が加えられたこの世界では、スケッチブックは交換日記としてではなく、彼女の苦しみを綴る手記として、誰の目に触れるでもなく、彼女の机の中でひっそりと眠っていたそうだ。
何が苦しいのかと問われても、それを言葉にできないことが苦しい……。そういう気持ちが彼女の文章の隅々に溢れていた。そしてその苦しみの意味を理解してもらうことがとても困難であること、さらにそれを伝える人がいないというようなことも書かれていた。つまり、僕にさえその気持ちを話すことが困難だったと、そういうことだ。その理由は彼女の文面からなんとなく想像できた。
『瞬ちゃんがどんどん大きくなって私から離れていくようで怖い……』
『瞬ちゃんの後を追うのだけど、もう走れないよ……』
『優しくされることで、自分の不甲斐なさが大きくなっていく。本当はうれしいはずなのに、涙が出てくるのはなぜ? 』
『疲れた……』
僕が恵ちゃんのことを想うほどに、彼女の心の奥底にはより一層の孤独が広がっていく。僕の想いが、彼女を追いこんだのは間違いない。このスケッチブックを僕に渡した彼女の母親の真意は分からないけれど、それが確かな現実だった。
「なんて馬鹿なことを……」
スケッチブックを受け取った僕の横で、彼女の父親は確かにそう言った。父親としての気持ちが分からぬでもない。ただ、僕はなんとなくそれは違うと思った。僕が言える立場ではないかもしれない。だけれど、彼女の判断は決して馬鹿なことなんかじゃないと思うんだ。
残された人にとって、大切な人を失った悲しみは永遠に消えないけれど、本人にとってみれば、ただただ苦しみながら生きていくことの辛さが確かにあるのだ。その苦しみは、きっと当の本人にしか知り得ないことであり、それを馬鹿なことと、他者の主観的感覚で価値付けることなどできやしない。
死ぬのは僕のはずだった。僕は死ぬはずだったのに、突如として過去にひき戻され、もう一度、高校時代から人生をやり直すことになった。唐突に始まった異常な現実を前に戸惑いもしたが、それなりにこの世界に溶け込み、高校生らしく振舞いながら、生きることの楽しみのようなものを日々感じ始めていた。正直、今は死ぬのが怖い。
「なんだ、それ……」
僕はスケッチブックを抱えたまま、すべてが始まったあの場所へ向かった。神奈川県と東京都の県境を流れる大きな川。そこに掛かる巨大な鋼鉄製の橋だ。あの欄干から全てが始まっている。時間軸が逆転し、そして少しずつだけれど、でも確実にずれていく運命の歯車について、僕は知りたいと思った。
★
約20年後に住むことになるであろう、その場所は、当たり前だがまだ再開発計画が着手されておらず、広がる旧市街は、まるで見知らぬ街の様相を呈していた。
「あそこは新興開発地域だったからな……。しかし、20年前はこんな風景だったのか」
地下鉄路線はこの地域まで延伸しておらず、あの巨大なクリスマスツリーがあった複合商業施設が建設されるはずの場所は大きな公園だった。その周りには、木造の古い住宅地が広がっている。もともとこのあたりは城下町だったから、旧道は狭く、そして複雑に入り組んでいる。21世紀の住宅街には感じることができないノスタルジーな色彩がそこには存在していた。
「このあたりに地下鉄の駅ができて、そして……。いや、俺は、一体何をしにこの場所に来たのだろう……」
誰かを理解するという行為は、他者を偏見のまなざしでとらえ、そして自分と他者との境界線の存在を前提とすることでなしうる。誰かを助けるだの、誰かを守るだの、誰かを傷つけることも、誰かを失う事も……。理解するという振る舞いは単純な話じゃない。誰かを思いやる行為は、時に誰かを追い込んでいることがあるのだと、僕は思い知らされた。
生きることの真の意味なんてそもそも存在しないのに、それをあたかも存在するように語って、勇気づけた気になっている……。希望を無理やり押し付けて、「少しは楽になった?」みたいに、上からの視線。
「どうすれば……。どうすれば、よかったっていうんだ……」
人は生きている限り、贈与なのだと思った。それは希望だけじゃない。時に絶望さえ誰かに与え続ける。でも僕はできれば他者と理解しあえるような、希望を与えることができるような、そういう人間関係がきっと良いのだと思っている。あったかもしれない希望に気づきたい。気づかせたい。もし、もう一度だけやり直せるのなら……。
――問題を抱えながら素敵な明日を願うという矛盾こそが、生きることの基本構造ではないか?
人はなぜ社会をつくるのかという問いにルソーは、人間は憐れんでしまう生き物だからと答えたそうだ。でも、だからこそ他者の理解不可能性を前提にしなくてはいけない。
河川敷に来ると、あの橋が良く見えた。20年後の世界でも、この世界でも代わり映え無く、東京都と神奈川県を繋いでいる。夕方が迫る時刻、真夏の暑さも幾分和らいだように感じるが日差しはまだ強い。僕はそんな暑さをしのぐため、巨大な橋の下に入り込み、堤防に作られた階段に腰を下ろした。
「この時代から何も変わらず、ずっとここにあった……」
「そう、君がファンダメンタルズの躍動と同じタイミングで飛び降りたこの橋は、君たち実体者が使う概念、時間に換算して約50年間、この場所に、このまま存在しているよ」
気づけばいつの間にか僕の右隣に誰かがいる。この声は欠如体者と名乗ったあの白髪の少年のものだ。
「話がしたいと思っていたんだ。ここに来れば君に会えると思ってね」
白髪の少年は、やはり首をかしげながら僕の顔を見つめている。
「どんな話が良い?」
川下から生暖かい風が吹きあがり、僕の前髪を揺らしていく。太陽の陽が陰り、あたりがみるみる薄暗くなってくるのが分かる。橋の向こうには灰色の空。ほどなく夕立が来るのかもしれない。
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