ファンダメンタルズ

星崎ゆうき

第1話

僕は欠如の塊

 何か理由があるわけでもないのだけど、日々の生活がどうしようもなく苦しくなる時がある。ただ生きているだけで無価値が僕を取り巻き、そして心の中に虚しさが積もっていく。経済的に困窮しているとか、重大な病を患っていて、壮絶な闘病生活を強いられている、なんてこともなく……。僕の生活はどちらかといえば豊かな方だと思う。今の生活に何か特別不満があるわけでもない。


 ただただ生きていることが苦しい……。そんな風に思うようになったのは、一体いつからだろう。人はきっかけのような出来事の実在を確信しているけれど、それがどの時点で発生したものなのか、明確に特定することなんてできないように思う。


 例えば、歴史が動いた瞬間なんていうのだけれど、そんな瞬間が時空間的に実在するようにはとても思えない。少なくともその瞬間を僕らは特定できるような形で捉えることは困難だろう。


「では、乙坂おとさかさん、当患者の薬物療法について、薬剤師としてはどう思いますか?」


 総合内科の針谷はりがい先生が僕に意見を求めている。針谷先生はもともと心療内科を専門としていたが、数年前から総合内科へ転向したらしい。温和な性格だけど、的確な判断を明確に伝える冷静さを持っている。僕が信頼している数少ない医師の一人だ。


 意見を求められること自体は素直にうれしいと思う。ただ、この場に循環器の斉藤さいとう先生も同席していることがなかなか厄介だった。薬剤師としての意見が、採用されないのならそれはそれで全く問題ない。ただその意見をろくに吟味もせず、最初から完全否定するくらいなら、そもそも意見など、求めないでほしいと思う。だから、ここ最近こうした処方カンファレンスは、多忙を理由に参加を断り続けていた。


「えっと……。まずこの患者さんは心血管疾患や脳血管疾患の既往もなく、現在の主病名はアルツハイマー型認知症のみです。既に寝たきりとなっており、意思疎通も困難。加えて90歳と、かなりご高齢です。認知症の罹病期間は既に……」


「そんなことを聞きたいのではない。そんなことは我々も十分に理解している。君は薬剤師だろう? 薬物療法について、端的に結論を述べてもらいたい」


 斉藤先生の声はまるで鋭利なナイフのように僕の心に突き刺さる。狭いカンファレンスルームの天井で、鈍い音を立てて稼働を続ける空調設備は、この空間を暖めるのには十分すぎる程の性能を有しているはずなのに、僕の背中にはひんやりとする得体のしれない何かがへばりついているような気がした。


「つまり、残された余命という観点、潜在的な心血管リスクなどを考慮しましても、一次予防目的のプラバスタチンやアスピリン製剤は投与中止が妥当かと……。また認知症も既に進行しており、ドネペジルについてもその投与中止を十分に考慮できるかと思います。これら薬剤の臨床的なベネフィットはそれほど多くはなく、むしろ害の方が大きいのではな……」


「臨床的なベネフィットがあるかどうかは君が判断することじゃない」


 話をさえぎるように斉藤先生はそう言って僕をにらみつけた。いったい僕にどんな意見を求めていると言うのだ。求められている意見が必ずしも医学的に妥当な意見とは限らない。そんなことは分かっていても、自分は医療者として、客観的なデータに基づいた意見を述べたいと思う。その妥当性に議論の余地があるのなら、そうしたことを議論することこそがこのカンファレンスの目的であり、チーム医療ではないのか。少なくともこの場に議論の余地など残されていない。最初から提言すべき結論は出ている。


「乙坂さん、ありがとう。確かにドネペジルについては中止しても良いかもしれないね」


 針谷先生はそう言いながらも、ホワイトボードに記載されたプラバスタチンとアスピリン製剤は継続する旨のチェックを入れた。マイルドな権威主義に包まれた密室空間では、有能な医師の判断にもバイアスをもたらしていくのかもしれない。


 だからといって、今の仕事に不満があるわけでもない。それなりにやりがいだって感じている。ただ、これは贅沢な悩みなのかもしれないが、


――そう、僕は欠如の塊。実体が部分的に、いやもしかしたら全体的に欠落している。


 乙坂瞬おとさかしゅんという人間は、実体としてこの世界に存在しているのかもしれないけど、そこには大切な何か、つまりコアとなるような何かが欠如しているような気がして、僕はいつだって満たされない。それは薬剤師としての僕に限らず、僕自身としての問題として……。


 その日の午後は、ややうつろで仕事に集中できなかった。とにかく過誤の無いように無難にルーチンワークをこなしていく。他にやるべきタスクは山ほどあったが、これ以上残業しても効率が上がる気配は微塵もなかった。同僚の姿も見えなくなった頃、僕は仕事を切り上げ調剤室を出た。


 腕時計を見ると夜の九時を回っていた。当たり前だが、一般外来はとうに受付を終了しており、面会時間さえも過ぎている。病棟も既に消灯時間をまわっていて、病室や廊下の明かりは常夜灯の心細い明かりを残して全て消えていた。


 僕はそんな薄暗い病棟の廊下の中央付近にある階段を下り、夜間救急出入口に向かった。一階に降りるとすぐに患者待合室が見えてくる。来院した患者が、外来診察を待つためのスペースだ。薄暗い患者待合室は嫌いではない。僕は誰もいない待合室の椅子にゆっくりと腰を下ろした。正面には外来受付窓口が、その横の廊下には外来診察室が並んでいる。


「乙坂さん、遅くまでごくろうさんです」


 後ろから声をかけられ、振り向くと、警備員の松本まつもとさんが立っていた。彼は夜間救急出入口の守衛室に詰めている。たいていは夜勤が常だった。


「これから勤務ですか」

「ええ。また朝にお会いいたしましょう。今日は寒いですから、早めに帰った方が良いですよ」

「ありがとう。もう帰りますね」


 白髪交じりの頭に、メガネをかけている松本さんは、自分の父親と同じくらいの年だろうか。もし父親が生きていたとすれば……だけれども。僕にとって死はあまりにも身近だ。それは仕事でも、プライベートでも。


 十二月も半ばに入ると、それまでとは全く異なるのが外気の質感、あるいは色彩である。肌を刺すような冷たく、そして透明な外気に僕は肩をすくめる。ダッフルコートのポケットに両手を突っ込むと速足で、地下鉄の駅まで向かった。


 病院の敷地から出て、しばらく道なりに進むと、街の様相は灰色のオフィス街から、派手なイルミネーションで満ちてくる。このあたりは複合商業施設が立ち並ぶ新興開発地域で、その街並みも新しい。


「今年も、あと少しで終わり……」


 僕は周りに聞こえないように小声でつぶやくと、ふうっと白い息を、冷たい空気の中に吐き出した。大型商業施設の入り口には、巨大なクリスマスツリーとそのイルミネーションが鮮やかな色彩の光を放っている。僕はツリーの前で立ち止まると、自分の心情とはおおよそ対称的な鮮やかな光景をしばらく眺めていた。


 地下鉄の駅はこの商業施設に直結している。しばらく立ちすくんでいた僕は、ツリーの脇を抜け、いつものように地下に向かう灰色の階段を下りていく。手がすっかり冷たくなってしまった。足先も感覚が遠のいている。どうも僕は昔から末梢循環があまり良くないらしい。この時期、足の指先は必ずしもやけになるし、手は一年を通じて人並みの体温を保持してくれない。


 自動改札を抜けると、プラットホームへ向かう階段の下から、生暖かい風がふわっと吹き抜けてきた。ちょうど列車が駅のホームに滑り込んできているのだろう。ホームまでの距離を考えると、駆け足で階段を下りても間に合わない。


「今日はいろいろとうまくいかないな」


――いや、うまく行った日なんてあったろうか。


 ホームに降りると、列車が行ってしまったばかりなのか、あるいは帰宅ラッシュのピーク時間を若干過ぎてしまったためなのか、人影は皆無だった。列車の到着情報を掲示している電光掲示板をみると次発は十分後であることが示されている。たった十分という時間だが、ただ待つという時の十分はわりと長く感じる。時間の感じ方なんてものは物理学を超えた何かを持っている。アインシュタインに指摘されるまでもなく、それは極めて相対的で、そして人それぞれ固有のものだ。


 やがてホームに滑り込んできた列車は、思ったよりも空いていた。毎度毎度、感心させられるのは、時刻通りに、そして乗車位置ピッタリに列車を止める、その運転精度だ。こんな仕事が自分にはできるだろうか。


 人は案外どうでもよいようなことに感心し、感動し、そして感情を突き動かされ、時に無力を感じ悩み、苦しむ。誰かにとってどうでもいいことは、違う誰かにとっては耐え難い苦しみであり、また誰かにとっては幸福をもたらす何かであるかもしれない。そうした感情の積み重なりが、生きる喜びをもたらしたり、他方で希死念慮をもたらすと言えば、あながち間違いではなかろう。


 列車の扉が開くと、数人の乗客が降り、車両内にはほぼ人がいなくなってしまった。僕は列車内の椅子に腰かけるわけでもなく、ただ窓の外を眺めていた。窓の向こうはトンネルの暗がりが広がるばかりだ。ただ、時折トンネルの壁に設置されている蛍光灯の明かりが車窓を流れていく。


 列車の窓には、車内の蛍光灯に照らされた僕の姿が写っている。少しやつれただろうか。どちらかといえば僕は童顔かもしれない。これまでの36年間、年相応に見られたことなんて一度もないし、30代になる前までは居酒屋に入店するのに運転免許証の提示を求められることが常だった。それはポジティブに捉えることもできるが、僕にとっては迷惑なことも多い。なんとなく高校時代からあまり変わっていないのかもしれない。それは外見だけでなく精神的にも。


 たまに人生をもう一度やり直したいという衝動に駆られる時がある。どのタイミングでやり直したいのかと問われれば、いくつかのタイミングがあるような気がするけれど、やはり高校1年の時なのかもしれない。おそらくあの当時、僕はもっといろんな可能性に気づくべきだったと思う。しかし、時の流れをさかのぼることは難しい。いや、不可能だ。今をただ生きる、それだけが現実であり、それは時に残酷性を帯びている。


 そんなことを考えていた時だった。僕は窓越しに人影が写っているのに気が付いた。その人影は背が低いせいか、最初は全く視界に入らなかったのだが、よく見ると小学生高学年くらいの少年の姿に見えた。


――こんな時間に。


声をかけようとして後ろを振り向いた僕は急に寒気に襲われた。


「えっ? 」


 確かに窓越しに見えたはずの少年は、車両内のどこにも見当たらなかった。列車の走行音だけが虚しく響き渡る。車内放送は次の駅の到着が間もなくであることを告げている。


疲れているのか、あるいは異世界の住人か……。


――今日は、ビールでも買って帰ろう。

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