心の苦みに酔いしれて

 僕が住んでいるマンションは、首都圏から離れた東京の郊外にある。神奈川県との県境にあるそのマンションは、築年数は古いものの、鉄筋コンクリート製の十五階建という、それなりに大きな建造物だ。地下鉄の駅から地上にでると、すぐ目の前に私鉄路線の駅がある。そこから線路に沿って道なりに歩き、途中に現れる小さな踏切を超えた先にだから、駅からそれほど遠いわけでもなく利便性も高い。


 途中にある踏切には通勤以外でもたまに来る。生きていることがあまりにも辛くなって、もう消えてしまおうと決意して……。そう、そんな時だ。


 この踏切は駅からの距離が絶妙で、ちょうどこのあたりで列車は完全に加速している状態となる。飛び込めばおそらく一瞬で現実から消えることができるだろう。でも、どんなに決意をしても、踏切の先にあるコンビニで、ビールを買っている自分がいたりするから、生きることと、死ぬこととは隣りあわせなんだと思う。


 僕は踏切をわたり、そんなコンビニに入る。コンビニの店内は昔から嫌いじゃない。コンビニというのは僕から言わせれば、古き良き時代の憩いの場所でもある。大げさかもしれないけれど、この時期になると、レジ付近で売られているおでんの匂いが店内に充満していて、そんな場所をなんとなく温かいと感じる。スーパーも本屋も全て閉店した深夜でさえ、店には明かりがついていて、そこには確かに人の気配を感じることができる空間がある。一人じゃないんだと思うんだ。


 雑誌コーナーで週刊誌を立ち読みしたあと、奥にあるドリンクコーナーで発泡酒を三つほど、レジに向かう途中でスナック菓子を手に取った。


「合計で1354円になりまぁす」


 大学生のバイトだろうか。なりまぁす。という言葉の使い方はおかしい。正しくは1354。なのだ。まあ、どうでも良いことかもしれないが、どうでも良いことと、どうでも良くないことの境界なんて、よくよく考えてみれば曖昧だ。


 そんなバイト店員は手際よくビールとスナック菓子をレジ袋に入れると、手提げ部分をきゅっとねじって、僕の方へよこした。僕は財布からクレジットカードを取り出し、バイト店員に渡す。


「ありがとござましたぁ」


 どうでもよくないこと、大事なこと……。『何かが大事だ』という価値観は、『その人にとって……』という仕方でしか存在しない。


 マンションの自動ドアを抜けると、自分の郵便ポストを確認する。わけの分からない広告やチラシの中に、学会誌だのが紛れているからぞんざいにできない。とりあえず郵便物を抱え、オートロックを解除してエレベーターに乗る。こんな生活がもう10年くらい続いているだろうか。


 玄関の扉を開け、靴を脱ぐと、シューズクロークの脇に郵便物を放り投げ、同時にコートを脱ぎ捨てる。部屋の明かりはつけない。それでも開けっ放しのカーテンから、眠らない住宅街の明かりがうっすらと入ってきて、目が慣れると視界はそこそこ良好だ。このくらいの光で十分なんだ、僕にとっては。


 部屋にはソファとテーブル。その上にノート型パソコンが置いてある。そして壁際にはやや大きめの本棚を置いている。台所には冷蔵庫が一台。基本的に家具や家電といわれるようなものはそれだけだ。極力、荷物は部屋に置かないようにしている。家具や家電製品に対する興味やこだわりはないし、こういう荷物はそれなりに時間を孕んでいくから、時がたてばたつほど捨てにくくなる。モノであふれかえる部屋が嫌いだ。


 ただ、本は昔からよく読んだ。そしていつまでも手元に置いておきたいと思う本はずっと本棚にしまっておくことにしている。


「そういえば、最近、本を読んでいないな」


 僕はゆっくりソファから立ち上がると、自分の身長ほどもある本棚の前に立った。小説や仕事で使う専門書が中心だが、人文系の本も多い。


「これは……」


僕が手にとつたのは、おそらく20年前から所有している夜空の写真集だった。


そらの名前……。懐かしいな。こんなのまだ持っていたんだ」


 20年もたつと紙は変色したり、よれたりするものだが、本棚に眠っていたその本は、まるで新品と同じような質感だった。錯覚では無ければ、まるで時が止まっているような……。


 夜空を舞う星たちの様々な名前と幻想的な写真にしばし見とれながらも、ページをゆっくりめくっていく。まさに ”本のプラネタリウム” と形容すべきその本は、僕が大好きだった本の一つだ。


「あっ」


 開いたページから一枚の紙切れのようなものが滑り落ちた。床に落ちたそれを拾い上げると、暗がりに見えたのは写真だった。写っているのは高校時代の僕と、三人の友人、いや一人は友人というより、当時付き合っていた彼女だった。


平野恵ひらのけい……」


 開いていた本を棚に戻すと、写真をだけをテーブルに置き、僕は冷蔵庫から缶ビールを取り出す。ジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出すと、そこにイヤホンジャックを接続して、そのまま両耳に押し込む。


 缶ビールのプルトップを開け、一口飲んでみる。いつもと変わらない苦味が口の中に広がり、液体に溶け込まされていた二酸化炭素が、のどの奥で気泡となり咽頭を駆け抜けていった。


 誰かを想う気持ちというものを僕はとうに忘れてしまった。とはいえ、10代の恋ってやつはいつまでも胸に突き刺さっているもんだ。僕は冷蔵庫にもたれながら目を閉じてみる。


――何が不満なわけでもなく、ただ生きていたくない。それだけだ。誰かを想う余裕なんて、そんなものない。


 音楽は現実から僕を切り離してくれる。僕はそのままソファに腰かけるとパソコンを起動させた。視界に、あの写真が入ってくる。半袖のシャツを着ているからきっと夏だろう。そういえば、これは花火大会の日だ。


 当時、僕が住んでいた東京板橋区では、埼玉県との県境を流れる荒川河川敷で毎年八月に大きな花火大会が行われていた。都内ではわりと有名な花火大会で、露店などもたくさん立ち並んでいたように思う。そう、あれは高校二年の夏だった。


「今、何しているだろうか」


 近年普及したソーシャルネットワークメディアは、この「今、何しているんだろう」という問いに対して、ある程度、説得力のある回答をもたらしてくれる。それが良いことなのか、あまり良くないことなのかよく分からないが、関心を抱いてしまったら、それを調べたくなってしまうのが人のさがではある。


 ブラウザを立ち上げると、ソーシャルメディアにログインする。自分のタイムラインには、誰かのランチの写真とか、飲み会の様子とか、ラーメン画像とか、正直どうでもいいような情報で埋め尽くされている。現代社会は、そんなどうでもよさをポジティブに受け入れ、そのどうでもよさという距離感を心地よく思い、どうでもよさに安心を覚え、孤独を紛らわそうとしている。だから僕はどうでも良いことと、どうでも良くないことの境界が分からなくなってしまったのかもしれない。


 生きることとは、どうでも良いこと? どうでも良くないこと? いつから問いは素朴でなくなってしまったんだろう。


 ただ一つ言えるのは、インターネット上に画像やテキストを投稿する方も、閲覧する方も、双方ともに孤独であり、他者とのどうでも良いようなつながりを求めていることは確かだろう。ネット情報化社会において、程度の差はあれ、誰しもが孤独なんだと思う。


 僕は検索ボックスに当時付き合っていた彼女の名前、つまり平野恵と入力し、検索をしてみた。平野という苗字、そして恵という名前は日本にありふれている。特段珍し名前じゃないから、検索されたアカウントもそれなりに膨大だった。


 上から順にゆっくりとスクロールしなが青白いモニターを見つめる。たとえアカウントが登録されていたとしても、この膨大なリストの中から彼女を見つけることは困難なように思えた。


 居住地域とか、出身校とか、そんな情報があればまだしも、個人情報を全て登録しているとは限らないし、手がかりになるような情報は手元に一つもない。そもそも結婚して姓だって変わっている可能性が高い。


 あきらめかけたその時、なんとなく見覚えのある空の写真をアイコン画像にしたアカウントがあった。


「たぶん……この人だ」


 僕は昔から記憶力が良いと言われることが多かった。確かに暗記科目に対する苦手意識もなく、日本史や世界史は得意だった。アイコン画像としてモニターに映し出されている空と雲の写真は、おそらく彼女が撮影したものだろう。高校時代、彼女はインスタントカメラで空の写真を撮っていた。『クラウドランド』 と題された写真付きの交換日記をしていたのでよく覚えている。


「クラウドランド……。間違いない」


 個人情報として唯一登録されていた誕生日から、平野恵、本人のアカウントであることに疑いの余地はなかった。おそらく限定公開設定なのだろう。彼女が投稿したタイムラインのすべてを見ることはできないようだったが、いくつかの写真から、今の彼女の状況は推測できた。彼女は既に結婚していて、子供も二人いるようだ。つまり典型的な幸せ家族。まあ、当たり前といえば当たり前だ。互いに36歳なのだし。


 恵とは高校一年の秋に付き合いだした。高校を卒業とほぼ同時期に別れてしまったが、喧嘩別れとか、そういうものではない。ただなんとなく環境の変化が二人の距離を離してしまったのだと思う。


 時計を見ると深夜二時を回っていた。缶ビールも二本を開けると少し体が軽い。しかし、大抵はそんな時に限ってやってくる。希死念慮というやつだ。死にたいと思う外部的なきっかけが、明確な仕方で存在するわけではない。いや、あるのだろうが、正確に言えば、死にたい理由は単一ではない。そもそも死にたい理由なんてものはうまく言葉にできないものだ。死ぬことは決して怖いわけじゃないが、ただ、身体的に苦しいのは嫌だった。


 気が付けば僕は衝動的に外を歩いていた。このあたりは旧市街。古い建物や住宅が多い。すぐ近くには1級河川があり、川を挟んでこちら側が東京都、向こう側が神奈川県。その川にかかる巨大な橋の上を歩く。十数メートル下を流れる川の水面に、欠けた月がゆらゆら浮かんでいた。


「月がきれい……言葉の情緒か」


 言葉が好きなのは、たぶん恵の影響なのだろう。あの子はきれいな言葉が好きだった。橋の中央付近まで来たとき、反対側から誰かが歩いてくるのに気が付いた。背丈が小さいく、まるで小学生のようだ。


――あれは地下鉄で見たあの少年。


 酔っているせいなのか、不思議と怖さとか、そういうものを何も感じなかった。


「こんな時間に……まあ、なんでもいいさ。僕はもう消えてしまうのだから」


 僕は橋の欄干に肩足をかける。少年に見られている事なんて全く気にせずに、さらに反対側の足を欄干に乗せ、そして立ち上がった。僕は両手を広げて夜空を仰ぎながら冷たい空気を肺に思いっきり吸い込む。


「このタイミングを選んだ君には、が見えるの?」


 後ろから少年の声が聞こえた。いや、正確にはその声が少年のものだったかよく分からない。確かめようがなかったからだ。次の瞬間には、僕の体は数十メートル下の川面に向かって急速な自由落下を始めていた。


――ファンダメンタルズ?


「おい、乙坂、お前起きろっ」


 後ろから声が聞こえる。あの少年だろうか。小学生にしては声変わりした図太い声だ。


「乙坂瞬っ!」


「あっ?」


 おそらく机のようなものに腕を乗せ、そこに顔をうずめているのだと思う。つまり机の上にうつ伏して寝ている体勢だ。頭が二日酔いのようにひどく痛い。それほど飲みすぎた気もしないのだが……。


 僕は顔をゆっくりあげると、おぼろげな視界の先には黒板のようなものが見えた。あたりも見渡してみる。そう、これはまるで学校の教室のようだ。


 夢か、あの世か、幻か……。僕は確かにあの橋の欄干から飛び降りたはず。水面まで十数メートルもあるし、真冬の川だ。少なくともこんな世界にいられるわけがない。


「乙坂、お前、この問題解いて見ろ」


 いきなり、なんなんだこれは……。


「ここは……」


「ここは教室だ。今は数学の授業中。異世界にでも行っていたか、乙坂。この問題が解けたら許してやる。さあこっちにこい」


 黒板には「円周率が 3.05 より大きいことを証明せよ」とだけ書かれていた。


――円周率は3.14だろう。


 証明するまでもない。デカルトのいう神の存在証明と同じ類のやつか。戸惑いながらも後ろを振り返ると、なんとなく見覚えのある顔が視界に入る。


――えっと、誰だったか。


 頭がまだぼんやりしているせいか、思考が上手く回転しない。記憶の引き出しに手が届きそうで届かないのだ。


「乙坂っ! いつまで寝ぼけてんだっ!」


 確か、この先生は切らしたらやばい。そう直感が僕に伝える。


「はいっ!」


 黒板の右わきには今日の日付けが書かれていた。


 81021


「平成8……」


「あ? 聞こえないぞ、円周率が 3.05 より大きいことをどう証明するっ! 」


「平成8年って西暦でいうと……」


「お前な、まだ寝ぼけてんのか、それとも喧嘩うっとんのかっ」


西暦で言うと……。


――1996年だ。

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