ロウバイのせい
~ 十二月三十日(土) カップ焼きそば ~
ロウバイの花言葉 慈愛に満ちている人
今日は、居間でおこたに当たりながら。
出来たばかり、ぽかぽかなシチューをいただきます。
足先が温まって。
お腹も温まって。
そんなふんわりとした幸せを運んでくれるのは、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はゆったり目のお団子にして。
そこにロウバイを一輪挿している。
黄色い梅の花、
実に優しい雰囲気のお花が、おこたの居間にマッチします。
そんな、暖かな足湯のほとりでは、思考も曖昧になるもの。
いつもなら怒り始めるおばあちゃんも、ふわふわとした様子。
「これは……、おソースでしょうか。それに、ほんのりとノリの香りも……」
はい。
いつもながら、シチューにあるまじきお味です。
でも、今日はぽかぽか効果により雷しらず。
おこた、バンザイ。
珍しく、おばあちゃんもちょっと眠そうな、締まりのない表情。
シチューを召し上がって、あったかそうにほほを赤くしております。
しみじみ、平和。
ゆっくりとした時間の流れ。
最近気が付いたのですが。
せわしない時って、なかなか思い出を振り返ったりしないもので。
のんびりした時ほど、思い出がよみがえってくるようで。
小さな頃、家族たちと会話した楽しいひと時。
そんなものを懐かしみながらおこたに顎を乗せて、とろんとすれば。
……穂咲が余計な一言を言い出して。
おばあちゃんを怒りんぼモードに変身させるです。
「今日のはよくできたの。純和風なの」
「バカをお言い。ソース味の和食などありますか」
おばあちゃんが背筋を伸ばすと、俺も穂咲も背が伸びる。
今日のシチュー、確かに日本製とは思いますけれど。
純和風かと言われたら、それはノーと答えたい。
……まあ、今日の黒魔術が何を召喚したのかまでは言いますまい。
さて、俺は逃げよう。
ご馳走様でしたと手を合わせ、食器を重ねると。
おばあちゃんがそれを手元に寄せて、立ち上がってしまいました。
……昨日よりも、立つのが辛そうなのですが。
でも、手を貸したら叱られそうだし。
ちょっと心配しながら目で追いましたけど。
いつものように背筋を伸ばして、危なげなく台所へと姿を消しました。
「ふむう……。どうにも、パパの味に近付かないの」
「ん? 近付かないってことは、どんな感じの味か思い出したって事?」
「ううん? ……なんで?」
俺が聞きたいよ。
なんで君の頭には前後の脈略っていう重要な回路が入ってないのさ。
「そんなに行き当たりばったりじゃ見つかりっこないさ。諦めたら?」
そう言っておかないと、俺の栄養バランスが心配。
だって、材料一緒だし。
まあ、かつてのゲテモノと違ってめちゃめちゃうまいけど。
毎日味も違うから飽きないけど。
俺の言葉に、しょんぼりと肩を落とす穂咲と梅の花。
可哀そうとは思いますけど。
今回ばかりはちょっと無理。
今までは、少しでもヒントがあったのですが。
今回はノーヒントですし。
おじさんが作ってくれた。
おばあちゃんも知らない。
おばさんも知らない。
そんな味なんて。
「……よりによって、その味を覚えてるの、一番役に立たない君の舌だけだし」
俺の意地悪発言に。
穂咲がふくれっ面になった瞬間。
がしゃんと、お皿の割れる音が台所から響いた。
慌てて駆け出す穂咲の後を追うと、おばあちゃんがシンクにもたれかかっていた。
「おばあちゃん!」
「……何を騒いでいるのです。少しめまいがしただけです。これくらい平気です」
「平気じゃないの!」
寄り添う穂咲を押し退ける手も弱々しいけど。
でも、おばあちゃん頑固だから素直に座ってくれなさそう。
「おばあちゃん、お布団敷くから横になって欲しいの」
「いいえ。昼間から横になるなど、恥でしかありません」
やっぱり、素直に言う事を聞いてくれなさそうだ。
でも、心配なのですが。
どうしたものか、悩む俺の耳に。
……ぴしゃりと、手厳しい声が響いたのです。
「お黙りなさい!」
目を丸くしているおばあちゃん。
それもそのはず。
これを言い放ったのは、穂咲なのです。
……この叱咤がこたえたのでしょうか。
おばあちゃんはよろよろと穂咲にもたれかかります。
そして穂咲は、おばあちゃんの小さな体を抱きしめながら、優しく言うのです。
「疲れた時は、のんびり休むの。そのうち一生懸命になりたくなるけど、まだもうちょっと休むの」
「……バカをお言い。それでは、いつ働くのです」
おばあちゃんの言うことはもっともだけど。
それは、穂咲にはきっと通用しない言葉なのです。
だって。
穂咲は、子供なのですから。
過労のせいでおじさんと離れ離れになって。
過労のせいでおばさんが倒れたという経験をしている子供なのですから。
「お仕事してくたびれるのはダメなの。お仕事も、楽しくやるの。沢山なまけて、また楽しみたくなったら、仕事をすればいいの」
……アルバイトをしてみて。
そんな感覚ではいけないってことくらい分かるつもり。
だけど、これはとっても心に響く言葉で。
穂咲らしい言葉で。
おばあちゃんは、何か物申したい、そんな気持ちをこくりと飲み込んで。
穂咲に支えられながら、寝室へと向かいました。
俺は、割れたお皿と残った洗い物を片付けて。
そっと客間へ向かうと。
中から聞こえたのは、穂咲の呑気な声。
しかも、昔話でもしてるのかと思いきや。
どういう訳やら、おばあちゃんの枕もとで肉じゃがを作っている様子。
――クリスマスプレゼント。
その本の内容をそらんじて。
きっと、おばあちゃんも目を丸くして。
そして喜んでいることでしょう。
「……そこで、すこうしだけお酢を回しかけなさい」
「え? そんなこと、本に書いてなかったの」
「それが、藍川家の味です。
……お邪魔するのも無粋だね。
君の言う、楽しい時間。
ゆっくりのんびり。
二人で過ごしてください。
「藍川家の味は、途絶えるものと思っていましたのに。……ありがとう、穂咲さん」
「いつでも習いに行くの。ずっと元気でいるの」
………………
…………
……
夜になって。
おばさんの車の音が聞こえたので、お隣に顔を出すと。
ちょっとくたびれた体に、子供のような笑顔を乗せたおばさんに迎えられました。
「晩御飯、穂咲が作っておいてくれたのよ。……懐かしい。仕事から帰ると、パパが作ったご飯が楽しみで。……無理させちゃってたのよね」
そう言いながら、嬉しそうに肉じゃがを味わっているおばさん。
いちいちニヤニヤしながら食べてるけど。
冷めちゃいますよ?
「……ちょっとすっぱいの?」
「なに言ってるの? ……あら。そう言えばこれ、パパが作ってくれた肉じゃがと同じ味がするわね?」
「そりゃそうでしょ。藍川家の味だもの」
頭に、はてなをいくつも浮かべて。
いぶかしげに俺を見つめていますけど。
そんな口にジャガイモを放り込むと、途端にニコニコと体を揺らしだして。
何と言うか、可愛いお母さんです。
「…………
おばさんが一瞬で姿勢を正すこの声は。
おばあちゃん。
穂咲に支えられて。
いつも、夜に穂咲が使っているどてらを羽織って。
そしてこたつに座ると、少しだけ寂しそうな声音でおばさんへ話しかけました。
「……いかがです? 穂咲さんの作った肉じゃがは」
「パパの作ってくれたものと同じ味がします。……そうか! お母様が教えて下さったんですね! …………ああ、懐かしい」
「先ほど、無理をさせたと話されていらっしゃいましたけど。どうぞお気に病みませんように。……あの子も、こうして沢山の想い出となっているのですから」
「……ええ。沢山。…………ほんとに、たくさん」
嬉しそうに肉じゃがを見つめたおばさんが、優しい笑顔で肩を落とす。
きっと、おじさんとの想い出を辿っているんだろう。
嬉しくて、ちょっぴり寂しくて。
そんな思いで見つめていたら。
おばあちゃんから、少し離れているようにとの言葉と共に穂咲を押し付けられた。
……大人の話。
なのかな。
穂咲の手を取って、少し離れてみたものの。
こんな静かな夜に内緒の話などできるはずもなく。
俺たちの耳に、思いもしない言葉が飛び込んできました。
「
………………え?
思わずざわついた胸。
考えもしなかった言葉。
当然なのかと納得する理性と。
何を言い出したのか全く理解できないという感情がせめぎ合い。
そして。
俺の頭を真っ白にする。
「あなたのような女性なら、引く手あまたでしょう。一人は寂しいものです。どうぞ藍川に縛られることなど無きように」
座ったまま、おばあちゃんが腰を曲げると。
おばさんは、その手を取って起こしてあげながら。
……俺の良く知っている、ちょっとイタズラっ子のような笑顔を浮かべたのです。
「堅苦しいですね、お母様は。……私は藍川のお墓に入れてもらうのですから、もっと気楽に仲良くして頂かないと困ります。……ずるいですよ、ほっちゃんにばかり。私にも、お料理を教えてくださいな」
………………どうしてだろう。
涙があふれて、とまらない。
大人な俺は。
それがおばさんの幸せに繋がるのなら、という思いで肯定しているのに。
子供な俺は。
おばさんがどこかに行ってしまうような気持になって。
そして、俺の中では後者が遥かに勝ったんだろうね。
おばさんの返事にこんなにも安心して、涙がぽろぽろ溢れて来るなんて。
――おばあちゃんは、一つ溜息をついた後。
いつものように、しっかりと背を伸ばして。
「誰を捕まえて堅苦しいと言いますか。……堅苦しいのは、あなたの方です」
ちょっとだけ、おばさんに似た意地悪さで。
大人の話を終わらせたのです。
……で。
綺麗にまとまったじゃない。
俺は、こんなにも涙しているじゃない。
どうしていつもいつもいつもいつも。
君はそうなの?
「……ぜんぜんダメなの。しめっぽいの」
「君が全然ダメの一等賞です。なんで水差すのさ」
きょとんとした顔で俺を見ますけど。
なにがダメなのか言いなさいな。
そう思って、にらみつけてみたら。
ぱっと顔を逸らして逃げて。
……いや?
穂咲は、仏壇の方を向いて。
そして、当たり前のように話しかけるのです。
「ママもおばあちゃんも、しめっぽくなったらダメなの。パパが悪いみたいで可哀そうなの。ねえ、パパ」
……どうしていつもいつもいつもいつも。
君は、そうなのでしょう。
どうして君は、みんなの気持ちを分かってあげることが出来るのか。
おじさんの、『今』の気持ち。
きっと、ゴメンねって気持ちになっちゃってる。
そんなのおじさんに悪いよね。
おじさんのおかげで楽しく笑っている姿を、きっと見たいよね。
穂咲は、とんちんかんな子だけど。
こうして俺に、いつも笑顔をくれるんだ。
「……こいつの中では、おじさんとの思い出、毎日増えてるんです。まるきり忘れてたことを思い出してるだけですけど」
俺が穂咲の頭に手を乗せると。
おばあちゃんも、おばさんも。
やっと肩の力を抜いてくれたよう。
……そう、未来の事なんか分からない。
でもその時は、笑顔で過ごせばそれだけでいいんだ。
そして、今は。
毎日、おじさんと過ごせばいいんじゃないのかな。
「おじさんとの思い出。……これからも、きっと増えていきます」
「当たり前なの」
君にとっての当たり前が。
みんなは、たまらなく嬉しいものなんだよ。
「……やっぱり、あの人の子ですね」
「……あの子の子ですね」
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