ユズのせい


 ~ 十二月三十一日(日) 年越しそば ~


   ユズの花言葉 幸福



「もーいくーつーねるーとー。おしょうがーつー」

「俺にはあと一度のチャンスしかないのですが。君は何回寝る気でしょうか」


 この慌ただしい年の瀬に昼寝する気満々。

 家の手伝いなどまるでする気のないこいつは、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はぼさぼさに下ろしたまま。

 花すら活けてない。


 まあ、当然と言えば当然でしょうか。

 スタイリストさん、今頃起きてきましたし。


「ふぉぁぁ……みゅ……。おはよー…………っ!? ご、ございましゅ!」

「おはようございます。娘に朝食を作ってもらえるなど、大した御身分ですね」


 おばさん。

 久々のお休みで気が緩んでいたのは分かりますけど。


 おばあちゃんがいるの忘れてたとか。

 どういうことなのでしょう?


 だから、全部自分のせいですって。

 何で教えてくれなかったのよって目でにらまれても迷惑です。



 今こうして、のんびりと朝ごはんが出来上がるのを待っているのですが。

 俺は、お隣の掃除を手伝ってこいと派遣されてきたのです。


 というのも、秋山家は、神経質な父ちゃんが暇さえあれば掃除をするので年末の大掃除というものをしたことが無いのです。

 正月飾りも随分前に済ませたし、こっちにお前はいらないと追い出されたわけで。


 そんな俺の前に置かれたお皿には。

 まったくもっていつも通り。

 見た目だけは見事なクリームシチュー。


 全員で、手を合わせていただきます。

 ぽかぽかと優しい、嬉しい瞬間。


 でも、そんな幸せな光景を。

 こいつの黒魔術が粉々に打ち砕くのです。


「うう、また失敗なの。お父さんとの思い出の味、年内に見つけたかったのに」


 そんな発言は、この際どうだっていい。

 スプーンをくわえた三人の驚き。

 君は理解していないようだね。


 まあ、素直にお見事とは思います。

 今日にぴったりですし。


 のど越しもつるりとおいしい。

 カツオの風味がきいた年越しそば。


「ほんとどうなってるのさ、その鍋の中。……まあ、もう慣れたから美味しくいただきますけど。ゆずの香りも爽やかだし」

「そんなのいれてないの」


 …………この食卓は、今や卓球台。

 全員の目が穂咲の顔とお皿を行ったり来たりする。


 いやはや、ほんとに何が入っているのやら。

 急に喉を通らなくなりました。


 そして、俺が二口目を躊躇している間に。

 穂咲はジャガイモをもぐもぐしながら、おばあちゃんに聞きました。


「何時の電車だったっけ?」

「十二時半ですよ。とは言いましても、各駅停車ですので幾分遅れても構わないのですけど」

「ん? おばあちゃん、出かけるの?」

「いえ、帰るのです」


 え?

 そうなんだ。

 それは寝耳に水なのです。


 随分一緒に過ごして、すっかり当たり前になっていたし。

 凄く寂しいな。


「お正月も、こっちにいるのかと思ってた」

「バカをお言い。家の事は皆に任せてまいりましたが、正月に本家を空けるなどできるはずがありません」


 そうでした。

 おばあちゃんの家は、おばあちゃん自身に屋根を付けたような堅苦しいところなのでした。


 お正月には黒塗りの車がひっきりなしに来るおうち。

 今更ですが、凄い家柄ですよね?



 なんとなく、皆が当たり障りのない会話をしながら。

 ちゅるちゅるつるんとシチューをすする。


 そんな、他人行儀な時間は。

 寂しさを乗せた葉っぱの舟が流れる小川のほとり。


 少し居心地が悪くって。

 でも、そこから離れる気にはなれなくて。



 そうして、すべての舟を見送ると。

 おばあちゃんはいつもと同じようにお皿を持って立ち上がるのです。


「……お料理を教える約束でしたね。お昼くらい作っていきましょう」

「いえいえ! そんなことしていただくわけには!」


 おばさんが、朝一の減点を補填しなければと躍起になって止めてるけども。

 料理を教えたいからって、おばあちゃん言ってるじゃない。


 そんなこと言われたら、ほらご覧。

 おばあちゃん、しょんぼりしちゃった。


 慌ててフォローしようとして、空回りしているけども。

 おばあちゃんのしょんぼりとした雰囲気がいつぞやの穂咲にそっくりで。

 テスト期間中、こいつから料理を取り上げちゃった時のことを思い出した。


 えっと、あの時、日向さんから教わったんだよね。


「俺、おばあちゃんの料理食べたいです。作るの見てていい?」


 ……うん、よかった。

 おばあちゃんのご機嫌、あっという間に回復だ。


 見る間に背筋が伸びて。

 キッチン脇にいつも片してある、自前の調理道具が詰まった風呂敷包みを持ち出して。


「よろしいでしょう。腕によりをかけます」


 そう言いながら、まずは洗い物からとばかり。

 蛇口をひねるのでした。


 そんな様子を見ていたおばさん。

 切れ長の目を真ん丸に見開いて。

 俺を指差しながら、震える唇で呟くのです。


「み、道久君! どこでそんなテクニックを学んで来たの!?」

「テクニックってなにさ。学校で教わったんだ」


 ががーんって。

 口で言わないでください。


「さ、最近の学校じゃ、女性を楽しませるトーク術まで教えてるの?」


 なわきゃないでしょ。

 頭を抱えて慌てだしたおばさんが。

 なにかを思い付いて、穂咲の手を掴んで走り出す。


「こうしちゃいられないわ! ほっちゃん! 男性を楽しませるトーク術を教えてあげるから! まずはバニー服でお色気作戦よ!」


 ……また、えらい結論に達しましたね。


 ろくでもないことを始めようとする二人を捨て置いて。

 おばあちゃんに視線を移すと。

 お料理道具の風呂敷を広げ。

 ゆっくりとお料理を始めました。


「やれやれ、朝から騒がしい事で、呆れますね。……道久さんは随分とゆっくりされていますが、新年を迎える準備はよろしいのですか?」

「うん。普段から掃除してるから。大掃除って言われても、綺麗にするとこが無い」

「それは頼もしい。良い心がけです」


 お湯を張った鍋に、洗ったジャガイモを三つ、四つ。


 のんびりとしたペースの料理に、のんびりとした会話。

 実に心地のよい空間です。


「……いいですね、ゆったりとした時間の流れが」

「バカをお言い。道久さんのような、亀の歩みでは、大切な物をどなたかに取られてしまうやもしれませんよ」


 うーん。

 どうして大人たちはいちいちこうなのか。


 俺は、穂咲のことを好きなわけでも嫌いなわけでもないわけで。

 ……まあ、誰かに取られちゃうと言われたら寂しい気持ちもありますが。


 それは仕方のない事なんじゃないのかな。


 ぼーっと。

 ぼやけた未来予想図。


 その地図には、暖かな湯気がふかふかと漂っていて。

 優しい、ジャガイモの香りがして。


 そこに、ゆっくりとした包丁の音。

 ジャガイモを一口大に切り分けて。

 鍋にはジャガイモを炊いたお湯の代わりに、牛乳をたっぷり注いで。

 お芋を煮込み始めました。


 そして再び流れる、ゆっくりとした時間。

 秒針が、年末だからと。

 もったいないからと、歩くのをさぼっているよう。


 ことこと、ことこと。

 おいしくなりますように。

 ことこと、ことこと。

 おいしくなりますように。



 おばあちゃんの愛情が溶けて、もったりとし始めた鍋に。

 ニンジンと玉ねぎを加えてさらに煮込んでいきます。


 調味料なんか無くても、これだけで美味しそう。

 

 西洋風に言えば、ミルクポテト。

 和風に言えば、じゃがいもの牛乳煮。


 それは西洋風、和風、関係なく。

 等しく誰もの頬をぽかぽかにする、魔法のお料理なのです。



 とろとろで、ぽかぽかで。

 まるでこれは…………?



 あれ?



 これって、まるで……。



「さて。藍川の味は、これに味噌で調味するのですが……」


 おばあちゃんが、風呂敷の中から小分けにした調味料をいくつか取り出す。

 藍川家の味、か。


 並べられた調味料。

 それを見ているだけで良く分かる。


 今回の来訪の目的は。

 この小瓶から、何をどれだけ鍋に入れたらよいのか。


 二人の後輩に、それを教えるために来たんだね。


 ……ユズリハが、昨年の葉を落とす前に。

 今年の若葉に、教えようとしていたんだね。



 ちょっとだけ、目頭が熱くなったけど。

 すこし揺らいだ世界の中のおばあちゃんは。



 なにやら読めない文字でかかれた瓶をふたつ手に取り。



「洋風の料理を作りましょう」



 …………まるで誰かさんのような事を言い出して、俺を凍りつかせました。



 おばあちゃんの目。

 いつものまじめなキツネ目なのに。

 背筋を伸ばして、ゆっくりと丁寧にお料理を続けているというのに。


 まるで、大はしゃぎしながら、鼻歌を歌いながら。

 尻尾をぶるんぶるん振りながら鍋に向かう誰かさんの姿が重なって見えるのですけど。


 見た目、表情、テンション。

 まるで似ても似つかないのに。


「そっっっっくり」

「何がです? では、実験……いえ、失礼。お料理を続けましょう」

「いまの言葉がわざとじゃないとしたら、俺はもうこの世の誰も信じない」


 愕然としたまま、立ち尽くす俺の目の前で。

 なにやら得体のしれない瓶から食欲を失いそうなどろどろのペーストをぶち込んで蓋をしてしまいましたが。


 ……見える。

 俺には、Yシャツを翻す穂咲の後ろ姿が見える。


 今、その瞬間。

 鍋には黒魔術がかけられたとしか思えない。



 びっくりするほど同じ発想。

 これが血筋というものか。



「さて、火は落としておきましょうか。……なんです道久さん。手を合わせたりなどして」

「おそばになっていませんようにおそばになっていませんようにおそばになっていませんようにおそばになっていませんように」


 じゃないと、三食続いてそばになる。


 俺の白魔術に眉根をしかめていたおばあちゃん。

 でも、この家にいたらその皺がさらに深くなるばかり。


 今度は、二階からドタバタと降りてきたどうしようもないコンビのせいで頭を抱えてしまったのです。


「ママ。ちっと寒いの」

「我慢なさい! さあ道久君! 口説きがいのある子を連れてきたわよ!」

「……無理です」


 鼻息荒くおばさんが連れてきたバニーガール。

 網タイツに剥き出しの腕が寒そうです。



 何でそんなものがあるんだよ、この家。



 ……

 …………

 ………………



 いつものように慌ただしく。

 それでも、いつまでも手を振りながら、おばあちゃんを見送って。


 半ばほっとした様子で、そして半ば寂しそうに居間へ戻った二人は、おこたに入るなりぐったりと身を投げ出してとろけてしまいました。


「……まるでおもちです。一日早いです」

「そうね……。道久君。お茶」

「道久君。お昼もよそって来るの」


 おばあちゃんがいなくなった瞬間、酷い変わりっぷりですね。

 予想はしていたけども。


 我ながらかいがいしくお茶とお鍋の中身をよそって。

 それをおこたまで運ぶと。

 二人は真逆のリアクションを取りました。


「……! これは……!」

「……? うっ……。これは……」


 後ずさるおばさんを尻目に、目を輝かせた穂咲がスプーンを手に取って。

 おそるおそる口を付けるのです。


 俺も、自分の皿のジャガイモを口にすると。

 予想外過ぎる味が舌を、鼻を駆け巡りました。


 そして思わず口をついた言葉は。


「美味い!」


 なるほどね。

 さっきのどろどろの正体はこれだったのか。


 二口目を早く頬張りたい。

 そんな思いで、ほくほくのジャガイモを崩したスプーン。



 ……それが、穂咲の泣き声で止められてしまいました。



 そうか。

 そういう事だったのか。



 すべて分かったとは言えないけども。

 大体の事情が、分かった気がする。


 厳しい、おばあちゃんのお屋敷。

 いわゆる旧家。

 推測するに、洋食を作ることは無かったんだろう。


 だから、ジャガイモの牛乳煮を旦那様に出して。

 自分は、興味深々だった洋風料理にして食べたんだ。

 きっと、子供と一緒に食べたんだ。


 ……そう、料理を洋風にするには。


「…………バジルを入れたら、洋風になるんだったよね」

「これなの……。バジルのペーストが入ってたの」

「それで、パパは私に作ってくれなかったのね……」


 おばあちゃんが作った物を。

 おじさんも食べて育った。

 だから作り方を知っていたんだ。


 でも、おばさんが、バジルは苦手だから。

 穂咲だけに食べさせてあげたんだ……。



 君はそれを、シチューと勘違いしてたんだね。

 おじさんが作ってくれた料理は。

 ミルクポテトにバジルペーストをかけたものだったんだ。



「おばあちゃんのおかげで、見つけたの。お礼言わないとなの」


 そう言いながら、穂咲は上着も羽織らず駆け出して。

 俺は慌てて二人分のコートを掴んで追いかけた。


 ……でも、さすが健脚なおばあちゃん。

 駅まで着いちゃったけど、その姿は見当たらず。


 携帯も持っていない人だから、こういう時困る。


「道久君! 駅員さんにお願いするの! 迷子の呼び出し!」

「そんなことしたら正座で年越しです。でも、あれだけの荷物を抱えてこんなに早くたどり着いたとは思えないんだけど」



 …………いや。



 ひとつ、可能性に気が付いた。


 おばあちゃんが家を出たのは、十一時半。

 電車の時間があるとは言っても、別に遅れても構わないと言っていた。



 ……現在、十二時ちょい前。

 つまり、お昼時。



 俺は、可能性を信じて。

 携帯を取り出した。




 ~🌹~🌹~🌹~




「店員さん。失礼ですが、どなたか他のお客様と間違えているのではないですか? 私はこのような品を追加注文しておりませんが」

「ああ、そのトマトブリトーはサービスだよ。……あんたのお孫さんが考え出したんだ。食ってもらいたくてね」

「まあ、穂咲さんが。……以前、お店の新メニューに提案すると味見を頼まれたものですが、実際に採用されたものがあるとは。なんて立派になったのでしょう」

「まあ、それに見合うぐらい厄介だけどな! ……いや、マイナスくらい……」

「ふふっ……。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いやいや。子供は、大人に迷惑をかけてでかくなるのが当然だ。そしててめえが大人になったら、その分だけ子供に迷惑かけられるようにできてるのさ」


「おばあちゃん!」

「よかった……。カンナさん、足止めありがとうございます」


 目を丸くさせたおばあちゃん。

 背中に隠したの、トマトブリトーの包みだよね?


 なんて言うか、ほんとに可愛い方なのです。


「ありがとうなの! パパのクリームシチュー! おいしかったの!」


 息を切らせて抱き着く穂咲に慌てながら。

 そしてこっそり、ブリトーをトレーに戻しながら。


 聡いおばあちゃんは、一つ頷くと。

 穂咲の頭を撫でるのです。


「あれを、シチューと思ってずっと作ろうとしていたのですか。……そうですか」


 ……おばあちゃんが来た目的は。

 自分のレシピを、恐らくおばあちゃんがそのお母さんから託されたレシピを届けることだったわけで。


 それが、おじさんとおばあちゃんの手から、こうして伝わったわけで。



 鬼の目に、光る真珠。

 嬉しさのあまり零れた輝きは、とても綺麗で、そして暖かなものだった。



 だというのに。



 見えるかい?

 俺、今日もこんなに優しい気持ちで涙を流しているじゃない。


 なんでさ。



 なんでいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも。


 君はそうなのさ。



「……会えてよかったの! 道久君みたいに、帰り道で買い食いとかしていてくれて助かったの!」

「しないよ!? あ、いや、するか」


 ねえ、穂咲。

 俺の目には、おばあちゃんが阿修羅像に見えるのですけども。


「道久さん。学校帰りに買い食いとはなんたること。お母様の作って下さる食事を何だと思っているのです」

「ええ!? いや、違います! 道草の原因は大抵……」

「問答無用です! そこにお座りなさい!」



 ……最後の最後にこれか。



 今年最後、締めくくりの日。

 その年を振り返り、すべてを忘れ、水に流す日。


 そんな日だというのに。

 いや、そんな日だからこそ。



 俺は、今年一年、何度叫んだことやら数えきれない、魂の叫び声を上げた。



「それは全部! 穂咲のせいだーーーーーーっ!!!」







 今年もお世話になりました♪

 来る2018年も、どうぞ変わらず、よろしくお願いいたします! 



 そして、6.5冊目は、もうちょっとだけ続きます♪



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