ヤドリギのせい


 ~ 十二月二十四日(日) Night-time ~


   ヤドリギの花言葉 私にキスして下さい



 都会では、七時と言えばまだ明るい時刻と聞いたけど。

 俺たちの暮らすこの辺りでは、誰そ彼とすら既に思えない時刻。


 十メートルも離れたらこの通り。

 どこにいるやらさっぱり見えません。


「穂咲? どこ行った?」

「こっちなの」

「……怖いから。懐中電灯をあごから当てるのほんとやめて」


 夕食を御馳走するからという言葉についつられてお隣さんに行ってみれば。

 洋服をこれでもかと着込んだ真ん丸穂咲に連れられて。

 町はずれにまで連れてこられたのですけれど。


「このバッグの中身が夕食? どこで食べるのさ」

「パパがママにプロポーズしたの、クリスマスイブだったの」


 返事、おかしいです。

 そんな質問してません。

 でも。


「それ聞いたことあるな。……もっとも、母ちゃんから聞いたから尾ひれがついて、俺の中では壮大な冒険活劇になってるけど」


 宇宙戦艦まで現れたからね。


「その場所を探してみたいの。ロマンなの」

「ロマンはいいけど、ヒントが無い」

「あるの」

「ほう? 言ってごらんなさい」

「見晴らしがよくてお弁当で、キラキラの山道って言ってたの。あと、ベンチ」


 また始まった。

 でも、それじゃ重要な情報が足りてない。

 そこに宇宙戦艦を加えなさい。


「なので、まずはお弁当を持って来たの」

「持って歩かされてるのは俺ですけどね。何を持って来たのさ、教授」

「焼き魚なのだよロード君!」

「ロマンを探しに行くのに? ロマンチックの欠片もありゃしない」


 それでなんとなく生臭いのか。


 溜息と共にバッグを握り直し。

 懐中電灯がぽてぽて歩く姿を追いながら。

 さっきのヒントを頭の中で並べていたら。

 いつでもどこでも思い付いたことをしゃべる穂咲が、変な事を言い出した。


「おばあちゃんも、おじいちゃんにプロポーズされたのかな」

「そりゃそうでしょうよ」


 おばあちゃん、結構可愛いところあるから喜んだんじゃないのかな。


「どんなところで?」

「さあ、さっぱりわからん。でも、古風な場所だったのかも」

「山の中とか?」

「君の古風の定義は一体なに? …………登らねえよ!?」


 立ち止まったピンクのミトンが示す先。

 登山口なんですけど。


 もっとも、こんな山に登る人なんかいなくって。

 子供の頃の遊び場に数えることが出来る程度のとこだけど。


 ちょっと開けたところにたどり着くまでは。

 距離ばっかり長くて大した山道じゃない。


 そこから見える景色だって地味なもので。

 物珍しいものと言えば、町が見下ろせるベンチがあるくらいで……?


「ああ。あるね、この山に。ベンチ」

「そうだったっけ?」

「それを知らずに登る気だったの? あぶねえな、一晩に何か所も登山させられるとこだった。…………で? ほんとにこの寒い中、登る気?」


 マフラーにうずまった小首をかしげた真ん丸穂咲は、俺の姿をまじまじと見て。

 そして胸の前でミトンをぽんと合わせて言うには。


「あたしは完全防備だから寒くないの」

「君は真ん丸だもんね。何枚着たらそうなるのさ」

「道久君が寒いの」

「まあ、言う程寒くないけど。マフラーしてるから」


 あ。

 つい余計なこと言っちゃった。


「マフラーだけで?」


 ううん、返事できん。

 でも、ぽかぽかですとか、口が裂けても言ってあげません。


 誤魔化すために、逃げるように山道へ分け入ると。

 ぽてぽてと穂咲も付いて来て。


 ……でも、すぐに追いつかれてしまいました。

 だって、真っ暗で歩けないです。


 穂咲がミトンに持っている懐中電灯だけが頼り。

 でも、淡い光の懐中電灯では遠くまで照らせなくて。


 くっついて並んで。

 穂咲が腕に掴まって来るのです。



 腕を組んでるわけじゃなくて。

 ダウンを、ピンクのミトンが掴んでいるだけですが。

 それでもドキドキしてしまう、そのわけは……。


「君がそうやってあっちゃこっちゃ懐中電灯を向けるから、道を踏み外しそうで超ドキドキするのですけど」

「葉っぱが落ちて、木が寒そうなの。……あ! ヤドリギなの!」


 穂咲が頭の上の方を照らすと。

 寂しく葉を落とした木の枝に。

 ヤドリギの球がふたつ、寒さをものともせずにぶら下がっていた。


 …………そういえば。

 ヤドリギの花言葉って、ちょっとダイタンなのがあったような。



 『私にキスして下さい』



 星明りでは、何となくしか見えないけれど。

 ヤドリギを見上げたせいで。

 マフラーから顔を覗かせている穂咲の唇が。

 淡く光ったような気がして。


「木がスカスカだから、星が良く見えるの」

「…………うん。そうだね」

「パパはね、ベンチまでの道すがらで、ママに星の話をしたんだって」


 なんてロマンチック。

 思わずため息をつくと、穂咲の姿が真っ白な息に煙ってしまった。


「おじさん、星の話とかロマンチックなこと好きそうだもんな。穂咲もたくさん聞いたんだろ?」

「沢山聞いたの。でも、ろくすっぽ覚えてないの」

「君、ロマンチックなこと嫌いそうだもんな」

「そうでもないの。好きなの、ろまんちっく」

「どの口が言いますか。じゃあ、ロマンチックな話を聞かせなさい」



 軽口を叩いた俺の腕を掴んだままに。

 穂咲はぴたりと足を止めて。


 じっと俺の事を見つめて。

 そして鼻までかかったマフラーをあご下に引き下げて。


 ……白い息が二つ重なると。

 薄雲から、不意に顔を覗かせた月によるピンスポットを浴びながら。

 つややかな金色の光をその唇に弾ませつつ、穂咲は呟いた。


「……パパとママ。そのベンチで、キスをしたの」




 ~🌹~🌹~🌹~




 『私にキスして下さい』



 ――余計な事は考えるまい。


 お隣に住む幼馴染。

 藍川穂咲。


 彼女の事を、好きなのか、嫌いなのか。

 俺は、いまだにその答えを保留にしていて。


 はっきりさせていないのに。

 はっきりさせることが、怖くも感じ始めているのに。



 ……もう、そのことを考えるのはやめようか。

 他に、キスから連想できることでも考えよう。


 キス。

 キス。


 ……懐かしい記憶がよみがえるね。



 つい、目で追ってしまう君の口元。


 文化祭。

 あの舞台の上で。



 俺は。


 君と。



 キスを…………、



 してない。



「なにか、素敵な事でも思い出してるの? そんな顔してるの」

「君の目はどうなっているのでしょう。俺が思い出していたのはシシャモです」


 あんなのと何度もキスさせやがって。

 思えば今年も一年、君に振り回されてばかり。



 凍り付いた山道を。

 さくりさくりと二歩、三歩進むと。

 心地よい鳴き声を上げる山道の精霊が。

 時の流れを巻き戻していく。



 さくりさくりと四歩、五歩進むと。

 記憶の場面が四日、五日。


 巻き戻る。

 鮮明によみがえる。


 星の位置も、西から東へ。

 時計と反対の向きに回り始めて。



 ……テストでは散々振り回されて。

 その前は、藍川・部活荒らし事変なる妙な伝説を作って。


 文化祭。

 夏の海のダンス。


 巻き戻る。

 巻き戻る。



 登っているやらどうにも怪しい山道が。

 景色も変わらぬ山道が。


 さくり、さくり。


 時の流れを巻き戻していく。

 



 中学の頃の君は、今よりも人気者だったよね。


 小学生の頃いじめられっ子だった君が。

 いじめっ子にさえ優しくする、底抜けのバカっぷりが。

 ようやくそのつぼみを開いて大輪を咲かせた中学時代。


 みんなが笑顔になる世界。

 その中心である君は。

 一気に学校の人気者になって。


 ……甘やかされて。


 ………………今に至るのか。



 さくり、さくり。



 まあ、小学生の頃。

 散々男子からいじめられてたあの頃の反動で。

 俺も嬉しくて、ちょっと誇らしくて。

 甘やかしてしまったわけなのだけど。



 さくり、さくり。



 ……小学校に入る前。

 おじさんが遠くへ行ってしまったことで。

 おばさんが、臥せっていた頃の影響で。

 暗くて、泣き虫で。

 そのせいでずっと男子からいじめられ続けたんだけど。


 俺はからかわれることにすっかり慣れていたから。

 できるだけ君と一緒にいて、守ってあげていたけども。



 さくり、さくり。



 歩いているはずの足が。

 音を鳴らしているはずの足が。

 意識の外で動いていて。

 誰かが勝手に動かしていて。



 不思議な感覚。

 なんだか隣にいるのが、穂咲じゃない、他の誰かのよう。



 俺も、自分自身が曖昧で。

 懐中電灯の白い煙の中を進むたびに。

 時代はどんどん遡り。

 昔ここを歩いた、誰かの気持ちが胸の中を支配していく…………。




 きしり、きしり。




 ――隣を歩く人。

 大切な人。


 この人の幸せはどこにあるのだろう。


 きっと、今のままの君でいることが、一番の幸せ。

 そう思う気持ちが、重たい鎖になって足に絡みつき、金属の冷たい音を鳴らす。



 せっかく勇気を出したのに。

 小さな光が天と地に瞬く、だけの秘密の場所で、プロポーズしようと決めたのに。


 は、君の夢を剥ぎ取るだけなのだろうか。

 そう思うと、歩みがずしりと重くなる。



 ……彼女が照らす足元は。

 きしり、きしりと音を鳴らして。

 胸を刺すほどの鳴き声を上げる山道の精霊が。

 時の流れを加速させていく。



 ――そして、後悔の涙に濡れる彼女の姿を僕に見せるのだ。



 自分が楽しくて。

 田舎町の花屋なんて道を選んだけど。

 母さんに猛反対されて、勘当同然で家を出てしまったけど。

 そのことが、いまさら悔やまれる。


 収入は倍も違う。

 責任、やりがい、名声と人望もある。

 そして、多くの人に夢と感動を与える夢のような職業。


 僕は、長い時間をかけて君が無尽に広げてきたその美しい翼に焦がれたくせに。

 その翼で自由に天空を舞う奔放な君に胸を射貫かれたくせに。



 ……それを剥ぎ取ろうとしている気がするんだ。



 二つの木が互いに太い枝を交差させて作られた自然のゲート。

 ここをくぐれば、別世界が待っている。


 急に開けた小さな広場は。

 天と地を、カラフルなダイオードで埋め尽くして。


 目を丸くさせた君の瞳は。

 まるでそんなきらめきをすべて写し込んだように輝いて。


 新品の白いベンチとテーブルは、僕が運び上げておいたんだ。

 ポットには高級な紅茶。

 寒い夜だけど、せめて心は温かくしてあげよう。




 ……だから、君の翼を折るようなことはしないであげよう。




 ~🌹~🌹~🌹~




 誰かの記憶なのに。

 俺は自分がその人になったような心地で歩いていた。



 気付けば、苔むしたベンチに腰かけて。

 目の前には、ぽかぽかと湯気を立てる見慣れたクリームシチュー。


 紙コップを手に取って口に運ぶと、味わったこともないほど深みのある紅茶の味わいが口の中を満たした。


「相変わらずの黒魔術だね。びっくりしなくなってる俺自身にびっくり。…………あれ? 穂咲だよね?」

「うん。あたしも不思議なの。道久君だよね?」


 お互いに見つめ合ってみたものの、なぜか実感がわいてこない。

 空には、暗い波間に漂うLEDライト。

 地面には、ぽつりぽつりと豆電球みたいな光が灯っているけども。


 なぜだかそんな寂しい景色が、とっても大切な物のような気がしちゃって。



 ………………昔は、もっと綺麗に感じたものだがな。



 こんなものだったかな。

 記憶など、どんどん美化されていくものだ。

 仕方あるまい。


「なんだか寂しいけど、懐かしい景色なの。さあ、お弁当を食べる……、の……。東京で作って来たから、すっかり冷めちゃってるけど我慢してよね」

「お仕事、忙しい合間にすいません。嬉しいですよ。……? あの日も、焼き魚でしたっけ?」

「なに言ってるのよ、相変わらずとぼけた人ね。……麓で言ったの。焼き魚を詰めてきたの」


 焼き魚じゃダメだろ。

 冷えたクラブサンドを紅茶の湯気で温めなきゃ、君が指を火傷しないじゃない。


「…………えっと。一つ質問していいかな、穂咲」

「どうぞなの」

「これでどうやってキスすればいいの?」

「あたしにもさっぱりなの。……あいたっ!」


 かじかんだ小さな手でタッパーを開いたもんだから、爪か指か、怪我をしたよう。

 俺は穂咲に近寄って、魚を握ったままの小さな手を取って診てあげた。




 …………小さな手。



 そう、小さな手なんだ。



 この小さな手が、テレビで見かけるまばゆいばかりの女性たちを輝かせて。

 沢山の人々の幸せを生み出しているのに。


 ……でもは、見たことが無い。


 君が幸せそうな顔をしているところを、見たことが無いんだ。


 だから君の隣にいつもいてあげて、君をいつでも笑顔にしてあげたいんだ。



 ふと顔を上げると、彼女の煌めく瞳が僕を見つめていた。



 僕のタレ目と違って、切れ長の美しい目元。

 ……凍えるように凝り固まった、厳しい、寂しい瞳。



 掴んでいた手に力がこもる。

 すると彼女は、体を強張らせて目を伏せた。


 ……僕の気持ちを分かって欲しい。

 そんな思いを込めて、手の力を少しずつ和らげると。


 彼女はゆっくりと顔を上げて、体の力を緩めていった。



「……僕が、あなたの心をいつでも温めてあげます。だから……」



「…………はい」





 ずーっと昔の、誰かの記憶が映画のワンシーンのように頭に再生される。


 記憶の中の自分は、こんな安っぽいダウンではなく、綺麗に着飾って。

 目の前の女性も、まるでどこかの国のお姫様のよう。


 そして自分の記憶も画像の合間に絡まって。

 そう、これは文化祭の舞台の上。

 覚悟を決めたと言いながら唇を寄せた、お姫様とのキスシーン。



 ここまで来ておいて躊躇する、逃げ腰の王子様に。


 お姫様の方から唇を寄せて……。


 そして……………………。





 ちゅっ





 唇に触れたそれは、初めてなのに、どこか懐かしい感触がして。

 誰かの記憶の中で覚えている感触と、まったく同じものだった。


 すこし甘くて。

 ほんのりしょっぱくて。


 狭くなった視界の中で、照れくさそうに微笑む穂咲にも、なぜか見覚えがあって。

 彼女が手にした、俺の口にキスした生臭い焼き魚にも、はっきりと覚えがあった。





「ししゃも!」






 ……あの時と、まったく同じ。

 穂咲はころころとした笑顔を浮かべると。


 俺の手を取って立ち上がらせて。

 そしてダンスを始めるのです。


 舞台の上の舞踏会。

 俺の記憶はあいまいだけど。

 なぜだか体はしっかりと。

 ステップを覚えていてくれたよう。



 耳に蘇る、あの時の音楽。

 耳に蘇る、あの時の歓声。


 君との思い出はこうして、俺の体に刻まれていくんだね。





 好きなのか、嫌いなのか。


 今は、どうだっていいのかも。



 だって俺はこんなに楽しくステップを踏んで。

 君はそんなに笑顔でくるりと回るのだから。



 そうして二人で手を取り合って。

 星空のステージから、遠くの町明かりに向けてお辞儀して。



 鳴りやまぬ拍手を思い出しながら。

 俺達は、聖なる夜を。

 二人だけの笑い声で満たしたのでした。



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