クリスマスローズのせい
~ 十二月二十四日(日) Day-time ショートケーキ ~
クリスマスローズの花言葉 私の心を慰めて
昨日の夜の帰り道。
俺が穂咲の、穂咲が俺の頭を払って落とした雪は。
仲良し姿を偶然見つけて、照れてしまった街並みの。
火照って赤くなった頬を薄化粧。
さくさくぱきりと足を運ぶクリスマスイブの朝日は冷たくて。
君の唇から舞う真白な息を、すぐに結晶の粒に変えてしまい。
そこに金ぴかの光を後ろから当てて。
逆光の中、微笑む少女を包むようにダイヤモンドダストが舞い踊る。
「朝っぱらからひと仕事なの。寒いけど、世界が金色のぴかぴかで綺麗なの」
「うん、そうだね」
もちろん俺は、こいつのことなんか好きでも嫌いでもないわけで。
全く気にはならないのですけど。
ダークレッドの花びらをシックに輝かせるクリスマスローズ。
思わず宮廷の庭を連想させられる、大人びたバラ。
それを身に着けて、これだけキラキラされてしまうと。
クローゼットの奥の方、大事に隠していた言葉を思い出してしまうのです。
真っ赤なお「花」のトナカイさん。
いつもみんなの笑いもの。
でもその年のクリスマスの日。
サンタさんにも、笑われました。
……お花。鼻の頭にくっ付けなさんな。
大事に、胸の奥に隠していた言葉。
さっき思い出したばかりのその言葉は。
「さすがに離れて歩いてください」
もちろん俺は、こいつのことなんか好きでも嫌いでもないわけで。
全く気にはならないのですけど。
でも、どちらがいいかと問われれば。
関係者と思われたくはないのです。
すれ違う人が二度見する、鼻にお花をくっつけた女の子。
真っ赤なお「花」のトナカイさん。
朝から予約しておいたケーキを取りに行き、ついでに実験の材料を1パック買って。
こっそり離れて歩く俺の気持ちなど気付きもせずに。
意気揚々と、クリスマスパーティーの準備で盛り上がるお家へと帰るのです。
~🌹~🌹~🌹~
真っ赤なお鼻のトナカイさん。
今日の夜空は寒そうだけど。
毛皮を一枚余分に着込んで。
世界に幸せを運んでおくれ。
でも、その前に。
子供たちに素敵な夢を届ける前に。
まずは君が幸せになって欲しい。
おばあちゃんが一生懸命君の事を想って選んだプレゼント。
料理の本と、ガラスのお皿。
きっと君に幸せを運んでくれる二つの宝石。
そんなきらめきが根元に飾られたクリスマスツリー。
藍川家に飾られた、大きな大きなクリスマスツリー。
我が家と折半で買ったもんだから、こんな巨大なものになったのです。
交代交代で飾る約束だったのだけど。
ウチに飾ると母ちゃんのくしゃみが止まらなくなるから。
いつからか、藍川家オンリーの品になりました。
……母ちゃん。
プラスチックから花粉は出ないし。
あとこれ、杉じゃない。
「ふう。お昼も食べたし、最後の飾りつけも頑張るの」
ツリーに向かって、ふむんと鼻息も荒いトナカイさん。
手元の作業をするのに邪魔になったので、お花は外しちゃいました。
なので真っ赤なお花のトナカイさんはもういませんけど。
両面テープをぺりっと剥がしたそのせいで。
正真正銘、真っ赤なお鼻のトナカイさん、爆誕なのです。
それにしても、いよいよ心配だ。
今日は生産工程を確実に見ていたにもかかわらず、この実験結果。
不思議な不思議な黒魔術。
ほとんどは、クリームシチューのパッケージ裏に書かれた手順通り。
ちょっと違う行程があったとすれば、ヘタもとらずにイチゴを鍋に突っ込んだことくらい。
穂咲はあわてて鍋に指を突っ込んで。
一個だけ、イチゴを取り出して。
つまみ食いしたヘタを鍋に戻しただけ。
……そう、変わったことと言えばそれくらい。
それなのに、スポンジケーキのフカフカ感と生クリームの甘さがたまらないショートケーキの味になるなんて。
もう、考えるのはやめよう。
そう思いながら食べたせいで、今日も食べ過ぎて胸やけです。
プレゼントの箱やら。
しましまステッキやら。
小物がたくさんついた、長い長い金色のチェーンをツリーに巻きつけながら。
穂咲は鼻歌を歌います。
聞いたことのないメロディーで。
聞いたことのある歌詞のクリスマスソング。
今日は音痴と呼ばないでおこう。
類まれな作曲能力なのだと思っておこう。
「……穂咲さん。なんですか、歌など歌いながらお仕事をするなど」
「おばあちゃん! あのね、楽しいの!」
「そうそう、お仕事じゃないから。今日くらいはいいんじゃないかな」
気難しいキツネの目が眉根を寄せて。
ふうとため息をつきながら首を振る。
それでも、穂咲がツリーの下に置かれたプレゼントを抱え込むと。
その口元に沢山の笑い皺が寄るのです。
「プレゼント、ありがとうなの! 開けてもいいの?」
「こら穂咲。チェーンやらオーナメントやら持ったままプレゼントまで抱えるな」
ぽろぽろ落っことしてますよ、オーナメント。
ああもう、てっぺんの星まで落っことさないでください。
「せめて飾り付けを全うなさい。その後でも遅くはないでしょう」
「でもね、すごく嬉しいの! 早く見たいの! だから……」
はち切れそうな笑顔の穂咲が必死に訴えて。
プレゼントを抱えたままおばあちゃんに駆け寄る。
すると、華やかなオーナメントで飾られたその腕から。
半分だけ、ツリーに巻き付いた金色のチェーンがぴんと張って。
…………ぐらり。
「穂咲っ!!!」
幸せの象徴が、幕間すら与えられずに。
巨大な凶器へ姿を変えて、二人に襲い掛かる。
驚くほどに体が重い。
いや、相対的には全速力で飛び出している。
この部屋の時間が遅くなったんだ。
おばあちゃんの短い悲鳴を耳にした穂咲は。
顔を後ろに振り向かせたまま手にした物を投げ出して。
一番大切な人を胸に抱く。
二人に襲い掛かるモミの先端。
それを止めることすら叶わなかった俺の無力な手が宙をさまよう。
そして床を叩いた倒木は自らの轟音と共に。
あらゆるものを破砕させた悲痛な音をまき散らしながら。
その緑の葉で、床に倒れる二人の半身を覆い隠していた。
「ほっちゃん!」
「穂咲!」
近くで見ていたおばさんが、椅子を跳ね飛ばして駆け寄って。
俺がずらしたツリーの下から現れた二人の元に膝を突く。
「おばあちゃん! 大丈夫? おばあちゃん!」
「……私は何ともありません。穂咲さんこそ痛いところなどありませんか?」
「よかったの……。あたしも平気なの。それよりびっくりしたの! 道久君、こんないたずらしたらダメなの!」
元気そうな、呆れた物言い。
でも、言い返す気にもならないよ。
とにかく無事でよかった。
おばさんが穂咲の背中を見て。
俺がおばあさんの体を支えて起こして。
床に散らばったオーナメントは悲壮感を醸し出しているけども。
無事な二人を見ているうちに、ようやく肩の力が抜けた。
……などと、安心していた俺の耳に。
鋭い雷鳴がとどろいたのです。
「穂咲さん! なぜすぐに逃げなかったのです! 万が一のことがあったらどうしますか!」
俺と同じに、ほっと緩んでいた穂咲の頬が強張る。
何か言い返したそうにしている唇も、顎が動くばかりで開くことは無い。
……そんな穂咲が泳がせていた瞳が、床の一点に釘付けになったまま凍り付く。
「ここにちゃんとお座りなさい!」
おばあちゃんの声に耳を塞ぐと。
穂咲は声も発することなく二階へと駆け上がってしまった。
無事に済んだように見えたのに。
体にはかすり傷くらいしか見当たらないのに。
心に、ずいぶん痛そうな傷を負いながら。
辛い悲鳴を、自分の代わり、部屋の扉に上げさせた。
俺の目の前には、力なく肩を落とす二人の姿。
無理もない。
穂咲の痛みは、この二人にとって自分の身を切る以上の苦痛なのだから。
「……見えない所に怪我などしていなければいいのですが」
「大丈夫ですよ。どこか痛かったら、もっとぴーぴー泣いていますので」
そんなおばさんの言葉も耳に届いていないよう。
おばあちゃんは、いつもの凛とした姿勢を忘れてしまったかのように腰を曲げて小さくなると。
キツネの目から一筋の涙を流して、力なくつぶやいた。
「……あの子まで順番を誤ったりしたら、私はどうしたらいいか分かりません」
弱々しい声音で、悲しそうにくつくつと声を漏らす度に腰を折り。
……そして鼻をすすりながらもたげた顔をおばさんに向けると、急に大きな声を上げたのです。
「あなたがこんな分別の付かない子に育てたのです! 恥を知りなさい!」
ショックな言葉だ。
おばあちゃんの気持ちも分かるけど。
そんな事を言われたら悲しくなってしまう。
でも、俺の知っているおばさんは強くて、かっこよくて。
そんな記憶通りの優しい微笑をおばあちゃんに向けると、首を左右に振るのです。
「……違いますよ、お母さん。あの子をこんな優しい子に育てたのは、パパです。……恥どころか、誇らしく思いますよ」
…………優しい時間が、僕らの間に出来てしまったヒビを埋めていく。
そして午後の日差しが散らばったオーナメントを輝かせると。
俺の目に飛び込んできたのは一枚の絵画。
ずいぶん昔にここで見た、幸せな風景。
床に横たわるクリスマスツリー。
構図も一緒だから思い出したんだ。
穂咲が、ここにクレヨンで描いた絵、そのものじゃないか。
クリスマスツリーの周りにキラキラの飾り。
ツリーのとなりにおばあちゃん。
そしておばさんと、おじさん。
みんな、楽しそうに微笑んで。
そんな絵を描いている穂咲も楽しそうで。
……おばあちゃんは、懐かしい記憶と同じ微笑を浮かべると。
おばさんに深々と頭を下げて謝った。
慌ててその体を起こしてあげたおばさんは。
おばあちゃんに微笑みかけたあと。
その笑顔を部屋の隅っこに小さく作られた仏壇へ向ける。
「……そっくり。たった五年しか一緒にいなかったはずなのに、ほんとそっくり」
おばさんに起こされて、その手にすがるようにしていたおばあちゃんは。
微笑みながらも、いつも通りのキツネ目で、お返しとばかりに首を振った。
「いいえ、ちっとも似ていません。……興味のある物があったらふらふらどこかへ行って、危ない事ばかりしては周りをやきもきさせて。……穂咲さんは間違いなく、あなたがた二人の子ですよ」
おばあちゃんから顔を背けて、俺の方を向いて小さく舌を出してますけど。
嬉しい言葉じゃないですか。
もっと喜びましょうよ、おばさん。
……さて、急におばさんが俺の方を向いたから。
何かを思い出してしまったのでしょうか。
キツネの目が、くるりと俺に向きました。
「道久さん!」
「うわ! とばっちり来た!」
「…………とばっちりとは、どういう意味です?」
はい。
即刻正座しなさいという意味の比喩表現です。
「分かっていますね」
「? …………??? どうでしょう?」
随分とながーいため息をつかれてしまいましたが。
すいません、分かんないです。
おばあちゃんは膝を俺に向けて座り直すと、こほんとひとつ咳ばらいを入れてから有無を言わせぬ威厳を湛えて言いました。
「ちゃんとあの子を、笑顔でここに連れてきなさい」
「……はあ」
「はあではありません。必死に助けていただいた恩を忘れ、厳しく叱りつけたことは私の落ち度。感謝していますし、もう叱らないので降りて来るようお伝えなさい」
ん?
「なんです。要領を得ない方ですね。なぜ穂咲さんが逃げたか分からないのですか? 善い行いをしたのに叱られたことで怒っているのです」
「いいえ、違いますよ?」
あら、キツネのお目々が細くなっちゃった。
ねえおばさん、ニヤニヤしてないで。
自分ばっかり両耳を塞がないで。
「何が違うというのですか!」
うわやっぱり来た!
声にここまで圧力がある人って見たこと無い。
でも、ちゃんと説明しなきゃいけないですね。
「あいつ、叱られたのは納得ずくだよ? 危ない事したら叱られるって、ちゃんと分かってる。だからそんなことでがっかりしないし、逆に言えば何度叱られたっておんなじことします。バカだから」
「ではなぜ逃げたというのです!」
「お皿が割れた音が聞こえちゃったからですよ」
細かったキツネの目が真ん丸に見開かれて、そしてさっき穂咲が見つめて凍り付いていた、潰れた箱に向けられた。
……そう。
ツリーを倒しちゃったことも、あいつは自分のせいだって分かってた。
でも、どうしたらいいか分からなくなっちゃって、俺のせいにしたんだ。
そんな状況で、なにかが割れた音が聞こえていたら。
プレゼントの箱が潰れていたら。
もう、逃げ出すことしかできなかったんだよ。
おばあちゃんの背が、また少し丸くなる。
そして厳しさと優しさをない交ぜにした表情から、ぽつりと言葉が紡がれた。
「……年端も行かない子供のようなことを。体の方が大切でしょうに」
「ほんと子供みたいですけど、手はかかりますけど、素敵な事じゃないですか」
おばあちゃんが口にした、体の方が大切って言葉。
そしてこの床の絵を見て思い出した。
やっぱり親子なんだな。
夢中になって手を怪我した穂咲に、おじさんも同じこと言ってたっけ。
………………そうか。
床の落書きをやめさせようとして、あなたが穂咲に教えてあげたこと。
俺がすぐ横で手伝ってあげたあれ。
おじさん、ありがとね。
あなたのおかげで、みんなが幸せになれそうです。
「ちょっと時間かかるかもしれないけど、いいこと思い付いたんで。テレビでも見て待っててください。道具はあのカオスな部屋に全部あると思うんで」
潰れた箱を持って部屋を出る俺を、おばあちゃんが心配そうに見つめてる。
……大丈夫。
穂咲は、優しいおじさんの子で、気丈なおばさんの子ですから。
と、同時に。
都合の悪いことはすぐ忘れるおじさんの子で、面白い事を見つけると夢中になってすべてを忘れるおばさんの子ですから。
~🌹~🌹~🌹~
――あれから一時間と待たずに、明るい居間に俺たちはいた。
見たことが無いほど美しく、どんな角度から見てもシンメトリーに飾られたツリーは、さすが元有名スタイリストが手掛けた芸術作品。
穂咲が大事そうに抱えたまま離そうとしないお料理の本は、おばあちゃんからの心づくし。
……そしてもう一つ。
おばあちゃんに送られたプレゼントが、テーブルの上に置かれていた。
かつて、穂咲が床に落書きしたしたものと違わぬ絵が。
ガラスモザイクアートに姿を変えて再現されていた。
俺がテーブルから目を上げると。
そこにはツリーを囲んで微笑むおばあちゃん、おばさん、そしておじさんが。
絵の中と同じ笑顔で、幸せそうにクリスマスソングを歌っていた。
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