リカステのせい
~ 十二月十八日(月) アップルパイ ~
リカステの花言葉 清らかな心
好きなのか、はたまた嫌いなのか。
いつからだろう、俺は考えるのをやめた。
昨日、日曜日に行われた物理の追試に心配なのとついて来て。
メガホンとラッパと拭き戻しを手に試験会場へ入ったところで。
お前は口が三つあるのかとつまみ出されたおバカさん。
生まれた時からずーっと一緒。
お隣の花屋の一人娘。
軽い色に染めたゆるふわロング髪をつむじの辺りにお団子にして。
そこにでかいリカステの花をすぽんと挿している。
バカ丸出しなこいつは、
森の妖精と呼ばれ、三枚の大きくて真っ白な花びらを持つリカステの花。
その内側にピンクの花びらがまるで幾何学模様のように広がる不思議な花。
誰しも初めて見たら、人工的に作り上げたと感じるほどの美しさに心を奪われる。
でもいくら素敵な花だって。
そんな大輪をこんな駅前でプランプランさせていたら。
ただの待ち合わせの目印です。
……その待ち合わせのお相手は。
今日からしばらくの間、穂咲の家にやってくるその人は。
「穂咲さん。わざわざの出迎え、ご苦労様ですね」
急に後ろからかけられた、凛とした声。
俺と穂咲は思わず気を付け。
そしてゆっくりと振り向いた先にはやはり。
「おばあちゃんなの! 久しぶりなの!」
清楚な和服に身を包み、一部の隙も無い美しい立ち姿。
まるで桔梗が人に化けたよう。
穂咲に抱き着かれても眉ひとつ動かすことのないこの方こそ。
厳しい厳しい、穂咲のおばあちゃんなのです。
……それがどれだけ厳しいかと言えば。
「穂咲さん。ここは誰もが利用できる公共の場。その大声は迷惑です」
「ひゃうっ!?」
穂咲さん、思わず気を付け。
「なんですか、そのはしたないお返事は」
「うう……、ごめんなさいなの」
頭に開いた大きなお花。
穂咲と一緒にお辞儀して。
途端に呆れて眉根を寄せた、気難しそうなキツネ目。
「穂咲さん。あなたは未だにそんなものを頭に飾っているのですか」
「これは、ママが活けてくれるの」
「存じています。もう一人前の年齢というのに嘆かわしい。……その
「ママはお仕事だから、今日は道久君とお出迎えなの」
「……春先には倒れたというのに、このような日に休むこともできないほど忙しいのですか。無理をさせていませんか、穂咲さん」
「うう。あたしも心配なの。でも、ママがお仕事しないと、食っていけないの」
呆れ顔のため息は、まだまだ言い足りないお小言を飲み込んだ印。
始まったばかりというのにこの有様。
先が思いやられる。
とは言え穂咲の心配ばかりしてられない。
俺もだらしないところを見せるとすぐに雷が落ちて来るからね。
ここは如才なく……。
「おばあちゃん。荷物持ちますね」
「気が利きますね。それではお願いします、道久さん」
よし、いい感じにポイントを稼い…………っ!?
うお、重いっ!
こんなの抱えてあの姿勢。
改めておばあちゃんの凄さを感じずにはいられない。
とは言え、だらしないところを見せないように。
俺は気合を入れて背筋を伸ばして、駅前の人込みを先導した。
雑踏を離れて、ワンコ・バーガーの前を越えると住宅街。
そんな道すがら。
顎は引いているのに視線はしっかりと正面を見据える見事な立ち姿の桔梗の花が、通りすがりの庭木に目を細めます。
「
「美味しいの? ちょっともいできていい?」
「……毒です。意地の汚いことを女性が言うものではありません」
ううむ。
今のは穂咲に対して厳しいトラップだ。
でも穂咲は叱られたことなどお構いなしに、楽しそうに話を続けるのです。
「じゃあ観賞用なの?」
「いえ、縁起物という意味が強いでしょう。その年の葉が伸びると、昨年の葉が潔く散る。規則正しく代を譲り、絶えること無くお家を繁栄させるという意味を持った大変めでたい植物です」
なるほど、それでユズリハっていうのか。
おばあちゃんのお話は本当に面白い。
……厳しい方だけど、おばあちゃんのお話を聞くの、凄く好き。
穂咲も叱られてばかりだし、いちいち緊張するくせに。
おばあちゃんが大好きという気持ちが良く分かる。
この人といると、楽しいのです。
でも、今日の知恵袋はお気に召さなかったようで。
穂咲は寂しそうに背中を丸めて呟きました。
「……葉っぱ、さみしいの。ずっと一緒がいいの」
「ばかをお言い。それでは跡目が育たぬもの。同時に落ちては木が枯れてしまうでしょう」
そう言いながらも、少し寂しそうに伏せたキツネ目が穂咲の横顔に向けられる。
そして、いつもは毅然と前だけを見つめる厳しい目が、さっと辺りを見渡すと。
凛とした声を少しだけ和らげながら、穂咲へ話しかけた。
「お父さんを失い、十年は経とうと言うのに。背を伸ばさねばいつまでも不安な気持ちにさせてしまいますよ。……御覧なさい。
おばあちゃんの指差す先。
たわわな
俺もつられて、重い荷物に曲がり始めていた背を伸ばした。
……するとどうだろう。
清々しい気分で視界が広がって。
そしておばあちゃんの気持ちが優しく胸に染み込んできた。
知識だけじゃなくって。
その言葉の裏にこっそり隠れた大切な事を教えてくれる気がして。
だけどこの気分、どこかでいつも感じていた気がするんだけど。
……そうか、これは……。
俺はそのことに気が付いて。
思わず緩んだ頬を自覚しながら風に揺れる穂を見つめた。
「知らなかった。これ、セイタカヨシって言うんだね。俺、
「同じものですよ、道久さん。『あし』は
おお! それは面白い!
「なんだ、テストの前にその話を聞いておけたらよかったのに! 『
やっちまった。
つい楽しくなって余計な事を……。
怖いですおばあちゃん。
狐さんににらまれた油揚げの心地です。
脂汗がこれでもかってほど溢れてしまいます。
「……
「そうなの。情けないの道久君」
このやろう。
「……ということは、穂咲さんは正答できたのですね」
「そんなのもちろん、はなから答えが分からなかったの。……あ」
今度は穂咲が油揚げになる番。
ざまを見よ。
でも、きっと厳しいお小言が口をつくことと思っていたのに。
おばあちゃんの口からは意外な言葉が紡がれた。
「穂咲さん。……私といると、身が縮みますか?」
少しだけ、寂しそうな気持が垣間見える声音。
そんなおばあちゃんに、穂咲は能天気な、そしてちょっと的外れな言葉を返す。
「ううん? リラックスできるの」
「ばかをお言い。あなたのどこがリラックスしているのです」
「パパと一緒にいる気分なの」
……おじさん、君のこと叱ったことなんかないだろうに。
どんな悪さをしても笑っていてくれて。
どんな失敗をしても一緒に悲しんでくれて。
でも、ほんとになぜだろう。
実は俺も、おじさんと一緒に歩いてる気分になっていたんだ。
おばあちゃんは、この返事をどう感じたんだろう。
いつものように伸ばした背筋で正面を見据えると、ぽつりと呟いた。
「……ばかをお言い。私はあんなに太っていませんよ」
……前におばあちゃんに会ったのは随分前。
まだ子供だったから気付かなかったんだな。
今なら良く分る。
おばあちゃん、穂咲のこと、大好きでたまらないんだ。
「穂咲さん。背中が丸まっていますよ」
耳慣れた声。
厳しい声。
……愛情のこもった、厳しい言葉。
俺は暖かな気持ちに包まれながら、穂咲と一緒に背筋を伸ばした。
………………
…………
……
「道久さんは、姿勢がよろしいですね」
「そりゃもう。毎日学校で立たされていますから。…………あ」
やっちまった。
「なんてだらしのない。……性根を正す必要がありますね」
そして俺は、穂咲の家に着くなり、一時間正座させられた。
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