マンリョウのせい


 ~ 十二月二十七日(水) ビーフストロガノフ ~


   マンリョウの花言葉 寿ことほ


 昨日は泣きっ面にハチだったのとしょげながら。

 キッチンでシチュー鍋をくるくるさせているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、驚いたことに日本髪に結って。

 そのてっぺんにマンリョウの枝を一本挿していますけど。


 昨日のセンリョウとそっくりな白い星形の花。

 センリョウに比べて、花びらが反って尖っている方が、このマンリョウ。

 万両というだけあって、お正月の縁起物なのです。


 そんなおとそ気分さんに、昨日に引き続き、言わせてください。


 もういくつ寝てきてくださいよ。



 さて、今日の藍川家のキッチンですが。

 珍しいゲストがいるのです。 


 シチューに呪いをかける穂咲。

 熱心にメモを取るおばあちゃん。


 その間に立って、自前のアルミ鍋をゆする背中。


 見慣れた丸い背中は、おばあちゃんに洋食を教えるという名目で転がり込んできた、ウチの母ちゃんだ。


 年末、仕事で大忙しのおばさんと違って、好きなテレビが軒並み特番になって暇だとぼやく母ちゃんなら確かに適任ですが。

 もろもろ不安なのです。


「……なるほど、砂糖を後から入れるのがコツなのですね。では、その分量は?」

「わはははは! ざっくりよ、ざっくり! 甘めがいいときはもう一杯!」


 笑いながら、一杯余分に砂糖をぶち込む母ちゃん。

 あなたには危機感センサー、付いてないのかしら?

 おばあちゃんがメモを取る手がピタリと止まること、これで五度目です。

 堪忍袋、もうそろそろ限界なんじゃないのかな。


「ねえ。なんでおばあちゃん、洋食を教わってるの? 穂咲、何か聞いてる?」

「お祝いの席で、お料理を出すのが夢なんだって」


 ふむ。

 やっぱり憧れがあるんだね、洋食に。


 だったら、お祝いの席うんぬんと言うのも言い訳なのかも。

 一応、聞いておこうかしら。


「お祝いって、何の祝いなの?」

「あたしの結婚式」



 ……………………………………………………。



「それはそれはおめでたいね」


 さすがマンリョウ。

 寿ことほぎなのです。


 そんな俺の様子を見て。

 がははははと大笑いして背中を叩いてくる人がいるけども。


「これは叱らなくていいんですか? 近所と俺に迷惑です」

「事が、お祝いについてのお話です。これを騒ぐなと言うのは無粋です」


 おばあちゃんいわく、今どきはウェディングドレスだから洋風料理じゃないと格好がつかないでしょうとのことですが。

 やっぱり、洋食に興味があることを誤魔化したい、ただの言い訳なのでしょう。


 だって、さっきからメモを取る姿。

 キツネの尻尾がブルンブルン振れてます。



「……では、お料理の続きをお願いいたします」

「続きも何も、これで完成さね!」

「バカを言わないでください。これでは牛煮ではありませんか」

「わはははは! うちのバカ息子は、これをビーフストロガノフって呼んで嬉しそうに食ってるわよ!」


 呼んでないし、嬉しくはない。

 だから、俺をにらんでも明るい明日は来ませんよ、おばあちゃん。


「道久さん、そのように浅学でどうしますか。お座りなさい」

「待って。本来正座させられるべき怪盗は、勝手口から颯爽と姿を消しました」

「お母様を怪盗呼ばわりとは。これはいよいよ性根を正さねばなりません」


 やれやれ、諦めますか。

 シチューをぐるぐるさせている穂咲も知らんぷりをきめ込んでいるようですし。


 でも、いざ正座しようとした床には。

 母ちゃんが飛び散らかした砂糖醤油がいたるところに見受けられて。


 俺の視線に気付いたおおばあちゃんは、穂咲の鍋も火を止めてしまうと、ぞうきんを手渡しながら言い渡してきたのです。


「年末ですし、隅からきっちりと拭きましょう。お二人とも、まじめにやるように」


 ……まあ、正座でお小言よりはましか。


 なんであたしまでとぶんむくれる穂咲を捨て置いて。

 雑巾を手にしゃがみ込む。

 すると、おばあちゃんはとんでもない罰ゲームを追加した。


「怠けた方へは、しっかりとお掃除について教えて差し上げますのでそのつもりで」


 これは大変。

 穂咲に負けるわけにはいかない。

 慌てて床をごしごし拭き始めると、進路方向を穂咲のお尻が遮って来た。


 ええい、こしゃくな。


 今度は俺が穂咲の前に出てやる。

 そう思って両手雑巾がけの姿勢で駆け出すと。

 後ろから足を引っ張られて思い切り顔面から床に落ちた。


「なんて卑怯な!」

「おほほ。なんのことでございましょうですの。あら、そこも汚れておりますの」


 穂咲が俺の顔が落ちた辺りを拭こうとしてきたので。

 反撃にぞうきんを取り上げると、さっきまでなべをぐーるぐるさせていたお玉を取り出して頭を叩いてきた。


「いたいいたいあついあつい!」

「返すの! ぞうきん返すの!」

「いい加減になさい!」


 ケンカ、急停止で気を付け。

 そこから流れるように土下座。


 しまった。

 つい掃除に夢中になり過ぎた。


「……お二人とも、何か言いたいことはございますか?」

「穂咲のせいだ」

「道久君のせいなの」


 お互いにほっぺたをつねりながら思うところを口にすると。

 おばあちゃんのキツネ目はさらに怖くなるのです。


「思いやりを持ちなさい。本当の悪は、己の身の内にあるものと良く反省してから、どなたが悪かったのか、改めて言ってごらんなさい」

「穂咲のせいだ」

「道久君のせいなの」

「お黙りなさい!」


 おばあちゃんの一喝で、正座の姿勢のまま飛び上がった俺たちは、誰が悪いのか心から学んだ。


 ……おばあちゃんのせいだ。



 そんなおばあちゃん、俺たちの手からぞうきんを取り上げると。

 板目に沿って、丁寧に拭き始めるのです。


「……そこでは掃除の邪魔です。テーブルの上にでも座っていなさい」


 上!?

 ……みっともないよね?


 穂咲と一瞬アイコンタクト。

 でも、怒ったおばあちゃんに敵うはずなどないのです。


 俺たちはよっこらしょとテーブルにあがって。

 お地蔵さんより静かに正座していたら。


「あら、お雛様? めでたいわね。お供えものしないと」


 ひょっこり現れたおばさんが、穂咲の鍋からクリームシチューをよそって。

 お雛様へシチュー皿を二つお供えすると。

 自分は母ちゃんの牛丼を皿によそって、パタパタとお店に戻って行きました。


「……はい、お内裏様。どうぞ召し上がれなの」

「お内裏様じゃないですけどね」


 俺が半目でお皿を置け獲ると、お雛様は一口すすりながらがっかりと肩を落としました。


「失敗なの。今日は洋風になっちゃったの」


 変な感想だね。

 いくら和風を目指しているからといって。

 シチューはそもそも洋風なのではないでしょうか。


 このおかしな発言に突っ込みたいところですけど。

 俺も一口すすると、呆れてものが言えなくなりました。


「かあちゃんに食わせたいほど、完璧なビーフストロガノフ」


 ……豚肉なのに。

 信じがたい。



 君がおばあちゃんに教えたらいいのに。

 もっとも、君が教えるのは料理じゃなくて、黒魔術ですけども。


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